団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

深酒ストップに腕時計

2013-05-28 11:47:14 | Weblog
 晩酌の酒の量を減らしたことは書いた。ただ晩飯のタイミングが悪いと、もういっぱい、という気になって飲んでしまうが、うちではおとなしいものである。
 問題は外での深酒の解決策である。記憶がなくなるのは日常茶飯事、怪我はするわ、電車で寝込んでタクシーで帰るわ、深夜に女房を起こしてタンシー代を払わせるわ、で自己嫌悪に陥っている。
 解決策はあるのか。10時には酒盃を置く、と以前に書いたことがあるが、4時から飲んでいたのでは、大差はない。多くのサラリーマンの飲み始めの時間は、だいたい6時~7時だろう。そこから11時まで飲んでも4~5時間である。4~10時では6時間。あまり意味がなかったわけだ。
 要するに、記憶を保ちつつ、酒量をコントロールしながら、いかに愉しく呑むか、というのが理想形である。分かっちゃいるけどやめられない、のスーダラ節の通り、無理な相談なのである。
 そこで、なにかプレッシャーになるような設定がないだろうか、と考えた。ひらめいたのは、腕時計だった。腕時計の時間を見ることによって、自らに暗示をかけるわけだ。
 深酒するな、飲み過ぎるな、と腕時計に語らせるのである。時間を見るたびに、腕時計が語りかけてくれば、ちょっとブレーキをかけるか、という気にもなる、はずである。
 ただ現在の持っている腕時計に、その役を振るのは役不足のようである。ひとつはセイコーのドルチェ、ひとつはシャルルホーゲル、ひとつはシチズンのソーラーで、みんな凄みがない。
 というわけで、腕時計を買う気になった。いろいろと調べると、最近は大きく厚くなって、存在感はしっかりとある。しかし高いものは必要ない。
 なんだかんだで、たまたまネットのページで表示されていたエルジンのソーラー電波時計を買った。6980円で送料が700円ぐらい。デザインが気に入り、重さがあって手応え十分。
 その時計にしっかりと、深酒するな、飲み過ぎるな、と吹き込み、いざ出陣と相なった。さて、その成果は…。
 みるも無残である。飲み始めた当初は気にしていたが、途中からまったく気にしなくなってしまった。時計を見たのか、語りかけたのか、それすら記憶がなく、気がついた時はタクシーの中だった。
 猛省であるが、しかし、このアイデアをやめるわけにはいかない。2回目はほぼ成功したが、やや酔い方に不満があった。いかに愉しくが、酒量が気になって、トーンダウンしてしまう。
 とにかく、このエルジンをして飲みに行くときは、そうした覚悟をしてうちを出る。繰り返すうちに、なんとか格好がついてくるのだろう、と信じているが、女房は鼻で嘲っている。

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新聞の楽しみ方

2013-05-17 10:08:40 | Weblog
 夕方の愉しみに晩酌がある。やっぱり酒の話になってしまうが、焼酎のグラスを傾けながら、新聞を読むのも楽しみである。
 知人から頼まれて、ここ15年ぐらい産経新聞を読んでいる。夕刊がない分、夕刊的な記事も朝刊に載っているから面倒がなく、かえって便利だ。
 朝は、自宅を事務所にしているといっても、やはり慌ただしい。ざっとすべての紙面に目を通し、気になる記事は読んでみるが、これは晩酌時に、と思うコラムなどの記事はとっておく。
 夜遅くなって酔っ払って帰ってくれば、当然新聞は読めないから、翌日の夕方までとっておいて読む。つまり日によっては2日分を読むことになるわけだ。
 最近、産経新聞では新聞小説として、高杉晋作伝の「紅と白」を掲載している。これが面白いし、つい最近までは司馬遼太郎のエッセーのエッセンスをコラムで載せていて、これも興味深かった。直近では福沢諭吉を扱っている。あとは曽根綾子や正論、医療や家庭の記事など、酒を飲みながらじっくりと読むのは、至福の時間になる。
 だいたい小一時間ぐらいかかり、ちょっと酔ってきて、そこに夕食が出るのが理想的なのである。
 新聞の活用や効能がネットと比べられて、いろいろと議論されているが、テーブルに紙面を広げて、全体を見渡し、さまざまな記事を俯瞰するのも、ひとつの楽しみである。モニターでネットニュースを見ていても、ひとつひとつの記事に優劣や大小がなく、並列的に並べられているものが多く、全体像を把握しづらい面があるだろう。
 その点、新聞は紙面に載る前にニュースの取捨選択があり、新聞社の人任せとはいえ、1日のニュースを知るには、まあ、この程度を知っていればいいだろう、という感じがあり、それが安心感につながろう。
 ネットの場合は、次々に新しいニュースが流れ込んでくるから、いまを知るには釘付けにならざるを得ないし、常に枯渇感が伴うだろう。それがネットの強みでもあり、弱点ともいえよう。だからネットはモバイル化し、スマホが主流になってきた。
 むろんネットで新聞のコラムも読むことができるわけだが、やはりパッと開いた時に紙やインクの香りが漂い、見開きにして大きく見回す感覚は捨てがたい。
 我々の世代は、やはり印刷文化で育ってきた。その中心に新聞はあったろう。だから擁護するわけではないが、決してテレビやネットに負けるメデイアではない。テレビの体たらくは論外としても、今のままでいいのか、というのは議論があるところであろう。

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酒量の変遷

2013-05-02 15:05:03 | Weblog
 鼻血が出て禁酒をして、レーザーで鼻の中の毛細血管を焼いて、ようやく収まった。血が止まらないというのは、気味が悪いしやっかいなものだ。
 禁酒をして、離脱症状が出た、と前回で報告したが、。それで気になって来たのは、私の飲酒量は若い頃から変わってきたのだろうか、ということだった。
 思い起こせば、20代の前半はうちで、晩酌酒としてビールばかり飲んでいた。まだ缶ビールが一般的ではなく、大瓶が当たり前だった。これを会社の帰りに3本を買って飲んだ。
 1本633mlでアルコール度数は4%だから、1本で25mlとなる勘定だ。これを3本だから75mlということになる。3本飲んでご飯もしっかり食べたから、30代になって急に太り出したわけだ。
 その後、ウィスキーにチェンジした。我々の時代には、年代によって飲むウィスキーが決まっており、サントリーならレッドかホワイト、角、オールドとなっていくだろうが、私はたまたまニッカが好きで、ハイニッカからノースランドというウィスキーを好んで飲んでいた。
 この場合、アルコール度は40%弱。720mlを買ってほぼ4日で飲んだ。だから摂取するアルコールは72mlに相当する。しかし、その前にとりあえずビールとかいって、缶ビールを飲むようになった。350mlでアルコール度は4.5%だったろうから、15mlでウィスキーと足すと87mlになる。
 この状態がたぶん40代まで続いたろう。その間に、ウィスキーがジンになったりウォトカになったりした。40代後半で、日本酒に移行したこともあった。
 最近はもっぱら焼酎になっている。当初は甲乙混類という多少は麦の香りのするタイプを飲んでいたが、甲類1本に切り替えた。
 2.7リットルの大瓶を買い、水、緑茶などで割っている。当初は氷を入れたが、氷が溶けて酒の味が変わるので、焼酎も水も冷やして割っている。
 小さなペットボトルに300mlの焼酎を入れ置いて1日分の晩酌としていただく。アルコール度は25度で、アルコール量は75mlとなる。最近はとりあえずビールも省略している。ビールが必ずしも必要ではなくなってきた。そういえば、コーピーの苦さも気になるようになっている。嗜好の変化であろう。
 その300mlを鼻血以来、200mlに減らしている。離脱症状が気になかったことと、300mlを飲むと、そのあとの晩飯で何を食ったか、覚えていないケースもままあるからだ。食事のタイミングが合わないと、もうちょっとといって飲んでしまうこともある。最初から200mlなら、せいぜい300mlで終わる勘定だ。
 というわけで、私のアルコール度の変遷は、75ml、87ml、75ml、50mlと推移した。60代までほとんど変わっていないことになり、恣意的に減らしている現在は、無理をしていることになるが、さほど晩酌の酒量は変化していない。
 それにしても、まず飲まない日はない。この程度の酒なら、健康上は問題ないと思っているが、外での深酒が次のテーマであろう。

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