最近のストーカー被害から殺人事件に至る悲惨な事件を見ていると、どうも一方的に加害者が悪い、という視点でしか報道されない面がある。
むろん加害者が悪いに決まっているが、加害者がどうしてそこまで殺意を募らせていったのか、というプロセスが抜け落ちてしまっている。それは結局、被害者にも何らかの落度があったことを意味し、それに触れたくないから、加害者=悪人、被害者=善人、という単純な二極化でストーリーを作り上げる傾向にあるのだろう。
例えば、高校生ストーカー殺人事件があった。被害者は芸能人の卵で、加害者とはフェースブックで知り合ったという。高校1年生の時とか。そんな年頃で、男と付き合うという批判もあるが、きっと本人は芸能人気取りで、相手をファンと思っていたのだろうが、それでも高校1年生が男性と付き合うには、一定の方法があったろう。
付き合い始めた頃に、加害者の気を引くためにいろいろな仕掛けをしたのかもしれない。それで加害者は頭に血がのぼり、ストーカーに変じたということもあろう。その最初の接触に、事件の萌芽があったのだろうか。そこに至る段階で、親は何をしていたのだろうか、という議論も真剣にされなければならない。
三重で、中学生が夜の11時の帰り道から姿を消した。花火の帰りとか。これもどうして中学生がそんな時間に夜道をひとりで歩いているのだろうか、という疑問がある。駅まで親が迎えに行けば問題は起こらなかったはずだ。
今の子供は、親のいうことなんか効かない、というあきらめムードにあるが、それよりも命を守ることにもっと真剣であるべきだろう。ひと昔前は、夜のひとり歩きなどはご法度だったし、女の子なら門限というのがあった。
つまり世の中は物騒だったのだ。私は名古屋で育ったが、子供の頃は東京にはアチコチに愚連隊が跳梁跋扈して、夜なんか歩けない、という話を耳にしていて、東京は怖いところと信じていた。
それがいつしか形を変えて、また世の中は物騒になってきたのだ。変質者や偏執狂、ストーカー、暴力団やチンピラ、振り込め詐欺集団などなど、そこら中に悪い奴がいっぱいいる世の中に、またなってしまったのだ。
たぶんその変化はバブルからだろう。異常な金銭感覚が人間関係も歪めてしまい人々のコミュニケーションが土台から崩れ去り、ジコチューが溢れる世の中になった。以前はいまほど警察がなんとかしてくれる、と人々は思っていなかったろう。まず自分がやるべきことを心得ていた。結局は自分は自分で守る、という最低限の自衛手段は持つべきで、それは現代も同じであろう。。
決してむつかしいことではなく、簡単にいえば、見ず知らずの人と話すな、夜は7時前には帰る、不必要なネットのSNSとは接触しない、など心構えさえあれば守ることができる。どんなところでも、自分が狙われる可能性があるのだ。こんな当たり前だったことが、とっくに親も子も念頭から忘れ去ってしまっているのだろう。
いちど身の回りから見直してみることだろう。そして犯罪を防ぐためには、匿名でもいいから、被害者の落度をしっかりと報道することではないか。そうすることによって、再発を未然に防ぎ、潜在的な被害者の心構えの参考に供することができよう。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
むろん加害者が悪いに決まっているが、加害者がどうしてそこまで殺意を募らせていったのか、というプロセスが抜け落ちてしまっている。それは結局、被害者にも何らかの落度があったことを意味し、それに触れたくないから、加害者=悪人、被害者=善人、という単純な二極化でストーリーを作り上げる傾向にあるのだろう。
例えば、高校生ストーカー殺人事件があった。被害者は芸能人の卵で、加害者とはフェースブックで知り合ったという。高校1年生の時とか。そんな年頃で、男と付き合うという批判もあるが、きっと本人は芸能人気取りで、相手をファンと思っていたのだろうが、それでも高校1年生が男性と付き合うには、一定の方法があったろう。
付き合い始めた頃に、加害者の気を引くためにいろいろな仕掛けをしたのかもしれない。それで加害者は頭に血がのぼり、ストーカーに変じたということもあろう。その最初の接触に、事件の萌芽があったのだろうか。そこに至る段階で、親は何をしていたのだろうか、という議論も真剣にされなければならない。
三重で、中学生が夜の11時の帰り道から姿を消した。花火の帰りとか。これもどうして中学生がそんな時間に夜道をひとりで歩いているのだろうか、という疑問がある。駅まで親が迎えに行けば問題は起こらなかったはずだ。
今の子供は、親のいうことなんか効かない、というあきらめムードにあるが、それよりも命を守ることにもっと真剣であるべきだろう。ひと昔前は、夜のひとり歩きなどはご法度だったし、女の子なら門限というのがあった。
つまり世の中は物騒だったのだ。私は名古屋で育ったが、子供の頃は東京にはアチコチに愚連隊が跳梁跋扈して、夜なんか歩けない、という話を耳にしていて、東京は怖いところと信じていた。
それがいつしか形を変えて、また世の中は物騒になってきたのだ。変質者や偏執狂、ストーカー、暴力団やチンピラ、振り込め詐欺集団などなど、そこら中に悪い奴がいっぱいいる世の中に、またなってしまったのだ。
たぶんその変化はバブルからだろう。異常な金銭感覚が人間関係も歪めてしまい人々のコミュニケーションが土台から崩れ去り、ジコチューが溢れる世の中になった。以前はいまほど警察がなんとかしてくれる、と人々は思っていなかったろう。まず自分がやるべきことを心得ていた。結局は自分は自分で守る、という最低限の自衛手段は持つべきで、それは現代も同じであろう。。
決してむつかしいことではなく、簡単にいえば、見ず知らずの人と話すな、夜は7時前には帰る、不必要なネットのSNSとは接触しない、など心構えさえあれば守ることができる。どんなところでも、自分が狙われる可能性があるのだ。こんな当たり前だったことが、とっくに親も子も念頭から忘れ去ってしまっているのだろう。
いちど身の回りから見直してみることだろう。そして犯罪を防ぐためには、匿名でもいいから、被害者の落度をしっかりと報道することではないか。そうすることによって、再発を未然に防ぎ、潜在的な被害者の心構えの参考に供することができよう。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp