予告どおり
木曜のトレーニングはベルナベウで行われました。公式に細かい情報が載ってないので、完全に非公開だった様子。残念なニュースとしては、負傷者情報が出ていること。アルティントップが左脚ふくらはぎの肉離れだそうで、全治期間は公式には出ていませんが、やはり数週間は無理の様子。あとマルセロが戻れば全員ケガなく元気に揃うと思っていたのに…。
おまけ的に、これも公式に載っていた、頭を刈り込んだモウリーニョ画像。ニットキャップをかぶるようになったのはそのせいだったのか。
お断りします
水曜で国王杯ファイナル進出がビルバオとバルサに決まったわけですが、決勝会場について微妙な問題が。ビルバオ方面からはベルナベウでやりたいという声が上がっているそうですが、マドリー側は難色を示しているのだそうです。ASが言うところによれば、理由はいくつかありまして、
1)単純に。バルサをベルナベウで喜ばせたくない
2)2004年にマドリーとサラゴサがファイナルを戦った際、バルサは同じ理由でカンプノウの提供を拒否。ファイナルは結局、より収容人数の低いモンジュイックで行われた。マドリーはそのことを忘れていない。
3)もしかして何かの拍子にマドリーがCLファイナル(5月19日)まで進出した場合、国王杯ファイナルがその翌日の予定なので、マドリーがCLで優勝しちゃったらベルナベウでのセレブレーションができなくなる。ちなみに日程はまだ正式決定ではなく、5月20日または25日(バルサがCLファイナルに進出したら)だそう
4)ベルナベウの観覧席?かどこかがリニューアル工事中だそうで、きれいに出来上がったものを、バルサ&ビルバオのウルトラスどもに壊されたくない
ベルナベウなら、両クラブに3万5千人以上のファン向けチケットが割り当てられる、というのも決勝進出チームには魅力なんだそうです。2009年にこの2クラブがファイナルで対戦した時はメスタージャが会場で、その時はビルバオに18,720枚しかチケットがなく、あぶれたファンが多かったとのこと。他にはビセンテ・カルデロンも候補に上がったものの、メスタージャと同じくチケットの割り当ては減るし、5月20日だとコールドプレイのコンサートがあるので不可。あとは、中立地ではないですが、カンプノウでやるという案も。ただし、どうやらマドリーのセンテナリオショック(マドリーはセンテナリオの年にベルナベウで国王杯ファイナルをやってデポルに負けた)を気にして、中立地の方がいいと言っている意見もあったりするそうで……。
ヘタフェ戦からもう何日もたってしまいましたが、セルヒオ・ラモスのゴール記録についての2月6日付の記事。
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ラモス、ロベルト・カルロスのゴール率に並ぶ
セルヒオ・ラモスは、マドリーの魂だ。土曜日、コリセウムで、彼は自身のゴールと常にマドリーにあるファイティング・スピリットで、チームを牽引した。第2カピタンは、これまでには見られなかったようなハイパフォーマンスに到達しており、攻撃の奔放さも同様に続いている。
セルヒオ・ラモスは、マドリーのクラブ史におけるディフェンダーのゴール数という記録を拡大し続けている。土曜日のヘタフェ戦では、今シーズン4ゴール目(リーガで3ゴール、CLで1ゴール)を決め、白いユニフォームを着て以来の記録も、公式戦289試合で36ゴール(リーガ28ゴール、CL4ゴール、国王杯2ゴール、スーペルコパ2ゴール)に伸ばした。これでゴール率は0.12/試合となり、伝説となる白のディフェンダー、ロベルト・カルロスと同率になった(512試合で66ゴール)。6シーズンと半ばを過ぎ、セルヒオ・ラモスは、マドリーにおけるディフェンダーの歴代ゴール記録リストに入るほどになっている。ただしその数は、イエロやピッリにはまだ遠く及ばない。
今シーズン、ラモスは既に、10/11シーズンに決めたゴール数に並び、チーム内では7位となった。ディ・マリアやカカより、わずかに1ゴール少ないだけだ。カジェホン(11)、イグアイン(17)、ベンゼマ(18)、クリスチアーノ(31)とはもっと差が開いているが。
ラモスの攻撃の奔放さは今に始まった話ではない。既にセビージャでも明らかになっていた。03/04シーズン、彼はセビージャの下部チームで25試合を戦い2ゴールを決めた(トップチームにも上がって7試合に出場したがゴールはなかった)。そして04/05シーズン、既にトップチームに固定されていたラモスは、42試合に出場して3ゴールを決めた。スペイン代表でもゴール。ラ・ロハでは83試合に出場し6ゴールを決めている。
深刻なものではない
ラモスは、膝に違和感を感じてヘタフェ戦を終了した。アリスメンディと接触プレイがあった時だ。「深刻なものではないといいね」と彼は話した。昨日には違和感は弱まっており、2日間の休養で、次の日曜のレバンテ戦には問題なく間に合うだろう。
カードについても成長
この第2カピタンが今シーズン見せている成長具合は、カード、特に退場処分にも反映されている。実際、今シーズン彼が受けた唯一の赤紙は、コパのバルセロナ戦で受けたもの、彼らが示したイメージから言えば、アンフェアなものだった。テイシェイラは、ラモスがジャンプしたブスケツに肘打ちをしたとして2枚目の黄紙を出したのだが、しかし彼の腕はブスケツの顔に当たってはいなかった。昨シーズンのリーガ、バルサ戦の5-0で、メッシに酷いタックルをして退場した明白なものとは無関係だ。
セントラルとして、ボール奪取が向上
モウは、カルバーリョが負傷したことから、第7節のエスパニョール戦から、ラモスをセントラルに置いた。それ以降、彼を動かしていない。ディフェンス陣の中央で、今シーズン彼は22試合に出場し、マドリーは19失点を喫している(0.86/試合)。ラテラルとしてプレイしたその前の8試合では、チームは10失点、アベレージは悪い(1.25/試合)。マドリーに加入して以来で言えば、ラテラルのラモスとセントラルのラモスは同点だ(いずれも1失点/83分)。しかし、セントラルで彼の最高の一面が見られる。第7節まで、彼のボール奪取数は平均8.7回/試合だったのが、セントラルになってからは13.4回/試合に上がったのだ。
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マドリーのゴレアドールなディフェンダーたち
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サンチス:デビュー戦で決勝点。40ゴール
サンチスがプレイし始めたのは中盤だったが、年月が過ぎるにつれ、レアル・マドリーで過ごした18シーズンの大部分を戦った、セントラルへとポジションは移った。面白いのは、彼がデビュー戦(1983年12月4日)で決勝点を決め、ディ・ステファノが率いるマドリーの勝利に貢献したということだ(対ムルシア0-1)。その後彼は、レアル・マドリー史上第2位の出場試合記録となる710試合(これを上回るのは741試合のラウルのみ)で39ゴールを決めた。得点率は0.05/試合。彼の最高のゴレアドールとなったシーズンは1987/1988、メディオセントロからセントラルにポジションがコンバートされたときで、リーガで9ゴールを決めた。
ロベルト・カルロス:誘導ミサイル。66ゴール
カペッロの手により1996年にマドリーにやって来たロベルト・カルロスは、リーが出場3試合目で、その卓越した武器を見せ付けた。ベニト・ビジャマリンでのベティス戦で、30mの距離からフリーキックを決めたのだ。いくつかの生体力学的研究が明らかにしたところによれば、彼の左脚はキャノン砲で、放たれるスピードは時速130kmにもなるということだ。そのパワフルなシュートで、彼はマドリーでプレイした512試合で総計66ゴールを決めた。アベレージは0.12/試合。彼の最後のゴールは、06/07シーズンのレクレアティーボ戦で、ギリギリで到達したリーガ制覇のキーになったものだ。彼の世界的にも最も記憶に残るゴールは、ブラジル代表としてフランス相手に決めたものだ。
イエロ:ピチーチに2ゴール足りなかった。127ゴール
彼のキャリアは、セントラルとメディオセントロとの間でポジションが変わりながらスタートした。彼のフィジカルパワーから、アンティッチは彼を中盤で起用した。91/92シーズン(監督はアンティッチからベーンハッカーに代わっていた)、イエロは21ゴールを決め、そのシーズンのピチーチだったマノロにわずか2ゴール足りない、という結果を残した。それからは彼は、はっきりセントラルとして起用されるようになり、マドリーにおける彼のキャリアで601試合出場、127ゴール、アベレージ0.21/試合という記録を残した。このマラゲーニョは、数シーズンに渡ってペナルティキッカーでもあり、それがこの記録を残す手助けにもなった。また彼は、スペイン代表でもトップのビジャ(51)と2位のラウル(44)に次ぐ歴代得点ランキング第3位で、モリエンテスやトーレス(27ゴール)を上回っている。
ピッリ:ストライカーからリベロへ。172ゴール
彼自身のデビューが、出場停止のプスカシュや負傷のフェリックス・ルイス、ピピ・スアレスの代わりとして、バルセロナ戦(4-1)にFWとして出場したものだったとしても、ピッリはマドリーではセントロカンピスタに位置づけられていた。ソコが1974年に引退すると、彼はポジションを下げていき、マドリーで過ごした最後の6シーズンはリベロとしてプレイした。マドリディスタとして561試合に出場し、172ゴール(アベレージ0.30/試合)。リベロとしてプレイしたその6シーズンで、彼は63ゴールを決めている。広報でプレイしながら、1シーズンに平均して10ゴール以上を決めていたことになる。チームではペナルティキッカーのスペシャリストの1人であり、それが彼のゴレアドールとしての記録を伸ばした。なんと、彼は自身のマドリーにおけるラストマッチ(1980年5月アスレチック戦)でもゴールを決めたのだ…。
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木曜のトレーニングはベルナベウで行われました。公式に細かい情報が載ってないので、完全に非公開だった様子。残念なニュースとしては、負傷者情報が出ていること。アルティントップが左脚ふくらはぎの肉離れだそうで、全治期間は公式には出ていませんが、やはり数週間は無理の様子。あとマルセロが戻れば全員ケガなく元気に揃うと思っていたのに…。
おまけ的に、これも公式に載っていた、頭を刈り込んだモウリーニョ画像。ニットキャップをかぶるようになったのはそのせいだったのか。
Before
After
After
お断りします
水曜で国王杯ファイナル進出がビルバオとバルサに決まったわけですが、決勝会場について微妙な問題が。ビルバオ方面からはベルナベウでやりたいという声が上がっているそうですが、マドリー側は難色を示しているのだそうです。ASが言うところによれば、理由はいくつかありまして、
1)単純に。バルサをベルナベウで喜ばせたくない
2)2004年にマドリーとサラゴサがファイナルを戦った際、バルサは同じ理由でカンプノウの提供を拒否。ファイナルは結局、より収容人数の低いモンジュイックで行われた。マドリーはそのことを忘れていない。
3)もしかして何かの拍子にマドリーがCLファイナル(5月19日)まで進出した場合、国王杯ファイナルがその翌日の予定なので、マドリーがCLで優勝しちゃったらベルナベウでのセレブレーションができなくなる。ちなみに日程はまだ正式決定ではなく、5月20日または25日(バルサがCLファイナルに進出したら)だそう
4)ベルナベウの観覧席?かどこかがリニューアル工事中だそうで、きれいに出来上がったものを、バルサ&ビルバオのウルトラスどもに壊されたくない
ベルナベウなら、両クラブに3万5千人以上のファン向けチケットが割り当てられる、というのも決勝進出チームには魅力なんだそうです。2009年にこの2クラブがファイナルで対戦した時はメスタージャが会場で、その時はビルバオに18,720枚しかチケットがなく、あぶれたファンが多かったとのこと。他にはビセンテ・カルデロンも候補に上がったものの、メスタージャと同じくチケットの割り当ては減るし、5月20日だとコールドプレイのコンサートがあるので不可。あとは、中立地ではないですが、カンプノウでやるという案も。ただし、どうやらマドリーのセンテナリオショック(マドリーはセンテナリオの年にベルナベウで国王杯ファイナルをやってデポルに負けた)を気にして、中立地の方がいいと言っている意見もあったりするそうで……。
ヘタフェ戦からもう何日もたってしまいましたが、セルヒオ・ラモスのゴール記録についての2月6日付の記事。
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ラモス、ロベルト・カルロスのゴール率に並ぶ
セルヒオ・ラモスは、マドリーの魂だ。土曜日、コリセウムで、彼は自身のゴールと常にマドリーにあるファイティング・スピリットで、チームを牽引した。第2カピタンは、これまでには見られなかったようなハイパフォーマンスに到達しており、攻撃の奔放さも同様に続いている。
セルヒオ・ラモスは、マドリーのクラブ史におけるディフェンダーのゴール数という記録を拡大し続けている。土曜日のヘタフェ戦では、今シーズン4ゴール目(リーガで3ゴール、CLで1ゴール)を決め、白いユニフォームを着て以来の記録も、公式戦289試合で36ゴール(リーガ28ゴール、CL4ゴール、国王杯2ゴール、スーペルコパ2ゴール)に伸ばした。これでゴール率は0.12/試合となり、伝説となる白のディフェンダー、ロベルト・カルロスと同率になった(512試合で66ゴール)。6シーズンと半ばを過ぎ、セルヒオ・ラモスは、マドリーにおけるディフェンダーの歴代ゴール記録リストに入るほどになっている。ただしその数は、イエロやピッリにはまだ遠く及ばない。
今シーズン、ラモスは既に、10/11シーズンに決めたゴール数に並び、チーム内では7位となった。ディ・マリアやカカより、わずかに1ゴール少ないだけだ。カジェホン(11)、イグアイン(17)、ベンゼマ(18)、クリスチアーノ(31)とはもっと差が開いているが。
ラモスの攻撃の奔放さは今に始まった話ではない。既にセビージャでも明らかになっていた。03/04シーズン、彼はセビージャの下部チームで25試合を戦い2ゴールを決めた(トップチームにも上がって7試合に出場したがゴールはなかった)。そして04/05シーズン、既にトップチームに固定されていたラモスは、42試合に出場して3ゴールを決めた。スペイン代表でもゴール。ラ・ロハでは83試合に出場し6ゴールを決めている。
深刻なものではない
ラモスは、膝に違和感を感じてヘタフェ戦を終了した。アリスメンディと接触プレイがあった時だ。「深刻なものではないといいね」と彼は話した。昨日には違和感は弱まっており、2日間の休養で、次の日曜のレバンテ戦には問題なく間に合うだろう。
カードについても成長
この第2カピタンが今シーズン見せている成長具合は、カード、特に退場処分にも反映されている。実際、今シーズン彼が受けた唯一の赤紙は、コパのバルセロナ戦で受けたもの、彼らが示したイメージから言えば、アンフェアなものだった。テイシェイラは、ラモスがジャンプしたブスケツに肘打ちをしたとして2枚目の黄紙を出したのだが、しかし彼の腕はブスケツの顔に当たってはいなかった。昨シーズンのリーガ、バルサ戦の5-0で、メッシに酷いタックルをして退場した明白なものとは無関係だ。
セントラルとして、ボール奪取が向上
モウは、カルバーリョが負傷したことから、第7節のエスパニョール戦から、ラモスをセントラルに置いた。それ以降、彼を動かしていない。ディフェンス陣の中央で、今シーズン彼は22試合に出場し、マドリーは19失点を喫している(0.86/試合)。ラテラルとしてプレイしたその前の8試合では、チームは10失点、アベレージは悪い(1.25/試合)。マドリーに加入して以来で言えば、ラテラルのラモスとセントラルのラモスは同点だ(いずれも1失点/83分)。しかし、セントラルで彼の最高の一面が見られる。第7節まで、彼のボール奪取数は平均8.7回/試合だったのが、セントラルになってからは13.4回/試合に上がったのだ。
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マドリーのゴレアドールなディフェンダーたち
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サンチス:デビュー戦で決勝点。40ゴール
サンチスがプレイし始めたのは中盤だったが、年月が過ぎるにつれ、レアル・マドリーで過ごした18シーズンの大部分を戦った、セントラルへとポジションは移った。面白いのは、彼がデビュー戦(1983年12月4日)で決勝点を決め、ディ・ステファノが率いるマドリーの勝利に貢献したということだ(対ムルシア0-1)。その後彼は、レアル・マドリー史上第2位の出場試合記録となる710試合(これを上回るのは741試合のラウルのみ)で39ゴールを決めた。得点率は0.05/試合。彼の最高のゴレアドールとなったシーズンは1987/1988、メディオセントロからセントラルにポジションがコンバートされたときで、リーガで9ゴールを決めた。
ロベルト・カルロス:誘導ミサイル。66ゴール
カペッロの手により1996年にマドリーにやって来たロベルト・カルロスは、リーが出場3試合目で、その卓越した武器を見せ付けた。ベニト・ビジャマリンでのベティス戦で、30mの距離からフリーキックを決めたのだ。いくつかの生体力学的研究が明らかにしたところによれば、彼の左脚はキャノン砲で、放たれるスピードは時速130kmにもなるということだ。そのパワフルなシュートで、彼はマドリーでプレイした512試合で総計66ゴールを決めた。アベレージは0.12/試合。彼の最後のゴールは、06/07シーズンのレクレアティーボ戦で、ギリギリで到達したリーガ制覇のキーになったものだ。彼の世界的にも最も記憶に残るゴールは、ブラジル代表としてフランス相手に決めたものだ。
イエロ:ピチーチに2ゴール足りなかった。127ゴール
彼のキャリアは、セントラルとメディオセントロとの間でポジションが変わりながらスタートした。彼のフィジカルパワーから、アンティッチは彼を中盤で起用した。91/92シーズン(監督はアンティッチからベーンハッカーに代わっていた)、イエロは21ゴールを決め、そのシーズンのピチーチだったマノロにわずか2ゴール足りない、という結果を残した。それからは彼は、はっきりセントラルとして起用されるようになり、マドリーにおける彼のキャリアで601試合出場、127ゴール、アベレージ0.21/試合という記録を残した。このマラゲーニョは、数シーズンに渡ってペナルティキッカーでもあり、それがこの記録を残す手助けにもなった。また彼は、スペイン代表でもトップのビジャ(51)と2位のラウル(44)に次ぐ歴代得点ランキング第3位で、モリエンテスやトーレス(27ゴール)を上回っている。
ピッリ:ストライカーからリベロへ。172ゴール
彼自身のデビューが、出場停止のプスカシュや負傷のフェリックス・ルイス、ピピ・スアレスの代わりとして、バルセロナ戦(4-1)にFWとして出場したものだったとしても、ピッリはマドリーではセントロカンピスタに位置づけられていた。ソコが1974年に引退すると、彼はポジションを下げていき、マドリーで過ごした最後の6シーズンはリベロとしてプレイした。マドリディスタとして561試合に出場し、172ゴール(アベレージ0.30/試合)。リベロとしてプレイしたその6シーズンで、彼は63ゴールを決めている。広報でプレイしながら、1シーズンに平均して10ゴール以上を決めていたことになる。チームではペナルティキッカーのスペシャリストの1人であり、それが彼のゴレアドールとしての記録を伸ばした。なんと、彼は自身のマドリーにおけるラストマッチ(1980年5月アスレチック戦)でもゴールを決めたのだ…。
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