団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

教育間違えたなあ

2015-02-24 14:44:24 | Weblog
 月の半ばは仕事が立て込んで、なかなかブログの更新が思うようにいかないし、最近はあまり書くべき内容に思いがいかない。ただ、どうしてもこれだけは言いたい、ということはあるものである。
 教育の問題である。戦後、小中生の教育は根本的に間違っていたのではないだろうか。何を教えてきたのか、という暗澹たる気持ちになることが多い。
 たぶん教育現場では、戦前の教育の反動からか、自由や個性、それに関わる権利意識などが強調されてきたのだろう。私はその現場に関わっていないから断定は避けるが、それが重視され過ぎた結果、今の若者が出来上がったのだろう。
 結局、教育の目的は、社会で通用する人格を醸成することではないか。これが最低で、あとはその人間が望む専門教育に進めばいいわけだ。その社会で通用するという最低の目的がまったく達成されていないのが現状だ。
 人は社会の中で生きていくしかないのだから、まず生きていくための常識を身につけなければならない。学校でも家庭でも、それをあまり教えないのが実態だ。ようやく道徳の科目が取沙汰されているが、遅きに失していよう。家庭ではまず躾だろうが、これも徹底していない。
 つまり社会で生きていくため、自立しなければならない。親からの支援は就職までだろう。それまでにひとりで生きていける自立心を養わなければならないのだが、その意識を作るために学校でも家庭でも、何が話し合われているのか。
 家庭では、大学出たらうちを出て自立しなさい、という会話があるのだろうか。いつもそうしたことを話していれば、自然に子供は成人したらうちを出るもの、と考えるようになろう。そのためにどう勉強していくのか、というモチベーションも高まる。
 学校でも連動して、社会や人に役に立つ人間になることが大切、という議論をもっとやっていれば、そうした思考をいつも持ち続けるものだ。
 最近、聞かれなくなった言葉がいろいろあるが、人に迷惑をかけないや、恥を知れ、外聞が悪いなどがある。これらはすべて社会で生きていくための知恵ではないか。
 そうした心構えがないのに、イジメやハラスメントが蔓延している。堂々と人に迷惑をかけるな、と主張する必要があるのだ。
 こう書いてくると、いかにも丸い人間になれ、といっているようにとられるが、それが個性重視の戦後教育の弊害で、我儘ばかりの人間になってしまった。
 いまや団塊世代の孫が社会に巣立っている。教育の問題は言えばいうほど、自分に降り掛かってくるものだ。団塊の世代も丸ごと教育を間違えたとしか思えない。時間はかかるが、これから軌道修正できるなら、イチからでもやり直してもらいたいものだ。 
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