団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

1週間の入院体験

2014-08-31 11:36:33 | Weblog
 この齢になると、当然身体のあちこちにガタが来る。私も病気のデパートのようなものだが、今回はまいった。うっ血性心不全になってしまった。不眠、呼吸困難、心臓の不快感に襲われ、行きつけの病院に急患で診療を受け、即入院となった。
 治療といっても、要は利尿剤を使って小便をたっぷりと出すことだ。これで心臓の負担を減らすことができる。私の場合は、レントゲンで肺の下半分が真っ白になっていた。
 午後3時に入院し、点滴の利尿剤によって、翌朝までに2000ccの小便が出た。その間、食事なし、水分も唇を濡らす程度だった。入院時66.5kgあった体重は、翌朝64.0kgまで落ちた。たぶん身体の中の余分な水分が利尿剤によって排出されたのだろう。
 症状はこれで改善されたが、トイレに行ってビーカーに小便を入れ、自分専用のビニールパックに入れることを繰り返した。入院の夜は30分置きぐらいにトイレに行った。
 2000ccになった時に、よく出たなあ、と自ら感心したものだが、ふとっ下のビニールパックを見ると、やはり2000ccの人がいた。同じような人がいるんだ、と安心した。
 次に自分のビニールパックが1000ccになった時に、その人のパックを見たら、なんとまた2000ccもあった。負けた、と思った。まあ、こんなところで競争などしても始まらないが、どこか自分が一番重篤、という自負心というものはあるものだろう。だから病気自慢が増える。
 結局、1週間で退院することになったが、私は12~13年前にも同じ病院に入院しており、今回の入院と変わったことを指摘すると、美人はあまりお目にかからなかったが、看護婦さんはきれいになった。すっきりとして職業人に徹している感がある。ただマスク多用で顔はよく分からない。
 本来は看護師と呼ばなければならないが、現場ではみんな看護婦さんである。こちらのほうがよほど親しみやすい。その看護婦さんの仕事も、分業が進みワークシェアリングも多そうだ。なにしろお昼の担当、夕方の担当、夜の担当と紹介されても覚えきれない。
 病室に出入りするのは、医師、看護婦、看護婦ヘルパー(たぶん派遣要員)、お掃除や配膳などの雑用係と多く、1週間の入院ではなにがなんだか分からない。
 さらに、電子音の合唱だ。点滴が切れたシグナル、ナースコール音、それらとは違った音などが飛び交っている。夜など慣れないと、なかなか寝つけない。
 次の変化はいいのか悪いのか分からないが、私は6人部屋だったが、昼も夜もベッド周りのカーテンはみんな閉め切りだった。だから顔も分からないし会話もできない。以前に入院した時は、日中は開けっぴろげで、それぞれベッドの上から話し合ったものだった。
 たぶん病院の指示による個人情報保護、プライバシーの尊重と他人と話したくない患者が増えたのだろう。やはり今の風潮なんだろうが、これは寂しい気がした。けっこう患者同士というのは、いろいろな情報を持っているものなのだ。
 以上が病院の変化ではあったが、1週間程度の入院というのは、あまり負担にならない。ただ慢性心不全の原因をいずれ除去しなければならない。これを思うと、うっとおしてものがある。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に隔週の日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

再びスマホを使ってみて

2014-08-22 14:38:43 | Weblog
 ガラケーからスマホに切り替えて約2ヶ月半。そろそろ使い方としては、自分なりに納得できるようになってきた。
 なにが変わったかといえば、パソコンを見る機会が少なくなった。OCNメールはウェブ上で確認して、メールソフトにダウンロードするようにしているから、スマホでもOCNのウェブサイトでチェックできる。Liveメールはメールソフトにダウンロードしないが、これもウェブサイトで開くことができる。だからパソコンを見なくても、スマホでメールを確認できるわけだ。ただ確認するだけで、スマホで面倒な返事は書かない。それはパソコンでやっている。
 当初困ったことは、グーグルのクロームをダウンロードしたのだが、ブックマークのインポートの仕方が分からなかった。まあ、いいや、と放っておいたが、以前にパソコンのブックマークの文書をスマホのマイクロSDにコピーしていたから、ある時それを開けてみたら、すべてタッチすればウェブサイトにつながるようなhtmlだった。
 そうか、これで開ければいいのだ、と分かってから、パソコンのブックマークをスマホで見られるようになった。これがもっとも大きい変化だろう。
 ダウンロードしたアプリは、最初にグーグルの日本語入力と手書きができるDioNote。DioNoteはどうにも使いづらく放っておいてある。次に名刺認識。これは役に立つアプリだったが、さほど名刺が集まっていない。次にNHKのネットラジオと民放のラジコ。あれば便利と思ったが、あまり聴かない。スケジュール管理のジョルテも便利アプリだ。
 遊びでスクリーンをロックというアプリを入れてみたが、自前のスイッチで十分だった。アンインストールしようとしているが、所定のアンインストールができないので困っている。最近、マイクロソフトのOneNoteとOfficeMobileを入れた。まだ使っていないが、役に立ちそうではある。
 もっとも使うのが音声入力検索。これはスマホでなくてもタブレットも同様な機能があるが、テレビなどを見ていて、女房とあの女優の名前なんだったっけと首をひねる時に、音声入力でその女優の出た映画などを検索すれば、たいていは分かる。
 どうして認識率が高いのだろうか、と考えると、やはりグーグルのビッグデータから、その名前や名称を検索するから、個人的な音声の差異はあまり関係ないのだろう。
 あまりにも安直なので、便利ながら、もっと自分の頭の中の記憶を探る努力をしたほうがいいのではないか、と反省している次第だ。
 電話についての不満はない。京セラのDIGNOは、ディスプレイ全体が振動して音声になるから、ディスプレイに耳を押し付けていれば、よく聴こえる。
 買ってすぐに、ウィルコムはイーモバイルとまとめてワイモバイルになってしまった。現在、2980円でスマホとPRしているが、こちらは2年間は契約で解約はできないだろう。いくら請求が来るかが問題だが、しかたがないか。
 だいたいこんな使い方をしているが、アプリなどをよく見ると、みんな仕事絡みのようだ。やっぱり仕事人間なんだなあ、と改めて思う。もっと遊びに結びつくアプリと思って、いろいろとゲームや音楽プレーヤーなどを見ているが、無料となるとどれもチャチなのである。ゆっくりと仕事から遊びへスタンスを移していこうと思っているのだが…。
 
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8月15日に思う

2014-08-15 15:11:30 | Weblog
 今日は終戦記念日である。私にとっては格別な感慨はないが、終戦という言葉には引っかかっていて、やはり敗戦記念日であろう。敗けてすぐにすり替えを行うのは、戦後の日本社会らしいが、実質的にはポツダム宣言受諾が、本来のその日になるのだろう。
 ともあれ8月になると、あれこれと戦争の話題が多くなる。多くは、その悲惨さと過ちを繰り返さないといった反省の傾向が強い。ずっとこれを繰り返して69年が経ったわけだ。
 しかし、どうも日本人の戦争観は太平洋戦争の惨禍によって、イメージが固定してしまった。あれだけの敗け方をすれば、そうなってもしかたがないが、二度とやらない、やれない、という占領軍の刷り込みもあったのだろう。
 戦争責任はとりあえずA級戦犯を作って終わり、国民も悪いのだ、というイメージを作って、戦前の暗黒史観が醸成され、自虐史観がすっかりできあがってしまった。
 だから、本気で戦争を振り返り、本当の意味での戦争の検証はなされていないのだろう。被戦闘員の大量虐殺という原爆投下で思考停止、我々が悪かった、で終わってしまった。
 しかし、どうして大東亜戦争ははじめられたのか。その責任は誰か。そして真珠湾攻撃は避けられなかったのか。ミッドウェイで敗け、連合軍の進攻がはじまった時に、和平工作はできなかったのか。その責任はどこにあるのか。
 大きな転換期は、本土空襲であろう。これが米軍で可能になった時に、どうして戦争はやめられなかったのか。もしそこでやめられれば、沖縄決戦、東京大空襲、原爆投下もなかったのだろう。あれほど悲惨な敗け方はしなかった。
 結局、日本は明治以来、敗け方を知らなかった。ずっと勝ち戦で太平洋戦争に突入した。連合軍の準備不足もあって、緒戦は勝ちに勝った。これがまた悪かった。軍部を増長させ国民を熱狂させ。後戻りができなくなってしまった。
 だから、ミッドウェイで負けた後、制空権と制海権を失ってしまった時に、どう幕引きを図るのかが見えなくなっていた。陸軍と海軍の確執、和平を言い出せば暗殺の恐れなどで、政治力が後退していった。
 確かに、いま振り返れば、不可能な和平工作だったろう。ただこれほどまでに日本が追い詰められて敗けるとは、軍人でさえ想像できなかったのではないか。
 ヨーロッパは戦争の歴史だった。だからナポレオン戦争前は、貴族と傭兵の戦争で、一般の国民は関係なかった。ナポレオンが戦争を国民戦争にしてしまったが、それでも多くの国の指導者は敗け方を知っていた。ナポレオンがあれほど勝っても、敗戦国が消失したわけではない。
 第一次大戦以降、全面戦争になってしまったが、それでも勝ったり敗けたりを繰り返し、戦争を政治の延長として捉えていた。日本はそうした経験がなくて、人類史上もっとも悲惨な敗け方をして無条件降伏になってしまった。
 もしできるのなら、太平洋戦争のさまざまな局面で、誰がどう考え行動して、その結果になったのか。その責任はどこの誰にあるのか。これを検証することによって、戦争の真の姿が見えてくるのではないか。むろん自衛隊の一部にはそうした研究機関があるのだろうが、これを国民共有の研究にして、どうして敗けたんだ、と答えられるようにならなければならない。それが科学的検証にというものだ。
 いつまでも情緒的な戦争忌避論では、決して前には進めないだろうし、集団的自衛権も無駄なものになってしまう。

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後を絶たない盗撮

2014-08-07 15:17:28 | Weblog
 盗撮事件が後を絶たない。毎日のようにある、というのは異常事態だが、そういう感覚はあまりない。やったやつが悪い、という決め付けで終わってしまっている。
 盗撮が悪いのか悪くのないのか、という議論はできないにしても、盗撮は昔でいえば出歯亀である。英語でいえば、ピーピングトムであり、まあ、覗きなのである。
 温泉場で女湯を覗いても、あまり周りは騒がなかった。見つかっても、女性がお湯をかける程度で、その場でたいていは終わっていた。
 ところが、いまや警察沙汰である。捕まるほうも、警官や自衛官、教師などの公務員が多いのも特徴であるが、多くは初犯で説諭で終わっているのだろうが、そのあとの職場で白い眼に耐えられるのかが問題である。
 どうして出歯亀の延長である盗撮が、それほど問題になるのだろうか。やはり誰もがデジカメやスマホを持っていて、いつでも撮れる状態にいることによって、魔が差してしまうのだろう。
 エスカレーターの前に、ミニスカートの若い娘がいる。昔なら、ちょっと腰をかがめて、ちらりと下着を見て、おっ、得した、という程度で済んでいたものだ。
 いまは、これをしないで、手にスマホを持って、ミニスカートの中を狙って撮影するわけだ。問題はその画像が保存されていまうことで、保存された画像はネット上に拡散もするし、本人のコレクションに加えられて残ってしまう。
 これが盗撮の重大性なのだが、むろん撮られた女性に直接的に迷惑をかけているわけではない。これが痴漢とは決定的に違うところだが、犯罪のレベルでいえば、同じように見られるようになってしまった。
 盗撮が悪いのは分かっているとしても、これほど多いというのは、男が本来持っている劣情を刺激するものがそこにあるのだろう。
 それなら、男が悪いだけでなく、劣情を煽るような格好で歩いている女性も、また非はあるのではないか、という議論は成立しよう。
 その点について言及した議論はあまり聞かない。せめてミニスカートはやめて、パンツを履けば盗撮の被害からは免れる。ジェンダーフリーの闘士の方々は、声高に叫んでもいいのではないか。それで救われる男も多いだろう。
 ただミニスカートを身につけて闊歩する女性の多くは、自らの女らしいさを誇示しているわけで、美人でスタイルもいい。ならばジェンダーフリーの敵だから、やっぱりうまく収まらないだろう。
 そもそもミニスカートの中を撮ったとしても、さほど鮮明な映像は撮れないだろうし、色気のない厚手のパンツということもある。しかし撮る時の脳が灼けるようなライブ感覚はくせになるかもしれない。
 多くの犯人は、魔が差した程度だから、すぐに認めて謝る。しかし常習者は最後までしらを切るようだ。前者と後者の違いは天地ほどの開きがある。常習者は盗撮が生きがいであり、累犯となる可能性は高い。
 どうやって盗撮をなくすか。男からも女からも真剣に考えなればならないことは確かだ。

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