団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

ミラーレスがメチャ安

2013-03-31 09:02:48 | Weblog
 私が写真・カメラ関係の仕事に就いていることはすでに記している。いくつかのカメラを保有しているが、最近のデジカメはどんどん良くなっている。しかも価格も下がっている。
 たんに記事を書くためでなく、なにかいいものはないか、と本気で価格コムなどを閲覧している。最近の例では、たまたま東京マラソンでランナーを撮影するために持って行ったコンデジが、液晶画面にモロに直射日光が入って、まったく被写体が見えず、役に立たなかった。順光の場所を選んだほうも悪いが、やはりしっかりとしたビューファインダーがないと、使いにくいものである、と痛感した。
 それで、高倍率のEVを備えたコンデジのネットを見ることが多くなった。しかし最新の30~40倍の高倍率ズーム機は、まだまだ高い。おおむね3万円以上だ。
 でかくなるし、取材には大きいなあ、とも思う。それなら、ペンタックスのD一眼レフがあるじゃないか、と思い返しもしている。
 それで、たまたまミラーレスのウェブサイトを見た。ミラーレスの場合は、アクセサリーでビューファインダーがあり、これを使えば晴天下でも難なく撮影できるわけだ。
 見ていて仰天した。オリンパスのPEN Lite E-PL3 レンズキットが、2万円ちょっとで売りに出されている。レンズは14~84mmのズームだ。発売時は6万円以上だ。最新の現行機種で、コンデジよりも安い。ところがボディ単体は2万8000円もする。こういうところで業界不信が起こるのであろう。
 さすがに、これにはグラリと来るものである。ただビューファインダーが3万円程度するから、さらにマンガである。
 とにかくペンシリーズの価格下落は凄まじい。ちょっと食指が動いのたのが、ルミックスのGX1。こらちは14~42mmレンズ付きで3万2000円程度。クラシックなデザインで、いいテイストを持っているが、ちょっと高いなあ、という気でいる。ただこちらも発売時は6万円以上。
 どちらもマイクロフォーサーズ規格で、より多くの機種を売って、レンズ・アクサセリーで儲ける戦略のようだ。
 ミラーレスは、キヤノンのEOS Mの評判がいまいち。ニコン1やソニーはあまり好きになれない。ペンタックスQはずっと使う気にはなれない。
 そんなわけで、もしミラーレスを買うとしたら、ペンかルミックスになるのだが、そこでふと立ち止まった。
 取材なら、いまあるカメラで十分である。コンデジが3台、デジ一が1台あり、なんの支障もない。団塊SONGSなどにアップロードする写真や、ほかの作品を撮るだろうか。となると、たぶん熱心には撮らないだろうなあ、と思う。それなら、新しいカメラが必要なのだろうか、と考え込んでしまう。
 きっと最新型のカメラを触りたい、自分のものにしたい、というのが撮る以上の関心なのだろう、と自己分析をする始末だ。こういう性向の人間もいるから、これだけカメラが売れているのだろうなあ、と業界人ながらしかたない思いでいる。
 さて、買うのか、買わないのか。これを書きながら、結論は出ていない。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。

スマホ普及で何が変わったのか

2013-03-26 12:24:07 | Weblog
 スマホが普及して、なにが変わったのか。私はまだスマホを使っていない。外でネットは見ないし、メールもさほど急いで確認するほどのものはなく、わが家のパソコンで足りており、ケータイはガラケーで十分と考えている。
 直近のソフトバンクの通信料は2727円だった。スマホに代えれば、たぶん機種代も含めて当分は1万円近くを毎月払うことになろう。その差額を、もっと有効なことに使えそうな気がする。
 本題のなにが変わったのか。街を歩いていて、夢中でスマホの画面に見入っている人とすれ違うことが多いが、相手はほとんど対人で人を避けない。だから当方が身体を大きく避けてすれ違う。どうしてこっちが譲る必要があるのか。お互いが身体を少しずらせてこそ、スムーズにすれ違えるのではないか。
 さらに、電車の中で、老いも若きも争って座るようになった。お年寄りはむろんいつものことではあるが、若い人はスマホを見るために、座りたがるわけだ。立って片手は吊革で、スマホを持って片手で操作するよりは、座ったほうが按配がいいのだろう。
 そして、画面を見て、ほとんど周囲に配慮しない。混んできても、横に置いたバッグはそのまま。目的の駅に到着して、慌てて降りる始末だ。
 以上のことはまだ周囲が我慢すれば済むことではあるが、本人そのものが危険であることの意識はあまりない。自転車に乗る時には、ケータイを使わないことは指摘されているが、みんなヘッチャラである。転んで怪我をして、はじめて後悔する類の話だ。
 ガラケーのユーザーとしては、何を見ているのだろう、と思う。使い方がいろいろとあることは分かっているが、そこまで無我夢中になれるものがあるのは、ある意味ハッピーであるのだろう。それが、本当に役立つものであるならだが、大半は私的な通信と興味本位のレベルであろう。
 私のネット経験からいえば、漫然とあれこれウェブサイトを見ていても、たんなる時間潰しでしかない。テレビのながら視聴に似ている。目的があってサイトを追うことは多いが、それはほとんど仕事絡みになっている。あとは欲しいものがある場合のネットショッピング程度が、ネットの使い方になっている。
 やはりしっかりと目的を持って、使うという意識が必要なのではないか。また人混みとか、移動中は使わないとかいった社会常識を醸成する時期に来ていよう。ちょっとした少しの注意で、もっと快適なスマホ環境になるものであろう。 

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武器輸出の考察

2013-03-18 13:10:47 | Weblog
 中国が武器輸出で世界第5位になったそうだ。お得意先は、パキスタンやミャンマーだとか。武器輸出のトップはアメリカで、次がロシア、ドイツ、フランスと続く。
 先進国が武器を造り輸出をする。開発途上の紛争国が、血を血で洗う抗争や戦争を、それらの武器でドンパチやっているわけだ。国民は飢えているのに、虎の子の金を武器で使ってしまっているわけだ。北朝鮮はこれを核爆弾でやっている。
 かつてこの欄で、日本でも武器輸出をやって、もっと外貨を稼ぎ、借金の返済に充てたらどうか、と書いたことがあった。どうして日本だけが、武器で稼げないのか。不公平ではないか。
 むろん平和憲法があるからではあるが、日本だけが孤高を保っている理由なんかあるのだろうか。それは独善というもので、その平和憲法を維持していくのだったら、もっと声高に世界の武器輸出国に、せめてその拡大を阻止するようなアピールをすべきだろうが、あまりそんな話は聞いたことがない。
 平和憲法も結局は自分たちを縛る内向き理念でしかないのだが、ただそんなアピールができるのは日本だけであろう。ノーベル賞だってダイナマイトで儲けた基金でやっているのだ。
 武器輸出国が、武器の輸出を一斉に止めたら、世界平和は来るのだろうか。まあ、それほどおめでたくはないが、ただ大量殺戮は減っていくだろうし、戦う武器がなくなってくれば、槍や刀になるから、せいぜい戦死者は少なくなろう。だいいち身体が資本になるから疲れる。戦う気力もそうは持たなくなって、やがて平和が来るかもしれない。
 日本がまずやることは、国際社会の世論を喚起して、武器輸出にブレーキをかけることではないか。同時に平和を唱える先進国の欺瞞性も暴くことだ。
 アメリカ社会は国内にも多くの武器を抱えている。一斉に銃の販売中止、持たない、といったところまでいかないだろうから、せめて重火器の保有を止めて、護身用の22口径程度の銃に限る、といったことでも決めれば、かなりバカな虐殺は少なくなるだろう。
 オールorナッシングではなく、なにかから止めていく、少なくしていく、という議論を高めることが、世界平和への道ではないか。
 まあ、夢物語なんだろうな。まだみんなが核爆弾を持っているのだから。ただ使えない武器なのだから、これもブラックユーモアの類になるのだろう。

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寅さん第一作を観た

2013-03-06 15:20:10 | Weblog
 寅さん第一作を観た。NHKのBSプレミアムで、山田洋次が選んだ日本映画名作100選を約2年間にわたって放送していて、その最後の作品に選ばれたのが『男はつらいよ』だった。
 ストーリーは他愛ないのだが、先日亡くなった光本幸子がマドンナだった。御前様の娘で寅はあっさりと振られる。寅が振られ、周りに慰められる時の、寅の表情が見事だった。
 一作目というより、シリーズの前半は、寅さんが元気だった。啖呵売の口上も型通りで、柄が悪く、お尻の周りは糞だらけを連発していた。シリーズ後半は、世の中も変わりシリーズ自体がメジャーになって、どんどん品が良くなっていったのは残念だった。主人公がテキ屋というのは、具合が悪かったのだろう。
 役者でもっとも光っていたのは、森川信だろう。渥美清と同じ浅草軽演劇の出身で、山田洋次監督が、二人の呼吸がぴったり合っていた、と感心していた。
 その森川信が「ばかだねえ、ほんとにバカだねえ」と、情けない表情でいうところは絶品だろう。また夫婦役の三崎千恵子の着物の着方も、ちょっと崩れていて、いかにも商売屋の女将といった風情で、リアリティーがあった。
 寅さんの弟分が蛾次郎ではなく、津坂匡章(現在の秋野太作)だった。蛾次郎は寺男で、ほとんどピントの合わない役だった。笠智衆は相変わらずの演技。
 この第一作で、さくらと博士が結婚する。そこまで行くまでにすったもんだあるのだが、博士の父親が志村喬だった。この結婚式で、媒酌人を務めたタコ社長の奥さんがちらり見える。
 製作は昭和44年。私が20歳の時で、当時は洋画やヌーベルバーグなどに夢中で、通俗的な邦画などは見向きもしなかった。最近は、『三丁目の夕日』など当時を描いた映画や、20年代から40年代の邦画を好んで観ている。
 寅さんシリーズは、葛飾柴又が舞台で、私が葛飾に住んでいることでも親近感がある。柴又の駅も参道も当時とはあまり変わっていないが、寅屋が実際にできてしまって、途中から団子屋の屋号が変わっている。
 確かに配役がぴったりとしていて、他の人が演じることは無理だったかもしれないが、水戸黄門のように、役者を変えていくのも手だったろう。『釣りバカ日誌』でも、それは同じ状況だろう。寅さんで昭和の元気な時代を描くとしたら、役者の元気さを保つことも必要だったろう。
 私は渥美清が死んだあとの最後の寅さんも観ているが、吉岡秀隆が町を歩いてゆくシーンを俯瞰で撮っているのを観ていて、ああっ、終わったな、とつくづく思った。やはり長いシリーズが終わることには、寂しさが伴うものだが、それに代わる多くの国民が楽しめる映画が出てこないのは、もっと寂しいものだ。

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