また舌禍事件が起こった。沖縄防衛局長が、犯す前に犯すとはいわない、という意味のことを非公式の場で記者団に語っていたことが明らかになった。
的を射た喩えとはとてもいえないし、この防衛局長の人品骨柄は問わないとしても、どうして非公式の場での発言が表沙汰になるのだろうか。
いまの記者は、どんな場でもなにかを政治家にいわせて、それで鬼の首を取ったように特ダネにしてしまうのだろうか。
よほどこちらの記者の姿勢のほうが汚いのではないか。そもそも非公式の場とは当然オフレコであるだろうし、表に出さないという条件でしゃべる内容だ。それをバリアもなしに記事にしてしまう。
どこかが書けば、特オチはまずいから、みんな一斉に書いて、コトが大きくなってしまう。
本来、記者の姿勢としてオフレコという条件で得た内容は、書かないものだ。それが取材される者との紳士協定であろう。それがなければ、誰がオフレコで本気でしゃべるだろうか。
じゃあ、なぜオフレコ取材があるのか。それはオフレコで得た材料になにかのヒントが含まれていて、それをネタに取材できる、という面がある。だからこそオフレコ材料をダイレクトに書くことはしないものだ。
しかもほとんどの新聞記者は、記者クラブに属していて、記者クラブの恩恵を受けている。取材するのもひとつの権利のごとく行動する。当然、権利意識も強くなって自己肥大に陥りやすい。
この記者クラブが問題になっており、まるごと電力会社に丸め込まれているからこそ、今回の原発問題が起こったわけだ。
なぜ記者クラブがあるのか。それは権力が一ジャーナリズムに圧力をかけた場合に、それにみんなで対抗するために作ったものだ。現在は反対で、みんなで権力に媚びている。
記者もマスメディアももっと本来のジャーナリズムの姿勢に戻って、原点から問い直してもらいたいものだ。その原点とは、権力のチェック機能であり、それ以下でも以上でもないのだが、自らが権力に堕しているのだからざまはない。
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp
的を射た喩えとはとてもいえないし、この防衛局長の人品骨柄は問わないとしても、どうして非公式の場での発言が表沙汰になるのだろうか。
いまの記者は、どんな場でもなにかを政治家にいわせて、それで鬼の首を取ったように特ダネにしてしまうのだろうか。
よほどこちらの記者の姿勢のほうが汚いのではないか。そもそも非公式の場とは当然オフレコであるだろうし、表に出さないという条件でしゃべる内容だ。それをバリアもなしに記事にしてしまう。
どこかが書けば、特オチはまずいから、みんな一斉に書いて、コトが大きくなってしまう。
本来、記者の姿勢としてオフレコという条件で得た内容は、書かないものだ。それが取材される者との紳士協定であろう。それがなければ、誰がオフレコで本気でしゃべるだろうか。
じゃあ、なぜオフレコ取材があるのか。それはオフレコで得た材料になにかのヒントが含まれていて、それをネタに取材できる、という面がある。だからこそオフレコ材料をダイレクトに書くことはしないものだ。
しかもほとんどの新聞記者は、記者クラブに属していて、記者クラブの恩恵を受けている。取材するのもひとつの権利のごとく行動する。当然、権利意識も強くなって自己肥大に陥りやすい。
この記者クラブが問題になっており、まるごと電力会社に丸め込まれているからこそ、今回の原発問題が起こったわけだ。
なぜ記者クラブがあるのか。それは権力が一ジャーナリズムに圧力をかけた場合に、それにみんなで対抗するために作ったものだ。現在は反対で、みんなで権力に媚びている。
記者もマスメディアももっと本来のジャーナリズムの姿勢に戻って、原点から問い直してもらいたいものだ。その原点とは、権力のチェック機能であり、それ以下でも以上でもないのだが、自らが権力に堕しているのだからざまはない。
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp