団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

原発再稼働の是非

2015-08-27 11:11:21 | Weblog
 桜島に近い川内原発が稼働した。一説によると、4年以上休止していた原発は、事故を起こす可能性は格段に高まるとか。そんな話を聞いていたら、やっぱり事故ってしまった。まだフル出力には至っていない。
 原発再稼働をどう考えるのか、というのは、日本に住んでいる以上、重大な問題として捉えなければならないだろう。実際、福島原発並みの事故が起こった場合、取り返しがつかない。規制委員会が責任をとる云々の話ではないわけだ。国土喪失になるのだ。
 しかし、なんとなく原発再稼働に着々と向かっている。じゃあ、絶対に事故はないのか、と問えば、神様ではあるまいし、そんな絶対的な保証はあり得ない。じゃあ、どうすればいいのか。
 実際、地域経済にとっては原発も大きな産業である。沖縄が基地で食べているように、原発もその地域の人々を養っているようなものである。それでも同じ地域の中で反対する人々もいる。地域を分断する産業にもなっているわけだ。
 原発に絡んでいるファミリーは、電力会社、原発メーカー、官僚、政治家、学界と幅広く、それらが利権のネットワークでつながっている。福島の事故が起こるまでは、無謬性の上に立った正義のエネルギーであった。
 こういうところが、いまだ原発を推進しているのだろう。しかし、もう原発はエレルギーとしても産業としても、旧世代になりつつある。先進国は廃炉に向けた準備に入っている。なぜならシェールガスが軌道に乗り、原油も枯渇しないという見通しがある。問題は温暖化だが、これは中国やアメリカがしっかりと基準を遵守すれば、なんとかなっていくものだ。
 原発事故が起こった場合の周辺への影響もまた論じられなければならない。一町村の問題ではなく、結局、事故が起こった場合に影響があると想定される地域全体の賛否を問う住民投票がもっとも有効ではないか。
 確かに住民投票は、その結果によって原発再稼働・廃炉を決定するものではないが、地域の決意を知る契機にはなろう。その結果を最大限に尊重する方針を、政権は真っ先に掲げなければならない。それが民主主義というものであろうし、冷静な対応になろう。
 実際のところ、福島並みの事故はほぼないだろう、というのが大方の見方だ。ただもう原発の時代ではなく、多様な再生エネルギーを組み合わせて乗り切っていくのが人類の知恵であるはずだ。廃炉になる原発エリアを、その再生エネルギーの拠点にして、地域経済の活性化にも取り組めよう。本気で舵を切る時期であり、安倍政権もそうした決意を見せることが必要だ。
 
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新・東京裁判を

2015-08-13 14:23:51 | Weblog
 前回で書いた、どうしてあの戦争がそんなに悲惨な結果を招いたのか、という観点でいうと、いろいろな論考があるだろう。きっとこれまでも議論され一定の結論を得ていることかもしれないが、問題はそれが国民に共有されていないことではないか。
 戦前、日本は軍部が台頭し、政治が弱体化し、国民は好戦気分に浮かれていた。いろいろな要因が重なって、戦線は拡大していったのだろうが、その折々のキーマンがいたはずで、誰かが決定して、その結果を招き、その結果が次の原因を作って、次の戦争へと駆り立てていったのだろう。
 それらの事件や事変を検証し、会議や空気ではなく、决定したキーマンを特定して、その人物がやったことである、と明確にすべきではないか。それを中国事変から太平洋戦争まで、すべてにわたってはっきりさせ、それを公開し、国民の共有認識にすべきではないか。
 例えば、真珠湾攻撃は誰が発案し命令したのか。その時点で停戦にできなかったのか。ミッドウェイで負けた時にもそうであろうし、南方の玉砕は止められなかったのか。なぜ沖縄決算まで突き進んだのか。どこかの時点でなんらかの方策はなかったか。負け始めた時点で、抗戦派は誰で停戦派は誰と特定できないか。
 むろん時間はかかる。ただ戦勝国が勝手に裁いた東京裁判がある。それをもう一度再現し、日本人によって日本人を裁く新・東京裁判を改めて開廷すべき時だろう。さらに進駐軍による占領政策も対象にして、それも検証して、戦後の歪んだ価値観を是正すべきではないか。
 結局、東京裁判で日本人の裁きを戦勝国に任せて、それが終わったら国民みんな免罪符を得たようになってしまった。しかし原爆や東京大空襲で苦しみ死んでいった人々にとって、やはり怨みの矛先はあるのが当たり前だ。
 その意味で、連合国による非戦闘員の大量殺戮もまた検証すべきことである。戦後70年経て、ようやく生き抜いた人々は重い口を開くようになった。ただそれは実体験が限界であり、本当に知るべきは、誰があの戦争を起こし、どうしてああなつてしまったのか、という答えではないか。
 それを改めてはっきりさせることが、本当の意味での抑止力になる。分かりやすくいえば、責任者出てこい、というのが国民の本音であろう。最近の国立競技場の迷走、原発再稼働など、やはり責任者不在でコトが進んでいる。どこか戦争へ向かった時と酷似している。
 すべてのことは特定の人間がやったことだ。誰かがやってそうなったのに、その誰かは匿名性の中に逃げ込んでしまう。そんな国だからこそ、変えていかなければならない。
 
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日々雑感0805

2015-08-05 13:56:34 | Weblog
 暑いですねえ。毎日都内も35度以上。日本列島が茹だっているが、どうしてこんなに暑くなったのか説明はあまりない。むろん高気圧の勢力が異常に強いのだろうが、どうしてそうなったのかは分からない。土曜日以降は32度ぐらいになるとかで、ひと息つけるのだろうか。
 五輪エムブレムの問題。確かに似ており、事実無根と当人が力説しても、にわかには信じられない。結局、過去のデザインと似てしまった場合、故意とかそうでないとかは別にしても、アーティストの良心の問題に帰着しよう。ケチがついたのだから、辞退してもいいのではないだろうか。
 だれでも戦争なんか行きたくないだろう。それを堂々と口にして、非国民呼ばわりされてもたまらない。ただ現在の安保法制が、徴兵制につながる、という短絡的な見方はいかがなものか。もう1国平和主義は限界であり、いずれは憲法改正に向かうのだから、国際関係のリアリティを若者は身に付けなければならないだろう。
 沖縄の基地問題はいつまで経っても解決しない。ずっと米軍基地を沖縄に押し付けてきた政府も基本的な考え方を変えなければならない時期だ。つまり本土の沖縄化に踏み出すべきだ。沖縄から徐々に基地を減らし、必要なら本土のどこかに移転する。その際、そこの住民にメリットがあるように、医療費とか住民税などを無料なり低減すればいい。沖縄への補助金が減れば、簡単なことだろう。それが話し合いというものだ。
 ビットコインはさっぱり分からない。そうだ、Windows10に遊びのパソコンをアップグレードしてしまった。マイクロソフトから連絡がなくて、アップグレードする方法があったのでやってみた。性能の低いバソコンだから時間はかかったが、なんとか成功した。終わって再起動しても立ち上がらず、なんども電源を切ったりして、ようやくまともに起動するようになった。アプリやソフトの不具合については、動画レコーダーの録画位置がずれるようになった。それでちょっと調べてみたら、解像度を落とすと固定するという話で、それをやったら直ってしまった。もうひとつはグーグルの日本語入力にしてあったが、使いづらくなりIMEに替えたりしたが、他では問題なく動いている。
 終戦の日が近い。あちこちで戦争の悲劇や悲惨さが喧伝されている。語り継ぐべきことは多いだろうが、ただその残酷さや不条理性だけがクローズアップされている。どうしてそうなったかの視点がまるでない。この点については、次に書いてみたい。
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