団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

古本の愉しみ

2015-05-30 11:12:27 | Weblog
 若い頃は、好きな作家の新刊が出れば、躊躇なく買い求めた。古本などはほとんど縁がなかった。結婚してからは、近所に図書館があったから、長い間図書館のファンになった。しかし1週間で返却するのが面倒になり、足が遠のいてしまった。
 それからが古本との付き合いが始まった。駅前の古本屋や神田、あるいは新橋のSL広場前の古本市で、買うことが多くなった。かつて欲しいな、と思っていた本を見つけると、旧友に会ったような気持ちになるものだ。
 端的な例は『小説聖書・旧約編』。ハードカバーで定価は1900円が美麗なのに100円だった。思わず買って、1年近く経つがまだ読了していない。直近では、吉田健一の『酒肴酒』の文庫本、白水社の『フランス中世歴史散歩』の新書。いずれも安かった。
 やはり古本屋でボロボロの文庫の中から見つけたヘニング・マイケルの『殺人者の顔』があった。スウェーデンの警察小説でクルト・ヴァランダー警部という主人公が魅力的だ。このシリーズは時を経づして読んでいるが、『背後の足音』では、主人公が糖尿病になって苦しむシーンがある。偶然に買い求めたものだが、自分の糖尿病と重なって感慨深いものがある。
 そんなわけで、翻訳小説やエッセー、あるいは歴史ものでは、ほぼ古本がカバーしている。古書店の店頭であれこれ見るのは愉しいものだ。
 新刊を求めるとしたら、世界史の通史的な著述、あるいは歴史の新しい解釈などを盛り込んだ本だろうか。
 翻訳モノの小説はほぼ寝床で読むから、読了するのに時間がかかるが、興が乗ってくると、さすがに外出時に携行して読む。あとは晩酌時に新聞を読んだ後、手に取ることが多い。吉田健一のエッセーなどはぴったりなのだが、酔いが進むと、頭に入らくなってくる。夜は、ほぼテレビで過ごす生活だから、やはり本を読む時間が少な過ぎるのだろう。とはいえ早く読み切る、というのももったいないもので、名文や含蓄のある文章などは、ゆっくりとその世界に浸っていたいわけだ。
 巷で流行っている流行本には興味はない。ネットや新聞の図書欄を読んでいれば、なんとなく世の中の傾向が分かるもので、その程度で十分だろうし、そもそも面白いか面白くないか、読んでみなくては分からないのが本で、それにかけるお金と時間が惜しい面もある。だから古本というわけではないが、趣味・嗜好というのは、自分なりにどこで割り切るかだろう。
 
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好き嫌いがなくなった

2015-05-25 13:51:13 | Weblog
 揚げ物はコロッケだけ、卵かけご飯を毎日食べて気持ち悪くなったり、と私の食生活は偏食の歴史だった。ところが、この齢で好き嫌いがなくなってしまった。どうして、と訊かれれば、入院したのが大きな理由だ。
 前2回の入院は、いずれも息も絶え絶えの状態だった。当然、さほど食欲もなく、病院食自体をおいしいと思ったことはなかった。ようやく食している始末だったが、4月末の糖尿病の入院は違った。
 元気で入院したのだから、食欲もあるし、血糖値を下げるために食後にウォーキングもしたから、食べることが楽しみになってきたわけだ。
 糖尿病の治療をしているのだから、間食はタブー。だから病院食の3食だけが口に入る食物だった。これを食べなければ、あとはない、と思うと、あまりいろいろと考えずに、口に入れる作業を繰り返した。
 私の食事は、1800kcalで塩分5.9gだった。つまりおかずにはほとんど味がなかった。味がなければ好き嫌いはあり得ない。だからなんでも食べた。
うちに帰ってきて、女房にこれからはサラダを食べるぞ、と宣言した。私はサラダなどは独立した惣菜ではなくて、肉や魚の添え物という考えだった。それがこれからは一品として食することにした。
 キャベツ、レタスに何かを足して、ごまドレッシングで食べ始めた。意外と美味しいのであった。何がいいとか何がいやだ、とは言わなくなった。ただ身体が受け付けないのは、トンガラシ系の辛さ。うっかり食べると、咳き込み呼吸困難になってしまう。女房が目の前で、真っ赤なキムチを食べているのを眺めているだけだ。
 というわけで、退院してからは何でも食べているが、むろん女房殿が作った食事でしかないが、量は糖尿病があるから、腹七分程度にしている。
 ひとつのこだわりは、お米。以前から魚沼産のコシヒカリに若干の胚芽米を混ぜている。これを厚手の釜でガスで炊く。ちょっと固めが好きで、まことに美味しい。
 最近感じることは、外で買ってくる弁当のご飯のまずいこと。ペチャッとして柔らかくうまくもない。牛丼を買ってきて、肉だけを食べご飯は半分ほど残してしまった。もったいないのだが、食べる気が失せてしまった。あれほど好きだったカツ丼も、やはりご飯を残した。
 ご飯の美味さは選べないのが残念であるが、好き嫌いがなくなったとはいえ、やはり少食である。たぶん入院時の1800kcalを下回っているであろう。
 ただ酒だけは継続している。25度の焼酎250cc程度を少しの肴で飲み、お茶碗半分程度のご飯と適度なおかずを食べる。6時には食べ終わり、寝るまで何も口に入れない。というわけで、現在の体重は63キロ前後になっている。理想体重なのである。
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3つのトラウマ

2015-05-16 08:45:24 | Weblog
 前回のブログでインスリン生活に入ったことを報告した。食前に注射、基本は起床後に必ず血糖値測定し、あとは適宜、血糖値を測定しなければならない。まったく面倒なものであるが、こればかりは致し方ない。
 本題は、トラウマの話である。トラウマとは、心的外傷のことで、程度の差こそあれ、たいていの人は持っているものである。
 私の場合は、力まずに言えば3つのトラウマがある。まず心臓の悪い時に、階段を登るのが辛かった。階段の途中で休み、登り切ると息が切れしばし休む始末だった。
 今でもその記憶が頭の隅にこびりついていて、階段を前にすると足が止まる。しかし、実際は登ったところで何ほどのこともなく、へっちゃらではあるのだが、やはりトラウマなんだろうな、と思っている。
 2つ目は、鼻血である。一昨年にひどい鼻出血をやった。原因は分からないが、溶血剤を飲んでおり、それによって血が止まりづらい。鼻血が止まらないと、何もできない。これには困った。耳鼻咽喉科の治療は、止血綿を鼻の中に無理に押しこむだけの分かりやすい措置で、あとは毛細血管をレーザーメスで焼いた。
 それ以来、鼻水が流れると、とっさに拭って血でないことを確認する癖がついた。鼻水と鼻血の流れ方は違っていて、鼻水はたらたらと出るが、鼻血はスッーと垂れ落ちる。微妙な感覚であるが、いまだこのトラウマから脱していない。
 3つは、下の話になるが、大便のことである。昨年9月に退院して約3ヶ月間は、便が硬くなり出にくくなった。たぶん手術で出血して、腸内の水分バランスが壊れたのであろう。力み力み、さらに力むという排便になった。
 ようやく楽になったのは今年に入ってからで、自慢ではないが手術以来、一度も下痢をしていないし、軟便もほとんどないのだが、それでもやはりある程度の硬度を保っている。 このトラウマは、便意を催すと、また力む排便になるのか、と頭をよぎることである。これも実際は、そんな危惧はもう必要ないのだが、それを想像してしまう。
 言ってみれば、なあんだそんな簡単なことか、と思う向きもいるかもしれないが、私にとっては心的外傷になっている。治療を施すほどのことはないのだが、これもインスリン治療同様にうっとうしいものである。
 治すほどのことはないが、もし治そうとすれば、すべてハッピーに切り替えることであろう。階段を登るのは身体にいい、もう鼻血は出ないのだから鼻水に決めてしまう、快便こそ健康のもと、といったふうに。なにごとも、前向きにハッピーに考えることができれば、生きるのは楽になるものである。

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とうとうインイスリン治療

2015-05-02 08:20:42 | Weblog
 このままいくと、透析ですよ、と医者の言葉にやっぱりか、と覚悟を決めざるを得なかった。その覚悟とは、インスリン注射。これだけは嫌だ、と昔から決めていた。食前に腹に注射を打ってまで生きたいのか、という執着を感じてしまう。
 しかも腎臓病も併発しているから、しかたがないか、というのが結論だった。そのインスリン注射を覚えるために、1週間の入院が必要だった。えっ、それだけのために、と医者に聞き返したが、なんでもけっこう手順のあるもので、1日の血糖値の変動も診てみたい、ということだった。
 それで27日の月曜日に入院した。それまでの入院は全部心臓絡みで、息も絶え絶えに病院に担ぎ込まれる始末だったが、今回はほぼ健康体での入院だから、気持ち的には余裕があった。
 血糖値の変動を報告すれば、入院日の午前中は141だった。まだインスリンは打っていない。基本は食事前に血糖値測定計で血糖値を計る。さほど高くはないはずだが、食事前には食事のお膳を前にして、インスリンを打つ。その理由は、インスリンの効き目が早く、打ったら即、食す必要があるからだ。なにかの事情でインスリンを打っても食事ができないと、低血糖になる恐れが高い。
 3度の食事で、これを繰り返す。そして就寝前にも食事前のインスリンとは別の種類の持効型インスリンを打って寝る。
 入院して翌々日に、1日の6回の血糖値測定を行った。一般的には食後2時間ぐらい経ったところで血糖値のピークがある。そこを計って、インスリンの効き目を診るわけだ。インスリン単位というものがあって、ふつうは6とか4とかであるが、私の場合は朝方が高い、ということで8にアップされた。
 入院中、マックスは300。朝食後2時間の値だった。あとは259もあり、逆に低かったのは84で、強い空腹感があった。70以下になれば低血糖で、糖尿病治療ではもっともおそれることだ。
 最近の学説では、外部からのインスリン治療によって、膵臓の負担が減じて、また体内からのインスリンの分泌が回復してくるというものだ。そうなればインスリン注射は不要になるわけで、それを目指しての治療ということだった。ちなみに私のインスリン分泌は健常人の50~60%ぐらい。まだインスリンは分泌されている。その足りない分を外から補うというのが理屈だ。
 腎臓はステージ2という段階で、まだ治療すれば回復できるレベルとか。もっと悪くなる前に、早めの治療を、というのが医者の言い分だった。ステージ5で透析だとか。まだ余裕はあるのだが。
 金曜日に退院。これから血糖測定器とインスリン注射器は手放せない。やっかいなものを抱え込んだものだ。問題は酒である。どう飲むのか、これが最大の問題だった。
 私の現在の酒類は焼酎が基本だ。焼酎は糖類がなく血糖値を上げない。これは良かった。結論は、あまりつまみを食べないほうなので、晩酌を終えたあとインスリンを打って食事にする。外では多めの肴を前にしてから、インスリンを打ち、それで飲みながら食す。効き目は2時間程度というから、2時間経ってしまったあとは、舐めるようにちびちびと飲むというのが、私なりの結論だった.ただ随時血糖値を計って、その変動を見守ることで、これも変わるかもしれない。
 あまり参考にならないブログになってしまったが、糖尿病かその予備軍の方々の参考のためにアップした次第だ。さて、今後の推移はまた報告したい。 
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