団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

散々だった今年後半

2012-12-25 10:40:08 | Weblog
 今年を振り返ると、後半は散々な目にあった。
 8月下旬に、痛風を患った。過去に発症しているのだから、夏にビール、疲労という組み合わせは危なかったのだが、久しぶりだったので油断した。以降はヒールはあまり飲まないようにしている。
 そして、9月中旬に、泥酔して転び、顔面強打。目の上が腫れ、お岩さんのようになってしまった。以降、反省して、このブログでも書いたが、10時以降は飲まない、という誓いを立てたのだが、とっくに反故になっている。情けない話である。
 12月に女房が入院・手術。術後の経過はいいのだが、付き添いや見舞いの折に、病院で風邪をうつされ、治るまでに3週間を要してしまった。女房も見舞った姉も同じような風邪の症状になり、熱は出ないが、咳がひどく寝られない夜が続き、すっかり消耗してしまった。
 9月には、実兄が65歳で亡くなったこともあり、とにかくひどい今年の後半であった。
 まあ、自分の責任もあるのだが、齢をとることは病院と仲良くなることと痛感している次第だ。私自身は、2~3ヶ月に一度診察を受け、10種類程度の薬を飲んでいる。
 病名をいえば、高血圧、高脂血症、糖尿病、多血症、心房細動による不整脈というわけで、いろいろとメニューを揃えている。これ以上の病気はごめんだから、もう少し酒を控え品行方正にしなければならない、と思っているが、なかなか徹底できない。
 女房は、膝の痛みで整形外科に通い、病名はいえないが今回の手術後のケア、甲状腺ともうひとつの病気もあって、総合病院にもお世話になっており、みるみると薬が増えている。
 平均年齢の80歳まで生きるとして、現在64歳。あと16年しかない。もっとも逆算すれば、、16年前は48歳。48歳から64歳を想像すれば、なんとなくかなり先のように感じる。
 まだまだ余生はあるのだろなあ、というのが正直な感想で、ただ80歳以上元気で生きられるのだろうか、という保証はないが、あまり寿命のことは考えない、というのが生き方のコツなのかもしれない。
 日々元気に、というきわめてシンプルな教訓があるが、それをしっかりと守って生きられるだけの気力、体力、知力というのが必要なのだろう。
 そんなことを散々だった今年後半に考えている。来年はいい年になるだろう、と信じたいが、こちらの努力も必要のようだ。

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女房が最新の総合病院に入院

2012-12-10 13:10:35 | Weblog
 女房が最新の総合病院に2泊3日の手術入院をした。入院前に外科の執刀医から説明を受けた。待たされること1時間半。そして入院手続きでまた待たされ、ちょっと頭に来て、いつまで待つんですか、と担当らしき看護助手に言ってみた。
 ちょっと考えて、こちらへどうぞ、と言った。やはり言ってみるものである。そして入院日。ここでも部屋が決まって、担当者が来るまでお待ちください、と言ってから約1時間。
 手術日は12時から手術。延々と待たされ、声がかかったのが2時半である。2時間の予定の手術は順調に終わり、それでも部屋に戻れたのが5時半だった。翌日退院。予定では10時過ぎ。いろいろな医師が出たり入ったりして、最後に支払い明細を持ってきたのが11時半。
 支払いはすでに診察カードにデータが入っており、自動支払機ですぐに済んだ。かくのごとく、総合病院というのは、待たすのが当たり前、患者は待つのが当たり前の世界になっている。病院の常識は社会の非常識だ。こんなことをビジネスの世界でやっていたら、すぐにその会社は倒産になるだろう。改善の意思はまるで感じられない。
 最新の総合病院だから、というわけではないが、本当にいろいろな関係者が出入りする。外科の執刀医、その助手、麻酔医、その部屋の担当医が2人ぐらい、そして看護婦、看護助手などなど。
 医師は別にしても、看護婦と看護助手はユニフォームが違って分かりやすいが、みんな同じ程度の齢だ。昔はお局のような婦長さんがいて、目を光らせていたが、そういう存在は見当たらない。どうしてか、と思って、病院に詳しい人に聞いてみたら、みんな派遣なんだと。
 だから齢も大差なく、仕事は細分化し、いろいろな人が出入りし、医師を含めて責任の所在も曖昧になっているらしい。
 むろんコストからの要請だろうと思うが、担当の顔を覚える間もなく退院になってしまった。新しい病院は、経営を軌道に載せるために随分と無理をする。
 麻酔は全身麻酔でやったが、部分麻酔でも十分な手術だった。理由はお金が取れるから。書類も同意書を含めて、覚えられないぐらいに書かされた。理由はトラブルがあった時に、それをタテにするため。
 まあ、あれこれと考えられるが、ただ昔に比べて手術は早く、入院は短い。ありがたいのだが、それも入れ替えを早くしたほうが儲かるか。
 最後は、見舞った3人がともに風邪をひいた。これがオチなんだろうが、病院こそウイルスの巣窟なのだなあ、と気が付き、用心用心。

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ようやく選挙だ

2012-12-03 13:00:14 | Weblog
 日曜日の政治討論番組を見ていたが、選挙前だけにみんな耳当たりのいいことばかり言っていた。国民に辛抱を強いる政治をいう政党はなかった。
 国民の気持ちはほぼ同じで、原発は廃止、中国は嫌い、社会保障はしっかりやって、景気は良く、教育はもっと道徳を重んじろ、といったことで、きわめて常識的なんだと思う。
 それをイデオロギーを絡めていうと、言葉が変わって訳が分からなくなってしまう。もうイデオロギーの時代ではないと思うが、やはり右だ左だと言っている。
 安倍さんはウルトラ右翼、じゃあ、石原さんは極超右翼か、嘉田さんは左翼寄りで、じゃあ小沢さんはなんだろうな、といろいろと考えしまうが、むろんそれが判断基準ではない。
 こうなると、これまで何をやってきたか、というのが政治家の評価だろう。民主党を出て、なにをやるといっても、じゃあ命がけで民主党時代にやったことはあるのか、というのが、その政治家の見方になるのだろう。
 そういう目で見れば、石原さん、橋下さんは首長で一定の評価を得ている。橋下さんはそれこそ殺される覚悟で、改革を推し進めた。その意味で、現在の維新の会がやや混乱しているとしても、政治家として評価できよう。
 日本未来の党は、都知事候補の宇都宮さんの支援をしている。名を連ねているのは共産党に社民党だ。つまり市民に名を借りた左翼が都政を牛耳ろうとしているわけだ。民主党が野に下り、左翼の方々も甘い汁が吸えなくなるから、都政に目をつけたかも。ただ小沢さんはそうでもないだろうから、この戦略はあまりいただけない。未来の党にイデオロギーの色をつけることにならないか。
 以上が現在の私の見方ではあるが、本来政治家はどこかの政党の公認を得て立候補し、そこの政党の公約を論じて当選する。それを信用した人がいるわけだが、そうした有権者の信頼を裏切るように、出たり入ったりしていいものだろうか。
 よほどの事情がない限り、任期中には政治家を辞任したり他の政党に移ったりすることを禁じたらどうだろうか。これだって公約違反だし、そもそも約束を反故にして嘘をついたことにならないか。
 日本国憲法に軍隊を持たない、と書いてあるのに、自衛隊は立派な軍隊だ。国の根本に偽装があるのだから、国会議員も嘘をついていいのか。どういう顔で先生方は子供に憲法を教えているのだろうか。
 あれこれ面倒なことをやる前に、分かりやすくすっきりと国を変える覚悟を国民が持つことではないか。それが選挙で決まることを期待したいものだ。 

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