団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

禁煙論議のアホらしさ

2018-02-01 12:50:32 | Weblog
 飲み屋やレストランの広さによって、禁煙にするのしないのとかまびすしい。なんで政治がそこまで介入するのか訳が分からない。
 煙草は健康に悪い。だから受動喫煙を避けるための法律を作ろう、という魂胆だが、もうひとつはオリンピックでの見栄。世界から注目されている中で、煙草に無神経な国と思われたくないわけだ。
 確かに煙草は健康に悪い、というのは理解しているが、本当にそうなら煙草の販売を止めるべきだろう。禁酒法ならぬ禁煙法の成立だ。とはいえ煙草を喫う人がこれだけ減っているのに、肺がんの患者は増えている。高齢化とも関係するが、この因果関係は説明されていない。
 以上、真面目に書いてきたが、煙草の論議はちゃんちゃらおかしい。店は自分の判断で、どう禁煙と喫煙を分けるか考えればいい。
 消費者は、それを選べばいいだけの話である。煙草が嫌なら、禁煙店に行けばいいし、酒飲みながら煙草を喫いたかったら、喫煙店に入ればいい。
 要は、自己責任で自由に選べるマーケットが本来である。それを横からあれこれという筋合いのものではない。ましてや、家庭の中にまで介入しようとしている。
 煙草憎し、という正義の御旗を掲げた一群の人がいるのだろう。選択の自由さえも剥奪して、正義を実現しようとする。全体主義の考え方だ。
 煙草に関していえば、ほっとけばいい。人が集まる店は、店が考えればいいことだ。客筋を読み違えれば自分の責任、フィットすれば混み合うこともある。
 最近の煙草呑みは、マナーが良くなってきた。高い税金も払っている。この辺でこうした無駄な議論は打ち止めにしてもらいたいものだ。
 まったくお節介な国になったものである。次はギャンブル依存症あれこれとうるさくなろう。ギャンブルなんか公営でやっているのだから、今さらの感もある。この論議もまったく分からない。我々としては、正義を振りかざし何かを声高に叫ぶ議論は、警戒したほうがいい。きっと利権か思惑が絡んでいるからだ。そういうことが多くなってきた。大人の社会になろうではないか。

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