団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

どうなる第3極

2012-10-31 14:36:56 | Weblog
 こうまで政局が混迷してくると、一市民としてはひと言いいたくなってくる。というのは、いま第3極がどうなるのか、というのが焦点になっているからだ。
 第3極とは、維新の会、石原新党、みんなの党、国民の生活が第一、減税日本などが、それに当たるが、これが次の選挙までに、どう収斂されていくのかだが、なにしろ政策にはかなりの隔たりがある。
 原発、消費増税、憲法、選挙制度、復興などなどで、まあ、選挙までに政策が一致するわけがなく、反対に無理にまとめても仕方がない。
 結局、維新の会と石原新党が、どう連携できるかで、その大勢は決まる。あとは自らの旗幟を鮮明にして、前記2つの党との協力関係を構築するかにかかっている。
 問題は、無党派の一般市民が、この第3極に投票する時に、分かりやすくひとつの政治集団としてアピールできるのか、という点に尽きる。
 そうでないと、第3極の票そのものが散逸してしまって、結局利するのは他の政党になってしまおう。
 政策の問題はそのあとでもいい。まず日本を変える、憲法を変えて、新しい日本にする、という点で一致して、これでまとまることによって、第3極として前面に押し出すことができよう。
 そうなると、安倍・自民党との差がなくなってしまうが、ただ自民党は旧体制側に属するから、改革にしても限界があり、もっと過激になれる第3極がリードすることが可能になろう。
 衆院選では、たぶん民主党は惨敗し、少数野党にまで追い詰められよう。右寄りの議員は、第3極に逃げ込み、左は行き場がなく、革新系の野党として残る。
 自民党は、大勝にならずも第一党に踊り出るが、公明党か第3極のどこかと連立を組むことになる可能性が高い。
 だから選挙後、第3極が政局のグリップを握ることになるだろう。そうなって、はじめて政策の問題が浮上しよう。
 だから現在は、選挙を戦うためにどう体制を組むか、という一点が肝心だ。このまま第3極がばらばらなら、結局は民主党と自民党の対決になって、自民党が勝ったにしても、民主党が依然として発言権を持ち得ることになってしまおう。
 そうなったら、日本を創り変えることができなくなつてしまう。いまこそ第3極が協力し合う時であろう。
  
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橋下攻撃に失敗した朝日新聞

2012-10-25 13:26:51 | Weblog
 マスコミの失態が続いている。多くは編集部・記者の能力不足に起因していようが、今回の『週刊朝日』の大阪市・橋下市長に対する罵詈雑言記事は、朝日新聞社に原因があるようだ。
 完全に橋下市長に対するネガティブキャンペーンの一環で、橋下をぶっ潰す、という号令が聞こえそうな内容だ。
 自分の名前で執筆している佐野眞一も、たぶん朝日に利用されたのだろう。良識ある言論人なら、あんな記事を好んで書くわけがない。もしそうなら、橋下市長に個人的な恨みでもあったのか、朝日に洗脳されてしまったかだ。
 橋下さんから強烈なクレームがあって、すぐに矛先を引っ込めたのは、たぶん被差別の問題があったからだ。人権を旗印にしている朝日が、反対に人権を踏みにじる記事を出してしまったからだ。のほうから圧力がかかったろうと思う。
 橋下さんをタメにするために、出自の問題に言及したが、それが自らの首を絞める結果になったわけだ。
 そんなことより、どうしてこんなキャンペーンをはじめることになったのか。たぶん民主党の擁護。自民党も維新も保守政党になるから、保守が嫌いな朝日だからこそ、橋下さんを貶めることによって、橋下=維新の信用性を傷つけようとした。
 かつて安倍さんが総理のころに、朝日は安倍さんに対して社是としてネガティブキャンペーンを張った。これは功を奏して安倍さんを辞任に追い込んだ。
 これに味をしめ、個人攻撃なら橋下となったわけだろう。なんともさもしいマスコミではあるのだが、朝日の中の誰が、こんなことを決めたのか、というのは今後の検証で明らかにしてほしい。
 最近の朝日新聞の左傾には目に余る。人民日報のような記事を書いて平然としている。しかし朝日だって日本で食っている企業だろう。だったら日本・日本人のための新聞を出すのがまっとうなマスコミのやることだ。
 世の中は、保守的な傾向を強めている。そこに尖閣問題で中国の反発を覚える人が増えている。そんな風潮が朝日には我慢できなかったか。ここで一発、保守の親玉をやっつけろ、というわけか。
 あるいは、最近はよほど部数が落ちているのかもしれない。特に関西は橋下旋風で、リベラルな朝日は敬遠されていて、部数復活のために橋下攻撃に打って出たということも考えられる。
 今回の騒動で、一番損をしたのは皮肉なことに、当事者の朝日新聞で、そう考えると、朝日をはめたやつがいることも考えられるが、どうだろうか。

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ケータイ電池がいきなりダウン

2012-10-19 11:20:29 | Weblog
 最近は身辺雑記の内容が多くなっている。まあ、政治はころころ変わるし、中国のことなど書く気もしない。ミャンマーがいいといえば、みんなドッとそっちに行く。かつての中国がそうで、それでひどい目にあっているのだから、大震災対応もそうだし、エネルギーも結局は、分散化が知恵だろう。
 それは別として、いきなりケータイ電話の電池がドロップダウンした。まだガラケーを使っているが、蓋を開けても液晶が付かない。あれれ、と思って、電源スイッチを長押ししても、なんの反応もない。
 壊れたか、と思って、女房も同じケータイを使っているから、女房のケータイの電池を抜いて入れ替えてみた。しっかりと液晶が付き正常に復帰した。
 そうか、電池がヘタったのか、と判断した。購入して丸3年は経つ。さほどの使用頻度ではないが、そろそろと来たか、というわけだ。
 しかたなく、ネットで買おうといろいろと見てみた。なんとソフトバンクの純正品は3640円で売っている。高いなあ、と同型のリチウム電池を調べてみたら、500円であった。送料も無料である。大丈夫か、というのが先に立った。
 ソフトバンクだつて、自分のところで造っているわけではなく、全品検査をしている会社とも思えないから、500円でもいいから買ってみよう、と依頼した。
 3日後に到着した。ケータイに装着してみた。すぐに充電がはじまり使えるようになった。それまではフル充電で1日経てば、ほぼ半分に減っていた。今回は充電後2日経っても80%以上の残量がある。かえってサードパーティー製のほうが性能がいいくらいだが、ただ中国製だけにいつまで持つかは定かではない。そうなったら、また500円で買えばいいか。
 リチウム電池は、ニッカド電池の使い方と違って、大深度充電をあまり行なってはよくない。大深度充電とは残量が0になってからフル充電をすること。これで1回カウントされる。約500回が建前だが、たぶんそんなには持たない。だから20~30%の残量ぐらいで、80~90%の充電を繰り返すと長持ちするという。
 ニッカド電池はメモリー効果があるから、ほぼ使い切ってから充電をしたほうが、パワーが落ちない。とはいえ、そう使っているのだが、ある一定の時間が経てばヘタるものである。あらゆる物ごとは、経時変化があるものである。
  
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再び酒について

2012-10-12 09:10:21 | Weblog
 前回の「酒の付き合い方を変えよう」で、顔が腫れてしまったことを書いた。あれから二週間。ようやく眼の周りの隈が薄くなってきて、右目全体の腫れもなくなってきたが、眉のところのコブがまだくっきりとある。
 この間、メーカーの発表会に出て、常連の飲み屋で2回飲んだ。さすが飲み屋ではみんなの注目を浴び、あれこれと言い訳をして、九時には酒杯を置いた。まさに優等生である。
 ところが次に空きっ腹で飲んで、時間は早かったのだが、あまり記憶がなくなってしまった。むろん失敗はしていないが、記憶をなくすことだけはやめよう、と誓ったばかりで、このザマである。威張れたものではない。
 なぜ記憶がなくなるのか。目では周りを見て、ちゃんとしゃべっていることは確かなのだが、たぶんそれらが酒によって、網膜からの情報が頭の記憶に残らないわけだ。
 酒を飲む時になにを注意すべきか。私の経験では、飲み始めに、かなりしっかりと食べることである。ただ私の場合は、基本的には晩酌酒で、飲んでから食べるほうで、あとで食べるからと思っているから、飲んでいる時はあまり肴もいらないほうだ。
 外で飲む時は、これをひっくり返して、まず食べる努力をしなければならない。やや苦痛ではある。
 もうひとつは、酒の味を楽しむことだろうと思う。外ではもっぱら麦焼酎で、飲み屋に置いてある「いいちこ」をやっている。
 氷と水を入れてかなり薄くはなるが、これをグイッと飲み、喉に流れ胃に落ちてちょっと熱く広がる感覚を楽しむことだろう。麦焼酎の水割りでも味はあるもので、やや辛口をうまく感じているうちは大丈夫だと思う。
 そして、肴を口に運ぶ際に、いつも考える。酒を飲んで肴か、肴を食してから酒か、という順序である。私は前者で、口中の酒の味を消すように、肴を入れる。そしてゆっくりと飲むことを心がける。
 前回はこれを忘れてしまった。酒はゆっくりと愉しむ、という醍醐味を忘れてはならない。以上のことを頭に叩き込んで、これからも長く細く酒が愉しめればいいなあ、と願っている。
 まあ、長々と酒のことを書いたが、理屈ではなく飲むことである。あっああ、飲みたくなってきた。さあ…、一献。
  
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酒の付き合い方を変えよう

2012-10-01 15:09:49 | Weblog
 たまに私の酒の失敗談については報告しているが、またやってしまった。先週の金曜日深夜、泥酔して定かな記憶はないが、どこかで転んだらしい。
 朝起きたら、枕に血が点々とある。ギョッとして、顔を触ってみた。右目の上が腫れている。その周りにすでに固まった血のカサブタがあり、どうやらコンクリートの上に顔をぶつけたようだ。
 目を開けようとしたら、少ししか開かない。瞼が腫れて目の上に垂れ下がってきている。鏡の前に立って恐る恐る自分の顔を見た。異様な別人がそこにいた。
 またやったか、とがっくりと落ち込む。午後になると、こんどは目の周りに隈が広がりはじめた。さらに人相は変わった。
 目だけではなく、右膝を打ったようで痛い。右手に擦過傷、左の脇腹も痛む。なんとも情けない様子に、わが女房は開いた口がふさがらない。
 とにかくこの顔では人に会えず、ドラッグストアで眼帯を買い、しかたがない時はこれで騙そうと思った。
 それより、これからの酒の付き合いを本気で考えなければならない。この程度で済んでいればいいが、もっとひどいことになるかもしれないわよ、と女房が威す。
 こんな状態で反論する気力もないが、確かにその通りである。私の酒は、あまりたちが良くなく倒れてのち止む酒である。ただいつもそうなるわけでなく、変に酔ってしまう時があって、そういう時にこうなるケースが多い。
 なにを変えるのか。いろいろと浅知恵を絞った。なにを決めても、本当に守れるか、というのが酒呑みの本性である。
 最初に決めたことは、、夜10時で酒杯を置く。それからはノンアルコール系の飲料にする。それまでは慎重に杯を重ね、なるべく記憶をなくすほどには酔わないことを心がける、ということである。
 記憶がないほど飲めば、生きていないのと同じで、飲んでいること自体に意味がないわけだ。みみっちい酒になるかもしれないが、私も今月で64歳である。そろそろいい酒との付き合いをはじめなければならない。
  
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