ネットの友人が『ガタカ』を見たというのでその感想を聞きました。
感想は割愛しますが、友人は『ガタカ』を見てとても感動したそうです。
ただ、ラストシーンで主人公の友人であるジェロームがなぜ自ら命を絶ったのか、それが最初よくわからなかったとのこと。
『ガタカ』は遺伝子の優劣がすべてを決める近未来で、劣性遺伝子を持つ主人公ビンセントが宇宙飛行士を目指すお話です。
ジェロームは事故によって下半身不随となった優性遺伝子の持ち主ですが、ビンセントが宇宙飛行士になるためにあらゆるサポートをします。
『ガタカ』はネットでも非常に評価の高い作品ですが、友人同様、なぜジェロームが命を絶ったのか、理由がわからないという人が多くいるようです。
自分はといえば、なぜジェロームが命を絶ったのか、疑問に思ったことは一度もありません。
今日はそのことについて自分なりの考えを述べたいと思います。
ただ、一つだけ先に断わっておきたいことがあります。
自分は『ガタカ』は大好きな作品で、繰り返し見てはいますが、最後に見たのはずいぶんと前のことで、さらに事情があって今手元に『ガタカ』のDVDがないのですべては記憶を頼りに書くことになります。
なので、記憶違いや思い違いもあるかもしれません。
もしそういったものがある場合はやさ~しく間違いを指摘してください。
よろしくお願いします。
先に結論を書いておくと、ジェロームが命を絶った理由、それはビンセントが死ぬからです。
「え?」と思われる方もいるかもしれません。ビンセントが死ぬシーンは作中ないですらね。
しかし根拠もなくそう言っているわけではありません。
まず、ビンセントが見事任務を全うし、地球に無事帰還したとしましょう。
彼はそこで自分が宇宙飛行士としては不適であるから、今後は清掃員として生きていく、などと打ち明けるでしょうか?
するわけがないですよね。
『ガタカ』の世界においてDNAの詐称は重罪ですから、ビンセントはこの先も宇宙飛行士として生きていくしかないわけです。
ビンセントが宇宙飛行士として生きていくにはジェロームの協力は不可欠で、ジェロームは協力を惜しまないでしょう。
ビンセントが宇宙飛行士になるまで協力したのに、宇宙飛行士になったら協力しない、というのは理屈に合わないです。
逆に言えば、ビンセントが宇宙飛行士であり続ける限り、ジェロームは必ず彼に協力するだろう、そう言ってよいと思います。
しかし実際にはジェロームはビンセントが宇宙に旅立って間もなく、焼身自殺をして命を絶ちます。
おかしいですよね?
ジェロームが死んだら、ビンセントが地球に帰還した時、適性者のふりをすることが出来ないですから。
にもかかわらずなぜジェロームは命を絶ったのか?
答えは一つしかないと思います。
ジェロームはビンセントが生きて地球に帰ることはないと知っていた、だから命を絶ったのです。
多くの人が忘れているかもしれませんが、ビンセントは心臓に障害を持つ一級の障害者です。
タイタンの探査という過酷なミッションをクリアできる身体ではなかったのです。
ちょっと待て、ビンセントは努力によって病気に打ち勝ったのだ、弟のアントンとの遠泳勝負に勝ったではないか、あのシーンを忘れたのか、そういう人もいるかもしれません。
もちろん覚えていますよ。作中屈指の名シーンですよね。
ただ、忘れてならないのは、アントンは決して体力の限界がきたから泳ぐのを止めたのではない、ということです。アントンは自分の意思で泳ぐのを止めました。
ですから、あのシーンをもって、ビンセントが障害を克服したのだ、常人以上の体力を手にしたのだ、というふうには判断出来ないのです。
言うまでもなく、『ガタカ』はSF映画です。
何かしら外科的な手術を受けたわけでもなく、ただ単に努力をしたというだけで心臓の障害を克服したとすれば、それはもうSFではなく、ファンタジーの範疇です。
繰り返しますが、『ガタカ』はSF映画です。
ですからビンセントは障害を克服出来なかった、そう考えるべきです。
彼は30歳で死ぬ運命だったのです。
今回、ネットの『ガタカ』の考察をいくつか拝読させてもらいました。
こう言っては失礼かもしれませんが『ガタカ』という作品の本質を捉え損ねているのではないかと思う人を多く見受けられました。
その人たちは『ガタカ』という作品を、翼を持たぬ者が努力することによって翼を得て、大空を飛び回れるようになった、そんなふうに受け止めているように思えました。
自分の見方は違います。
『ガタカ』は、翼を持たぬ者が、翼を持つ者しか立つことが許されぬ高みから翼を持たぬまま飛び降りる、そんな映画だと自分は思うのです。
翼を持たぬまま高みから飛び降りれば、待ち受けるのは「死」です。
しかし死ぬ前に高みから見た眺めはどれだけ素晴らしかったでしょう。
翼を持たぬ者が足掻いて、足掻いて、なおも足掻いて、「死」が待ち受ける高みに立つのです。
その恐怖たるや想像することも出来ません。
その生き方を愚かだ、という人もいるでしょう。
30年と寿命が決まっているのであれば、1日でも命を長らえるように生きるべきだ、という考えを否定しません。
しかし自分は限られた時間の中で、一つの目標に向かって足掻いて生きる、その生き方が命を粗末にするものだとは考えません。
人の命の価値は、ただ単に長さによって決まるのではなく、どれほど必死になって生きたかによって決まると自分は思うのです。
『ガタカ』は優れたSF映画であると同時に人間賛歌だと自分は思います。
*映画『ガタカ』の考察はあらためてまとめ直しました。こちらをご覧ください。
*長い考察文なんて読む気がしないという方はこちらをお読みください。
感想は割愛しますが、友人は『ガタカ』を見てとても感動したそうです。
ただ、ラストシーンで主人公の友人であるジェロームがなぜ自ら命を絶ったのか、それが最初よくわからなかったとのこと。
『ガタカ』は遺伝子の優劣がすべてを決める近未来で、劣性遺伝子を持つ主人公ビンセントが宇宙飛行士を目指すお話です。
ジェロームは事故によって下半身不随となった優性遺伝子の持ち主ですが、ビンセントが宇宙飛行士になるためにあらゆるサポートをします。
『ガタカ』はネットでも非常に評価の高い作品ですが、友人同様、なぜジェロームが命を絶ったのか、理由がわからないという人が多くいるようです。
自分はといえば、なぜジェロームが命を絶ったのか、疑問に思ったことは一度もありません。
今日はそのことについて自分なりの考えを述べたいと思います。
ただ、一つだけ先に断わっておきたいことがあります。
自分は『ガタカ』は大好きな作品で、繰り返し見てはいますが、最後に見たのはずいぶんと前のことで、さらに事情があって今手元に『ガタカ』のDVDがないのですべては記憶を頼りに書くことになります。
なので、記憶違いや思い違いもあるかもしれません。
もしそういったものがある場合はやさ~しく間違いを指摘してください。
よろしくお願いします。
先に結論を書いておくと、ジェロームが命を絶った理由、それはビンセントが死ぬからです。
「え?」と思われる方もいるかもしれません。ビンセントが死ぬシーンは作中ないですらね。
しかし根拠もなくそう言っているわけではありません。
まず、ビンセントが見事任務を全うし、地球に無事帰還したとしましょう。
彼はそこで自分が宇宙飛行士としては不適であるから、今後は清掃員として生きていく、などと打ち明けるでしょうか?
するわけがないですよね。
『ガタカ』の世界においてDNAの詐称は重罪ですから、ビンセントはこの先も宇宙飛行士として生きていくしかないわけです。
ビンセントが宇宙飛行士として生きていくにはジェロームの協力は不可欠で、ジェロームは協力を惜しまないでしょう。
ビンセントが宇宙飛行士になるまで協力したのに、宇宙飛行士になったら協力しない、というのは理屈に合わないです。
逆に言えば、ビンセントが宇宙飛行士であり続ける限り、ジェロームは必ず彼に協力するだろう、そう言ってよいと思います。
しかし実際にはジェロームはビンセントが宇宙に旅立って間もなく、焼身自殺をして命を絶ちます。
おかしいですよね?
ジェロームが死んだら、ビンセントが地球に帰還した時、適性者のふりをすることが出来ないですから。
にもかかわらずなぜジェロームは命を絶ったのか?
答えは一つしかないと思います。
ジェロームはビンセントが生きて地球に帰ることはないと知っていた、だから命を絶ったのです。
多くの人が忘れているかもしれませんが、ビンセントは心臓に障害を持つ一級の障害者です。
タイタンの探査という過酷なミッションをクリアできる身体ではなかったのです。
ちょっと待て、ビンセントは努力によって病気に打ち勝ったのだ、弟のアントンとの遠泳勝負に勝ったではないか、あのシーンを忘れたのか、そういう人もいるかもしれません。
もちろん覚えていますよ。作中屈指の名シーンですよね。
ただ、忘れてならないのは、アントンは決して体力の限界がきたから泳ぐのを止めたのではない、ということです。アントンは自分の意思で泳ぐのを止めました。
ですから、あのシーンをもって、ビンセントが障害を克服したのだ、常人以上の体力を手にしたのだ、というふうには判断出来ないのです。
言うまでもなく、『ガタカ』はSF映画です。
何かしら外科的な手術を受けたわけでもなく、ただ単に努力をしたというだけで心臓の障害を克服したとすれば、それはもうSFではなく、ファンタジーの範疇です。
繰り返しますが、『ガタカ』はSF映画です。
ですからビンセントは障害を克服出来なかった、そう考えるべきです。
彼は30歳で死ぬ運命だったのです。
今回、ネットの『ガタカ』の考察をいくつか拝読させてもらいました。
こう言っては失礼かもしれませんが『ガタカ』という作品の本質を捉え損ねているのではないかと思う人を多く見受けられました。
その人たちは『ガタカ』という作品を、翼を持たぬ者が努力することによって翼を得て、大空を飛び回れるようになった、そんなふうに受け止めているように思えました。
自分の見方は違います。
『ガタカ』は、翼を持たぬ者が、翼を持つ者しか立つことが許されぬ高みから翼を持たぬまま飛び降りる、そんな映画だと自分は思うのです。
翼を持たぬまま高みから飛び降りれば、待ち受けるのは「死」です。
しかし死ぬ前に高みから見た眺めはどれだけ素晴らしかったでしょう。
翼を持たぬ者が足掻いて、足掻いて、なおも足掻いて、「死」が待ち受ける高みに立つのです。
その恐怖たるや想像することも出来ません。
その生き方を愚かだ、という人もいるでしょう。
30年と寿命が決まっているのであれば、1日でも命を長らえるように生きるべきだ、という考えを否定しません。
しかし自分は限られた時間の中で、一つの目標に向かって足掻いて生きる、その生き方が命を粗末にするものだとは考えません。
人の命の価値は、ただ単に長さによって決まるのではなく、どれほど必死になって生きたかによって決まると自分は思うのです。
『ガタカ』は優れたSF映画であると同時に人間賛歌だと自分は思います。
*映画『ガタカ』の考察はあらためてまとめ直しました。こちらをご覧ください。
*長い考察文なんて読む気がしないという方はこちらをお読みください。
年末に『ガタカ』を見て思うことがあり、このブログにたどり着いた。
ブログ主の解釈や考えに違和感を覚えた。
そしてなかやま氏とのやり取りでブログ主がどういう人間なのか分かった。
そこまではいいのですが(よくはないけど)、なぜだからといってそのことであなたが礼を言うのですか?
単なる嫌味なのか、それとももっと深い意味があるのか、自分にはよくわかりません。
もう少しわかりやすいコメントをしてもらえたら、と思います。
ところで年始に久しぶりに『ガタカ』に関する記事をアップします。
そちらの方に目を通してもらえたら幸いです。
>お久しぶりです。... への返信
年末にガタカを見てこのブログにもたどり着きましたが、ブログ主の解釈や返信にどこか違和感を覚えていました。が、あなたの返信を見てそれが納得できました。モヤモヤしていたものが晴れた感じです。
もうこちらを見ることはないでしょうが一言お礼を言いたかったので。
コロナも下火になり大学生活もやっと通常通りに行われている頃でしょうね、これからも頑張ってください。
日々忙しくて、今回はたまたま思い出しただけの暇潰しなので、おそらくこちらに返信を確認することはないです。
返信不要とお願いしているえみあさんには無視して返信してますが、私には本当に不要です。お願い申し上げます。
おかげさまであの後、現役で第一志望の大学に入学することができました。新生活の準備や大学生活で忙しくこちらのことなどすっかり忘れてましたが大学の友人とこの映画の話になり思い出しました。せっかくでしたので先週末にもう一度観直してみました。以下回答です。
・「ヒステリー」という言葉に当てはまるかはこの際どうでも良いでしょう。まずあなたがヘアカラー業者なる電話口の相手のやり取りに違和感を覚えた、その根拠としてあなたが示しているのは返品がきかないなどおかしいから。これは本気かと思うくらいに、根拠に乏しいです。またあなたが違和感を持つ→血液や尿を注文している、これも根拠に乏しいです。DNAなど関係ない話と決めつける理由も不明です。
・ヴィンセントがなぜ水泳で勝てたか。これこそこの映画のテーマの1つと考えられる、遺伝子は運命を決めないからです。訓練のランニングの時に奇跡が起きていないかはなんとも言えないですが、表情を変えずに走りきり、周囲に怪しまれずにやらきっているので十分な結果は出しているかと思いますが。奇跡が都合よくおきるかは知りませんw それはなんの話でしょうか?w
水泳ですね、まず子供時代に関してですがアントンが負けるふりをする意味がわからない。30程度までの寿命の兄に同情してわざと水泳を負けたとでも?溺れるふりまでして?なんのために?
ラストの水泳のシーンですが、あなたは本当に直前のやりとりを観てますか?ヴィンセントが縁を切った家族の応援を必要としていますか?誰かに背中を押されないといけないくらい宇宙に行くことに迷っていますか?アントンが、自分が背中を押さないと、と思うような会話をしていますか?結論ありきで仮定して観ることの意味がわかりませんが、一応観てみました。そのようには一切観えません。仮定して観てください、というのはあなが他者を納得させるだけの根拠もロジックもないからです。
全体を通してですが、あなたは自分の考えがロジックに基づいていると繰り返し述べていますが、あなたの解説は少しも論理的ではありません。論理的だ、という以上は他者が納得するだけの根拠と展開が必要です。それがあなたには全くない。ただ自分で論理的な思考をしていると思い込んでいるだけです。「えみあ」さんの発言もその証左でしょう。彼もおそらく私と同様にあなたを論理的な人でないと感じているので、あなたのことを「論理的な人」などと思わずに「自分の価値観を押し付ける人」と解釈しているのです。とても同意です。その他の人のコメントも否定的な意見が多いですね。
それがこのブログのポリシーなので。
授業で『ガタカ』をご覧になったとのこと。
素敵ですね。
自分たちの高校の頃は考えられなかったことです。
まず、えみあさんに思い出して欲しいのは、序盤のビンセントが朝出かけようとするシーンです。
ビンセントは血液サンプルを冷蔵庫から取り出しますが、どれも不適で、最後に取り出したサンプルがようやく使えるものでした。
このことから何が読み取れるかというと、血液サンプルは一度に大量に用意することは出来ないということです。
まぁ難しいことではないですよね。
血液サンプルを大量に用意できないというのは言ってみれば当たり前のことです。
しかしラスト、ジェロームはビンセントが地球に帰還したときに彼がいなくとも何も問題がないように大量の血液サンプルを用意してみせます。
感動的なシーンです。
けれど、血液サンプルを一度に大量に用意することは出来ないという前提とは矛盾します。
ですから、前提が間違っていたか、用意したサンプルがフェイクか、どちらかということになります。
自分は後者だと考えました。
詳しくは省きますが、その伏線が作中あるので。
今述べたことはロジックによって導き出した答えです。
ですから、誰にどう問われても(論理的な誤りが見つからない限り)その考えを改めようという気はありません。
その態度を価値観の押し付けだと言われるのは心外です。
自分は考えを問われた時に自分の考えを述べたにすぎません。
自分は『ガタカ』に関しては考えが強固ですが、間違っていた時は間違っていたというようにしていますし、わからない時も同様です。
えみあさんがこの返信を読み、またコメントをしてくれることを望みますが…。
失礼ながら過去の文を見ていて自分の価値観を人に押付けているだけだなと感じたので…このコメントに返信は不要です…
自分は高校生で、生命倫理の授業でつい先日ガタカを視聴しました。
主様の意見主張に関して、この文章を読んだ時にひとつ疑問に思った事があります。
物語終盤、ジェロームはヴィンセントに対して「大量のサンプルを用意しておいた。一生使ってもまだ余るくらいだ」という旨の発言をしています。それに対しヴィンセントは「宇宙では必要ない」と答えましたが、ジェロームは「帰ってきた時俺が居なくても困らないように」と発言しました。この発言がジェロームの本心から出たものなのであれば、ジェロームはヴィンセントが1年間の探索を終えて帰還することを信じていたということであり、ヴィンセントが死ぬと思っていた、というのは矛盾するのでは?と思いました。その辺については主様はどのようにお考えでしょうか?
まだまだ未熟な人間なので理解力や考察力に欠けているのかもしれませんが、良ければ答えていただけると幸いです。
今どき小学生だってそれぐらいのマナーは弁えているでしょう。
あ、「弁える」、読めますか?
読みは「わきまえる」で、「道理を心得る」という意味です。
あなたがこのブログにコメントをするのもあなたの勝手ですが、小学生並みの、失礼、小学生以下の知性しか持ち合わせていない相手に最低限のマナーを説かなければいけないこちらの身にもなってもらえたらと思います。
『ガタカ』のテーマ、ですか。
シンプルですけど、非常に難しい質問ですね。
「運命に抗うこと」ですかねぇ。
もっと上手く言葉に出来そうな気もするのですが、今問われたらそう答えます。
考察拝見させて頂きました
参考にお伺いしたいのですが、せぷさんはガタカのテーマはなんだと思われてますか?
自分が言うのもなんですが、こんなことをしている場合ではないのではないですか?
まぁ、息抜きも必要ではあるでしょうが…。
確かになかやまさんは「ヒステリー」という単語は使ってませんね。
ただ、「イラつき、高圧的な態度をとっています」と書かれています。
イラつき、高圧的な態度をとった挙句、電話口の相手に感情的な言葉を吐いたのであれば、それは「ヒステリー」と言って差し支えないのではないでしょうか。
いや、それだと意味合いはまったく異なるというのであれば、そこは訂正しても構いませんが、いずれにしろ自分が問題にしているのは、このときのジェロームの態度や言葉づかいではなく、なぜ不自然なセリフを口にしたか、です。
DNAなど関係ない話ですよ。
よかった、なかやまさんもヴィンセントは心臓の疾患を克服していないと考えているのですね。
その時点で違うのかと思っていました。
そして泳ぐことを特別なことと感じている。
泳ぐことを特別なことと感じているのであれば、素直に考えればアントンは泳ぐのが得意だった、ってことですよね。
ヴィンセントは心臓の疾患を克服しておらず、アントンは泳ぎが得意であったにもかかわらず、どうしてヴィンセントは遠泳勝負で二度勝利することが出来たのですか?
ヴィンセントが必死に頑張ったから、ですか?
ではランニングの時は頑張らなかったってことですか?
もしくは奇跡が起きてヴィンセントはアントンに勝利することが出来た?
ではなぜランニングの時奇跡が起きなかったのです?
どうしてヴィンセントはアントンを相手にした時だけ奇跡を起こせるんですか?
奇跡ってそんなに都合よく起きるものなんですか?
アントンがわざと負けたとは思えないと仰っていますが、子どもの頃から一緒に育ってきた兄が長くは生きられないということを知って、わざと遠泳勝負で兄に勝ちを譲ったとしたら、その行為はそんなに理解し難いものですか?
再会した兄が幼いころからの夢にあと一歩のところまできていたら、どうにか応援したい、背中を押したいと思うのはごく自然なことではないですか?
もう一度だけ、今度はアントンが兄の夢の前に立ち塞がる存在ではなく、理解者であり、応援者であるという仮定で『ガタカ』を見てください。
ただし、それは来年の4月以降、なかやまさんが大学に合格してからにしてください。
それ以前にコメントされてもこちらはスルーさせてもらいます。
自分勝手な都合ですが受験生なもので平日はなるべくスマホをいじらないようにしておりまして。
もしかするとあなた様を不快にさせてしまったかもしれませんね。そのような意図はなく、解釈が1つと言うのであれば私の解釈とは異なる納得のいくご説明が聞けるものかと期待しておりました。
不快であればそれはこちらの望んでいることでなく、不毛なことなので返信はなくてけっこうです。
読み直していただければわかるかと思いますが、ジェロームがイラつくシーンはただのヒステリーに過ぎないと言っているのではなく、DNA的には暴力性がないと予想されるジェロームが感情的になることが重要だと申し上げたのです。ビンセントが示した可能性がDNAを超えるものであるのと同様に、ジェロームの精神的な不安定さ(ビンセントと出会う前に自殺を試みたり、アルコール依存のような状態になったり)も負の側面ではありますが、DNAの可能性を超えるようなものに見えるのです。申し訳ないですが、何回見直してもとても血液を購入しているようには見えません。
他の方はヘアカラーはビンセントが使うものなので、ジェロームがビンセントのために真剣に怒っている、つまりは2人で夢を追いかけていると解釈していました。おもしろい考えだと思います。
ランニングのシーンですがもちろん意味のないシーンだとは思っていません。事実としてはビンセントがやはり心臓の疾患を克服していないことがわかります。ここからは解釈ですか、ビンセントが命懸けの努力をしている様子を示した重要なシーンに見えます。ジェロームのDNAを利用するだけのただのインチキヤローではなく、これまでこのように努力を積み上げてきたことを示すとても印象深いシーンでした。この映画(世界)のほとんどの人は努力をしません。DNAを超えるかもしれないことを試しもしません。その中で、可能性を信じ必死に努力をするビンセントを表現しているシーンと解釈しました。また、アントンのプールのシーンですが、私にはただアントンが泳ぐのが好きというわけではなく、幼い頃にビンセントに負けたことが心に影を落とし、いまだに泳ぐことになにか特別なことを感じているように見えます。こういったことからもアントンがわざと負けたとは到底思えません。
へぇ、解釈を観客に委ねている作品って実際にあるのですね。
具体的に言うとどの作品ですか?
『インセプション』あたりでしょうか?
どのように解釈するのも自由だ、と監督が言うこともないではないでしょうね。
でもそれはリップサービスのようなものですよ。
なぜなら一人のクリエイターが一つの作品を作るときに何のメッセージもテーマ性も設けない、ということは出来ないからです。
もちろん解釈が難解な作品もあれば、最終的な答えが示されない作品もあります(『ガタカ』がそうですね。アンドリュー・ニコルは決して正解を教えてはくれないでしょう)。
だからといって解釈が自由だ、ということにはなりません。
一つ前のレスで、自分はこう言いました。
世の中に返品不可の商品は山ほどある、と。
訂正します。
このときジェロームはこう言っています。
「ヘアカラーの会社がいつもと違う色を送ってきた。(中略)返品はききそうにない。」
ヘアカラーの会社が注文したものとは違うものを送りつけているのに返品は出来ない、とジェロームは言っているのです。
注文したものとは違うものを送りつけておいて返品
を受け付けない業者って何なんですか?
このときのジェロームの台詞はすごくおかしいですよね。
自分は強い違和感を覚えました。
でもなかやまさんはただのヒステリーに過ぎない、と仰るんですよね?
伏線などではない、と。
本当にただのヒステリーにしか見えませんか。
まぁ、見えないんですよね、きっと。
水泳のシーンでアントンが故意に負けたと言っているのは、ヴィンセントがたった20分間のランニングの直後にロッカーロームで崩れ落ちるシーンがあるからです。
あのシーンを見て、ヴィンセントが心臓の障害を克服したとか、宇宙飛行士の適性があるとか、遠泳勝負で実力でアントンに勝利したとはとても思えません。
なかやまさんはロッカールームのシーンをどのように解釈しているのですか?
やはり伏線でも何でもない、流してしまって構わないシーンだと仰るのですか?
紹介された考察サイトを覗いてみましたが、まぁよく書いているな、と感心はしましたよ。
特に心は動きませんでしたが。
まず返品を求めているシーンですが、別に意味のないシーンだとは思っていません。血液を注文しているわけではないと考えているだけです。決めつけはやめましょうか。これこそ解釈の違いだとは思いますが、あのシーンで電話相手にジェロームはイラつき、高圧的な態度をとっています。似たような言動をとるシーンがありますが、警察に職質された時です。完璧にデザインされ、暴力性のDNAはないと推察されるジェロームがイラつき攻撃的になるシーンです。これらのシーンも本作品のテーマであるDNAで全てが決まるわけではないということを示唆しています。
同じ作品を観てるとは思えないというところだけ激しく同意見です。イレギュラーなことをしているのは基本的にはビンセントの周囲だけです。あのシーンで血液の売買をしてるとすると、ジェロームが他人の血液をネットが電話で購入して、それが後日宅配業者によってクール便かなにかで家に届く、それを見てジェロームが血液を購入した先に電話をかけて文句を言う、こういうことになりますね。違法であると推察される血液の売買をこんなバカげたやり方でおこなうでしょうか?余りにもバカげていて笑ってしまうくらいです。
友人であるジェロームが「君が帰ってくることを信じている」こう言えばすむ話です。「ホントに信じてるよ。信じてる証拠に血液をストックしといたから見てくれよ。」これではあまりにもチープで不自然です。
水泳のシーンです。
あなたの主張だとこの映画は、主人公であるビンセントが遺伝的に優れている弟にわざと負けられて、DNAが全てではないと勘違いし、頑張ったすえにまたわざと負けられて励まされ、友人のジェロームからはDNAが劣っているからどうせ任務中に死ぬと思われている。そんなわけないでしょう。
https://wka.jp.net/archives/66
よく考察されているので参考にしてみては?
自分が言いたいのは解釈は解釈する側の自由ではないということです。
確かに世の中に返品不可の商品は山ほどあります。
だからといってそれを理由にジェロームの発注したものがフェイクの尿や血液ではなかったというのであれば、あのシーンは作中意味のないものだったということになります。
はたして『ガタカ』において意味のないシーン、あってもなくてもどちらでもよいシーンがあるのか。
なかやまさんはそれを「ある」と考えているのでしょう。
自分は『ガタカ』に意味のないシーンなどないと考えています。
どちらかが合っていて、どちらかが間違っているわけですが、それは脚本を書いたアンドリュー・ニコルに訊ねないとわからないことです。
作中ヴィンセントたちのやっていることはイリーガルなことばかりなのに、血液の売買は違法だからあるはずがないという主張には驚きます。
はたして同じ作品を見ているのだろうか、と思わずにはいられません。
>旅立つビンセントが戻ってこないと思っているなら、そうまでしてフェイクの尿や血液を用意する必要がないです。
その解釈が違うんですよ。
ヴィンセントが二度と地球に戻ってこないと思っているからこそ、フェイクの尿や血液を用意する必要があるのです。
ヴィンセントが地球に戻ってくることを信じているとジェロームはヴィンセントにそう思わせたかったのです。
信じていないことを信じていると思わせるために偽装工作をすることは決して理解し難い行動ではありません。
解釈が一つであれば、アントンが故意に負けたという解釈が間違っているという指摘はまったく意味が分かりません。
思わせぶりな言い方は止めてもらえたら、と思います。
わたくしが指摘した①に対してのみのご意見かと思いますが、よろしいでしょうか?
恐れながら申し上げますが、返品できない=血液や尿と考えるのは浅はかすぎます。返品がきかない品物、注文の仕方などは普通にありふれています。尿に関しては知りませんが、血液の売買は違法です。近未来だからあり得ると思うかもしれませんが、ガタカの世界ではDNAが大きな役割を担っていて犯罪の証拠としても用いられています。そのような世界で血液の売買があることは考えにくいでしょう。またそうまでしてフェイクの尿や血液を準備する意図が見えません。旅立つビンセントが戻ってこないと思っているなら、そうまでしてフェイクの尿や血液を用意する必要がないです。
また、アントンがわざと負けたという解釈も間違っていますよ。解釈が1つだけと言うのであれば。
まず解釈についてですが、解釈は答えは一つしかないんですよ。
もしなかやまさんが解釈は人それぞれだと思っているのであれば、それはなかやまさんの中で解釈と感想がごっちゃになっているからだと思います。
感想は人それぞれなのです。
なぜかというと人はそれぞれ生きてきた人生が違うからです。
生きてきた人生が違えば、何に感動するか、何を面白いと思うか、何を怖いと思うか、そういった価値観が違ってくるのは当然です。
ですから一つの作品に対し、人はそれぞれ違った感想を抱くのです。
一方解釈はその作品がどういった作品なのか、言い換えれば作者がその作品にどんな想いを込めたのかを探る行為です。
作品に込められた思いが一つであれば、当然解釈も一つしかありえません。
なかやまさんが抱かれた疑問に関しては当ブログでは数え切れないぐらい繰り返し回答していますが、直近の記事ではこちらで回答しています。
ご参照ください。
https://blog.goo.ne.jp/sepurainnole/e/dbc8efa72c0d97e2ffb94271875ae4f6
3日前に鑑賞しました。
観賞後に他人の考察を読むのが好きですが、私は映画の解釈はそれぞれだと思うタイプなので、自分と異なる解釈があってもそれはそれで構わないと考えています。しかし、あなた様は映画の解釈は1つだと思われているようなので失礼致します。
「ジェロームが自殺した理由は、ビンセントがタイタンの任務で確実に死ぬと思っているから」これは明らかに誤りだと思います。
以下が理由です。
①尿や血液を保存していた。
ジェロームがいなくなっても困らないように一生分のストックがあるとビンセントに伝えます。ビンセントが任務で死ぬと思っているとするならばこの行動は意味不明です。1年先まで保存がきかないと反論をされていますが、現代ではなく近未来の話であり私達の常識では判断がつきません。少なくともビンセントは保存の点に疑問を持っているようには見えず、この行為が無駄なことであると断定するには根拠が乏しいでしょう。
②ジェロームの知識
任務間近となったレストランでの会話ですが、そこでジェロームはビンセントにタイタンはどんなところか質問します。ジェロームは友達としてビンセントに協力しますが、具体的な任務の内容などはあまり知らないと推察されます。そのような知識の乏しさで、ビンセントが確実に死ぬと思っているのは繋がらないと考えます。
③医師の息子の話
この映画の中でも名シーンの1つと思われる医師からビンセントの正体を知っていたと伝えられるシーンですが、彼の息子も遺伝的に劣っていますがビンセントの可能性を信じているように発言しています。ビンセントが確実に死ぬとしたら、もちろん医師もそのことは承知しているはずです。だとしたら彼の息子はビンセントの話をどう受け止めるでしょうか?遺伝的に劣っている人が、自分を偽り宇宙飛行士となったが遺伝的な限界には勝てず任務中に死亡した。このような結末になると医師が考えていたら、あのようなセリフは出てくる筈がなく、息子にとっても良い影響を与えないでしょう。
主な点は以上です。
解釈はそれぞれあっても良いと思いますが、あなた様が1つの「正解」のようなものを求めていると見受けられたので訂正致しました。
平日は何かと忙しく(大したことをしているわけではないのですが)、長文レスになりそうなものは週末まとめて返すことが多いのです。
まぁでも自己解決されたのであれば何よりです。
自分もyuraさんのような理知的な方と『ガタカ』について語ることが出来てよかったです。
普段議論をするにしても、意見の異なる相手であればどのような態度を取っても構わないのだ、と考える輩も多いので…。
また気が向いたらコメントをよろしくお願いします。
主さん「知っていた→自殺ほう助→責任も兼ねて」
とお考えなのですね
それでしたら理由に知っていた事を挙げていても不思議ではないです
失礼しました
ジェロームの最後について理由を検索していて、こちらに着きました
ガタカについてまとめられていらっしゃる内容とコメントのやり取りを拝見して違和感を覚え、少し考えていました
「なぜ自ら命をたったのか」その「理由」として挙げられているのが「帰らないことを知っていた」からと考察されていて 知っていたor知らなかった で議論をされています
私はその答えはわかりませんし どちらも否定しませんが
帰るか帰らないかは理由になりえるのでしょうか?
その前に理由があり
プラス判断の基準としての理由が帰らない事であって
仮に帰らないことで絶望(あくまでも仮です)したとしたらそれは依存です
故に理由というなら「依存」となります
違和感は要素を理由の中心としてあげられているからだと気づきました
他者の為の理由ではなくジェローム本人の理由の考察がないため反論が起こっているのではないでしょうか?
絶ってもいい理由と絶ちたい理由 の違いです
全体の考察自体は面白く拝見させていただきました
ありがとうございます
こちらの方がコメントのつながりが分かりやすいとおもい同じ内容を再投稿しました
長文失礼しました
あなたは誰かの家を訪れた際、何の断りもなしにずけずけと上がり込みますか?
しないですよね。
失礼しますとか、お邪魔しますとか、一言断って上がりますよね?
それが最低限の礼儀というものです。
ネットにおいてもそれは同じです。
名前をきちんと名乗りましょう。
それが最低限の礼儀であり、マナーです。
最低限の礼儀を守れていない人からテーマを理解してない、繊細な描写を見逃しているなどと言われても全く心に響きません。
他人のブログにコメントをするのは最低限のマナーを弁えてからにしては如何ですか?
あまり自分で勝手に構築した先入観に捕らわれて観てるようだから、
頭の中リセットしてから何度も鑑賞することをお勧めします。
この映画のテーマが全く理解できてないようですね。
心臓病のリスクはともかく、凶暴性っていうのは特に作品の中で問題になっていないような気がするのですが…。
>とどのつまり何やらぐちゃぐちゃ言わないで頑張りなさいというのを私はこの作品から感じます。
頑張りなさいというメッセージは自分も作品から伝わってきます。
>ジェロームは乗り越えられなかったのだ。
乗り越えられなかったというのはつまりプレッシャーをジェロームは乗り越えられなかったという意味でしょうか。
だとしたらそれはジェロームが死んだ理由にはなりますが、死ぬ場所をアパートメントに選んだ理由にはならないと思います。
アパートメントで命を絶ったら確実に地球に帰還したビンセントに対して迷惑をかけてしまうことになるじゃないですか。
アパートメントに帰ってきたビンセントが焼却炉の中のジェロームの変わり果てた姿を見たら卒倒するでしょうし、ジェロームもそんなことは望まないはずです。
ひろさんも望まないのではないかと思うのですが…。
こちらからお願いしといてなんですが、何だか気恥ずかしいものですね。もちろん嬉しいことですが。
通常はコメント順にレスをするのですが、時間がなかったので(先週記事の更新をサボっていたツケが回ってきました)、こちらからレスをさせてもらいます。
無理はもちろんしません。
というか、お正月休みはこれといって予定がなく暇を持て余しそうだったので、レビュー依頼が来て嬉しいぐらいです。
どうせなら2本と言わず5本ぐらい依頼してくれてもいいのですが、まぁたかこさんもそんなにしょっちゅう映画を見てモヤモヤはしないでしょうからね。笑。
たかこさんの方こそ本当に無理はされないで気が向いたときにコメントをしてくださいね。
実はもうひとつ、モヤモヤした映画があるのですが(笑)
マッツ ミケルセン主演の「偽りなき者」です。もし未見でも、こちらの方が まだ見やすいと思います。
ラストシーンの解釈が人によって違うと思うので、誰かと話したくなる映画なんです。
過去記事の中から、私が見た映画を探して、少しづつ コメントしていきますね。
とりあえず 3件コメントしてみました。
謝られる必要はないのです。
日本人はとかく議論をすることに嫌悪感を抱くようですが、こうやって論じ合うことで真実に近づくのであれば、それはとても素晴らしいことなのではないでしょうか。
>行ってからは、任務を完了することが重要だから、もういちいち検査なんかしないと思うんですよ。
任務が何よりも最優先されるというのは同意します。
ただ、ビンセントがコンタクトを着用していることを他のクルーがなぁなぁで済ませる、ということはないと思います。
適正者だけで構成されるべき宇宙船クルーの中に一人不適正者が混じっていて、動揺しないとは考えにくいからです。
ジェロームには自殺願望がありました。彼は死に場所を探していたのでしょう。
ただし、死に場所を探していたとしても、ビンセントが地球に生還すると考えていたのであれば、ジェロームは二人で暮らしたアパートメントを死に場所には選ばないと思うのです。
なぜならアパートメントで死んでしまうとビンセントが第一発見者になる可能性が生じるからです。
ビンセントが生還すると考え、なおそれでもジェロームに死ぬ理由があったのであれば、どこか他の、ビンセントに自分の死を知られぬ場所で命を絶つのではないでしょうか。
もちろん足の不自由な彼が遠くに移動することは困難でしょう。
しかし困難というだけで不可能ではありません。
最悪金で人を雇って砂漠かジャングルにでも行けばいい。
ジェロームがアパートメントを死に場所に選んだこと、それ自体がジェロームがビンセントは二度と生きて地球に戻ることはないと考えた強力な根拠になる、そう自分は考えます。
くどくてすみません。。。
『君に読む物語』は未鑑賞です。
基本的に自分は恋愛もの、もしくはタイトルからそう察せられるものは不得手で見ないのです。
ただ、意見を聞きたいと言われて断る理由はありません。
ただし、少し時間を頂くことになると思います。
正月休みまで待ってもらえたら必ず鑑賞し、感想を書くと約束しましょう。
あまり期待されるのは困りますが…。
それまで気が向いた時でいいので、たかこさんにも記事にコメントをいただけたら嬉しく思います。
ところで、もしよければ、「君に読む物語」のあなたの解釈を聞かせてくれるとうれしいです。もしブログ内に既に書いていたら、見つけられずごめんなさい。
この映画は、他の方のレビューも色々読んだのですが、ラストの解釈でしっくり納得できるものがなく、すごくモヤモヤしました。今までで一番モヤモヤした映画です。
辺境のブログにようこそ。
>解釈は人それぞれ
いえ、感想は人それぞれですが、解釈は人それぞれではありません。
深く考察すれば、監督に聞かずともある程度の答えは浮かび上がるものですよ。
その作品がきちんとロジックに従って成立しているのであれば、ですが。
>その1%を無視した解釈には、説得力を感じません。
その1%を無視してはいないんですよ。
タイタンでの活動中、ビンセントの心臓が発作を起こさなかったとしましょう。
その場合彼の前に立ちふさがるのはもう一つの障害です。
たかこさんは忘れているかもしれませんが、ビンセントはコンタクトレンズなしではまともに物が見れない強度の近視眼でした。
狭い宇宙船の中でコンタクトレンズを装着しているということを一年の間隠し通せるでしょうか。
自分は無理だと考えます。
つまり宇宙に行ったビンセントを待つのは、心臓発作を起こして最期を迎えるか、DNA詐称がバレて罪人として捕えられるか、そのどちらかの結末だったのです。
しかし一番悲劇的なのは、そのどちらでもない場合です。
仮に、ビンセントが宇宙で心臓発作を起こすでもなく、近視眼であることも一年間隠し通せたとしましょう。
それが何を意味するか、たかこさんにはわかりますか?
ビンセントが地球に生還するということは、彼がジェロームの遺体の発見者になるということに他なりません。
ジェロームの変わり果てた姿を見て、ビンセントはどう思うでしょうね?
たかこさんは想像出来ますか?
自分はそのような悲劇的な結末はまったく望みません。
ビンセントは宇宙でその命を終えた、そう思いたいです。
ビンセントにとってそれが一番幸せな結末なんですよ。
心臓の疾患になる確率は100%ではなく、99%でした。その1%を無視した解釈には、説得力を感じません。
『ガタカ』を地上波でご覧になられたとは僥倖でしたね。
ただ、地上波での放映であればおそらく何シーンかカットされているはずなので、出来ればDVDをレンタルするか、もしくはいっそのことDVDを購入するかして(新品でも千円です)再鑑賞されたらいいですよ。
>一生分の尿や血液の保存は現在よりもはるかに科学技術が進んだ世界設定なので
保存技術が進歩した世界であれば検査技術もまた同様に進歩しているでしょう。
サンプルが一年前のものだとわからない、ということはないと思います。
ただ、、、生体サンプルにこだわったのは、どうも自説の正しさをあくまで主張したいがためであるように思えます。
生体サンプルの件は作品の疵ではあっても、全般的な解釈自体はまよねこさんのものがおそらく正しいのでしょう。
『ガタカ』を気に入ったのであれば、同じイーサン・ホーク主演の『プリディスティネーション』もすこぶる面白いですよ。
お薦めする割にはタイトルが『プリディスティネーション』なのか、『プレディスティネーション』なのか、それとも『プリデスティネーション』なのか、いまいち覚えきれないんですけどね。笑。
一生分の尿や血液の保存は現在よりもはるかに科学技術が進んだ世界設定なので
保存技術もはるかに進み長期間劣化はしないと考えていいと思います。
ジェロームがなぜ死を選んだか。
劇中でジェロームは自殺を試み失敗した結果歩けなくなりました。
優秀な遺伝子、しかし永遠の二番手、苦悩の末死のうとしたが自ら死ぬことすら失敗したことで
無気力になっていたのが劇中序盤のジェロームだと思います。
不適正のビンセントが絶対無理だと思われたことを自分になることで次々越えていくことは
彼にとって希望になり、ビンセントが夢を叶えた時彼もまたかつて成し遂げられなかったことを
やり遂げる気力を取り戻したのではないかと。しかも今度は自分の全てを託す相手がいる。
敗者の証の銀メダルと共に逝ったのは自分という存在を受け入れることができたから。
自分が消えることでビンセントは完全にジェロームになる。手紙(遺髪)を宇宙に行ってから読んでくれと指定したのは
自分も宇宙に一緒に行く、君は私、2人で一つとかそういった意味が込められているのではないかと。
ビンセントは夢を叶え、ジェロームは世界から解放された。そう解釈しました。
長々と失礼いたしました。
一応確認ですが、当ブログにコメントするのは今回が最初ですよね?
以前同じHNの知り合いがいたもので…。
>死ぬと分かっていたならば大量に尿をストックする意味はないでしょう
そこが問題なのです。
作中、ビンセントがタイタンでの任務を終え地球に再び戻ってくるのは一年後だという説明がされます。
一週間後でもなく、一ヶ月後でもない、一年後です。
そうですよね?
ここでさやかさんに質問です。
あなたの友人が一年間冷蔵庫に入れっぱなしだった牛乳をあなたに勧めてきました。あなたはその牛乳を飲みますか?
この質問に「イエス」と答える人はまずいないでしょう。
自分は断固として拒否しますね。
消費期限を一年過ぎた牛乳なんて例え冷蔵庫にずっと入れていたとしても飲めるわけがない、そう思うからです。
ごく常識的な判断だと思います。
ではもう一問。
一年間冷蔵庫に保管していた尿や血液などの生体サンプルは検査に適していると思いますか?
自分の答えは「ノー」です。
一年間冷蔵庫に入れっぱなしだった牛乳が飲用に適さないのであれば、それと同様に一年間冷蔵庫に保管していた生体サンプルは変質し、腐敗し、蒸発して、検査には適さないものになっているはずです。
つまり、ジェロームがどれほどの尿や血液を残していたとしても、ビンセントが地球に戻る一年後にはすべて使い物にならなくなっている、そう考えるのがごく自然ではないでしょうか。
自分はその考えの元に読んでもらった考察文を書きました。何も考えがなく、ビンセントは死んだと主張したのではありません。
ただ、今はその考えが揺らいでいます。
血液や尿は腐るものだということは、ごくごく当たり前のことで、それはビンセントやジェロームにも共通認識なのだとばかり思っていたのですが、何度か見返している内に、どうもそうだとは言い切れないようだ、と思うようになりました。
今自分は正直なところ『ガタカ』がどういう映画なのか、よくわからなくなっています。
以前は『ガタカ』こそがSF映画の最高傑作だと思っていたのですが…。