団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

武器なんとかならぬか

2015-04-05 10:20:57 | Weblog
 ノーベル平和賞を受賞したマララさんは、教育の重大性を訴えていた。しかし、教育や知識が宗教を乗り越えることができるのかは微妙な問題だ。オウムもイスラミックステートも、その限界を示している。
 それ以上に、あまり議論にもなっていないことは、武器の問題だ。ケニアでキリスト教系の学生147人が虐殺された。意味のない殺戮だが、どんな武器が使われたのかは、まったく報道されていない。
 つまり武器の問題はタブー視されているのだ。国連の常任理事国はみんな武器輸出大国だ。重要な外貨稼ぎのアイテムであるのだろうが、それだから国連でも議論されたとは聞いたことがない。
 ここらで日本でもいいし、どこかの平和至上主義国が、国連で演説して各国が武器を輸出しない提案でもしたらどうだろうか。テロが起こる。そこで使用された武器を調査し、どこで作られ、どういう経由で、テロリストの手に入ったのか。それを追跡して、それに関わった組織や人間を断罪する仕組みを作ることではないか。
 むろんさまざまな組織が関与しているだろうし、闇社会ともつながっていよう。しかしそれぞれの国の政権が、武器輸出・輸入を問題視して、それに取り組む覚悟をしなければ、悲惨なテロリズムは終わりそうもない。
 各国に覚醒を促し、最低でも、それぞれの武器に固有ナンバーを付与し、それを国連に報告して、すべての武器を管理できるシステムを構築する必要があるのではないか。
 そんなことをしたら、無力な人々がますます殺されかねない、という議論もあるだろうが、どこかから始めなければならない。
 環境悪化でもウイルスでも多くの人が死ぬが、武器によってもさらに多くの人が死ぬ。環境や病気なら諸手を上げて協力するが、どうして武器についての議論は出てこないのか。まったくいい加減なものである。
 かつて太閤秀吉は刀狩りを行った。身分制度の固定化につながったが、それによって無用な争いは減ったわけだ。古代では弓と矢、槍で人々は闘った.小競り合いで死ぬ人間は限られていた。
 しかし、現代は無制限の武器使用の環境にある。ロシアのプーチンは核の使用も想定したという報道があった。米国のトルーマンは原爆を実験的に使いたがった。あれば使うし、使えば大量の人が死ぬ。この悪しき連鎖を断ち切るために、誰かが声を上げなければならない時期に来ているのではないか。 
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