団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

日本酒はむつかしいね

2013-02-27 10:09:07 | Weblog
 更新が縁遠くなってしまっているが、なかなか書きたいことがないというより、自分なりの意見を持てなくなってしまっている。やはり書く以上は、そこに自分の意見や見方があって、読む方も納得がいくものだろう、と思う。
 そういう面から、ようやくちょっと書いてもいいかな、というテーマがあった。先日、関西の浪花酒造で大吟醸酒に、安酒を混ぜて出荷したという事件。「どうせ味は変わらない」というのが動機だそうだ。
 日本酒の詳しいことはあまり分からないけど、つまり持てはやさせる人気の日本酒であっても、本当にその酒の味が分かって嗜んでいる人が、どれくらいいるのだろうか。評判だけで呑んでいる人も多いのだろう。
 あれがいいとか、あの酒はうまい、とかいっても、たぶん毎年同じ銘柄の酒でも、気候や環境によって味は微妙に変わるものだろうし、酒が届くまでの流通過程によっても味は変わる。
 居酒屋の例を引けば、各地の珍しい日本酒の一升瓶を並べて飲ませている店があるが、酸化防止剤などの添加物が入っていなければ、栓を抜いて三ヶ月も経てば味は急速に悪くなるはずだ。それも分からず珍重していては、あまり偉そうなことはいえなくなる。飲むとすれば、四合瓶をその場で飲み干すというのが、理想的な飲み方だろう。
 わが東京都葛飾区にご当地の酒として『葛飾』がある。千葉の酒造メーカーが造っているが、3月下旬に区役所のそばの桜通りでイベントのお花見があるが、そこで売るのがその年の新酒で、これは旨い。
 純米酒で水に近い味わいだ。ところが、これを酒屋で購入して飲んでみると、味は微妙に違う。夏などはもっと悪い。だから瓶詰め後、三ヶ月程度が美味しく飲める期間ではないだろうか。
 友人がカップの菊水の本醸造酒をたまたま飲んで、初めて日本酒で旨いと思った、といっていたから、私もはじめて飲んでみた。確かに旨かったが、どうも日本酒の本来の旨さとは違っていた。つまり、日本酒もいろいろある、ということだろう。
 ワインもピンキリで、当方はなにが旨いかまずいか、さっぱり分からない。私は酒の味は分からない、と自称しているが、もし分かりたいと思う人がいれば、いろいろ飲んで自分に一番ぴったりの酒を選び出し、それを自分の旨い基準にすることではないか。その基準酒に比べて、上か下かという判断ができそうだ。
 相変わらず酔い潰れている日々であるが、いつでも酒は愉しく記憶はしっかりと思って呑んでいるつもりも、周囲からは眉をひそまれているようだ。
 
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AKB48は新撰組か

2013-02-10 09:29:28 | Weblog
 AKB48の峯岸なんとかという女の子が、スキャンダルで頭を丸坊主にしてユーチューブに身を晒す、という醜態を演じていた。
 私はAKB48というグループそのものもよく知らないし、グループを構成する女の子をひとりとしてちゃんと区別がつかない。今をときめくAKB48なのだから、もう少し興味を持ってもいいのかもしれないが、なにかのきっかけが掴めない。
 ただ私がよく歌う「スローなブギにしてくれ」の出だし部分がウォンチューで、AKB48の歌でアイウォンチューで始まる歌があることは知っている。まあ、その程度である。
 その峯岸さんの丸坊主事件で、いろいろと意見が飛び交っているが、これに体罰を結びつけて封建的とか、日本の後進性とか、世界に対して恥ずかしい、という声が多い。丸坊主になって謹慎だけならいいが、それを公にしてしまった、というところに、AKB48のつらい体質を感じる人は多いだろうな、と思う。
 結局、全国からどんぐりの背比べのような女の子を寄せ集めて、ひとつのグループとして機能させようとすれば、なにかのルールが必要なことは言うまでもない。学校の校則のようなものであろう。当然、そこにはなんらかの罰則規定があってしかるべきだ。
 そういう意味からすれば、幕末の新撰組に通じるものがある。もともと多摩の土豪侍の連中がが、京都守護職を補佐する軍事組織にまでのぼり詰めた。
 彼らのルールが士道背きまじき候であった。侍にあるまじき卑劣な行為を忌み嫌い粛清に走った。新撰組も全国から集まった浪士で、恐怖をバックにした規範を設定した。背いた者は惨殺した。それも隊士をまとめるための手段だった。
 全国から集ったさまざまな人間で構成された組織、という意味では、新撰組もAKB48も同じだ。それをひとつの形として機能させるのも同じだろう。
 むろん一定の組織は、ほとんど似たような状況なのだろうが、新撰組もAKB48も時間がない、という点で似ている。いかに短時間で先鋭で効率的な組織を作り上げ、一定の成果を上げることが求められている。
 だから粛清も過激になった。まだ殺されるよりは丸坊主のほうがいいだろうが、見せしめなら外部に出すことはない。そこに組織の中にいる人間の判断が間違ったのだろう。たぶんAKB48は、こんなにしっかりと統制をとってやっています、というメッセージなのだろうが裏目に出てしまった。
 組織というのは、いつの時代も、やや重苦しく人を縛る宿命的なものを孕んでいる。しかし自分の自己実現のために必要な組織なら、その組織をフルに利用できることが、個々の構成者が持っている優位性であろう。どう考えるかは、個々の人間に寄るのは言うまでもない。
 ところで、こんなことが起きると、ちょっとはAKB48を見たくなるものである。似たようなグループに、ももクロというのがあるそうだ。時間つぶしに見て、虜になることはないだろうな、とやや心配している。

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体罰教師もワイセツ教師も精神鑑定を

2013-02-04 09:34:34 | Weblog
 体罰の問題があちこちで起こっている。高校からこんどはオリンピックの女子柔道まで飛び火した。どんどん膿は出したほうがいいだろう、と思う。
 またネットの情報を見ていると、なんと教師や警官らの公務員のワイセツ行為が多いことか、と怒りを通り越して呆れ返ってしまう。
 どうしてこうなってしまったのか、と原因も思うのだが、どうやって対処するのか、と解決方法もまた大切な問題だ。
 鍛えたいとか、愛のムチとかいいながら、最終的には、その個人の性向に行き着くのではないか。断定はできないが、体罰教師は極端に支配の意識が強いのだろう。自分より弱い者を支配下に置き、思い通りに動かすことで快感を覚えるタイプだ。だから思い通りにならないと、暴力に走るわけだ。
 支配というのは、例えば車好きが自分の手足のように車を動かしたい、という気持ちと似ているが、それが強くなれば、他人に対する強い影響力を行使してしまう。
 ワイセツ公務員の場合は、やはり精神鑑定の要ありだろう。人権の問題も絡んでむつかしいかもしれないが、定期的に精神鑑定をすべての公務員に行なって、その可能性がある者は、監視下に置くぐらいの強い管理体制が必要だ。
 そもそも教師や警官になろう、という採用のテスト時に、そうした精神鑑定をしっかりやっておけば、ある程度は欠陥公務員の採用を抑制することができるのではないか。
 体罰教師もまた同じで、支配したい性向が異常なほど強ければ、これもまた精神鑑定が必要だ。そうしたチェックを通り抜けて問題を起こしたら、なんの躊躇もなく犯罪として告発することではないか。
 特に、体罰教師やワイセツ教師はやってしまったら、子どもたちに深い傷を残す。それを未然に防ぐことができるのか、というのが深刻な問題なのだ。
 だからこそ、精神鑑定という非常手段も必要になるのではないか。ただ精神鑑定が万全であるわけがない。それもひとつのチェックの方法で、あとは生徒や仲間の教師の評判、いろいろな評価によって、人格的な問題をある程度は把握できよう。
 いままでは、そうしたことを考慮したこともなかった。人権の壁が立ちはだかり、教職員組合などの組織が個人を守る役割をしてきたが、異常人格を摘発するのも、また組織の一方の役割でもあるだろう。ここまで弊害が多くなってしまっては、なんらかの解決方法が必要なことは論をまたない。

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