団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

天気予報外れたときはせめてお詫びのひと言を

2008-08-28 08:28:11 | Weblog
 この夏、よく天気予報が当たらない、という指摘が多い。お隣の韓国では、気象予報官の更迭問題も起きている。
 温暖化により日本が亜熱帯性の気候になり、これまで蓄積されてきたデータでは通用しなくなってきているのだろう。正確な予報が出せるまでの新しいデータは、まだ不完全で、それで天気予報が当たらなくなっている。昨日なども、雨の予報ではあったが、実際は晴れてカラッとした好天だった。ゲリラ的な集中豪雨も最近の特徴で、これもどこで降るのか、あまり当たらない。
 天気予報はあくまで予報だから、当たらないこともある。だから当たらなくてもいい、というわけではないが、一般的には当てにされている。
 それはいい。問題にしたいのは、外れたときの対応である。昔は、天気予報は気象庁が出して、それをアナウンサーが棒読みしていただけだったが、最近は気象予報士という資格を持った人が担当している。
 ならば当然、公開された気象データをもとに、自分なりの分析をして発表するわけだ。大まかな予報はあるとしても、予報士によって個別での細かい違いも出てこよう。きっと内部では、当たった当たらない、と一喜一憂していることだろう。
 それにしても、つい昨晩に「明日は午前中は雨、午後から回復するでしょう」と予報があったものが、朝からピーカンということはある。完全に外れているのである。
 その予報をいった同じ人物が、朝の番組でまた気象予報をやっている。昨晩の予報のことはまったく触れない。これでは、いくら気象予報士とはいっても、信用は低下していくだろう。
 同じ人物の場合は、それを顕著に感じるが、違う予報士ではあっても、やはり予報そのものの信憑性が揺らぐことは確かだ。
 番組であるから、個人にその責任を負わすことは無理としても、我々が知りたいのは、なぜ外れたのか、ということだ。その分析をまずやってほしい。
 気圧や雲の流れを表示し、これによって予報はこうなったが、実際の動きはこうで、それで外れた、というものだ。決してむつかしいことではない。それをすることによって、いい意味での緊張感も生まれる。
 テレビはまったくそういうことがないが、ラジオでは同じパーソナリティと気象予報士が掛け合いで報道することが多く「昨日は当たりませんでしたね」とよくからかっている。テレビでは視覚的に報道できるのだから、過去1ヶ月間ぐらいの的中率の表などを見せたらどうか。
 そして、せめて当たらなかった場合は、謝罪のひと言もほしいというものだ。ただ、そうなると晴れのち曇り、ところにより雨、なんていう予報が多くなるのはたまらないが。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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男子マラソンも壊滅

2008-08-25 15:49:29 | Weblog
 女子マラソンに続いて、男子マラソンのことも書きたい。日本で育ったケニアのワンジルがオリンピック新の記録で勝った。日本で育ったというのは、仙台育英から実業団に入って活躍したからだ。
 ワンジル選手は走り終わって「がまん」を強調していた。日本の尾方は13位、佐藤はなんと最下位だった。しかし、日本で育った選手がマラソンを制し、日本の練習方法が勝った、と溜飲を下げるのは見当違いだ。
 明らかに、日本の選手は力不足だった。完走はいい、走り終わってトラックに一例した佐藤の姿は美しい。だが、明らかに世界に通用しなかった。
 逸材がいなかった、といえばそれまでだが、やはりスタミナ以上に、スピードのある選手を育てる時代に来ている。少し前に、マラソンは1万メートルを4回走る競技、という認識が出てきたが、アフリカ勢はそれをとっくに体現している。
 結局、どんな状況であろうと、例えば夏の炎天下でも、冬の氷雨下でも、5kmを15分で駆け抜ける選手を育てなければならなくなっているのだ。
 5kmを15分のイーブンで走れば、ほぼ世界記録だ。このスピードを備えて、さらにスピードのアップダウンの揺さぶりに耐えられるスタミナをつけることだろう。
 マラソンは35kmから、というが、今回のマラソンでも実際は違うことが実証された。ワンジルの15分を切るスピードについていけなければ、勝負にすらならないのだ。ワンジルが35kmで勝負をかけたのは、いわゆる駆け引きで、ついてくる選手がいれば、もう一段のスピードアップがあったろう。だから、35kmは勝負どころという意味で、そのグループにいなければお話にならない。
 そういう事態が今後、日本人のマラソンには多く見られることになるだろう。本気で立て直す気があるなら、1万メートルのトラック選手をマラソンにどんどん起用して、スピードアップを図ることだろう。しかもどんなコンディションでも、5kmを15分で走る地力をつけさせることだ。果たして、いまの日本人男子にそれが可能なのだろうか。
 今回の女子マラソンで、野口みずきの勇姿と、福士加代子のマラソンが見たかった。大阪での初マラソンの失敗が生かせたような気がする。男子は、まあ、こんなものだろう、というのが走る前からの実感だった。
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北京オリンピックは中国になにをもたらすか

2008-08-21 14:49:42 | Weblog
 まだ途中で結論は早いとはいえ、アスリートの大会としては北京オリンピックは成功するだろう。世界記録のラッシュが続いているからだ。それにしても、中国は多民族国家なのに漢民族のオリンピックということがはっきりしたし、自国民の身びいきにはうんざりするほどの報道が続いている。
 共産党一党独裁により、多様な価値観を体験してこなかった中国人は、欧米のように近代市民社会を経験していない。価値観はただ共産党が創り出した正義しかない。それゆえに、権力のいうがままに行動している。それが国家レベルで起こっているのが中国の現実だ。
 以上を踏まえて、このオリンピックがこれからの中国になにをもたらすか、ということを考えてみたい。 
 まずオリンピックは国際大会だ。地球上のあらゆる国から地域から、多くのアスリートが集った。中国人の目の前で、勝ったり負けたりした。中国至上主義の中国人にとっては、あまり愉快なことではないが、眼前で行われている競技を認めないわけにはいかない。
 それを認めることで、一種の相対主義の認識が高まる。中国絶対であった認識が揺らぎ、外国人もやるものだ、という感覚が生じる。それによって、世界への理解が促進される。
 むろん為政者や中国共産党に毒されていない人々は、そんなことは知っている。問題は、共産党一党独裁下で純粋培養された民衆だ。そういう人たちに、世界は広い、という相対主義的な考えが浸透する機会になったのではないか。
 そこから、世界のさまざまなことに関心が向く。中国の政治はどうなのか、共産党でいいのか、独裁政権に問題はないのか、と自分たちの足下を考えるきっかけになるだろう。
 民衆のそうした認識が醸成されることによって、中国の政治になにかが起きたときに、従来とは違う対応ができる可能性が広がる。
 確かに、北京オリンピックは国威発揚大会ではあったが、以上の意味から諸刃の刃であったことも事実だ。もうひとつは、さまざまな国を招聘したことによって、中国自体の国際化が推進されることも考えられる。
 毒ギョーザ事件でも、最初から欺瞞的で独善的な主張を繰り返すだけだった。それが一転、自らの非を認めた。オリンピック前で、曖昧さを引きずることによって、諸外国の疑心暗鬼を解消したかった狙いはあるだろうが、それでも進歩ではあった。
 絶対否定から、是々非々でも問題を解決しようとする姿勢が、オリンピックを契機に生まれたと考えることができる。たぶん中国は、このオリンピックを境にして変わるかもしれない。オリンピックを経験した民衆圧力によって、共産党がどう変質していくかにかかっている。共産党以外に反対勢力がないから、民衆をなだめるために共産党がなんらかの形で分裂し、一党独裁が崩れるかもしれない。楽観的ではあるが、それが中国の民主化のはじまりになるのだろうか。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村
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あれなら高橋尚子でよかった

2008-08-17 23:33:23 | Weblog
 いやはや期待された女子マラソンは散々だった。野口は欠場、土佐礼子は棄権、中村は13位。5大会連続のメダルは夢と消えた。
 タイムは2時間26分で、さほど速いタイムではなかった。湿度は高かったものの気温はさほど高くなく、あれほどスタートから慎重になるほどのコンディションではなかった。
 勝ったトメスク選手が19km時点で飛び出して、だれもついてこなかったのに驚いたコメントをしていたが、たぶん他の選手は世界記録保持者のラドクリフ選手をマークしていたのだろう。あれでラドクリフ選手が、トメスク選手を追っていたら、結果はどうなっていたか分からない。どちらも潰れる可能性もあったろう。ところが独り旅になって、楽勝の結果となった。勝負とはいろいろな偶然が重なる。ラドクリフがいなかったら、トメスクは飛び出さず、飛び出したとしても集団になって30kmぐらいまで行ったか。
 このタイムであのレース運びなら、高橋尚子でいい勝負になっていたろう。1万mを走った渋井でも食い下がったかもしれない。
 選考に問題があったとはいわないが、ついていなかった面は否定できない。とはいえ、野口はしかたがないが、やはり過度の練習をセーブするコーチ陣がしっかり管理しなければならなかった。土佐礼子はたぶん脚に故障が発生したのだろう。それもレース前に分かっていたかもしれない。まさか欠場するわけにいかず、強行して、あの結果だったか。中村は経験不足であったろう。
 選考レースでいい成績を上げたとしても、やはりオリンピックなど大きな大会は経験がモノをいう。勝ち負けの実績あるベテランと、潜在能力を秘めた大化けする可能性のある有望な新人を組み合わせるべきだった。
 マラソンで能力のある選手は、最初からポーンと抜きん出た成績を残し、あっという間に大きな大会で勝つものだ。多くは上位入賞するが、勝てないという選手もいる。そういう選手は、そういうレベルで終わることが多いものだ。
 努力もあるが、持って生まれた肉体の能力と才能が必要であるだろう。陸連関係者にそれを見抜く目があるとしても、客観性を得るには、やはりレース選考という方法しかないことは確かだ。
 それが今回の結果となったわけだが、これからは徹底した選手のコンディションの把握は必要だろう。もうひとつは、やはり適切な補欠の準備であろう。5人程度決めておいて、直前でもっともコンディションのいい選手を起用するという手がある。
 なにかが欠けていて、今回の結果になったのだから、それがなにかを早く見つけ、また強い女子マラソンを作ってほしいものだ。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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オリンピックに意味があるとすれば

2008-08-15 13:43:51 | Weblog
 北京オリンピックのニュースの洪水だ。幸いに今までのところ、オリンピックを覆すようなニュースもなく、順調に進行している。
 そうしたニュースを見ながら、やはりオリンピックの意義はあるものだ、と感じた。それは開催地の話で、次はロンドン、そして次々回は東京などが立候補しているが、もうオリンピックの開催は先進国でやる必要はないのではないか、と思う。
 なぜなら、北京でもオリンピックのために、いろいろな設備の改善があり、インフラも整った。全体ではなく一部で付け焼刃だ、という印象があるにしても、これで中国の人々に恩恵をもたらすことは否定できない。
 東京オリンピックがそうだった。世界に対して恥をかかないために、それこそ応急措置でさまざまなものを作った。無理をして終了後は不況が来てしまったが、東京オリンピックの意義を否定する人はそうはいない。
 となれば、発展途上国にこそ、オリンピックを招致すべきではないか。むろん独裁政権ではなく、民主国家でこれから発展が見込め、オリンピック開催を機に、その国が豊かになれる潜在的なパワーを秘めている国こそふさわしい。
 オリンピック開催が決まれば、先進国はなんらかの形で援助をする仕組みを作ってもいい。競技場の建設は日本、水泳場は米国、他の施設はEU、と相応分の負担を決めて、4年後に向けての建設プランを立てる。開催国も国民が団結して成功に向け努力する。国の目標ができることも、発展途上国にとっては必要なものだ。
 技術援助にもなるから、その国の技術をアップする手立てにもなる。インフラも整備され、周辺の国にもいい影響を与えるだろう。
 そこにこそ、オリンピックの意義があるのではないか。書いていて気がついたが、日本の国体がそうだった。設備の整っていない県に援助をして、国体が開催できるようなレベルにした。最初の全国一巡まではよかったが、あとは予算を食うだけのスポーツ大会に成り下がった。当初の高邁な理想はなくなったが、その精神は正しかった。
 オリンピックもそうなるべきで、その意味から次々回の東京オリンピックなどは必要ないだろう。石原都知事も迷惑なことを考えたもので、そろそろ旗振りをやめたらどうだろうか。たぶんリオが選ばれると予想するが。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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コストとエコで社会が変わっていく

2008-08-12 08:39:48 | Weblog
 お盆の帰省ラッシュがピークを迎えている。先週の土曜日ぐらいからはじまっており、かなりばらけた民族大移動である。
 高速道路の渋滞予想が大きくずれ、意外と空いていると朝のテレビで報じていた。帰省が集中していないことと、ガソリンの高騰などで、マイカーの使用率が減っているのだろう。
 それで、高速バスの利用が増えている。場合によってはマイカーより安く、ゆっくりとくつろいで帰ることができる。またどこかのスーパーで、1台に3人以上乗って車で来店した場合は、割引券を出すというサービスを報じていた。
 エコを利用したマーケティングではあるが、こうしたところから徐々に世の中が変わっていくように思う。
 マイカーが当たり前で、どこに行くにもマイカーの時代が続いた。ガソリン高騰と環境問題によって、それに疑問が呈せられた。生活コストの問題もあって、そこに一定の反省が生じた。
 今年の夏の帰省もそうだし、スーパーの割引もそうなのだ。たぶん、こうした生活の変化がじわりじわりと浸透していこう。気がついたときには、あの時代はああだった、と振り返ることになるのだろう。
 ある意味、生活を見直す追い風にもなっている。地方に例をとれば、どこに行くにも車しか交通手段はなく、車での移動が常態化している。公共交通が不足しているから当たり前、とだれもが信じている。しかし、これからもそれでいいのか、という問題はある。
 自治体もそれに甘んじている。環境問題という錦の御旗があるときにこそ、いろいろな形で公共交通を復活させる知恵を絞ってみるべきだろう。マイカーにかけるコストを、消費者が納得できる形で、公共交通に振り向けることも可能かもしれない。地域におけるマイカー使用を少しでも減らす、という意識の高まりが必要だ。
 車が減れば、都内の幹線道路にチンチン電車が復活してもおかしくはない。また物流はトラック輸送が主力になっているが、鉄道輸送の見直しも本格化してきている。これも環境とコストから要求された結果だ。 以上のようにもエネルギー多消費のこれまでの社会が、チェックされ見直され、新しい省エネ社会へと本気で動き始めている。たぶん時間はかかるものの、これが身近な変革というものだろう。
 と同時に、自分の身の回りも、コストと環境の配慮をして、生活を変えるチャンスでもある。無駄な灯りは消す、エアコンの使用は極力減らす、冷蔵庫の開閉は最小限度にする、多少の距離は歩く、などいくらでもチェックすることはある。
 それで、省エネになったところで、コスト的にはあまり変わらないかもしれないが、生活を律するということが大切なことはいうまでもない。そうしていればたぶん、ボケることはない。
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オリンピック開幕日に戦争突入

2008-08-09 08:31:18 | Weblog
 北京オリンピックが開幕した。中国らしくけばけばしく仰々しいオープンだった。日本のマスコミははしゃぎすぎで、莫大な放映料の元を取ろう、という気で微に入り細にわたり報道している。オリンピックのニュースは、日本人選手の活躍とメダルが決まる種目程度を放送してくれればいい。あとはうるさいだけだ。
 開幕のその日、ロンドン、パリ、ニューデーリーでチベットの人権抑圧に抗議するデモが起こった。決してオリンピックの美名のもとに忘れ去られていいことではない。
 もうひとつは、ロシアとグルジアが交戦状態に入ったことを伝えている。南オセチア自治州の独立をめぐって、とうとう戦争状態に突入した。
 民族独立の戦争ではあるが、グルジアにアメリカ、南オセチアにロシアがそれぞれ支援しており、泥沼化する可能性と、他の地域へ飛び火することもあり得る。
 ソ連が崩壊した後、その支配下にあった国々が独立したが、まだ真の民族独立に至っていない地域があまたある。中国もウイグル族やチベット族が独立を目指している。20世紀の戦争を経て、大国の論理から脱却して多くの国や地域が独立したが、まだその流れから洩れた民族や地域がある。そうした国が、これから紛争の火種になるのだろう。
 期せずして、その戦争勃発がオリンピックの開幕日になったことは偶然ではない。
 なぜなら、オリンピック自体が一種の戦争の代替行為だからだ。古代、ギリシアの都市国家がスポーツで覇を競った。そのスポーツとは、武芸であり、肉体の誇示であった。
 どうだ、こんな立派で強そうな肉体を持っているのだ、俺たちに戦争なんかしかけても勝てやしない、という示威行為であった。
 つまり、オリンピックは戦争と裏返しのイベントだったのだ。近代オリンピックはまた違う意味を持たせた。世界平和のシンボルとなったが、実際は莫大な金が動き、戦争の代替行為として各国がスポーツで競うことになった。
 勝てば英雄、負ければただの人になってしまう国もあり、生きるか死ぬかの争いでもある。それを浮かれて能天気に放送する日本のマスコミの姿勢はいかがなものか、と思う。本当に必要なのか、という論議もまたなされなければならない。
 唯一、国際オリンピック委員会に決めてほしいことは、人権抑圧のある国にオリンピック開催は認めないことだ。この取り決めがあったら、北京オリンピックはなかった。
 この暑い夏に、ちょっと醒めた眼でオリンピックを観戦したいものだ。
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新しい音声入力ソフトを買った

2008-08-05 08:29:47 | Weblog
 新しい音声入力ソフトを買った。名前は「アミボイスEs2008」
 現在、ウィンドウズXPの環境下で、ドラゴンスピーチを使っている。これはすでに市販されておらず、販売会社も変わり、名称も違い価格も高くなっている。
 別にこれが使いづらいわけではなく、Vistaパソコンを使うようになって、それに対応している新しい音声入力ソフトが欲しいな、と思っていたところだった。
 私の使っているドラゴンスピーチは、すでに4年ぐらい使い込み、お世話になっている。それでも学習機能が弱く、同じ言葉が同じように誤って変換されるケースが多い。アルファベットや漢数字などは、いちいちキーボード入力したほうが速いぐらいだった。それでも、キーボートで入力するよりは、よほど速く疲れないメリットがあった。
 仕事でVistaパソコンがメインになって、XPで音声入力した文章をVistaに移す作業が面倒で、このドラゴンスピーチとOUTLOOKのデータをXPに頼っていた。すべての作業がVistaでできれば能率はアップする。OUTLOOKは辛抱するとして、問題は音声入力ソフトだった。
 それで、アミボイスを購入した。さて、そのセールスポイントの「事前に声の登録が一切いらない」に惹かれた。ドラゴンスピーチはその作業が必須で、マイクを替えても、またそのマイクを使って登録しなければならなかった。
 ところが、こちらは必要ないという。いきなり音声入力が可能だ。買う前に、眉唾くさいな、と思ったが、実際にやってみたら、まあまあの認識率で文章化していく。単語登録しなくてもペンタックスやキヤノンの文字も現れた。これは使える、と思ってやってみたが、そうは甘くなかった。
 やはり業界用語は無理だし、ある程度の変換が進むと、そのデータを登録する必要も生じる。それでも当初のドラゴンスピーチよりは、よっぽど使いやすいことは事実だった。
 それに、ソフトそのものが軽い気がする。さくさくと変換してくれる。単語登録などをきちんとして、もう少し使い込めば、かなり使えるソフトになりそうだ。マイクはやや高性能の市販マイクを使い、それで十分だ。
 インストール時に、特定のウイルスソフトでアラームが出て、正常にインストールできず、サポートの世話になった。それでクリア。電話したらいきなり、そのウイルスソフトの名を向こうが上げたから、そうしたトラブルが多くあったのだろう。
 IC レコーダーからもデータを、コピー&ペーストすれば変換する、と書かれてあるが、これは期待しないほうがいい。ICレコーダーのマイクから5cm話して入力、モノラルPCM録音で、周波数などの制約がある。そんな状況でレコーダー入力するのは無理だろう。他のソフトもできる、と謳っているものが多いが、ほとんど役には立たないはずだ。
 価格は1万8000円ちょっと。ビックカメラで買ったから10%近いポイントがついた。文章を多筆する仕事の人は、決して高い買い物ではないと思う。ご参考までに報告を。
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盆踊りに参加者意識を高めて

2008-08-03 07:49:35 | Weblog
 夏休みに入り、うちの近所では土日に盆踊りが盛んだ。自治会単位で、小規模のものから太鼓などの鳴り物入りで大やぐらも建ったお祭り気分の大規模な納涼祭といったものまで、あちこちで実施している。
 最近は、盆踊りはするのだが、やぐらの周りになかなか人が巡らなくなった。見物人は集まるが、踊る人が少なく、あまり盛り上がらない。昔は十重二重に人垣ができて、それこそ夏の一大イベントだった。
 それでも、ずっと続いている日本の夏の風物詩である。大切にしなければならないが、昨夜の土曜日に見た公園の盆踊りでは、夕方の早い時刻に小さな子どもと母親や祖父母が一緒になって、大きな輪を作って踊っていた。
 きっと、近所の幼稚園や保育園に声をかけて、子どもたちでも踊れる踊りを教えたのだろう。それをこの盆踊りの日に発表する仕掛けか。
 にぎやかで、みんな楽しそうだった。暗くなれば、本式の盆踊りに移行するのだろう。昨年より規模が大きくなっているようだった。
 関係者が参加人数を増やすために、知恵を絞った結果だったのではないだろうか。やはり開く以上は、そのコミュニティになんらかの意味が残らなければならない。力を合わせてイベントを成功させることで、今年もやってよかった、という関係者の達成感と参加者の満足が得られる。
 ただ従来どおりの形でやるのではなく、毎年いろいろな知恵を出し合い、それをちゃんと実行することで、時代に合った盆踊りに変わっていくものだ。
 それをもうちょっと広げて、より多くの人の参加意識をもっと高めることができないだろうか。ひとつのイベントを行うことは、それはさまざまな雑務が発生する。すべて担当者がかぶるのではなく、それに関わる人を少しでも増やし、コミュニティに関与するきっかけを作ることだ。
 例えば、独身の若い男女、外国人、孤独な高齢者にも声をかけて、その輪を広げ、できればみんなが少しずつ分担して、ひとつのイベントを遂行する。
 そうすることで、きっと他人事だったイベントが身近なものに感じられ、当事者意識が高まるのではないか。地域の中で触れ合いもできる。
 みんなか無関心で、ほったらかしだったのが、いまの凄惨な事件を生んでいるような気がする。コミュニティが意識を持って取り組むことで、また違った意味を持ち得るものだ。
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