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博物館浴(サントリー美術館「京都・醍醐寺 真言密教の宇宙」)

2018-10-14 20:06:12 | 博物館・美術館
 サントリー美術館では、11月11日まで「京都・醍醐寺 真言密教の宇宙」が開催されている。






 醍醐寺は、貞観16年に理源大師聖宝によって開かれ、真言宗醍醐派の総本山である名刹である。真言密教のうちでも加持祈禱や修法など実践を重視する寺として発展したことで、その本尊である彫刻や絵画、修法で用いる仏具など、密教美術の数々が伝わっている。


 展示は4部構成

 第1章は、「聖宝、醍醐寺を開く」
 貞観16年に、聖宝が醍醐寺を建立、歴代天皇の帰依を受け、薬師堂や五大堂などの堂宇がつぎつぎと建立された。ここでは聖宝の肖像や伝記、醍醐寺の縁起などが展示されている。

 第2章は、「真言密教を学び、修する」
 加持祈祷や儀式などの実践を重視した醍醐寺は、多くの僧が集まる根本道場と位置付けられた。修法の本尊として欠くことのできない彫刻や絵画、修法に用いる仏具、修法の手順や記録などを記した文書や聖教などが蓄積され、いまに伝わる寺宝の数々は、千年以上もの間、醍醐寺が人々の願いに応えて修法を続けてきたことを示している。

 第3章は、「法脈を伝える─権力との結びつき─」
 醍醐寺内でもいくつかの法流がつくられ、その中心となったのは、十四代座主の勝覚が創建した醍醐寺三宝院を拠点とする三宝院流である。同院の院主は醍醐寺座主を兼ねることも多く、足利尊氏の政権における賢俊や、足利義満以下三代の将軍に仕えた満済など、彼らが座主として時の為政者から帰依を受けることで、寺は繁栄を遂げてきた。法脈の相承と繁栄の歴史を、文書・書跡で知ることができる。

 第4章は、「義演、醍醐寺を再びおこす」
 秀吉最晩年の慶長三年・春に催された醍醐の花見は、桃山時代の華麗な文化を象徴的に表すできごととして広く知られる。第八十代座主・義演は醍醐寺伝来の厖大な古文書・聖教の書写整理を行った。『義演准后日記』には、近世初期の変革期の京都において、義演と醍醐寺が重要な役割を果たしていたことが克明に記されている。慶長年間に造営された三宝院表書院障壁画の金銀に彩られた襖絵や、俵屋宗達をはじめとする諸流派の絵師が描いた屛風は、当時の醍醐寺の繁栄を伝えている。


 サントリー美術館を観る前に、三井記念美術館で「仏像の姿 ~微笑む・飾る・踊る~」を観たので、仏像の観方を「学習」したことから、面白く鑑賞することができた。
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