自分はボンクラなので、普段映画を観てもその映画が何を訴えたいのか、どういう映画なのか、わからないことも多いです。
ブログのレビュー記事にはわからない時は「わからない」とはっきり書きます。
わからないのにわかった振りをしても仕方ないですからね。
一方で稀に「わかる」映画もあります。
例えばホラー映画の『マーターズ』がそうですね。
一般的には延々と拷問が続く陰鬱なホラー映画と評されていますが、自分には寄る辺ない二人の女性の孤独な魂の邂逅を描いた感動作なのです。
考察記事はそれなりの支持を得ています(こちら)。
ただ、「わかる」映画の考察記事が常に支持されているわけではありません。
その筆頭がSF映画の『ガタカ』です。
自分が書いた『ガタカ』の考察記事を積極的に支持してくれた人は皆無です。
支持してくれた人がいないぐらいならいい方で、考えの違いから最終的に喧嘩別れになることもあります(だいたい自分が一方的に罵られる)。
どうして映画の解釈が違うぐらいで相手のことを罵れるのか、自分にはよくわからないです。
あぁ、この人は自分とは考えが違うのだな、と思えないのでしょうか。
なぜ『ガタカ』の解釈が異なるのか、理由はいくつかありますが、その一つに主人公ヴィンセントの弟であるアントンの人物像の捉え方が違うということが挙げられます。
ここに来る人の多くがアントンはヴィンセントが乗り越えなければいけない大きな壁のような存在と捉えている節があります。
自分の考えは違って、アントンはヴィンセントのよき理解者、ヴィンセントが宇宙飛行士になるという夢を叶えるために欠かせない人物だと思っています。
『ガタカ』で検索してこられた方に最初なお願いしたいのは、もしあなたに生まれつき心臓に重い障害がある兄がいたとして、その兄から夜の海での遠泳勝負を挑まれたら、あなたはどうしますか?ということです。
そんな勝負、受けたくないです。
だって勝負の最中に兄が心臓発作を起こして、自分の目の前でブクブクと海に沈んでいくかもしれないんですよ?
そんな姿、見たくないですよね。
兄であるとか、家族であるとかといったことは関係なく、心臓に重い障害がある人間と遠泳勝負なんて、誰でもしたくないはずだ、自分はそう考えます。
心臓に重い障害がある人間と遠泳勝負をしたくないというのはお前の勝手な決めつけだ、という方もいるかもしれませんね。
もしそういう声が一定数あれば、自分は自分の考えの誤りを認めましょう。
ただし、そういう声をあげた人たちのことを自分は「人でなし」と呼ばせてもらいます。
だって、目の前で一人の人間が溺れ死んでも構わないというのですから、「人でなし」でなくて何なのですか?
ともかく自分はアントンは「人でなし」でなかったと思うので、彼は兄との遠泳勝負をしたくなかったのだと考えます。
しかし実際にはアントンは勝負を受けてますよね。
なぜアントンは勝負を受けたのでしょう?
勝負をしたくなかったのであれば、したくないと断ればいいだけのことじゃないですか。
もし勝負を挑んできたのが縁もゆかりもない人間であれば、アントンも「心臓がいつ止まるかわからない相手と遠泳勝負はしたくない」とストレートに断ったことでしょう。
そうすることで相手がどれほど傷ついたとしても、です。
思うに、アントンはヴィンセントのことを不用意に傷つけたくなかったんですよ。
先ほど、兄であるとか、家族であるとかといったことは関係なく、心臓に重い障害のある人間とは誰だって遠泳勝負はしたくないはずだ、と述べました。
今度は、兄だから、家族であるから、アントンはヴィンセントのことを傷つけたくなかったのです。
それ以外にアントンが勝負を受けた理由を自分は見つけられません。
もしアントンがヴィンセントのことを傷つけたくなかったのであれば、彼は兄ヴィンセントのことを愛していた、そうなります。
アントンがヴィンセントのことを愛していたという視点に立って物語を眺めれば、また別の『ガタカ』が浮かび上がるのではないか、自分はそう思うのです。
ブログのレビュー記事にはわからない時は「わからない」とはっきり書きます。
わからないのにわかった振りをしても仕方ないですからね。
一方で稀に「わかる」映画もあります。
例えばホラー映画の『マーターズ』がそうですね。
一般的には延々と拷問が続く陰鬱なホラー映画と評されていますが、自分には寄る辺ない二人の女性の孤独な魂の邂逅を描いた感動作なのです。
考察記事はそれなりの支持を得ています(こちら)。
ただ、「わかる」映画の考察記事が常に支持されているわけではありません。
その筆頭がSF映画の『ガタカ』です。
自分が書いた『ガタカ』の考察記事を積極的に支持してくれた人は皆無です。
支持してくれた人がいないぐらいならいい方で、考えの違いから最終的に喧嘩別れになることもあります(だいたい自分が一方的に罵られる)。
どうして映画の解釈が違うぐらいで相手のことを罵れるのか、自分にはよくわからないです。
あぁ、この人は自分とは考えが違うのだな、と思えないのでしょうか。
なぜ『ガタカ』の解釈が異なるのか、理由はいくつかありますが、その一つに主人公ヴィンセントの弟であるアントンの人物像の捉え方が違うということが挙げられます。
ここに来る人の多くがアントンはヴィンセントが乗り越えなければいけない大きな壁のような存在と捉えている節があります。
自分の考えは違って、アントンはヴィンセントのよき理解者、ヴィンセントが宇宙飛行士になるという夢を叶えるために欠かせない人物だと思っています。
『ガタカ』で検索してこられた方に最初なお願いしたいのは、もしあなたに生まれつき心臓に重い障害がある兄がいたとして、その兄から夜の海での遠泳勝負を挑まれたら、あなたはどうしますか?ということです。
そんな勝負、受けたくないです。
だって勝負の最中に兄が心臓発作を起こして、自分の目の前でブクブクと海に沈んでいくかもしれないんですよ?
そんな姿、見たくないですよね。
兄であるとか、家族であるとかといったことは関係なく、心臓に重い障害がある人間と遠泳勝負なんて、誰でもしたくないはずだ、自分はそう考えます。
心臓に重い障害がある人間と遠泳勝負をしたくないというのはお前の勝手な決めつけだ、という方もいるかもしれませんね。
もしそういう声が一定数あれば、自分は自分の考えの誤りを認めましょう。
ただし、そういう声をあげた人たちのことを自分は「人でなし」と呼ばせてもらいます。
だって、目の前で一人の人間が溺れ死んでも構わないというのですから、「人でなし」でなくて何なのですか?
ともかく自分はアントンは「人でなし」でなかったと思うので、彼は兄との遠泳勝負をしたくなかったのだと考えます。
しかし実際にはアントンは勝負を受けてますよね。
なぜアントンは勝負を受けたのでしょう?
勝負をしたくなかったのであれば、したくないと断ればいいだけのことじゃないですか。
もし勝負を挑んできたのが縁もゆかりもない人間であれば、アントンも「心臓がいつ止まるかわからない相手と遠泳勝負はしたくない」とストレートに断ったことでしょう。
そうすることで相手がどれほど傷ついたとしても、です。
思うに、アントンはヴィンセントのことを不用意に傷つけたくなかったんですよ。
先ほど、兄であるとか、家族であるとかといったことは関係なく、心臓に重い障害のある人間とは誰だって遠泳勝負はしたくないはずだ、と述べました。
今度は、兄だから、家族であるから、アントンはヴィンセントのことを傷つけたくなかったのです。
それ以外にアントンが勝負を受けた理由を自分は見つけられません。
もしアントンがヴィンセントのことを傷つけたくなかったのであれば、彼は兄ヴィンセントのことを愛していた、そうなります。
アントンがヴィンセントのことを愛していたという視点に立って物語を眺めれば、また別の『ガタカ』が浮かび上がるのではないか、自分はそう思うのです。