団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

被害者の落度こそ報道すべき

2013-10-29 09:35:50 | Weblog
 最近のストーカー被害から殺人事件に至る悲惨な事件を見ていると、どうも一方的に加害者が悪い、という視点でしか報道されない面がある。
 むろん加害者が悪いに決まっているが、加害者がどうしてそこまで殺意を募らせていったのか、というプロセスが抜け落ちてしまっている。それは結局、被害者にも何らかの落度があったことを意味し、それに触れたくないから、加害者=悪人、被害者=善人、という単純な二極化でストーリーを作り上げる傾向にあるのだろう。
 例えば、高校生ストーカー殺人事件があった。被害者は芸能人の卵で、加害者とはフェースブックで知り合ったという。高校1年生の時とか。そんな年頃で、男と付き合うという批判もあるが、きっと本人は芸能人気取りで、相手をファンと思っていたのだろうが、それでも高校1年生が男性と付き合うには、一定の方法があったろう。
 付き合い始めた頃に、加害者の気を引くためにいろいろな仕掛けをしたのかもしれない。それで加害者は頭に血がのぼり、ストーカーに変じたということもあろう。その最初の接触に、事件の萌芽があったのだろうか。そこに至る段階で、親は何をしていたのだろうか、という議論も真剣にされなければならない。
 三重で、中学生が夜の11時の帰り道から姿を消した。花火の帰りとか。これもどうして中学生がそんな時間に夜道をひとりで歩いているのだろうか、という疑問がある。駅まで親が迎えに行けば問題は起こらなかったはずだ。
 今の子供は、親のいうことなんか効かない、というあきらめムードにあるが、それよりも命を守ることにもっと真剣であるべきだろう。ひと昔前は、夜のひとり歩きなどはご法度だったし、女の子なら門限というのがあった。
 つまり世の中は物騒だったのだ。私は名古屋で育ったが、子供の頃は東京にはアチコチに愚連隊が跳梁跋扈して、夜なんか歩けない、という話を耳にしていて、東京は怖いところと信じていた。
 それがいつしか形を変えて、また世の中は物騒になってきたのだ。変質者や偏執狂、ストーカー、暴力団やチンピラ、振り込め詐欺集団などなど、そこら中に悪い奴がいっぱいいる世の中に、またなってしまったのだ。
 たぶんその変化はバブルからだろう。異常な金銭感覚が人間関係も歪めてしまい人々のコミュニケーションが土台から崩れ去り、ジコチューが溢れる世の中になった。以前はいまほど警察がなんとかしてくれる、と人々は思っていなかったろう。まず自分がやるべきことを心得ていた。結局は自分は自分で守る、という最低限の自衛手段は持つべきで、それは現代も同じであろう。。
 決してむつかしいことではなく、簡単にいえば、見ず知らずの人と話すな、夜は7時前には帰る、不必要なネットのSNSとは接触しない、など心構えさえあれば守ることができる。どんなところでも、自分が狙われる可能性があるのだ。こんな当たり前だったことが、とっくに親も子も念頭から忘れ去ってしまっているのだろう。
 いちど身の回りから見直してみることだろう。そして犯罪を防ぐためには、匿名でもいいから、被害者の落度をしっかりと報道することではないか。そうすることによって、再発を未然に防ぎ、潜在的な被害者の心構えの参考に供することができよう。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

初めて席を譲られた

2013-10-24 12:41:23 | Weblog
 人生最初の経験というのは、戸惑いと含羞と複雑な感情が入り混じるものだ。なんだって、初体験? この齢でそれはないが、つまり生まれてはじめて電車の中で席を譲られたのだ。
 いつか来るだろうな、と思っていたが、意外と突然にやってきた。新宿からの丸の内線だった。こちらはキャリーケースを引っぱって先に乗り込んだ。2つ目の駅で降りるから、もともと腰かける気はなかった。横に十代の女の子を連れた中年の男性の二人が立った。女の子は自分の前の席が空いているのに気づいて、さっと座った。ふっと横上に視線を送ると、私が目に入ったのだろう。
「どうぞ」と言って、スクっと立った。私は、たぶん「エッ」という顔をしたろう。
 その間、ほんの数秒なのだが、ようやく私は席を譲られたことに気がついた。「そうか、そうだったのか、私にか」と思い知った。よく見ると、シルバーシートだった。
「いえ、すぐに降りますから」と断った。女の子は、父親らしい男性の横に立ったままになった。席は空いている状態が続いた。
 これが初体験である。帰って女房に話すと、それは座ってあげなきゃあ失礼よ、と当然の如く言う。ところが、こちらは一瞬何が起こったのか分からず、そのまま突っ立っていたのだ。
 とうとうジジイになってしまったね、と二人で笑い合った。女房は私より年上だから、何年も前に譲られていて、もう抵抗感はなかった。もともと座りたガールである。
 女房は席が空いていれば、絶対に座るほうだ。座らなければ損よ、というのが人生訓だ。こっちは、無理には座らないし、ずらりと空いていれば座る程度。だいたいは立っている。齢をとっても、人それぞれである。
 それで考えてみると、シルバーシート、最近はプライオリティシートと書いてあるが、だいたいよく席を譲る人は、十代の女の子と40~50代の女性だろう。中年の女性は相手が恥ずかしくなるほどに大仰に、こっちこっちと招く。
 譲らないのは、20~30代の女性、一般的なサラリーマン男性。どちらかといえば疲れているタイプなのだろう。
 私はあまり座らないが、目の前にそうした人が立ったら迷わず譲ることにしている。別に相手に同情しているわけではなく、座りたい人を優先しているだけだ。知らん顔しているのも面倒である。
 ただかなり身体が疲れている時は、腰が浮かないことはある。ごめんなさいである。席ひとつも、いろいろな人生模様があるものであるが、譲られて当然、というのも困ったものである。
 傲岸な高齢者が多くなっているのは、どうしてだろう。やってもらって当たり前の権利意識が膨張して、自分の身の丈が分からなくなっているのだろう。どんな人でも、いつも感謝の気持ちを持って公共の場所にいる、という意識がほしいものである。

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小泉さんガンバレ!

2013-10-08 14:20:17 | Weblog
 小泉元首相ががんばっている。原発反対をあちこちの講演会で唱え、政権の反発を買っている。小泉さんがどういう意図で、原発反対を力説しているのか、というのは不明ながら、そのいっていることは正しいだろう。
 いくら天災が原因であったといっても、あれだけの原発事故を起こし、現在も汚染水処理に苦しんでいるところを見ると、もう日本では原発は無理なのだろう、と一般的には思う。しかも廃棄物の捨て場所さえ決まっていない。いずれはできる、と学者がいっているだけだ。つまり将来の技術開発や新発見をあてにしているだけで、なんら根拠がない話だ。
 最近、人の住めない福島の東電の土地に捨てればいい、とどこかの副大臣が放射能のある焼却灰の捨て場所について言及したとか。東電はいいが、人の住めない福島はいただけない。人が住めなくなっていることを平然といえる感覚を疑わざるを得ない。
 現在、日本の原発は稼働していない。つまり原発がなくても、エレルギーは足りていることになる。じゃあ、どうしてまだ原発推進派が幅をきかしているのだろうか。
 理由はひとつ。途中で止められないからだ。電力会社は当たり前ながら、原発利権だって、いまなくなっては困る人は多いだろうし、地方も原発が無くなれば、経済が疲弊してしまう。学者もせっかく研究してきたのに、それが実用に供せなければ努力は水の泡だ。
 だから、まだしがみつかざるを得ないわけだ。いま廃炉にしたところで、本当に無害になるのには30年以上かかる。だったら、もう再稼働せず、原発なしという前提でモノゴトを考えいったほうがいいのではないか。
 以前にも書いたが、原発の敷地は広大だ。そこを再生エネルギーの拠点にすることはできないか。それなら地方経済も活性化しよう。再生エネルギーはいろいろなアイデアが出揃っており、実用可能なものも多い。
 これを本気で政権は推し進めることだろう。当面は火力発電で保たせる手しかないが、アメリカでは、シェールガス革命が起きている。原発の必要性が少なくなってきており、シェールガスで違ったエネルギーの体制ができつつある。
 日本はアメリカやカナダから輸入できるようになり、日本だって原発いらないよ、という声が高くなってこよう。そうなってはじめて、人々は本気で原発はいらないのではないか、と思い始めるのではないか。
 確かにいえることは、現在原発は止まっているが経済は動いている。火力はコストが高いから、その是正を本気でやること。再生エネルギーを政治の力でビジネスにしていくこと、ということははっきりしている。
 たぶん、どこかでもう一度巨大地震が起き、そこに原発があって事故によって放射能汚染があり、福島並みに国土がまた失われれば、もう誰も原発推進なんていえなくなろう。
 世界中でそれがもっとも起きやすい国が、やはり日本なのだ。その自覚を日本人は持つべきだろう。小泉さんにエールを送りたい。

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消費増税でショッピングどうする

2013-10-04 13:42:35 | Weblog
 とうとう消費税が5%から8%に増税されることが決まった。たぶんそうなるだろうな、という予感はあった。新聞が観測記事を飛ばす時は、だいたい決まっているものだ。いまさらながら、前回の参院選で、最大の焦点は消費増税、とこのブログで書いたが、多くの国民はみんなピンと来てなかったのだろう。
 それで、8%の消費税の中で、どうモノを買うのか、というのが大問題になってきた。
 ちょっと値の張る耐久消費財は、3月末までに購入しておくことだろう。生活必需品は、前回も書いたように、まずセール日を狙って安いものを買い溜めるのが先決。次に効率良くポイントを貯めることで、ほぼ1~2%ぐらいの消費税はカバーできそうだ。さらに、これまで当たり前のように買っていたブランド品を改めて見直して、2~3割の価格ダウンをすることか。
 うちは朝食にヨーグルトを常食しているが、これはブルガリア、ビヒダス、恵みがあるが、量の少ない恵みは買わず、だいたい前記2メーカーのものを138円以下の価格で買っている。たまに高い時があるから、その時は118円のプライベートブランドのものを購入。メーカーはタカナシだから、味は悪くない。
 たまたま今日、涼しくなったので、つゆの素を買った。ふだんはミツカンで258~298円ぐらいで買っている。ちょっと飽きたこともあって、いわて醤油の198円のものを購入。味はまだ分からないが、大差はないだろう。
 このように、ブランド品にこだわらなければ、地方の産物で間に合わせることができる。スーパーも売価を安くするために、そうした地方産品をもっと店頭に並べるべきだろう。地方経済の活性化にもつながる。
 そこで注文なのだが、店頭の価格表示の法律を決めることだろう。書籍のように、本体と税金の両方をはっきりと明記することだ。税別表示や税込み表示が取沙汰されているが、これがマーケットで混在すれば、各店の販売価格の比較ができにくくなるし、店の思惑で価格の操作がしやすくなって、消費者に不利益が発生する可能性がある。
 本体100円、税金8円、とだけの併記でどこの店も統一すれば、きわめて分かりやすい。同じ商品が本体98円なら、こっちの店で買おう。これが税込み表示だけなら、105円と書かれていて、本体いくらとすぐに分かる消費者はいるだろうか。税別だけの表示で110円とあって、いちいち計算なんかできない。少しでも安く思わせたい、という店の狙いはあるだろうが、ここはしっかりと併記することに決めなければならない。
 本体・税金併記で多少の負担が店にかかることになるが、消費者=客のためであるなら、負担を負うことにやぶさかではあるまい。いまや価格表示も液晶モニターが多くなっており、そうした店なら負担も軽減できよう。
 次は、8%の増税から、10%に移行することになるが、これはまだ不明だ。来年の4月以降の景気動向がどうなるか分からない。もし景気腰折れの失敗に終われば、アベノミクスの終息を意味し、安倍内閣退陣ということになろう。賃金が上がらず、景気も失速、増税だけが残ることになって、誰が責任をとるのだろうか。

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