団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

女優の顔がみんな一緒に見えてしまう

2008-07-31 08:08:59 | Weblog
 地上波デジタルに2011年に切り替わるが、それより先にCATVに契約しているわが家は、アナログからデジタル放送に切替えた。
 以前からCSは見ることができたが、BSの民放放送もこれによって見ることができた。BSの多くの番組は再放送が多い。わが家でよく見る2時間サスペンスも再放送ばかりだが、それがけっこう古く20年前のものもある。
 内容はほとんど覚えていないから、けっこう楽しめる。それにしても、20~15年前と現在を比べると、変わったものが多い。
 女房が気がついたのは、女性のコートの肩パット。この頃はみんなコートの肩が盛り上がっていた。いまは肩パットは入れない。それで時代が分かるが、もうひとつは女性の化粧法。
 この頃に出演している女優は、あまり顔を作っていなかった。眉は自分の眉だし、唇もそんなに輪郭をはっきり書かなかった。どちらかといえば、化粧が濃くなく地顔に近かった。
 ここ20年近くテレビから遠ざかっていた女優が復帰したが、その顔をみて「整形かしら」と女房がいった。整形ではなく、化粧がまったく当時と変わり、顔の印象が一変している。
 最近の化粧は、つるりとした美白の肌に、吊り上ったような眉の形、大きくぱっちりと見える眼、鼻筋が通り、くっきりとした唇の形、細い顎、というひとつのパターンが見える。そして、同じような髪型をしている。
 花椿のシャンプーのテレビコマーシャルに出てくる女優の顔がこのパターンで、ちょっと見では区別がつかない。これは典型だが、最近のテレビに出てくるタレントや女優の顔の区別が、ほんとうにできなくなってきた。
 こちらの加齢による観察眼の衰えがあることは否定しないが、最近の2時間サスペンスでも、ぼんやり見ていると、女性が被害者の場合、誰が殺されたのかも分からない。刑事と同じ顔をしているケースもある。
 流行といってしまえばそれまでだが、整形美人が結局、同じような顔になってしまうのは、美人の原型があって、それにしたがってパーツを整えるから、似たような顔になってしまう。化粧も同じで、パーツごとを美人のそれに当てはめていけば、結局同じ顔になる。
 これも流行で、それが去れば、また違った美人の顔が生み出され、みんなまた似たような顔になるのだろう。できれば、もっと個性を大切にする顔にしてほしい。その方が、2時間サスペンスを安心して観ることができるからだ。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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日本人はなぜ領土問題に鈍感か

2008-07-28 07:36:21 | Weblog
 竹島の領土問題が急に騒がしくなった。韓国の大騒ぎに比べ、日本は冷静そのものだ。韓国は独島(日本名・竹島)が固有の領土、とずっと子どもの時から教育してきた。だから、自分たちの領土と信じており、それが侵されたら反発する。
 日本はほとんど領土についての教育を意識して行ってこなかった。なぜかは、領土問題が昭和前期と結びつくからだ。帝国主義によって植民地を作り領土を拡張した。当時の先進国の後追いをしたわけだが、敗戦後、その帝国主義と領土拡張がセットになり、領土という言葉そのものがタブーとなったわけだ。
 もともと日本は島国で、ふつうの生活の中で一般の人は領土を意識することはない。ただ漁業関係者、墓参団などは隣り合わせで生きているが、あまりにその意識の差は大きい。
 しかも前述のセットがあるから、ふだんうるさい左系のメディアが領土に限っていえば、沈黙することが多い。相手がロシアや中国、韓国というのもよくない。つまり日本帝国主義の犠牲者だ。そうした理由で、領土問題は盛り上がらないと思う。
 しかし、黙っていれば既成事実を作り、いずれは竹島、対馬、尖閣諸島、北方四島、南樺太(日本は放棄したが法的根拠のないロシアの占有が戦後続いている)など、すべて相手の言いなりになってしまう可能性が高い。
 そうなっていい訳はない。イギリスは日本と似た島国であるが、中世にはフランスに領土を持っていた。その争奪戦が戦争を引き起こしている。サッチャー政権時にフォークランド紛争が起こり、領土に対する執念を見せた。
 イギリスとなんたる違いかと思う。日本の領土としている場所が、なんらかの形で主権が侵されるようなことがあれば、速やかな対処が求められる。相手に小さな既成事実を作らせない確固たる姿勢を示すことだ。
 その上で、国際社会に訴え日本の主張をアピールする。領土問題は一世代の問題ではない。日本という国が続く限り、そこに住むすべての国民の問題で、数世代にわたる国民的な課題なのだ。それを知っているから韓国は、独島についての教育を行っている。
 国民の意識が低いから、といっておろそかにできる問題ではない。一面、拉致問題にも似ている。相手の顔色ばかりうかがう政府、役人は、もう退場を願うしかないだろう。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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1000円タバコ論議の不毛

2008-07-26 08:59:26 | Weblog
 1000円タバコがなにやら現実味を帯びてきた。私はすでに禁煙してして久しいが、いまでもタバコを喫いたいと思う。他人が喫っているのを見ても、なんとも思わないが、脳裡にタバコのことを思い浮かべると、肺の辺りがうずくような気がする。きっとタバコが身体に合っているのだろう。
 タバコについての論議は、基本的に二元論に分けられる。喫う人間と喫わない人間との平行線だ。喫わない人は、タバコを忌み嫌う。そこを発想点にするから、冷静な論議にならない。
 喫う人間の多くは、本当はやめたいと思っている。周りの人間にすまない、とも思っており、後ろめたい。その気持ちによって、やはり本気の論議に乗りづらい。
 正義は喫わない人間にあり、結局は喫わない人間の思いのままになってしまう。タスポもそうだろう。だから、喫煙する人間は、どんどん肩身の狭いところに追い込まれていく。
 1000円タバコなどは論外で、取りやすいところから取る安易な増税対策にすぎず、フェアではない。また間接喫煙の害は、たいしたことはない、との学説が定着しつつあり、喫う人間もちょっと胸を撫で下ろしている。
 私はタバコの問題は、あくまで個人の自由に属することだと思っている。だからタバコによって不健康になろうが知ったことではない。いまの社会は健康にいいことに敏感すぎ、反対に健康に悪いことに過剰反応しすぎだ。
 確かに不健康で、医療費を過剰に使うことはよくないことだが、反対に不健康なら早死にして財政は助かるわけだ。
 むろん、そんな心配を一般人がする必要はない。値上げで悲鳴、といっているのに、多くの人の買い物かごをみると、お茶やミネラルウォーターのペットボトルが入っている。無駄でしかない。
 水は水道水で十分で、うまいまずいで判断が分かれるだけだ。健康を心配するなら、よほどペットボトルの方が怖い。開栓して3~4日すれば雑菌が増殖する。お茶は麦茶を作っておけば足りる。
 タバコから話がそれたが、タバコが便利な紙巻になって堕落した。いつでもどこでも喫えるようになって、喫いすぎるようになった。実際は紙巻タバコの歴史は浅く、日本なら煙管の刻みタバコ、ヨーロッパならパイプが主流で、どちらもいつでもどこでも喫えるわけでもなく、それなりのマナーがあって、害を問う理由もなかった。
 便利さだけの紙巻偏重により、結局タバコは自分の首を絞める結果になった。私は70歳を過ぎたら、パイプをやろうと思っている。かつて火をつけて1時間ぐらいはくゆらすことができたが、また初歩から始めなければならない。いまからそれが楽しみだが、そのときになってパイプタバコを売っているのかが心配だ。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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みんな刑務所に入りたいのか

2008-07-24 08:53:50 | Weblog
 また無残な通り魔事件が起きた。犯人は33歳にもなって子どものような供述をしている。呆れるほかはないが、それにしてもこうも頻発するというのは、どういうことだろう。
 どこかの評論家がいいそうなことを書いてもしかたがないが、最近の能力主義、成果主義の偏重がその背景にありそうな気がする。
 日本人は農耕民族で、神代の昔から号令一下、村落の中で同じ行動をとってきた。田植えや刈り入れの時期に、みんなが共同作業をして暮らしてきた。村の中の一員としていれば、あまり考えることを必要とせず飢えもしなかった。
 ところが欧米社会は遊牧や狩猟、農業の混成社会で、それぞれの才覚が要求され、判断を誤れば飢え、そして死につながった。その上に資本主義が形成され結果、能力が問われる経済社会になっていった。
 この差は現在でも歴然とあり、その究極が市場原理主義となって現れている。それを農耕型の日本社会に持ち込んだ。
 すべての人間に成功する能力があるわけではない。年功序列で組織の中で流れに乗って仕事をしていればいい、という人が大半だ。その年功序列が崩壊し、仕事の端々まで能力が問われるようになった。
 当然、そこからスポイルされる人は多い。個性はあっても、能力なんか必要としない社会の方が日本にはマッチしている。
 その考えをベースに、今回の事件をみると、すでに人生に希望がなくなり、多くのことは挫折とともに経験した。これからも、あれこれ考えて生きていくのが面倒、という精神構造になっても不思議ではない。
 自殺では自分自身が寂し過ぎる。世間の注目を浴びる犯罪を犯し、ひと花咲かせ、そしてなにも考える必要のない平穏な場所に導かれるというコースだ。
 つまり、こういう人間の安息の場所は刑務所と考えているのではないだろうか。飢えることはないしゆっくり眠れる。多少の労働はあるかもしれないが、もう人生の面倒なことからおさらばできる、という理想の地だ。そこでじっとしていれば、齢をとっていく。人生に諦めがつく、という思いなのか。
 ややうがち過ぎとも思えるが、その対策としてもっと刑務所の過酷な生活を法務省はアピールする必要があるのではないか。高齢の常習犯が刑務所にまた戻ってくる理由は分かるが、若者までがそうなっては、なにかが実社会に欠けているとしか思えない。
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父親と娘になにがあったのか

2008-07-22 09:05:29 | Weblog
 以下は私の想像でしかないが、想像で終わってくれればと願っている。他のブログでも似たような動機を書いているから、この程度の記述はいいだろうと判断した。
 かつて、なにかの本かテレビの番組か忘れたが、アメリカの近親相姦のことを取り上げていた。正確なデータかどうかは知らないが、かなりの率で多くの娘が、自分の父親によって処女を奪われている。しかも性的な暴行がそれからも続くという。
 理由は、プワーホワイトといわれるように、やはり貧しさもあるが、連れ合いの性的な魅力がある年齢から極端に衰え、太り醜くなることだそうだ。実際、太ることによって離婚の原因になる例もある。
 アメリカ社会の病んだ部分であるが、日本ではどうなのか、と考えさせられてしまうのが、今回の娘による父親刺殺事件だ。
 まだ動機が解明されていないが、その可能性も捜査本部は視野に入れているだろう。日本での近親相姦は、ほとんど表面には出てこない。
 例えば、ドメスティックバイオレンスが報道されても、子どもへの虐待という程度の内容でしか伝えられない。しかし、暴行という言葉はどうとでも使えるものだ。本当のところは、当事者と警察しか分からないのが実態だ。
 例えば、若い女性の部屋に押し入って暴行した、という記事がある。決して単なる暴行でないことはみんな知っている。要するに強姦である。被害者の女性の人権に配慮をして、そういった表現になるのだろうが、実態を正確に報道していない。
 あるいは、飲食店の女性が深夜に殺された、とあるが、ふつうの飲食店がそんな遅くまで営業はしていない。水商売か風俗店である。これも表現をあいまいにして糊塗する記事であろう。
 このように、最近の風潮は正確に伝えることを忌避している報道が多すぎる。今回の父親刺殺事件で、もし本当に父親による性的暴行が動機なら、それをちゃんと報道できるのだろうか。
 被害者であるはずの父親が一転、加害者になってしまう。死者を鞭打つ結果にもなる。仮定の話ではあるが、やはり真実を伝えるのが、マスコミの使命であろう。
 日本では、まだ家庭内の性的な暴行は表面に出ていない。しかし社会がこれほど病んでいるということは、その原因は家庭の中にもあるはずである。それなら、日本の家庭も病んでいるとみるほうが自然であろう。
 そこを直視しなければ、本当の問題解決にはならないであろう。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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山本モナ騒動にみる男女の差

2008-07-20 12:58:49 | Weblog
 山本モナという女性を最近まで知らなかった。不倫騒動を起こしてから、ようやく覚えた。その意味で、世間に名を売ったわけだが、こちらの情報不足もひどいものがありそうだ。
 この事件もいろいろな面から見ることができる。不倫の相手は問わないが、どうしてこれほどの激しいバッシングになったのか。
 不倫騒動が二回目ということがある。一回目は世間も大目に見るが、累犯では裁判だって厳しい裁定が下る通り、世間は甘くない。
 もうひとつは、この事件をみる女性と男性の差異だ。男は、山本モナが美人だし、頭もいいが、二回も不倫騒動を起こすということは、一面甘いところもあって、可愛い女ではないか、という評価になる。
 ところが、女性はまったくの反対で、美人で頭がよくて、そしてキャスターとしても丁々発止の才を発揮しているとなると、そこに妬みと反発が生ずる。
 そんな女が、不倫騒動を起こせば、まさにバッシングのチャンスで、こんな女をチヤホヤするから、こうなるのよ、と女性の気持ちを代弁していると思っている女性週刊誌が、読者におもねる形で記事を書いてヒートアップさせる構図だ。
 ただ厳然と不倫の事実はあるので、男女の評価の差は別として、一定期間の謹慎はしょうがないだろうが、実際は、不倫程度である。モナさんひとりが悪いわけではない。相手がいなければできないことだし、それに至る状況も気になるところだ。
 山本モナの場合は、一度の不倫でマスコミから消えるところが、またしゃあしゃあとテレビに出てえらそうなことをいっている、と反発する女性の気持ちがベースにあって、不倫騒動がそれに火をつけたというのが本当のところだろう。
 テレビの怖さという意味では、いわゆる才女という女性の売り出し方に問題がある。男性はそうした女性に単純に憧れるが、女性は憧れと反発の半々といった気持ちが正直なところで、その反発をなくすことができるのは、その女性の甘さを出すことだ。
 共感できるとしたら、いつも生意気なことをいっているわりに、けっこうドジじゃんとか、可愛いところあるのね、という自分と同じレベルを確認できたときだ。
 それが、亭主をとられそうな不倫ではいただけないが、そういうアホさというのが、才女には必要で、かつて美里美寿々といっていた頃に、出奔した女性キャスターがいたが、それが現在の彼女の魅力になっている。計算ずくではなく、どこか危うさがあって人間的なおかしさを感じることができる。
  羊水事件の幸田倖未もまだ以前の活動に戻っていないが、モナさんも復帰する意思があるなら、ちょうどいい勉強の時間がとれそうだ。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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読書はもっぱら100円の文庫本

2008-07-18 11:28:31 | Weblog
 やはりネットや携帯電話を使うようになって、以前ほど熱心に本を読むことがなくなった。私だけではなく、電車の車内の人々を見ていれば分かる。
 ちょっと前だが、愕然とした。その車両の中で本を読んでいる人がひとりもいなかった。確か木曜日の午前中で、かつては人気の週刊誌のページを繰る人が目立ったものだった。漫画週刊誌もいい齢のサラリーマンが熱心に見ていた。
 それが現在はほとんどいなくなった。多くはケータイ電話の画面に見入っているか、ゲーム機に夢中だ。やはりモノによって、人々の生活は変わるものだ。
 ところで、その読書だが、私の場合はけっこう偏向があって、世界史が好きでいろいろな国の歴史物語を読むのが好きだ。多くは図書館で読み漁り、どうしても読みたくてたまらない、という本は高くても買うことにしている。しかし、最近はそうした本が少なくなった。
 電車の中、寝る前に、やはり本はほしい。それで最近はもっぱら古書店を利用している。古書店の店の前に並んでいる文庫本がお気に入りだ。なんと100円である。中には上製本の100円というのもある。
 かつてのベストセラーがあるし、古本というほどの汚れはない。よく読むのは、海外のミステリーで、できるなら厚い方がいい。読みでがあって、100円という値段に途方もなく感謝してしまう。
 ミステリーなどはよほど好きな作家なら、新作を追って読むような人もいるだろうが、こちらは別に古いものでもけっこう。書かれているテーマや内容が気に入ったらOKだ。
 この程度の年齢になると、ベストセラーは読まない。新聞の書評で読んだ気になっている。日本人の作家の本も読まない。ハウツーものはそれ自体が嫌いだ。
 文章を書いている仕事なので、他人の文章が素直に読めなくなっている。それなら、翻訳ものの方が抵抗がない。
 かつて好きな作家が多くいたが、ほとんど鬼籍に入っている。新しい好きな作家を探すのも面倒な気でいる。そんな好きな作家の本が、たまたま古書店で100円で並んでいると、それはつい買ってしまう。100円、なんたることか、と反対に思う。
 本は、読まなければ内容は分からない。分からないものに、いかほどの投資をするわけで、大げさにいえば、一種の賭けに近い。騙された、と思うことも多いが、そこが読書の面白さで、人生にも通じるものがあるだろう、とちょっと生意気に考えている。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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漁船の一斉休業は世の中の変わる一端

2008-07-16 09:46:25 | Weblog
 全国の漁船が原油高騰に抗議して、一斉休業をした。出漁したって赤字だわ、と関係者がふてくされている映像がテレビに流れていた。
 エネルギーや食糧価格の高騰が、世の中を変える、と前のブログで書いたが、その象徴的な風景だったろう。このまま原油の価格が上がるか、高止まりすれば、エネルギーを多消費する産業は、なんらかの転換か、体質を変えなければならなくなる。それが世の中が変わる一端となろう。
 漁業に話を戻せば、確かに当たれば儲かるが、出漁しても豊漁にならないケースもあって、重油を使い続けて魚を探し求めるのだから、効率は悪い。それでも、これまではトータルすれば儲かっていたわけだ。
 素人だから勝手なことはいえないが、沿岸漁業に注力するか、あるいは養殖をもっと盛んにするか、さらに捨てていた雑魚も食卓にのぼるような工夫をするとか、いろいろな形で漁業そのものの在り方を変えるチャンスではあるだろう。それがまた違った漁業の形を作るきっかけになるかもしれない。
 もう、安いまぐろなどは食べられなくなるかもしれない。日本人の食生活も変える可能性があるが、日本人と魚の関わりは大いなる文化であって、一朝一夕に変えられるものではない。
 四方を海に囲まれ、それでいてうまくて安い魚が食べられなくなるのは、やはりおかしい。関係者に改善を望む次第だが、さらにかつて、資源を求めて戦争になったことを考えると、戦争をするぐらいの覚悟でエネルギー問題に取り組んでほしいものだ。例えば、政府系ファンドを設立して、日本独自の方法で石油の確保をする、ということも考えられる。
 世の中が変わっていくのだから、エネルギー問題に無策であっていいわけはない。原油が高くなったからしかたがない、ではコトはすまない。結局、そうした無策で被害を被るのは国民なのだから。
 ガソリンなどは高くなっても、どこかに行けば安く手に入る、というものではないが、モノみな高くなっているとはいえ、わが家で食している500mlのヨーグルトの値段は、全体的に高くなってはいるが、スーパーによっては時々特価があって、128円とか138円で売り出す。この価格なら、高くなる前の水準で、さらにノーブランド品はもっと安い。
 贅沢をいわず、ノーブランドの商品にも着目してみると、意外なおいしさの発見もあるかもしれない。スーパー乱立の地域に住んでいることが、わが家の救いでもあるだろう。世の中が変わる、ということは、自分の生活も変えなければならないことを意味していよう。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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金正日のしたたかな計算

2008-07-14 17:42:39 | Weblog
 加藤紘一センセイにも頭に来るが、北朝鮮という国家にも、ほんとうに頭に来るものだ。
 拉致から核の問題の流れをずっと考えてくると、どうも金正日という人は、本当は商売がうまいのではないか、と思えてくる。
 そもそも北朝鮮に核など必要ないのである。中東のようにイスラエルが核を保有し、その脅威にさらされている国ならいざ知らず、敵国のどこに核があるというのか。
 韓国、日本ともにアメリカの核の傘にあるが、それは北朝鮮を想定したものではなく、冷戦構造の時代のものだ。現在は北朝鮮が保有する理由はないが、だったらなぜ開発したのか。
 まず脅し。にらみを効かせて相手を萎縮させる。やくざの手口である。次に商売。それはシリアなどにそのノウハウを売った、という事実が取り沙汰されており、ビジネスになった。
 ただいよいよ勝手放題できなくなった。それでなにを考えたか。時間を稼いで、核を放棄する交換条件をまた商売に利用しようとしている。
 核を廃棄する代わりに、山ともいえる重油や食糧支援を得よう、という魂胆だ。日本は拉致問題が棚上げになっているから、そんな企図には乗せられないが、アメリカのヒルさんの顔を見ていると、なんともお人好しですっかり騙しの手口に乗せられている。
 情けない話である。金正日のいいようになってきつつある。金正日にお金が入ることで、反対に独裁体制を永続させてしまう。本来なら、民主国家が一致協力して独裁体制を崩すことが、北朝鮮の人々の救いになるのだが、反対のことをやってしまっている。それも金正日の計算なのだろう。
 いったいいつになったら核そのものも解決できることやら。まして拉致である。
 福田さんになって、拉致の問題はトーンダウンしている。そもそもの本質は他の国家の人間を拉致する犯罪行為にある。それを看過して、なにが民主国家であるのか、というのが国民の本音ではないか。
 相手の態度が変わるまで、地道に気長にいろいろな策を打って、少しでも拉致された人々の情報をつかむことだろう。その揺るぎない姿勢を内外にアピールするのが政府の仕事だ。
 いずれ金正日の独裁体制も崩れる。そうなった時には中国の共産党独裁支配も終わっていよう。それまで拉致被害者が元気であることを願うことしか、我々にはできない。
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温暖化のマイナスとプラス

2008-07-12 08:32:01 | Weblog
 サミットを契機に、さらに環境問題にピリピリとした社会になるのだろうか。環境、エコロジーと唱えていれば、いい人になってしまう傾向すら出てきた。
 しかし、地球にやさしい、なんてことは現実にはありえないことで、地球は人間に対して育みつつも牙を向いてきた。自然の災害がそれで、地球は人間の生存を常に脅かしてきた。
 それが実態で、なにやらお経を唱えるように、エコといっていれば解決するわけではない。個人レベルでできるエコロジーなどは限られている。ジャンボジェット機が1回飛んだら、どれほどの酸素が消費され、二酸化炭素が排出されることか。
 レジ袋だって、本気なら止めればいい。止めればエコバックというのを持って歩くしかあるまい。国や自治体が決めたルールにしたがう態度があれば、市民としてはそれで十分で、地球にやさしい前に、人にやさしくありたいと思う。環境だ、エコだ、という前に、社会の基本のルールを守ろう、と声高にいった方が、よほど住みやすくなるだろう。
 なにごとも風潮に染まる人々がいるもので、それが正義と信じ込んでしまう。ひとつの価値観で裁断することは、違う価値観を持つ人の差別につながる。すでに環境利権のにおいも立ちのぼっている感じがする。
 もうひとつはこのまま温暖化が進むと、どうなるか、という議論だ。
 以下は、全世界レベルで温暖化防止の努力をしつつという前提でいえば、アフリカでもどこでも、太古は国家などはなく、旱魃や寒冷化などでその場所に住めなくなれば、他の土地に移った。簡単に移住することができた。
 現在は国境があって、その移住を邪魔している。国の中で飢えてしまうのは、それが原因だ。近未来的にみて、このまま温暖化が進行すれば、赤道直下の国では住めなくなるか、快適な生活が送れなくなるだろう。
 では、どうするのか。以前のブログにも書いたが、温暖化は高緯度の国々に恩恵をもたらす。ロシア、カナダ、北欧、アイスランド、グリーンランドなど、これまで人が住めない寒冷地が開拓されるようになる。資源があるかもしれないし、農耕も可能になって草も生えなかった地が豊かになる可能性がある。南極にも人が住めるかもしれない。
 となれば、赤道直下で住めなくなった人々を、移住させる方法はどうだろうか。まさに地球規模の移住計画だ。温暖化は現在の地球の姿を変えつつある。変わることに人々は恐れおののいているが、その変化に対応して、人間の流動化ができなければ、新しい地球の中で人類は共存できない。あまりにも不確定要素が多すぎる気もするが、温暖化のマイナス面をプラスにみることもできないわけではない。
 なにごとも両面があるということを、温暖化の論議でも教えてくれる。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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