団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

入院体験あれこれ

2014-10-25 11:15:23 | Weblog
 相変わらず病気の話が続くが、今回はあれこれと入院時の話しをしてみよう。
 前回は内科入院だったから、点滴程度の平穏無事の入院生活だったが、今回は外科だからなんとなく戦闘的であった。
 入院して2日目にカテーテル検査があったが、私は右腕の動脈と右股の付根の静脈から造影剤を注入した。腕は問題ないが、股の付根は陰毛を剃らなければならない。風呂場で自分でやるものと思っていたら、看護婦が来てベッドの上でさっさとパンツを脱がせて、ジョリジョリとはじまった。むろん男根にも触る。あまりいいものではない。
 剃った後が悪い。ツルリとした股間などは見たくないものである。なかなか生えてこないから、風呂に入るたびに目に入る。嫌なものである。
 手術のことは書いたが、点滴から麻酔が入ったが、まさに瞬時に気を失う。気がついたらICUのベッドの上だったが、そのベッドがなんでも300万円だとか。
 ちょっと身体を動かすと、自動でその体型に合わせてベッドの角度が調節されるし、体重も寝たまま測れるのである。ちょっとやり過ぎで、好き嫌いがあるだろう。
 ICUには5床ぐらいあっただろうか。多くは手術後の様体の安定を待っている患者が多い。このICUの中にいる時から、早くもリハビリが始まった。
 ただ廊下を歩くだけだが、これが肝心だとか。最初は1往復、次が3往復ぐらいに増やして、一般病棟に移ってからは、自転車でのリハビリになった。
 約20分、疲れない程度のスピードでペダルを回す。これが2回あり、最後にシャワーリハビリで終わった。これはただ退院前に身体をきれいにすることと、頭からシャワーを浴びることでお湯に慣れさせることなのだろう。
 むろんこの間、点滴は継続しているし、小便のドレインは途中まであった。
 入院時に役に立ったものは、スマホだった。ベッド脇のテレビは依然として有料視聴になっているがスマホならワンセグでいくらでも観られるし、ネットのニュースで世の中の動きが分かる。メールはほとんどSMSを使ったが、ふんだんに連絡が取れ合った。
 むろんACアダプターは必須だった。アマゾンの電子書籍も持ち込もうとしたが、これはUSB充電でパソコンがないとだめ、ということで止めた。意外とこういう場所ではUSBというのは不便なものである。
 術後の経過でいえば、不整脈特有の頻脈はまだあるものの、呼吸が深くなり、夜もぐっすり寝られるようになったのだが、体内の水分バランスが崩れたせいか、便秘ではないが便が相変わらず固い。いずれ治ると思うが、すっきりというのがないのは物足りない。
 心臓の血液が100%毛細血管の隅々にまで行き渡るから、手足の冷えがなくなった。特筆すべきは、手前味噌かもしれないが、歌が上手くなったような気がする。
 低音と高音の音域がちょっと広がり、中音の声質も変わったようだ。これも血の巡りから来ているのだろうか。以前の歌と比べて見る必要がありそうだ。
 心臓は内科的な治療では無理ならば、外科で治すことがベスト。現在は弁膜症の手術だって2週間で退院できるし、高額医療の補助もあって医療費の負担も少ない。
 内科治療で長患いしているなら、経験者として手術をお勧めしたいものだ。その手術は心臓が元気な若いほうがいいということだ。私はぎりぎりだったろう。

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とうとう心臓手術

2014-10-03 08:55:44 | Weblog
 前回は心臓の治療のために入院したことを書いた。内科的治療であったが、わずか10日でまた慢性心不全の増悪がぶり返した。その退院した病院に紹介された心臓外科の専門病院に相談しにいき、入院の日取りを決めて戻った。
 その翌日、耐えられなくなり緊急入院した。仕事の予定はむちゃくちゃになった。命あっての物種ではないが、急性増悪がいつまた起こるか、と思うと、こうするしかなかった。
 2日後にカテーテル検査。結果、人工弁か弁膜の修復、冠動脈のバイパス手術、不整脈の解消などを目的に手術をすることになった。
 麻酔の力はすごく、点滴で入れられたと思ったら、次に意識が戻ったのはICUの中だった。5時間程度の手術だったらしい。
 このICUに2日間いた。歯磨きと髭剃りしか持ち込みできず、身体は点滴のハリネズミ状態、小便はドレインの垂れ流しで、まあ、ほとんど身動きはできない。
 恐ろしいほど退屈である。看護婦さんやヘルパーさんの動きを見守っているしかなく、たまに咳が出ると激痛が走る。
 たぶん手術後の経過がよく、次にナースセンターの横の準ICUに移った。そこに1日半。6人の大部屋で、下の世話が自分でできない寝たきりの高齢の患者がほとんど。
 こちらがそこに入ったのは、一般のベッドが空かなかったから。最後に3人部屋の病室に戻ったが、まだ点滴はあり、ドレイン付きである。
 しかし、ほぼ終わりに近づいており、気持ちはホッとするものである。ここにほぼ4日程度いた。最後まで点滴は残ったが、これも退院の前日には取れた。まさに解放の瞬間である。
 あれこれと周りを観察していると、現在のカテーテル検査は日帰り、8時に来て9時頃に検査、戻って手首の動脈の血が止まるまで安静。約4時間後に退院である。
 そのカテーテル検査で心臓の血管の状態が分かり、次の入院にステントを挿入するなどの手術ということになるのである。私はこれで冠動脈の狭窄が分かり、バイパス手術になったわけだ。
 弁膜は自分の弁で修復できたそうだ。もともと軽い弁膜症で、それが加齢とももに悪化して逆流量が増えて、慢性心不全になっていた。不整脈は心房の状態から、その解消は見送ったとか。
 これで以前の心臓とはまったく違う元気な心臓になった。内科的治療には限界があり、手術によって甦った気分だ。
 心臓は外科的治療によって治るものなのである。それも心臓が元気な若いうちがいいとか。
 入院して退院までぴったり2週間。食事はお世辞にもうまくはないし、大便が固くなって排便では苦労した。
 さて、入院・手術費であるが、ポイントから換算すると328万円であったが、保険や高額医療補助などがあって、なんと約13万円まで低額になった。請求書を見てびっくりした。
 ここまで社会保障が進んでいるわけだが、その恩恵を受けた私は、これから国民の皆さまに感謝しながら生きていくことになる。この気持は忘れたくない。
 退院して、その午後にすぐに仕事。ようやく落ち着いたのは3日後である。これからちょっと退院後の安らぎを味わいたいものである。

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