団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

二大政党政治が実現したが…

2009-08-31 09:54:40 | Weblog
 これまでのブログの流れからすれば、当然今回の選挙結果は書かなければならない。国民の審判は民主党に政権を渡すことを選んだ。
 民主党が右派左派ごちゃ混ぜの党であることは、大半の国民は知っていることだが、それでもこのまま自民党に任せるよりは、ましだろう、という国民の判断だ。
 それにしても、風が吹く恐ろしさを自民も民主も痛感したことだろう。4年前の小泉郵政選挙の再現となったことは確かで、小泉チルドレンが生まれたと同様に、こんどは鳩山・小沢チルドレンが多数輩出した。
 ということは、次の選挙でもまたこんな大風が吹くこともあり得るということだ。自民党にいいたいことは、捲土重来を期して、次の政権政党を担える知力・活力を磨き上げることだろう。そうしなければ、真の二大政党政治は到来しない。
 民主党はたぶん、政権を担った途端に、さまざまな面で綻びが出て来るだろう。特に外交、防衛など対外的な政策で足並みを揃えることができない。そうして現実路線を歩むことになり、中道で党をリードすることになり、結局は組合関係や利権組織との縁を切ることになろう。
 そうした流れの中で、党としての整合性を追求していくなら、分裂という可能性も否定できない。右派・中道と左派が対立して、どちらかが党を割るか。
 自民党も政権がないゆえに求心力を失い、草刈場になるのか、あるいは分裂してしまうのか。なんとも予測はできないながら、前述のように次の政権を担える党として存続してもらわなければ、国民が困ることになる。
 小沢さんが二大政党政治をめざした。それが実現したいま、小沢さんのやることは自民党をライバルとして尊重し、塩を贈ることではないか。
 それほどの度量が小沢さんにあればいいが、我々がいますることは、民主党の政治を見守り、次の受け皿となり得る自民党からも目を離さないことだろう。
 そして国民として、政治に私的な利益を期待しないことだ。官僚、業界、団体、組織が政治とつるんで利権を作り、癒着と腐敗を繰り返した。結局はそれは、自民党政治が可能にしたわけだが、それを断ち切り、国民も自ら利益誘導の政治を徹底的に廃することを自覚しなければならない。

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記憶がなければ死んだも同然

2009-08-28 08:08:53 | Weblog
 バカ警官が福岡で大酒を飲んで事故を起こした。幸い死者は出なかったが、治まらない警官の不祥事である。
 居酒屋に駐車場がまだあるそうで、本人は飲み終えて、酔いを醒ますために歩いて帰る、と言い残しているが、たぶん面倒になって運転してしまったのだろう。
 バカ警官と書いたが、ほんとうは笑えない話で、自分のことを考えると、やっぱり酔っての失敗はまだ続いている。
 先日も遅くなって、自転車をそのままにして帰った。翌朝、その自転車を大汗をかいて探したが、どこにもない。酔っ払っていたから、乗って帰って途中で危なくなってどこかに乗り捨てか、と思い探したが見つからない。
 ひょっとする、と思い、駐輪場の係員に聞いた。「今朝、違法駐輪の自転車を移動しましたか」「ええ、撤去しました」「それかあ」
 保管所に電話をしたら「入ってます」との答え。自転車もトラ箱並である。翌日、外出先から帰るときに寄って、引き下げてきた。3000円である。
 こちらが悪いのだから、文句も言えないのだが、タイミングが悪かった。自転車を置いた場所の上には、無料の駐輪場がある。上まで運ぶのを億劫がったために、3000円の出費を強いられた。保管所には100台以上の自転車があり、いい実入りである。
 さっきのバカ警官ではないが、当方もどう帰ったか覚えていなかった。それほど深酒をしてしまった。今日は酔うまい、と思い、慎重に飲みやや多めに食していながら、あるときから記憶がなくなることがある。なにかの節目があると記憶が残るが、気がつけば朝で布団の中ということがままある。
 記憶がない、ということは、酔っている途中の楽しいことも覚えていない。覚えていないことほど味気ないものはない。絶世の美人と話したかもしれない。いや、それなら絶対に覚えているか。
 とにかく覚えてない、ということはその時間は死んだようなものだ。一面、もったいない話でもある。結局、多くの記憶を持ち得ることが人生を豊穣なものにするのだろう。楽しい思い出があれば、よりよく生きられる。人の一生は思い出作りでもある、とまあ、大袈裟に考えてしまった。
 酒を飲み、楽しく飲むことはいいが、これからは絶対、記憶をなくさないようにしよう、と懲りずにまた誓ったものだ。

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尽きるところは政治家の人物

2009-08-25 20:19:18 | Weblog
 やっぱり選挙の話はみんな興味があるようで、けっこうなアクセスが続いている。ただ説明不足があったかもしれない。
 葛飾区の選挙区は、突き詰めれば平沢さんと早川さんの戦いだ。自民と民主、ベテランと新人の争いでもある。
 前回はやや極端に書いたかもしれないが、平沢さんはもういいだろう、早川さんはまだ早い、というのが一般の選挙民の感覚だと思う。だから迷っているわけだ。
 しかし現在の制度が小選挙区である以上、どちらから選ぶしかない。幸福実現党、共産党は別にしても、選択肢はそれしかない。
 ということは、小選挙区制の本来の意味は、また違ったところにあるのではないだろうか。つまり人物である。
 では、人物の評価をどうわれわれはすることができるのか。そのノウハウは結局は、その政治家の言動を見守るしかないのだが、そうしたところにも限界があろう。
 ちょっと冒険して、下馬表にもない人物を投票したとする。その人物が意外にも当選してしまった。前回の小泉チルドレンだ。
 そうなると、面白いもので案外、その人物の国会活動を注視していくのではないか。地域代表としての利益代弁者ではなく、われわれが選んで国会に送った人物である。ちゃんとした仕事をしてくれないと困るだろう。
 そうした一体感が小選挙区制から選ばれた選良にはあるのではないだろうか。と期待していると、赤絨毯を踏んだ途端に、なんでみんな埋没していくのか。国会議員として、単なる頭数でしかなくなってしまう。
 問題はここからで、我々は政党の所属の誰々を選んだのではなく、その政治家個人を選んだのである。確かに政党に所属していなければ国会活動はできない。しかしアメリカの議員は政党の規制を受けないことが多い。自分の考えを主張できる立場が守れるという。
 自分が信ずる道ならば、主義主張を貫くことができるか。それが日本の政治家に求められている。前回の選挙で平沼さんがそれを貫いたが、郵政がらみの利権があって、まともに信用しづらいにしても、政党を超越して政治家個人として自立し得るのか。
 本当のところ我々はそれを見守っていたい。自民でも民主でも共産でもいいが、員数合わせの操り人形では小選挙区制の意味がないだろう。

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選ぶ人がいないじゃないか

2009-08-21 08:05:17 | Weblog
 マスコミは事前の調査で、自民党の惨敗を予測している。大方、政権交代選挙という位置付けた。出揃ったマニフェストに対しても喧しい。
 そうしたマクロの問題は別にして、先日近所の通りを歩いていて、選挙の掲示板が目に入ったので、近寄ってみた。
 愕然とした。私は葛飾区の在住だが、立候補者は4人。幸福実現党、共産党は置くとして、自民党はあの平沢勝栄先生、対抗馬は早川久美子嬢。
 選択肢はたったこれだけ。つまり、平沢さんか早川嬢かである。むろん棄権という手もあるが、ここのところ選挙は欠かさず行っているから、寝覚めが悪い。
 で、どうするのだ、というわけだ。ま、小選挙区制の弊害が出ており、困ったものである。平沢さんは、拉致問題で一定の活躍をして知名度を上げたが、自民党であるし、古い政治家はご退場を願いたい気分である。
 早川嬢は、区議から都議へとのし上がり、衆議院初挑戦であるが、いかにも経験不足は否めないし、とんとん拍子で出世していくのは、本人のためにもよくないだろう。小泉チルドレンの例もある。たんに民主の追い風だけでここまで来たようなものである。
 つまり、平沢さんほど旧弊たる政治に染まっておらず、早川嬢ではまだ早過ぎる、というわけで、第三者がいないのである。
 最近、都議会の混乱を伝えているが、民主の方の議席が多くなって、議会の進め方そのものがまとまらない。都議なんかいらない、という持論で、区議会と都下市議会から都議会専任を出せばいい。
 これだって大改革案だが、次の国会ではもっとすごい改革が行われるはずで、操り人形のような民主の若手が占めて、ただ混乱が増すばかり、というのも国政がストップしてしまう。
 で、衆議院選だが、政権交代はいいとしても、ミクロの立場からは、選ぶ人がいないのではないか、となってしまう。
 もう1回ぐらいいいか、ということで平沢さんを選び、比例は民主というところに落ち着きそうだが、果たしてどうなるものやら。やっぱり中選挙区制に戻すべきときに来ていよう。
 
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ケータイで困った

2009-08-18 15:31:29 | Weblog
 別にお盆休みだからといってブログの発信を休んでいたわけではない。仕事があったのです。お盆明けにようやく時間ができて、これを書いているが、ケータイでいろいろと考えさせられることがあった。
 仕事の関係で、ケータイを使う羽目になりそうだ。現在使っているウイルコムのPHSは地下などにいると、通じないことが多い。これでは困るので、ふつうのケータイを買おう、ということになった。
 もうひとつの理由は、ウイルコムのパケット代がほとんどメールしか使わないのに2500円ぐらいになっていて、以前に比べ高くなっている。通話料も含めて7000円以上になっており、なんとなく納得いかないことが続いており、止めようかとも考えた。
 固定電話がソフトバンクの法人サービスに入っていて、ソフトバンクのケータイなら、会社の電話にかけても安いから、ソフトバンクにしようと思った。
 まず検討したのが、iPhone3Gs。いまひとつ使い勝手が悪い話がネットに書かれている。熱狂的なファンがいる反面、けっこうけなされている。様子を見よう、ということで他のケータイに目がいった。ソフトバンクのスマートフォンはいまひとつで、どうも食指が動かない。
 いろいろと考えて、外出先で原稿を書くのにデータ通信は不可欠。ならばとソフトバンクのデータカードを見たら、ウイルコムの倍。じゃあ、ウイルコムは残そう、と通話をしない新つなぎ放題に契約を切替えた。これが月に3880円ぽっきり。ネットもメールもでき電話もできるが、電話は高くなるから受け専門にする。
 そしてソフトバンクの電話。832SHを買った。夏モデルにしては安く、3万円で24回払い。ホワイトプランが980円、ベーシックというのが315円、パケットし放題が1029円~、ということで、通信料は計2324円に通話料ということになる。ウイルコムのデータ定額と合わせて6000円強。むろん機種代があったり、オプションなどもつくからもっと高くなるが、こちらは電話専用とする。
 こうして、データ専用と電話専用ができあがった。以前にも書いたが、SIMカードのアダプターを挿入してパソコンでデータ通信ができ、メールも料金を気にしないで外出先で確認できるから、たぶんこちらはもとが取れそうで、電話専用も安心して待ち受けできるから、まあ、それほど高くはつかなかったと思っている。
 しかし請求書が来て、あっああ、ということにもなりかねない。12年もPHSだけを使ってきた者として、浦島太郎の気分でいろいろと調べてみたが、本当にケータイというのは分かりにくいものだ、というのが感想だ。
 
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台風と地震がセットで来て

2009-08-11 14:12:10 | Weblog
 やっぱりおかしい、と思われるのが気象庁。
 まず台風9号。10日の関東地方はバケツをひっくり返したような雨だった。台風9号の影響で、といっていた。ところがテレビなどを見ると、台風は紀伊半島の向こうの遠くにあったが、ひどい雨が降っている。
 なんでこれが台風なんだ、と思っていたら、台風最接近の11日は朝から雨が降らない。予報は外れ、台風は東に逸れてしまった。ということは、10日の大雨は台風ではなくて、台風に刺激された前線だったのではないか。要するに別物だったのだろう。
 台風の影響をいうには、遠くにありすぎた。そして、静岡地震である。
 我々が想定している東海大地震ではない、というのが気象庁のコメントだ。ちょっと待て、といいたい。想定している規模でないから、東海大地震ではない、というのか。じゃあ、反対に想定している規模以上のが来たら、やはり東海大地震ではないのだろう。
 つまり、人間が想定した通りに、地震なんか来るものではない。静岡地震程度の規模が来て、たまっていたエネルギーを放出してくれれば、こんなありがたいことはないだろう。
 もうひとつずるいことは、静岡地震が来て、もっとすごいのが東海大地震だ、と思い出させ、危機感をあおっていることだ。来る来る、といって何十年たったのか。結局はいまだ来ないのに、たぶん毎年たっぷり予算はもらっていよう。だから静岡地震程度が来ると、予算増額のチャンスともなるのだろう。
 ただ地震の研究というのは、何百年単位で考えるもので、じっくりと取り組むべき筋合いのものである。ただ予知はたぶん不可能であろう。
 静岡地震は早朝に来たが、いつもアピールしている地震の危険信号は発せられたのだろうか。朝からのニュースでは、まったくそれに触れていない。ここでも役に立たないものに、予算が使われている。
 地震の問題は結局、人が死ぬか傷つくか、という問題に帰する。言い方を変えると、家屋が倒壊しなければ人はまず死なない。
 ということは、家屋の補強にこそ、地震対策予算を注ぎ込むべきだろう。そうすれば、少しでも犠牲者を少なくすることができる。予知だ研究だ、という前に、人が死なないことに予算を割くことかが賢明ではないか。

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セレモニーでしかなかった裁判員裁判

2009-08-08 09:28:39 | Weblog
 裁判員制度の初の公判の4日間は、マスコミの報道が連日続いた。その分、国民にその詳細が伝わり、いろいろと論議も高まった。
 それにしても、結局は予定調和的な判決で、裁判員でやる必要もない裁判だった。そもそも裁判官だけでは一般常識から乖離した判決が出やすい、という欠点をカバーするために、裁判員制度が導入されたわけだが、殺人などの凶悪犯罪の判決に、常識外れもなかろう、と思う。
 今回の裁判はもめようもない明瞭な事案だった。犯人は自白、証拠も明確で、ただ量刑のみを争った。検察官は求刑16年、被害者の代理人の弁護士が20年を希望。被告の弁護士は量刑をいわなかった。16と20の間の18年でいいじゃないか、と思ったが、実際は15年に落ち着いた。
 検察官の求刑に拘束されて、従来の量刑よりも重くなったようだ。そもそも殺人の量刑は3年以上から死刑まで幅広い。その量刑を決定するのは、これまでの判例しかなく、裁判官も裁判員に対して、それらを示したに違いない。
 しかし、判例にあるというだけで、これに従うのもおかしい。裁判員らが本当に新鮮な視点で裁判をみれば、また違った意見があったのでないか。被告は72歳。量刑8年でも80歳だ。刑務所の中で死亡する可能性も高い。しかしそれでは被告の遺族の無念が晴れない。
 まあ、そんなジレンマがあったのかもしれないが、一般的な判決よりは重い量刑に落ち着いた。しかもたった4日間で。
 裁判員だから4日間なのか。つまり裁判の短縮化なんか、やればできる、ということだろう。じゃあ、どこが悪くて長期化していたのか、という究明こそも必要だ。
 結局、裁判員が本当に必要な裁判は、今回のような凶悪事件ではなく、国民を二分するような見方が分かれる事案だ。公害、薬害、一票の重みなど裁判官が憲法判断を避けるような訴訟だ。そこでこそ、裁判員の一般常識が発揮される。
 だが、10年20年も続けられる裁判に、裁判員が付き合っていくことは不可能だ。だから、今回のような単純な殺人事件が適用された。
 いわば裁判所のヤル気を見せたセレモニーでしかなかったろう。パソコンやプロジェクターを使って分かりやすくした、と自慢気だった。そんなものはどんな裁判でも、いまや使って当たり前で、いまさらの感もあるが、なんだかんだで税金の無駄遣いであったことは否定できない。

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明治以来の大変革が来るのか

2009-08-03 07:41:24 | Weblog
 日曜日の朝の政治討論番組は見たり見なかったりだが、やはり衆議院が解散し、政治の夏になったことで、今朝は興味深く見た。
 特に地方分権の問題は、今後の国家のビジョンにも絡んで重要な問題だ。現在はいうまでもなく中央集権の国家形態である。
 これは江戸幕藩体制が壊れ、明治国家が誕生してから続いている。江戸時代に日本人はおらず、明確な国家意識はなかった。それが外圧によって国が開き、明治から日本人としての意識が誕生した。
 富国強兵の掛け声のもと、中央の政治家が地方の知事になり、中央政府が地方をコントロールできる体制が整った。太平洋戦争に負けてもこの体制は続き、綻びを補いながら官僚国家体制が成熟し、やがて腐敗した。
 自民党はその官僚体制に乗って、飴と鞭で全国津々浦々の利権を牛耳ったわけだ。だから霞ヶ関と自民党はひとつのセットになって、戦後を歩んできたといえる。
 この官僚国家体制の利点もあった。明治や戦後などは、その体制によって早い復興がなり高度経済成長を達成した。
 しかし、自民党も霞ヶ関も自らの利権を守ることを優先することによって、国民から遊離してしまった。たぶん平成に入って、ここ20年ぐらいのことだろう。昭和という年号は日本人には重かったのだろう。平成に変わったことによって、タガが外れたようにも見える。
 有権者は、自民党政治の限界を感じながらも、政治的混乱が続いて選択肢がなかったが、ようやく民主党にお鉢が回り、二大政党政治がスタートしそうだ。
 そして地方分権である。市町村が課税権を持ち、経営体制を整える。各々の道州がそれらを束ね調整を担い、国は道州ができない防衛や外交などの負託を負う。
 簡単にいえば、それが地方分権の国家ビジョンだ。道州はアメリカの州に値し州は軍隊も持っている。それは政治を真に身近なものにする変革だ。
 こうなると、すべてが変わる。明治から約150年を経て、日本の国家体制を変え得る端緒になるのが、今回の選挙になるのかもしれない。

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