団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

ミスはなぜ起こる

2014-04-27 10:16:02 | Weblog
 65歳になっているが、まだ仕事を続けている。その仕事で、ちょっとおおごとのミスをしてしまった。 小冊子を作っている仕事なのだが、前号で使用したページをうっかり入れてしまった。そんなことをすれば、校正の段階で気がつくはずだが、なぜかスルーしてしまった。
 冊子ができてきて、ページを繰って、あれっあれれ、と目を疑った。なんだこりゃあ、とびっくりして、早速パソコンのデータを確認した。
「やっぱりか」と、画面に向かって毒づいた。刷り直しか、と一瞬思ったが、それでは金も時間もかかる。見開きがそっくり入れ違っているのだから、正しい2ページを印刷所に改めて刷ってもらい、それを挟み込むことが最善だろうと思った。
 印刷所に手配して、ようやくひと息ついた。それにしても、こんなくだらないミスをした自分に腹が立つ。どうして、こんなミスをしたのだろうか、と自問自答しても、答えはない。
 やはり日常の仕事の中で、ちょっと緊張感が抜けていたのだろうか。そんな間違いをするわけがないから、チェックをしようともしなかった。頭から、そうしたミスが起こると想定していないと、やっぱり抜け落ちてしまうものだ。
 これまでにも、いろいろな間違いやミスをしてきたが、多くは想定外のことが多い。考えもしなかったことで、ミスが引き起こされる。いろいろとチェックもするのだが、チェック項目の中に入っていれば、しっかりと確認するものだ。
 しかし、チェックしない埒外にあることについては、視野の中に入っていない。視野の中になければ、見ることができないから認識されない。多くのミスは、そういうケースで起こることが多い。
 ちゃんとやっていれば、こんなことが起こるわけがない、と周りは批判するだろうが、ちゃんとやっている中にはいっていないことだから、どうしようもないわけだ。
 私は自分の仕事だから、言い訳をしてもはじまらないが、多くの人はそういう場合は、まっとうな理由をつけて言い訳をすることだろう。それで通用すればいいが、一般的にはミスを重ねると信用がなくなり、仕事を任せられなくなるわけだ。仕事を任せられなくなれば、ふつうは会社にはいられなくなるだろう。
 ミスを防ぐには、複数の人間がチェックすることが大切だ。校正の仕事も、書いた人間が校正していると、やっぱり甘くなる。人の名前など、分かっているから読んでいるようで読み飛ばしている。違った人が読めば、チェックする箇所もまた変わり、より正確な仕事ができる。
 ただ私の会社は複数体制にない。アシストはいるが、最終的には私が仕上げる仕事だから、結局は私自身がしっかりする必要があることは自明のことだ。イージーに流れないことを肝に銘じよう。
 65歳。まだ耄碌する齢ではないが、ミスが重なるようなら、そろそろ瀬戸際に近づきつつあることを認識しなければならない。イヤではあるが、いずれは耄碌ジジイになるのだろう。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

新橋界隈の飲み屋

2014-04-16 15:02:52 | Weblog
 私がふだん飲み歩いているのは、新橋駅前ビルの1号館と2号館。いまでも完全に昭和レトロの世界で、小さな飲み屋がびっしりと並んでいる。
 昨年末に閉めた店で飲み始める。おしたし、煮物、湯豆腐などを定番としており、ここでほぽ腹ごしらえをする。ボトルがあって3000円というところ。
 次に最近亡くなったママのカラオケバーに行く。前の店で飲み過ぎていると、ちょっと記憶が曖昧なケースも多い。ここではもう乾き物ぐらいしか食さない。酒は焼酎の水割り。多くはいいちこである。
 ママが亡くなって、ここで以前働いていた30代の女性が店を継いだ。先週のことで、気立てが良く物珍しさもあって、ずっと満員である。2~3曲程度歌って、2000~3000円ぐらいか。
 それからふらふらとチャイニーズのママがやっている立ち飲み屋に入る。中華の料理は美味く、隣り合った方々と適当に会話を楽しむ。あまり長居はしないが、1000~2000円で済む店である。
 ここはすべて2号館。次に1号館のほうに行く。年末に閉めた店があった頃は、あまり1号館のほうに行く気力はなかったが、その店がなくなって、まだ座り悪い感覚が残っていて、ふらふらとしている。
 1号館で行くカラオケスナックは2軒。1店はせいぜい1000~2000円、もう1店はあまり歌わないが、同じような値段だろう。ここまで来ると、カウンターに落ち着いても、もうあまり飲めない。せいぜい1~2杯程度である。
 通りの奥の路地に、娘と母親が隣り合って別の店をやっている。よく聞くと、娘が先にやって、空いた隣の店に母親が入った。入る懐が一緒だから、どちらに行くかあまり気にはしない。やはり若いほうには若い客、年齢が高いと、やはり高齢者が多く寄る。店の雰囲気もつまみも酒も違う。
 あとは和食のうまい店、ただひたすら安い店など、気が向いたら寄る店がある。あちこちでいろいろな人と知り合っている。「このあいだ、あそこにいたでしょう」といわれたり、意外な店で意外な人に会ったりしている。ほとんど酔っ払っているから、初対面でも話し相手には困らない。
 ただ痛風をやって、はたまた電車で寝過ごしてタクシーなんてことにもなっているから、あまり酩酊しないように努力している。飲み始めに用心して飲んでいると、意外と酔っ払わないものである。
 ここでもよく書いているが、記憶がなくなるのは、せっかく楽しい酒を飲んでいるのだから、もったいないのである。だから記憶はたっぷりと、酒はせこく、というのを基本姿勢にしている。
 ちびちびやっていて、相手が酔っ払ってくるのを目の前にすると、こうなるんだなあ、と観察してしまう。人を観察していれば、そうそう酔わない。つまり人を喰っているようなものである。
 しかし、飲んでも酔わない、というのは、あまり面白いものではない。しかし記憶は失くしたくない。自己矛盾である。人間というのは、まあ矛盾の塊であって、解決できないから酒を飲む。しかし酔っぱらえない。メビウスの輪に囚われているようである。
 それでは新橋で愉しい酒を飲みましょう。 

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痛風またまた発症

2014-04-07 15:34:29 | Weblog
 またまた痛風を発症した。去年の8月以来だから、間隔が短くなっている。危ない徴候である。
 先々週の木曜日に深酒をした。土曜日にお墓参りに行ったが、金・土は日常の晩酌だった。日曜日にマンションの花見があり、11時半から飲み3時まで、帰ってちょっと喉を湿らせた。
 土曜日のお墓参りで、左足の親指の付け根に、ちょっとした違和感があった。大して気にしてなかった。日曜日も変わりなかったが、月曜日の明け方、トイレに起きたら、その親指の付け根が少し腫れ、痛みがあった。本来なら、この時点でコルヒチンを飲めば、最悪の事態は避けられたかもしれない。
 月曜日はまだラジオ体操ができる余裕があったが、火曜日からは完全に痛風の発作になった。赤みが広がり痛みが増していく成長期に入った。もう片足を引きづらなければ歩けなくなった。水曜日はさらにひどくなり、木曜日にピークに達した。
 医者には行かず、消炎鎮痛剤のゲル剤を塗ってしのいだが、これで治るわけではない。ただ辛抱し安静にしているしかない。そのまま金、土と来て、やや痛みが治まってきて、減衰期に入った。
 火曜日に発症して、今日が翌週の月曜日。まだ治癒はしていないが、そろそろ治るだろう、という安心感を持っている。ただ土曜日から貼り始めた貼り薬で、かぶれ赤くなってしまった。別に痒くはないが、嫌なものである。
 水曜日に外出の予定があるので、たまたまうちにあったステロイド系の軟膏を塗っている。ステロイド系は強いので、あまり回数は使用できない。
 原因はむろん酒なんだろうが、もうひとつは心臓が悪いために、利尿剤を飲んでおり、痛風の原因となる高尿酸値を下げる手段として水を飲むがいいが、これができない。
 利尿剤を飲んで水分を出して、こっちで水をガブガブ飲んでは、身体の中で喧嘩をしているようなものだ。ただ尿酸値を下げるために、利尿剤を使い水を飲み小便を多くするのも一方法であるらしいが、心臓病にはどうなのだろうか。
 というわけで、要は酒を控えなければならない。なにしろ1週間なにもできないし、痛いのが辛い。ただ付き合いはしなければならないから、酒はゆっくりとケチケチと飲み、肴と会話・カラオケに集中しよう、と思っている。ただ一線を超えると、その制御がいつまで効いているかは保証の限りではない。
 もうひとつは、帰ってきたら寝る前に、水をコップ1杯飲むことを習慣づけようと思っている。酔い覚ましもあるが、血液や尿酸値など、もろもろの健康のためである。
 以上をこれから守れるのかどうか。自分を試すという意味では興味深いものがあるが、なにしろ決めたことの敗退の歴史を歩んでいる。
 痛風の発作は繰り返すたびに、ひどくなるという。もうこれ以上の不自由さ、痛みは勘弁してほしい。結局、自分で律するしかなく、酒との付き合いを根本的に変える時期に来ているのは確かだろう。いつまでも若くないの、という声が聞こえそうである。ただし晩酌は依然として続いている。

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小保方さんがんばれ!

2014-04-02 14:46:13 | Weblog
 STAP細胞騒動が大詰めを迎えている。報道によれば、小保方晴子さんひとりを悪者にして、幕引きを図っているのが理化学研究所。これに異議を唱え、9日に不服申立てを行うのが小保方さんだから、完全に喧嘩になったわけだ。
 まあ、当然の流れであるだろうが、チームでやっている研究が、どうしてひとりだけの責任で決着がつけられのか。この理屈はよく分からない。むろん精査して、この結論を得たのだろうが、チームの他のメンバーは目下、息を潜めて時間が過ぎるのを待つということか。
 問題は、9日までに小保方さんが説得されて丸め込まれ、矛を収めてしまうことだ。なにかおいしい話を匂わされ、組織大事とかわけの分からないことで、私が悪かった、でチョンとなったら、真実は彼方に去ってしまう。全面的に対決してこそ、真実が公にされることだろう。
 とはいえ、それを報道するメディアの姿勢は、もっと謙虚になるべきだろう。STAP細胞発表時のはしゃぎようはなんだろう。冷静にコメントしていたのは、ips細胞の山中さんぐらいだったように記憶している。彼はライバル登場で心中穏やかではなかったからこそ、より冷静にSTAP細胞を捉えることができたのだろう。
 それはメディアだって同じ立場をとれたはずで、ライバル紙に負けず、と囃し立てた。反省し、再び同じ愚挙を繰り返さないことだろうし、記者はそれぞれの専門をもっと勉強しなければならない。官庁垂れ流し記事で横並びをやっているからこそ、こうした問題が起きるのではないか。
 いくらメディアに文句をいっても、痛くも痒くもないのがメディアの習性だから、この辺でやめておくが、ともあれ最後の問題は、誰もが指摘することだが、STAP細胞は存在したのかしなかったのか。理研はそれを証明するのに1年かかる、といっているが、小保方チームと同じことをやるのに、なんで1年もかかるはずはない。ほとぼりを冷ましたい、というのが見え見えであろう。
 もうひとつは、ノーベル賞級の新技術や新発見は確かに大変なことであろうが、その研究プロセスを再現するのは、そんなにむつかしいことではないだろう。同じことをやればいいわけで、できなければインチキ、できれば大発見・大発明ということになる。そこに至るプロセスに、奇跡や僥倖が含まれているのだったら、やっぱりインチキであろう。
 それなのに、なんだかもたもたしている。なにかを隠蔽しようとしている気がしてならない。丸ごと第三者の研究機関に持ち込んだほうが早いのではないか。
 日本でもトップの研究機関である理研も、結局は人間の集まりであり、人間の愚かさから抜け切れるものではない。科学であろうとなんだろうと、人間がやることであることを忘れたくない。
 最後に、こうなったら小保方さんがんばれ、とエールを贈りたい。どっちに転んでも、たぶんこれまでの全てを失うだろうし、一から人生をやり直さなければならない。それなら、理研を相手に堂々と戦おうではないか。

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