団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

消費増税は民主党の墓穴

2011-12-30 08:55:43 | Weblog
 民主党が離党者を出しながらも、消費増税の素案を決めた。すんなり立法化まで行くかどうかは分からないが、これで民主党は墓穴を掘ったと言えるだろう。
 結局、財務省の言いなりであり、政権時代の自民党がかつて消費税10%を言っていたのも、財務省が裏にいた。つまり政権をとると、官僚の言いなりになってしまう、という政治家の分かりやすさがそこにある。
 官僚は国の心配よりも、まず自分たちの安定と政策の継続性が優先される。そこを担保しておいて、政治家に進言するから、国の問題は二の次になってしまうのだろう。その官僚のクビを切る行革ができるかどうかは疑問だろう。
 民主党の墓穴とは、これで次の選挙で負けることが決まったわけだ。野田首相は野に下る民主党最後の政権になるだろう。次の選挙は、新党乱立で誰も結果が読めない混乱選挙になるのは必至。そこから何が生まれるのか。本気で日本を変えたい勢力がイニシアティブを握っていくことになろう。
 消費増税の問題は、もっとも簡単な収税方法だ。立法化して上げれば、景気に関係なく貧困層からも黙っていても収奪できる。しかもさほどの重税感はない。
 しかし上げれば、これまで1000円で収まっていた買い物が、800円程度に下がろう。安いものしか売れなくなり、デフレは進行し景気はますます悪くなる、というのは道理で、企業収益は悪化して、トータルの税収入は増税前を割ることだって考えられるだろう。
 たぶん財務省の考えは、このままではデフレの脱却は無理、景気は良くなるどころかもっと悪くなる、という認識があるのだろう。これは世界の動向を見れば分かる。景気が上向く指標などはどこにもない。だったら早めに決めて獲ってしまおう、ということではないか。
 どっちにしてもイタチごっこは当分続くということだが、こうなっても政府のやることは70歳ぐらいまで雇用を確保し、安定的に雇用を創り出し、国民が働きやすい環境を提供することで、それによって税収を上げていくことしかない。働きたくても働けない状況をなくすことが最善の政策だ。
 それは民間だけに頼ることではなく、政府や自治体が雇用を創出していくことが、社会の安定と犯罪の低下、生きる希望を生むことにつながる。
 世界で起こっている問題の原因の大半は貧困だ。いまのままでは日本も、その貧困に引きづりこまれていく。その貧困を止めることができるのは、働ける場があることだ。せめてその希望を政府は見せてほしいと思う。 

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

デジカメ故障二度あることは三度ある

2011-12-24 10:11:06 | Weblog
 再びデジカメの故障の話。先に買ったばかりのデジカメが故障していたことを書いた。
 約1週間程度かかって戻ってきた。まだ使っていないうちから壊れていたので、ほとんど使い方に慣れていないから、操作を覚えるために200ショットぐらい撮っては消すという作業を繰り返した。
 ほぼ操作に慣れ、ちょっと置いておいて、再びスイッチをオンにしたら、また液晶モニターに何も映らなくなった。開封時の故障と同じ症状が起きてしまった。
 参ったなあ、とつぶやきながら、また修理センターに電話をした。先般の故障時のデータが保存されているから、相手は平身低頭。
 いろいろと話し、こちらの望みは再び壊れない修理をしてくれ、というものだ。また同じ故障では、交換したレンズユニットに欠陥があることであり、その同じユニットを交換してもまた同じ故障が起こる確率が高いわけだ。
 違うところが故障するならまだ理解できる、と話していると、継続してお使いいただけますか、と問いかけ、必要なら交換にも応じます、という話しにもなっていった。そこまでする必要はなく、故障しなければいいんです、と結論して、修理に出した。
 また1週間程度で戻ってきた。同じように触っていたら、また故障発生!
 こんどはシャッターレリーズが反応しなくなった。なんども押していると、たまにシャッターが落ちる。その場合は撮れているが、とても使いものにならない。
 こんどはとうとう交換だな、と決めて、買った箱にそっくりアクセサリーも含めて戻し、もう一度確認の意味で、スイッチを入れシャッターボタンを押したら、あれ、撮れる、となった。
 それをなんども繰り返したが、やっぱり正常になっている。これをまた修理センターに戻しても、たぶんどこが悪いのか分からないだろう、と判断した。要は病気と一緒で、具合が悪い時に医者に診てもらわなければどう悪化しているのか分からない、という道理だ。
 仕方なく再び使ってみよう、という気になった。たぶんアウトドアで使う時は予備のカメラも持参という面倒なことをしなければならない。12月はじめに買ったから、保証期間は来年約1年間。たぶん次の故障時にはそっくり交換ということになるのだろうが、よくよくついていないデジカメ体験で、失笑ものであった。

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『坂の上の雲』一考

2011-12-17 10:09:45 | Weblog
 目下、NHKの『坂の上の雲』 のドラマがクライマックスを迎えている。二〇三高地が終わり、いよいよ日本海海戦、そして奉天大会戦に向かう。
 ドラマはどこまでやるのか知らないが、たぶん日本海海戦で山場としては終わりになるのだろう。
 視聴率は10%ちょっとぐらいとか。これだけ金をかけて上質なドラマに仕上げているのに、観る人は少ない。つまり小説の『坂の上の雲』に耽溺した中高年の男性が多く見ており、カウントから外れているのだろう。
 居酒屋などでは話題になっており、まあ、戦闘シーンなどは女子供は観ていても、あまり面白くないのかもしれない。
 しかし、ああいう戦いを通じて、近代国家の日本ができあがっていったという歴史は知っておかなければならない。
 作家・司馬遼太郎の筆は、明治で終わっている。最後に陸軍の参謀本部を書きたかった、という願いがあった。結局、戦車兵として満州で戦い、ソ連を相手に彼我の差を痛感し、日本という国に思いが行き、回り道をして、ようやく昭和前期という悲劇の時代に向かい合おうとした時に、筆を折った。
 残念だったと思うが、それ以上に、司馬遼太郎がどう昭和前期を描いたのだろうか、と思う時、いち国民としてあまりにもその喪失は大きかった。
 まだ、誰も真の意味で、戦争に至る道を大河小説として書き切った者はいない。日本人で書けるとすれば、塩野七生ぐらいだろうか。
 歴史を振り返り、客観的に俯瞰して描けるようになるには、確かに時間が必要だ。それまでに一定の資料が世に出て、いろいろなドキュメンタリーやエピソードを多く作家が書き、それらが集大成された中から、押し出されるように形になっていくだろう。
 時間がかかるにしても、そろそろという願いがある。いつまでも負の遺産として引きずっているのではなく、イデオロギーに左右されてない正当な歴史としての太平洋戦争を読ませてほしいものだ。

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久しぶりにコンデジを買った

2011-12-10 09:15:45 | Weblog
 久しぶりにデジカメを買った。以前のブログで、もう欲しいものがない、と書いたばかりだが、仕事上で必要が生じたためだ。
 それは、狭い室内を撮ることが多く、保有しているコンデジのすべて広角側が35mmで引きがなく、広く撮ることができない。一眼レフは28mmレンズが付いているが、いつも持ち歩くには不便だ。かといって24mm以上の広角ズームを買うのは、ちょっと高額になってしまう。
 それで最近流行りの広角から望遠までしっかりあって、しかもコンパクトなコンデジを購入することにした。
 広角側は24mmからが相応しい。望遠側は別にさほどこだわらないが、10倍もあればOKだ。それでいろいろとネットで探していったら、なんと1万1000円台でそれがあった。しかも今年3月の発売である。
 レンズは24~300mm相当、1600万画素、フルハイビジョンも撮れ、パノラマや3Dも撮れるし、しかも従来の5~6倍のズーム機と同等のコンパクトさだ。
 早速朝方注文したら、翌日に届いた。凄まじい早さである。ところが出荷時故障品で、液晶モニターになにも映らない。
 サービスセンターに電話したら、早速ピックアップに来た。それが土曜日で、修理品が戻ったのは翌週木曜日だった。これもまずまず早かったが、そうした出荷時故障の商品を出荷すること自体がたるんでいるだろう。
 このカメラのメーカー名は記さないが、性能的にはまったく問題がないが、唯一の欠点は充電で、電池の消耗が早く、しかも充電池をカメラに入れたまま充電するタイプだ。だから予備の充電池が必須となって、これも購入。正規品は5000円だが、サードパーティー製を945円で買った。
 本体が1万円ちょいなのに、充電池の価格はダイレクトショップで5000円である。こういうバカなことを誰かが矯正してほしいものだ。
 もうひとつは、1万1000円代で購入したわけだが、わずか1週間で9900円代に価格は下落していた。
 ちょっと歯ぎしりものではあるが、こればかりはタイミングで仕方がない。それにしても、これだけの性能のコンデジが1万円以下で買えるようになっている。ありがたいとも思うが、カメラメーカーも大変だろうな、と同情もしている。

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高校生通り魔の心理とは

2011-12-06 14:37:17 | Weblog
 松戸、三郷で連続して女性にナイフで切りつけた犯人が捕まった。通信制の高校生だった。ナタも持っていて人を殺そうと思った、と物騒なことを言っている。
 どうしてこういう怪物が生まれるのだろうか。たぶん今回もいろいろな評論家が、この高校生の心理をあれこれと忖度するのだろうが、これまでの例から隔靴掻痒の感が強い。
 本当に人を殺したかったのだろうか。こちらも隔靴掻痒を覚悟でその心理を想像すると、通信制の高校生だから、実際の高校へ行くのには挫折している。たぶん勉強なんかしていない。
 うちにこもり、閉塞感が強まり、行き場のない怒りが内面で膨張していく。それが自分より弱い女性に向けられたかもしれない。
 それ以上に、すでに生きる気力も方向も喪失しており、なにか犯罪を犯すことで、逮捕される、という生き方を選んだ可能性が高い。
 通信制の高校生なら、このまま行けば、いずれは修了ということになり、人生の岐路に立たされる。そこでなにかを選択して、自分に何かを課して、意思的に生きていくということが、残酷なほどに辛くなっていたのではないか。
 それより、ここで考えることを停止したい。もう、いい、と思いつめるようになっていく。しかし自殺をするほどの覚悟はない。
 人を巻き込み、それによって生きることを止めたい、と思っても不思議ではない。捕まり拘束されれば、もう考えることは必要なく、ただ命令されるままに生きていくことができる。もう自分で意思を持つ必要もない。ただ漂うように生きていける。
 そういう心理になってしまったのではないだろうか。一方で従来型の犯罪は分かりやすい面がある。金のため、恨みのため、女のため、としっかりとした動機がある。
 こういう通り魔的な犯罪の動機は分からない。人を殺したい、と思うほど人を恨んでいるわけではない。ただ殺したい、のだろう。つまり自分に向けられた何かが、人に向かうのだろう。やはり現状打破ではあるのだろうが、それが通り魔でしか体現できない不幸がある。
 人には意思があると思われている。しかし意思がない人間もいるのかもしれない。その人に意思を要求することが現代社会では当たり前になっている。要求される意思に追いつめられる。逃げ場があるとすれば、それがたぶん犯罪だったのだろうか。高校生だから少年院に入り、いずれシャバに戻る。それで意思のある人生に戻れるのだろうか。あまりに楽観的的ではないか。こうした人に救いがあるのだろうか。

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