3月も下旬に入って桜前線が北上中
今日は彼岸明けですが、ちょっとそこまでお出かけです(^^♪ 今日は生憎の雨予報。桜の開花予想日が先週の寒さで変わってきているので、ソメイヨシノが咲き始めるのは残念ながらまだ先かなぁ・・・。
今回は「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の38回目となる「Priorité à l’amour et la famille 愛と家族を優先する」の9回目「VU PAR SON FILS 息子から見て」の後編を紹介いたします。
VU PAR SON FILS 息子から見て
<C’EST UN CADEAU DU CIEL D’AVOIR UN PÈRE COMME LUI>---OLIVIER
「彼のような父親を持つことは天からの贈り物です」 ---オリヴィエ
▲左:2012年7月、オリヴィエは父親が主演した『雨に唄えば』のプレミアに誇らしげに出席しました。
右:母親と一緒に、2017 年の初めのリドー ヴェール劇場の「revue et corrigee改訂と修正」で。ルネは演出に署名しました。
「私は美しい家族の出身なので、アレクセとクロエでそれを再現したいと思っています。」
UN PARCOURS PAS SI SIMPLE それほど単純ではない行程
オリヴィエは生まれつき聴覚障碍があり、4歳半のときに人工内耳の恩恵を受けました。 長い修行期間を経て、新たな生活が始まろうとしていました! 「私が最初に聞いた音は鳥でした...しかし歌ではなかった。」と、彼は父親にウインクしながら言いました。「木の枝に鳥がいました。5歳半のとき、私は初めて音と映像を関連づけることができました。父は手話で私に『鳥を見てください。』と言いました。 私は手話を画像と音と関連付けました。音を聞くということがどういうことなのかを知りました。その後、6歳ごろから話し始めましたが、自分の考えを十分に理解してもらえるようになるまで更に6年かかりました。」オリヴィエは当時 12歳でした。「まだ少し訛りが残っていますが、大丈夫です!」
オリヴィエは他の子供と同じように育てられましたが、唯一の違いは、彼の状態が特別なケアを必要としたことです。ジャーナリストは『障碍』について語りましたが、青年は上品にこう訂正しました:「私は障碍のことを言っているのではありません。私は違いについてもっと話しています。1つの感覚が減ると、私たちは第6の感覚を発達させます。それは補償します。それは自然の法則です。父と母は、フランス語の話し方や使い方を学ぶなど、私が一歩を踏み出すたびにいつも励ましてくれました。私は8歳まで手話を使っていました。 今ではさらにフランス語を話し、英語も学んだので、仕事にとても役立っています。私はスペイン語の基本的な知識さえ持っています。」それは私たちのほとんどよりも優れています。 「私の違いは、私が新しい言語を学ぶことを妨げるものではありません。それは両耳の間で起こります。この概念を私に教えてくれたのは父でした。」
オリヴィエは、両親が著名故の違いと同じように、彼自身の点で異なっていました。彼がパパとママが誰にでも知られていることに気づいたのは3歳のときでした。彼はこう思い出します。「私たちはマクドナルドにいました。みんなが父に話しかけ、父もみんなに話しかけました。まず、私はこれらの人々のことを知りませんでした。2つ目は、父も彼らのことを知りませんでしたが、彼らは父のところにやって来ました。父の人生は特別で普通ではないと自分に言い聞かせました。 私は、私たちには2つの可能性があると自分に言い聞かせて適応しました。大衆が嫌いか、大衆を愛するかのどちらかです。人を愛することは、3歳の頃から私の一部でした。」
もしその子供が幼い頃、両親が学校で特別な注目を集めていると感じていたとしたら、彼は他の子供たちと同じように子供でした。「小学校や中学校では、私と同じ年齢の子供たちはルネ・シマールのことをまったく知らなかったので、両親が知られているかどうかは問題ではありませんでした。一方、Cégep セジェップでは、少数の人がそれに気づいていました。彼らはただこう言いました。『あれ、あなたのお父さん? かっこいい!』 それだけでした。」
※Cégep(セジェップ)・・・カナダ・ケベック州特有の学制に基づく大学基礎教養機関(所謂 予科大学)で、Collège d'enseignement général et professionnel の略。
UNE SOURCE D’INSPIRATION インスピレーションの源
数年が経ち、ある日、オリヴィエはボンバルディア航空の技術者になりました。 悲しいことに、2019年に彼は自分を満たしてくれていたこの仕事を失いました。「10年間の経験を経て、私は第4波の解雇の犠牲者になりました。私の部門で従業員を失ったのは私が最後でした。42人いたのに、あと2人だけでした。」
それ以来、彼は同様に情熱を持っている分野でキャリアの方向性を再設定しました。「航空電子工学技術者から建設電気技師に転職しました。仕事があるのにそれは意味がありません! 特にパンデミックの時代には、違いを経験すると、それがさらなる課題となるため、満足しています。」 彼には誇りに思うことがあります。
もう一人、大きな誇りを感じているのは彼の父親でした。息子が帰宅して以来、ルネはいくつかの会話を耳にしました。「彼は話す相手に対してとても敬意を持っています! 彼の自己紹介を聞いていると、私は誇りに思います。話し方に関して、電話で自己紹介をするのは必ずしも簡単ではありません。彼はバーチャル会議をたくさん行っています。それは聴覚障碍者にとって最も美しいテクノロジーです。」
これは私たちを父と息子の関係に戻します。オリヴィエは、彼らを結びつける絆について次のように説明しています:「彼は父親であり、友人であり、ビジネス・パートナーです。 彼は私のインスピレーションの源の1つです。 私は美しい家族の出身なので、アレクセとクロエにもそれを再現したいと思っています。お金持ちになるということは、家族と愛を持つことです。私は彼にインスピレーションを受けて、私の小さなクロエにとって良い父親になれるよう努めています。何があってもそれを変えるつもりはありません。彼は私に必要なアドバイスをすべてくれました。彼は私をとても親密にフォローし、人生の進化と成長のために私がとった全ての良い行動を励ましてくれました。彼のような父親を持つことは天からの贈り物です。彼がいつも私を守ってくれたのと同じように、私も彼をいつも守ります。」
facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」は、先週日曜日にメンバーが2500名に達しました。
その翌日には100人増え、現在はメンバー2790名。前回紹介したルネとレジスの記事は35.1万投稿のリーチ(シェア209件)で新記録を更新中! レジスの誕生日に続いてナタリーの番組情報で盛り上がっている最中のためか、ルネとナタリーの画像を投稿したらリーチ数がまた10万越え★ 上の記事も9.1万リーチ(シェア60件)でお祝いメッセージもたくさん寄せられています。メンバーだけでなくビジターさんからもたくさんコメント投稿が寄せられるので、承認等で毎日チェックを欠かせないシマ姉です。
リーチ数が多いものはたくさんシェアされていますから、より多くのルネ・ファンの方々にルネの画像を届けることができた証だと思っています 以前にも書いたとおり、ルネについてブログ等で書いて広めていただけるなら、私のルネ・コレクション画像を利用していただきたいと考えているくらいです(でも礼儀として一言欲しいところですが・・・)。ですから、私が投稿する画像にはわざとウォーターマークを入れていません。それもシェアされやすい理由の1つかもしれません。そして、たくさんの方々に検索していただけたということは、私のルネ活の成果が出て、私のルネ・コレクションが多くのルネ・ファンの手元に残るということなので、それは管理人冥利(?笑)に尽きるというものです(^^♪
そして、ルネの妻マリー=ジョゼと娘ロザリーが”DES FAMILLES COMME LES AUTRES”のシーズン4に出演することが決定しました(^^♪
これから7月の再演に向けて舞台劇『Le Dîner de cons奇人たちの晩餐会』の準備が始まるルネ。今年は監督を務めるミュージカル「La famille Addams アダムス・ファミリー」と、2つに絞って新しいプロジェクトは始めないと雑誌のインタビューで語っていましたが、Guillaume Lemay-Thivierge ギョーム・ルマイ・ティヴィエルジュが司会を務めたTVAの「Chanteurs masqués覆面歌手」の後任にルネが選ばれることを望むコメントが、ファン・グループに寄せられ始めています(^^♪ マリー=ジョゼとのアジア旅行で英気を養って、次の仕事の構想を練って、またファンを楽しませて欲しいですね
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