団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

地球の温度は10年間不変

2009-11-30 15:26:44 | Weblog
 新聞に温暖化の目を見張る記事があった。米科学誌「サイエンス」の最新号に、1999年から2008年の世界の平均気温の上昇は、0.07度±0.07度で、実質的な変動は0.00度であったというのだ。
 世界のあちこちで温暖化現象は起きているが、また変わっていない地域もあり、二酸化炭素は実質的に増えているのに、単純に温暖化と結びついてない、という結論だ。
 一部に嵐の前の静けさ、という意見もあるが、10年のスパンで考えると、やはりさほど変化していない、と考えるべきだろう。
 これが正しいのかどうかは別として、人間の活動による温暖化ガスの排出は、やはり低減されなければならないし、エネルギーも炭素燃料からクリーンなものに転換していくのが、人類の責務ではあるだろう。
 ただ、こうした記事があまり注目されないことは問題にしなければならない。社会が温暖化を常識として、それに沿ったさまざまな施策や対応策などを正義する傾向がある。温暖化対策に反することは敵だ、という論理だ。
 そうすると、だれも敵にはなりたくないから、みんな迎合していく。ある時、温暖化対策の利権が莫大に膨れ上がっていることに気がつく。なんとなく想像がつくことだ。
 現に事業仕分けでも、温暖化対策費などはあまり俎上に上らなかったようだ。省エネ・エコロジーもまたそうだ。
 省エネをするために、反対に多大な費用をかけるのは本来の趣旨から反する。太陽発電だって、そのための生産材は決して省エネではない。
 生活においては、なにかが壊れるまで使う、壊れたら直す、捨てない、というのが最大のエコロジーなのだが、ランニングコストが安い、といって、使えるものまで買い換えてしまう。本来は後ろめたいものだが、エコロジーという大義名分がある。
 確かに、温暖化・エコロジーで我々がやらなければならないことはある。しかし師走になって、派手なイルミネーションを見ると、みんなどうでもいいと思っているのだろう。意外と、そんな市民感覚がまともなのかもしれない。
 やはり、温暖化もエコロジーも、極端に走らないことだ。かつてはイデオロギーで社会が揺れ動いた。しかし温暖化もエコロジーも、それを正義とすれば、またイデオロギーと化す怖さはある。環境税や煙草の増税がそうだ。政治や社会が、そこに落ち込んでいくことを警戒しなければならない。

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高校中退をなぜ救済するか

2009-11-26 14:00:35 | Weblog
 貧困などの理由により、高校中退をなんとかしよう、と弁護士らが立ち上がっていることをテレビが報道していた。
 学資がなくて学業が続けられない、という例はあるが、その多くは奨学金が助けていた。しかし、そうした例でないなら、授業料の安い公立高校に編入すればいいではないか、と思った。 
 この報道では触れなかったが、それができないから問題になっているらしく、公立校に入れる学力がないわけだ。
 それなら、しようがないじゃないか、というのが、これまでの社会的な常識。ところが、それをなんとかしよう、というわけだから、ここにも甘えの構造がある。
 学校に行けなくて可哀想、という感情論と学校に行けない社会が悪い、といういびつな正義の論理だ。だったら、さっさと働け、というのが、これまたこれまでの常識。
 就職口がない、という指摘はあるが、あの殺人犯の市橋は1年間働いて100万円稼いだ。働こうと思えば、あるもので、選り好みをしていては前へは進めない。
 働きながら、自分の人生を見つめ、必要なら夜間高校や大検をめざすもよく、職業訓練校に行く手もあるだろう。
 人の生き方にはもっと多様性があるはずだ。みんな高校、みんな大学、あげくが3年になるかならないかで就活だ。そんなパターンから脱していくのが、21世紀型の生き方ではないか。
 ところが親にとっては、働くよりは体裁がよく、とにかく高卒になって、という人並みの願望から来ている。学校も、こうした生徒に大過なく高校生活を送らせ、無事に卒業証書を渡すことが一定の私立校の役割になっているのだろう。勉強は問題外なのである。
 もともと高校にも入れない生徒を入れることが間違っている。高校だって勉強する場だ。そんな生徒は学校がつまらなくなり、学校へも行かなくなり、悪くなるかニートか、フリーターかに落ちていくところは決まっている。
 それなら、学校以外の道筋を周りが考え、手に職をつける、というのがこれまでのまた常識であった。働き稼ぐことも面白いのである。
 高校全入というバカなことをいっている政党もあるが、義務教育は中学まででけっこう。若くても勉強よりは仕事を選ぶことの自由度を向上させ、柔軟に生きることができる環境を作るのが、政治の役目だ。

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NHKにはアタマに来た

2009-11-23 18:35:39 | Weblog
 母親が痴呆症になり、転居したことは報告した。その後始末で、住まいを片付け各種手続きを行った。
 水道、ガス、電気、電話みんなスムースだった。ところがNHKで引っかかった。放っておけば、受信料が引き落とされるから、早めに解約をしなければならない。
 電話をしてコールセンターの女性に伝えた。型通り、こちらの住所、本人との関係などを説明したあと、解約の理由を聞かれた。
「施設に入りました」「どこの施設ですか」と聞かれ、なにか変だなと感じた。「施設の住所をおっしゃってください」「いま手元にありません」
「それでは困りますが」「施設だけでなく、妹のうちと行ったり来たりのグループホームです」「施設には1週間のうち何日ぐらい」と聞かれ、ここで切れた。
「なんでNHKにそんな説明をする必要があるのか」「規則です、訊ねるようになっていて」「そんな規則があるのか、プライバシー侵害ではないか」「規則で、それで妹さんのご住所を」「分かった」と答え、住所を教えた。
「では、あとで営業の者が施設の住所を聞くと思いますので」「施設はないことにして、妹のうちにいるように訂正してほしい」といったら、規則で削除できないという。「ちょっと待て、そんなばかなことがあるか」と声を荒げた。「規則です」と答えるばかりだ。
「じゃあ、営業といまとまた同じやりとりをするのか」「はい、そうなると思います」「だったら、なんであんたに長々と説明する必要があるのか、最初から営業に振ればいいじゃないか」「はい、規則ですから。いつご在宅ですか」「分かった、電話をしてきて、いたら出るよ、ただしいま説明したことを営業に伝えておいてくれ、同じことはしゃべりませんから、ガチャン」
 と電話を切った。コールセンターの女性は規則、規則と繰り返すばかりだ。どうしてそんな規則を作っているのか理由を説明しない。施設に入った親が、そこに何日いようがいまいがNHKには関係ないだろう。
 もっとも真面目に伝えているからこういうことになるので、本人死亡にすれば良かったか。いや、死亡証明を送れ、となるに違いない。
 結局、NHKはいちど受信料契約したら、目をつけた女を逃がさないやくざのようにどこまでも追いかけてくるのか。個人情報にまで踏み込んで、皆さまのNHKもないものだ。どんな立派な番組を作っていても、末端がこれでは受信料なんか払いたくなくなるわけだ。うちも不払いにするか。
 
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母親の認知症について

2009-11-17 11:23:25 | Weblog
 やや深刻な話を報告することになるが、母親が認知症(なにが認知か分からないが痴呆症である)になり、その症状が進み、この3ヶ月ぐらいは振り回されていた。
  いきなり電話がかかってくる。たいてい電話はいきなりだが、貯金通帳も印鑑もカードもなくなった、どうしたらいい、と電話口で泣く。ある時は捨ててしまった、ともいう。
 まだ痴呆症の実態が分からないから、慌てて行く。片道1時間ぐらいかかるから、仕事は中断する。行くと、本人はどうしたらいい、分からない、と途方に暮れている。
 こちらもどうしようもないから、通帳などの再発行手続きなどを行ったが、実際はなくなっておらず、盗られることを恐れる余り、どこかに仕舞い忘れていた。それが分かったのは最近のことで、ないないといっていた現金が絨毯の下から見つかったこともあった。
 この仕舞い忘れが痴呆症の特徴で、なくなったとか、捨ててしまった、というのも、過去のショッキングな記憶がよみがえって、騒ぎ出すようだ。ただ日常の生活はまだできていて、買い物や料理、風呂などはOKだったが、精神が高じてくると、そうしたことも手がつかくなってきた。
 役所や隣近所の人たちも、ひとりでの生活に限界を感じて、介護申請を行った。それがこちらに報告がきて、頻繁に訪れるようになった。
 結局、遠方の親戚がケアマネージャーをやっており、そこの施設に入居することになった。ただ要介護1以上が入居資格で、申請が降りるまで約1ヶ月待って旅立った。
 ある意味、そうした親戚がいて、我々は身軽になったが、もしいなければ、どこかの施設が空くまで、うちで面倒をみることにもなった。
 母親の症例をいえば、かなり前から同じことを繰り返しいうようになっていた。そして、ふつうの会話はしているように見えるが、ほとんど頭に入っていない。新しい記憶の刷り込みがほとんどできなくなってきていた。過去の記憶とも交錯して、うんうんと頷いているが分かっていなかった。
 財布がない、という。バッグの中にある、と答える。1分も経たないうちに、また財布がない、その繰り返しになった。旅立つ1ヶ月ぐらい前、とにかくしたことをすべてメモにしてくれ、となんども頼んだ。そして、あちこちにメモを貼った。なんども見ることによって、ようやく頭に入るようになったし、大切なものは預かって安心させた。
 たぶん、これからも進行していくことだろう。どうしてこうなっちゃったの、となんども聞かれた。答えようのない問いだったが、病気になったの、と諭すようにいった。なんども同じ問いが繰り返された。いずれ自分でなくなっていくのか、と思うと、老いることの無惨さに思いがいく。たぶん、我々も避けられない道なのだろう。

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たばこの問題あれこれ

2009-11-09 19:24:59 | Weblog
 たばこの増税が急浮上している。今朝のNHKの政治討論番組でも取り上げていたが、現在300円のたばこの税金は約175円という。つまり半分以上の煙が税金である。喫煙者は高額とはいえないまでも、高率の立派な納税者であるが、どこか肩身が狭い。
 というのも、健康に悪い、というおまけがつき、将来の高額医療の対象者になりやすい可能性があるからだ。
 しかし、みんな昔からたばこを喫っていて、たばこによって急激に肺ガンが増えているような兆候はなさそうで、いまさらやめたからといって、もう肺はたばこに汚染されている。
 と考えれば、健康に悪い、というより、周囲のたばこを喫わない人間によるたばこ悪玉論がイメージを作り、みんなその風潮に洗脳されたしまったからだ。
 要するに、たばこの被害は程度の問題をいうべきで、全面否定というのは大人気ないのではないか。もしそれほど健康に悪いなら、即刻たばこの販売をやめるべきだ。やめられないなら、悪玉論を引っ込め、税収があることのありがたさを国民に説いてもいいだろう。
 カフェでたばこの煙が流れて、よく手で振り払っている健康大事の禁煙家がいるが、煙いことは分かるが、顔をしかめ正義面をしているのを見ると、お人好しだなあ、と思う。たばこどころではなく、街にはいまウイルスや排気ガスや二酸化炭素が充満し、たばこの煙などはさほどの被害ではないのである。
 健康被害のことをいえば、紙巻たばこの害なのであって、喫いやすい形を作ったものだから、1日に数箱も喫うことになった。日本のキセル、水たばこ、パイプ、葉巻を復活すれば、そんなに喫えなくなる。
 うちに戻って、本当にリラックスして一服する愉しみが増える。本来、たばこを喫うことは儀式であり、日常的にスパスパ喫うものではなかったと思う。ヨーロッパでは依然として禁煙ゾーンなどはあまりなく、喫い放題とか。
 税金に戻るが、増税しても喫わない人が多くなるから、反対に減収になるという。酒もセットにして考えられているが、この辺で大衆課税についての理念を打ち出すべきだろう。
 半分以上が税金、というのは国民の考えではなく為政者の都合が優先している気がする。国民の判断としては、やはり50%以下というのが許せる範囲だろう。酒もそうで、そうしたひとつの課税の哲学を論議する時期に来ている。
 ちなみに私は禁煙中で、70歳になったら、ゆっくりとパイプをくゆらせたい。それまでたばこがなくならないでほしい。たばこはやはりおいしいのである。

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女はなぜ殺人に走ったのか

2009-11-05 08:46:49 | Weblog
 いまもっとも週刊誌を賑わしているのが、34歳の結婚詐欺の女。殺人の可能性もあり警察は鋭意、捜査中で、いずれははっきりすることだろう。
 こうした事件を思うに、人は基本的にはお人好しで、悪意を持って近づく人間をあまり疑わないことだ。特に日本人はその典型で、豊田商事事件でも、お金が目当てであることは分かっていても、親切にされたから、と相手のいいようにされてしまった。
 もうひとつは、孤独な人間が多いということだ。孤独の心の隙に入り込み、コントロールしようとすれば、思いのままという面がある。
 実際、ひとりでいるとなにかがあっても相談できない。もし、周辺に相談相手がいれば、冷静なアドバイスもしていたろう。「そんな大金出したのか、そりゃあ、詐欺だ」というに決まっている。
 そう言われたくないから、相談もしなくなる。ますます女に入れ込んでいく、という悪循環に陥ってしまう。
 ひとりの結婚願望の男がいて、ある場所で知り合い、その女がさほど美人でなくても、いい女を演出し、男の心をとろけさせるような言動をすれば、男はイチコロだ。自分に惚れた、とも思い上がる。
 そして、なんらかの形で金品をせびり出す。ここでお金がなければ、ポイと捨てられる。まあ、2~3回デートしていい目に合っていれば、元がとれる、というものだが、頭に血がのぼっていれば、女のいいようにお金を出す。
 たいてい女のいっていることは嘘だから、いずれ周辺からいなくなっても捜すことすらできない。ようやく騙されたと気が付く始末だ。なにかを要求された時点で、警戒するのが真っ当な大人だが、恋愛は別かもしれない。
 今回の事件の場合、終局は殺人になってしまっている。女の冷血さにゾッとするが、お金を巻き上げて終わっていれば、なんとなくユーモアさえ感じられる事件だ。女の狡猾さと男のバカさの対比が面白いが、そうはいかなかった。
 女を殺人に駆り立てたものはなんだったろう。金だけ持って逃げれば逃げられたはずだ。あるいは、まだ表面化していないが、裏に男がいるのだろうか。そのほうが救われる気がする。
 女ひとりが、どうして冷酷な殺人者に変貌したのか。この事件の核心はそんなところにありそうだ。
 
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