普段映画はボンクラに観ることが多いです。
正確に数えたわけではないですが、映画レビューの半分ぐらいには「わからない」、「わからなかった」と書いているような気がします。
「わからない」ことを「わかる」振りをしても仕方がないですし、そもそも自分は「わからない」ことが恥だとは思っていないのです。
その一方で「わかる」映画も稀にですがあります。
例えばフランス発のホラー映画『マーターズ』がそうですね。
難解な作品として知られる『マーターズ』ですが、自分にはすごくわかりやすい映画でした。
そしてそのレビュー、というか考察文もそれなりに支持を得ています(こちら)。
また同じように「わかる」映画でありながら、その考察文がまったく支持されない作品もあります。
それが『ガタカ』です。
ぶっちゃけ拙ブログで『ガタカ』の考察文をどれぐらい書いたのか、書いた本人にもわかりません。
なぜそれほどまでに『ガタカ』の考察文を延々と書いているかというと理由は簡単、その考察文を支持してくれる人が皆無だからです。
一人でも「その通りですね!」と言ってくれる人が現れたら、そこで筆を置くことが出来るのですが、現れないので延々と書く羽目になっています。
物語の終盤、木星に旅立つビンセントに、親友のジェロームが、一年後ビンセントが地球に帰還した時のために大量の血液と尿の検体を用意し、披露するシーンがあります。
感動的なシーンですが、よくよく考えるとおかしいのです。
まず血液は一度に大量に採取することが出来るものではなく、また長期間の保存の効くものでもありません。
なのでこのシーンでジェロームが用意した血液と尿の検体はすべてフェイクなのだと自分は考えました。
問題はなぜジェロームがそのような芝居をしたのかですが、もちろんその説明もつきます。
大量の検体を用意したジェロームを見て、皆さんはどう思いましたか?
こう思われたのではないでしょうか、ジェロームはそれほどまでにビンセントが地球に帰還すると信じているのか、と。
そうです、ジェロームはそう思わせるのが目的だったのです。
なぜならジェロームはビンセントが地球に帰還するとは思っていなかったから。
思っていなかったからこそ一芝居打つ必要があったのです。
ともかく、血液は一度に大量に用意できるものではなく、また長期間の保存が効くものでもないというのは、そんなに難しいことを言っているつもりはありません。
むしろ、言われてみれば当たり前のことを言っているつもりです。
でも理解出来ない人には理解出来ないんですよね。
以前ある人に、一年間冷蔵庫で保存していた牛乳を飲め、と言われても飲めないでしょう?同様に一年間冷蔵庫に保存していた血液は変質して検査に適することはないですよ、と言ったことがあります(牛乳と血液は成分が酷似しています)。
その人はこう言い返してきました。
LL牛乳を知らないんですか?(LL牛乳と同じ処理をすれば血液も長期保存が出来るはず)と。
う~ん、、、と唸ってしまいました。
その手があったか、と感心したのではありません。
牛乳を例にしたら、LL牛乳を持ち出す、ああ言えばこう言うっぷりについていけないなと思ったのです。
LL牛乳のことは知っています。
通常の牛乳よりも高温で殺菌処理した牛乳のことです。
でもそのような熱処理をすれば血液内のDNAは間違いなく全滅します。
そのことを指摘すると以後その人からの反論コメントはありませんでした。
好きな映画について議論することは楽しいことです。
真理により近づけるような気がします。
しかし、簡単に論破されるような屁理屈をこねる相手ではその限りではありません。
血液は一度に大量に用意出来るものではなく、また長期保存が出来るものではないというごく当たり前のことが多くの『ガタカ』好きに受け入れられないことが自分にはとても不思議です。
正確に数えたわけではないですが、映画レビューの半分ぐらいには「わからない」、「わからなかった」と書いているような気がします。
「わからない」ことを「わかる」振りをしても仕方がないですし、そもそも自分は「わからない」ことが恥だとは思っていないのです。
その一方で「わかる」映画も稀にですがあります。
例えばフランス発のホラー映画『マーターズ』がそうですね。
難解な作品として知られる『マーターズ』ですが、自分にはすごくわかりやすい映画でした。
そしてそのレビュー、というか考察文もそれなりに支持を得ています(こちら)。
また同じように「わかる」映画でありながら、その考察文がまったく支持されない作品もあります。
それが『ガタカ』です。
ぶっちゃけ拙ブログで『ガタカ』の考察文をどれぐらい書いたのか、書いた本人にもわかりません。
なぜそれほどまでに『ガタカ』の考察文を延々と書いているかというと理由は簡単、その考察文を支持してくれる人が皆無だからです。
一人でも「その通りですね!」と言ってくれる人が現れたら、そこで筆を置くことが出来るのですが、現れないので延々と書く羽目になっています。
物語の終盤、木星に旅立つビンセントに、親友のジェロームが、一年後ビンセントが地球に帰還した時のために大量の血液と尿の検体を用意し、披露するシーンがあります。
感動的なシーンですが、よくよく考えるとおかしいのです。
まず血液は一度に大量に採取することが出来るものではなく、また長期間の保存の効くものでもありません。
なのでこのシーンでジェロームが用意した血液と尿の検体はすべてフェイクなのだと自分は考えました。
問題はなぜジェロームがそのような芝居をしたのかですが、もちろんその説明もつきます。
大量の検体を用意したジェロームを見て、皆さんはどう思いましたか?
こう思われたのではないでしょうか、ジェロームはそれほどまでにビンセントが地球に帰還すると信じているのか、と。
そうです、ジェロームはそう思わせるのが目的だったのです。
なぜならジェロームはビンセントが地球に帰還するとは思っていなかったから。
思っていなかったからこそ一芝居打つ必要があったのです。
ともかく、血液は一度に大量に用意できるものではなく、また長期間の保存が効くものでもないというのは、そんなに難しいことを言っているつもりはありません。
むしろ、言われてみれば当たり前のことを言っているつもりです。
でも理解出来ない人には理解出来ないんですよね。
以前ある人に、一年間冷蔵庫で保存していた牛乳を飲め、と言われても飲めないでしょう?同様に一年間冷蔵庫に保存していた血液は変質して検査に適することはないですよ、と言ったことがあります(牛乳と血液は成分が酷似しています)。
その人はこう言い返してきました。
LL牛乳を知らないんですか?(LL牛乳と同じ処理をすれば血液も長期保存が出来るはず)と。
う~ん、、、と唸ってしまいました。
その手があったか、と感心したのではありません。
牛乳を例にしたら、LL牛乳を持ち出す、ああ言えばこう言うっぷりについていけないなと思ったのです。
LL牛乳のことは知っています。
通常の牛乳よりも高温で殺菌処理した牛乳のことです。
でもそのような熱処理をすれば血液内のDNAは間違いなく全滅します。
そのことを指摘すると以後その人からの反論コメントはありませんでした。
好きな映画について議論することは楽しいことです。
真理により近づけるような気がします。
しかし、簡単に論破されるような屁理屈をこねる相手ではその限りではありません。
血液は一度に大量に用意出来るものではなく、また長期保存が出来るものではないというごく当たり前のことが多くの『ガタカ』好きに受け入れられないことが自分にはとても不思議です。
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