団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

続・歌を覚える

2012-05-20 19:56:16 | Weblog
 すっかりブログの更新が遅れてしまった。別に書きたいこともなく、すっかり歌にのめり込んでいた。たまたま聴いていたラジオの番組で「スローなブギにしてくれ」をやっていた。
 それを聴いて、なんだこの歌だったのか、と思い当たった。けっこう酔っ払うと、この歌を口ずさんでいた。ただ出足部分しか知らなかった。つまりテレビCMで、その部分を当時は頻繁に流していたからだ。
 それで耳にこびりつくようになり、うろ覚えながら「WontYou」と歌っていた。その後は歌詞もメロディもまったく知らなかったが、その歌番組で聴いてから、これは覚えなければならない、と覚悟を決めて、歌を録音しカラオケ曲をダウンロードして、チャンレンジしてみた。
 メロディがあるようでないような歌で、なんど聴いても頭に入らない。それでもMP3プレーヤーで外出するたびに聴き、ユーチューブの南佳孝が歌っている映像をなんども口ずさんで、ようやく頭に入った次第だ。
 覚えるのに、たぶんもっとも時間がかかったのではないだろうか。こうやって昔の歌が蘇る。私にとって決して懐メロではなく、さらにしっかりスムーズに歌えるようになりたい現役の歌となった。
 前回も書いたが、本当に大切なことは、自分の好きな歌に出逢えるか、ということだ。昔聴いた歌でもいいし、現在流行っている歌でもいいが、これなら歌ってみよう、という気にさせる歌がどこにあるかだろう。
 結局、それは聴く機会を多く持つことしかない。カラオケでいつも同じ歌を歌って満足している人もいるが、私はそれは好きでなく、新しい歌を覚え自分なりの感覚で歌いたいほうだ。
 ここ2週間ぐらいで、以前から歌えた歌で「時の流れに身をまかせ」があった。これもしっかりと歌えるようにした。飲み屋のママが好きといった「アメリカ橋」も覚えた。そして「人生の扉」である。
 こうやって4曲が歌えるようになったが、そろそろ新しい歌に飢え出している。ひとつは「欲望の街」。これも角川映画の主題歌だったが、以前は耳にこびりついていた。これも冒頭部分がむつかしく、まだ距離を置いている。
 こんなことをやっていると、仕事もおろそかになるし、近所にも迷惑をかけかねないにしても、歌を覚えることは気持ちをリラックスさせてくれる。徐々に上手くなっていく変化が体感できることに手応えがある。むろん声を出すのだから健康にもいい。
 最近、歌手のコメントをよく聞いているが、歌は毎日歌わなければダメだそうだ。歌えば喉の筋肉が鍛えられ、いままで出なかった声も出るようになるとか。私の経験でもその通りだった。
 自己流でもいいから、もっと歌って元気を出しましょう、というのが今回の提案なんです。ただ気持ちよく歌えるようになるまでは、やはりステップが必要のようだ。
 
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

歌を覚えること

2012-05-08 14:35:10 | Weblog
 私が好んで唄を歌っていることは、いつもこのブログで記しているが、どうやって歌を覚えるのかを報告しておこう。
 まず知ることからはじまる。昔はほっておいても、どこからか歌が耳に入ってきて、どんな歌だろう、と好奇心を駆り立てられた。それだけ歌に敏感だったのだろう。
 ところが最近は、新しい歌をよほどのことがない限り耳にしなくなった。しても記憶に残らなくなった。だから、ラジオの番組をよく聴くようにしている。歌謡番組では流行りの歌しかやらないが、ラジオではけっこう昔の歌を思い出したようにやっている。それが時折、記憶に残る。ネットで調べてみる。じつくりと聴いてみて、気に入れば本気で覚えようとする。あとは、誰かにいい歌ないかなあ、と聞いてみる。おおむねカラオケバーのママである。相方に好きな歌を聞いてみる手もある。
 そんなことで、自分の知らなかった歌を知る。直近では竹内まりやの「人生の扉」である。知れば、まずネットで原曲を聴いてみる。歌曲に合わせて口ずさんでみる。これでほぼ歌えるかどうかが分かる。低い声、高い声が私に出るだろうかのテストになるからだ。
 次にMP3プレーヤーに原曲を入れて持ち歩いて聴き、耳に慣らす。そうやって徐々に歌を覚えていくが、次にネットからダウンロードしたカラオケで練習ということになる。まず原曲のトレースから始まる。そのままなぞって歌い、いろいろとその歌の特徴を記憶に入れる。トレースが済めば、本気でカラオケで覚えることになるが、ここからが歌を覚える中でもっとも楽しい時期だ。
 何度も練習すれば、徐々にその歌に馴染み、自分なりの声で歌えるようになる。基本は原曲キーだが、その自分なりの声がどうなるのか、という興味がある。これは歌ってみないと予測はつかない。
 原曲キーに合わせて歌うと、自分の声が微妙に変わるのである。この変わりようが面白い。そしてこう歌ったらどういうテイストになるのか、というところでも試してみる。
 これを繰り返しやっていると、原曲と離れて自然に自分の歌い方が決まってくるものである。むろんそうならない歌もある。そうして、その歌が自分のものになってくるわけで、その過程がひとつの成長で、その歌が自分の財産になる気分である。
 他人から見ればやっかいな話ではあるが、それが私の歌に対する面白さである。最終的に発表の場がカラオケバーというのは、ちと情けないか。 

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

安全対策にIT技術使えば

2012-05-05 08:01:06 | Weblog
 悲惨な交通事故が多発している。特に公共交通は、人の命を預かって仕事をしているのだから、徹底した安全対策が求められている。最近の報道では、会社と運転手のいい加減な勤務実態が明らかになってきている。
 長距離バスでひとりで運転できる距離は、670kmと定められている。この規制が反対にひとり運転で670kmまで走れる、と解釈され、多くのバス会社は運転手に過酷な労働を押し付けている。
 それが事故多発の原因とされているが、実際は過当競争の結果だろう。ツアー会社はツアー料金を安くするために、細部までコスト削減を要求してくる。応えられなければ、他のバス会社に発注が行ってしまうから、薄利でもやるしかないところで仕事をしているわけだ。
 私のケースも、プリンスホテル並という触れ込みのホテルが実際と違って、帰ってしまった参加者もいたし、帰りの新幹線の指定座席が女房と隣合わせでなくて他の参加者から同情を買ったこともあった。
 宣伝と実際が違うことは多々あり、それが耐えられる程度ならいいが、これはひどい、という場合は、二度とそのツアー会社を使わなくなるだろう。
 結局、ツアー会社の誠意を信じるしかないのだが、ツアーバスに話を戻すと、バスが会社を出ていってしまったら、そのバスの運転手からの連絡がなければまったくコントロールできない、という限界があるわけだ。
 居眠り運転をしていても、どこかで止まって眠ってしまっても分からないし、事故があっても警察から連絡が来るまで把握できない。
 だったら、現在のIT技術を使って、運転手の状態を掌握できるような仕掛けを作ればいいのではないか。
 例えばスマートフォン。走行中のバスの中で有効かどうかは分からないが、スマートフォンを運転手の前に設置して、カメラを作動させて、いつでも運転手の顔が本社のモニター画面で見られるようにできないだろうか。
 たぶん可能だろう。そのモニターを見ていて、居眠りするような兆候があったら、大きな警告音を発するか、運転者の携帯電話に注意を促すコールを送るか、なんらかのメッセージは可能ではないか。
 もっと違った方法があるかもしれないが、そうした知恵を絞って少しでも悲惨な事故を減らしてもらいたいものだ。バスとはいわず、大きな事故を引き起こす大型トラックなどもこうした方法でコントロールできよう。安全に対する対策は事故が起こってからでは遅い。

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