この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

黒人のキャラは黒人が担当するべき。

2020-07-01 22:55:05 | 戯言
 アニメに登場するキャラクターは、その人種に合った声優を採用するべき、という動きがアメリカのエンターティメント界で広がりを見せているそうです(こちら)。

 まったくもって同感ですね。
 やっぱり黒人のキャラクターは黒人が声を当てた方がよりリアル感が出ますからね、その方がいいに決まっています。

 同様に、
 白人のキャラクターは白人が声を当てるべきだし、
 日本人のキャラクターは日本人が声を当てるべきだし、
 イタリア人のキャラクターはイタリア人が声を当てるべきだし、
 日本人とイタリア人のハーフのキャラクターは日本人とイタリア人のハーフの人が声を当てるべきだし、
 日本人とイタリア人とエチオピア人とパプアニューギニア人のクォーターのキャラクターは日本人とイタリア人とエチオピア人とパプアニューギニア人のクォーターの人が声を当てるべきだし、
 殺人鬼のキャラクターは実際人を殺したことがある人が声を当てるべきだし、
 宇宙人のキャラクターは宇宙人が、ゾンビのキャラクターはゾンビが、魔法使いのキャラクターは魔法使いが、それぞれ声を当てるべきですよね。
 その方がリアルだし、何より差別的じゃないですからね。

 って言わせてもらっていいですか?
 バッカじゃないの、本当に。

 黒人のキャラクターは黒人が声を当てるべきだと考える人たちはそもそも「演じる」とはどういうことなのか、わかっていない。
 「演じる」っていうのは、人種、性別、年齢、そういった諸々の枠を超えて別人になりきるってことなんじゃないですかね。
 それを人種が異なるから演じるのは不可、というのであれば、世の中の映像、映画はすべて本人による再現フィルムしかなくなっちゃうよ!

 いつの時代もバカなことを言う人はいますが、それが主流になると手に負えませんね。
 アメリカのエンターティメント界が一日も早くまともな世界に戻りますように…。

 以上、これまで純粋な日本人を演じてきましたが、実は日本人とイタリア人とエチオピア人とパプアニューギニア人のクォーターの「せぷ」でした(そんなクォーター、いねぇ)。
コメント (2)
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