この齢になると、当然身体のあちこちにガタが来る。私も病気のデパートのようなものだが、今回はまいった。うっ血性心不全になってしまった。不眠、呼吸困難、心臓の不快感に襲われ、行きつけの病院に急患で診療を受け、即入院となった。
治療といっても、要は利尿剤を使って小便をたっぷりと出すことだ。これで心臓の負担を減らすことができる。私の場合は、レントゲンで肺の下半分が真っ白になっていた。
午後3時に入院し、点滴の利尿剤によって、翌朝までに2000ccの小便が出た。その間、食事なし、水分も唇を濡らす程度だった。入院時66.5kgあった体重は、翌朝64.0kgまで落ちた。たぶん身体の中の余分な水分が利尿剤によって排出されたのだろう。
症状はこれで改善されたが、トイレに行ってビーカーに小便を入れ、自分専用のビニールパックに入れることを繰り返した。入院の夜は30分置きぐらいにトイレに行った。
2000ccになった時に、よく出たなあ、と自ら感心したものだが、ふとっ下のビニールパックを見ると、やはり2000ccの人がいた。同じような人がいるんだ、と安心した。
次に自分のビニールパックが1000ccになった時に、その人のパックを見たら、なんとまた2000ccもあった。負けた、と思った。まあ、こんなところで競争などしても始まらないが、どこか自分が一番重篤、という自負心というものはあるものだろう。だから病気自慢が増える。
結局、1週間で退院することになったが、私は12~13年前にも同じ病院に入院しており、今回の入院と変わったことを指摘すると、美人はあまりお目にかからなかったが、看護婦さんはきれいになった。すっきりとして職業人に徹している感がある。ただマスク多用で顔はよく分からない。
本来は看護師と呼ばなければならないが、現場ではみんな看護婦さんである。こちらのほうがよほど親しみやすい。その看護婦さんの仕事も、分業が進みワークシェアリングも多そうだ。なにしろお昼の担当、夕方の担当、夜の担当と紹介されても覚えきれない。
病室に出入りするのは、医師、看護婦、看護婦ヘルパー(たぶん派遣要員)、お掃除や配膳などの雑用係と多く、1週間の入院ではなにがなんだか分からない。
さらに、電子音の合唱だ。点滴が切れたシグナル、ナースコール音、それらとは違った音などが飛び交っている。夜など慣れないと、なかなか寝つけない。
次の変化はいいのか悪いのか分からないが、私は6人部屋だったが、昼も夜もベッド周りのカーテンはみんな閉め切りだった。だから顔も分からないし会話もできない。以前に入院した時は、日中は開けっぴろげで、それぞれベッドの上から話し合ったものだった。
たぶん病院の指示による個人情報保護、プライバシーの尊重と他人と話したくない患者が増えたのだろう。やはり今の風潮なんだろうが、これは寂しい気がした。けっこう患者同士というのは、いろいろな情報を持っているものなのだ。
以上が病院の変化ではあったが、1週間程度の入院というのは、あまり負担にならない。ただ慢性心不全の原因をいずれ除去しなければならない。これを思うと、うっとおしてものがある。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に隔週の日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
治療といっても、要は利尿剤を使って小便をたっぷりと出すことだ。これで心臓の負担を減らすことができる。私の場合は、レントゲンで肺の下半分が真っ白になっていた。
午後3時に入院し、点滴の利尿剤によって、翌朝までに2000ccの小便が出た。その間、食事なし、水分も唇を濡らす程度だった。入院時66.5kgあった体重は、翌朝64.0kgまで落ちた。たぶん身体の中の余分な水分が利尿剤によって排出されたのだろう。
症状はこれで改善されたが、トイレに行ってビーカーに小便を入れ、自分専用のビニールパックに入れることを繰り返した。入院の夜は30分置きぐらいにトイレに行った。
2000ccになった時に、よく出たなあ、と自ら感心したものだが、ふとっ下のビニールパックを見ると、やはり2000ccの人がいた。同じような人がいるんだ、と安心した。
次に自分のビニールパックが1000ccになった時に、その人のパックを見たら、なんとまた2000ccもあった。負けた、と思った。まあ、こんなところで競争などしても始まらないが、どこか自分が一番重篤、という自負心というものはあるものだろう。だから病気自慢が増える。
結局、1週間で退院することになったが、私は12~13年前にも同じ病院に入院しており、今回の入院と変わったことを指摘すると、美人はあまりお目にかからなかったが、看護婦さんはきれいになった。すっきりとして職業人に徹している感がある。ただマスク多用で顔はよく分からない。
本来は看護師と呼ばなければならないが、現場ではみんな看護婦さんである。こちらのほうがよほど親しみやすい。その看護婦さんの仕事も、分業が進みワークシェアリングも多そうだ。なにしろお昼の担当、夕方の担当、夜の担当と紹介されても覚えきれない。
病室に出入りするのは、医師、看護婦、看護婦ヘルパー(たぶん派遣要員)、お掃除や配膳などの雑用係と多く、1週間の入院ではなにがなんだか分からない。
さらに、電子音の合唱だ。点滴が切れたシグナル、ナースコール音、それらとは違った音などが飛び交っている。夜など慣れないと、なかなか寝つけない。
次の変化はいいのか悪いのか分からないが、私は6人部屋だったが、昼も夜もベッド周りのカーテンはみんな閉め切りだった。だから顔も分からないし会話もできない。以前に入院した時は、日中は開けっぴろげで、それぞれベッドの上から話し合ったものだった。
たぶん病院の指示による個人情報保護、プライバシーの尊重と他人と話したくない患者が増えたのだろう。やはり今の風潮なんだろうが、これは寂しい気がした。けっこう患者同士というのは、いろいろな情報を持っているものなのだ。
以上が病院の変化ではあったが、1週間程度の入院というのは、あまり負担にならない。ただ慢性心不全の原因をいずれ除去しなければならない。これを思うと、うっとおしてものがある。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に隔週の日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp