団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

アルジェリア事件で分かったこと

2013-01-25 11:04:43 | Weblog
 フランスの植民地だったこと、砂漠、カスバ、首都アルジェぐらいで、本当のところアルジェリアのことなんかよく知らない。
 かつてアラン・ドロンが主役のフランスの傭兵舞台の活躍を描いた『名誉と栄光のためでなく』という映画は、アルジェリアが舞台だった。もうひとつは『アルジェの戦い』というドキュメンタリー風の映画もあった。この2本を一緒に映画館で観た記憶がある。アルジェリアについては、そんな程度の知識だろう。
 日揮という会社も大変だったろう、と同情申し上げたいのだが、それにしても、そのプラントで働いていた方々は、けっこう中高年が多かった。
 こうした海外のプラントで長期間働く場合、30~40代のイキのいい年代の人が多いのだろう、と思い込んでいたが、違っていた。しかも派遣や契約社員が多いことも意外だった。
 危険なところであり、気候的にも過酷な場所なのだから、正社員を赴任させて、なにかあったら会社のリスクは大きい。だから自然と、こうした形の雇用関係になっていったのだろうか。
 当初、日揮はプライバシーもあって、被害者の個人情報を公にしたくない態度をとっていたが、雇用の実態を知られたくないという理由があったのかもしれない。
 それにしても、日本企業が海外に進出して働く人々の実態は、時代によってかなり大きな変化がある、ということは、この事件で分かったわけだ。だから、若者がだらしない、とは決められないが、なにか現代の日本に欠けていることがあらわになったような気がする。
 もうひとつ、ちょっと解せないことは、政府専用機を使って日揮の社員や犠牲者を運んだことだが、どこまで私企業に政府が協力するか、という問題があろう。
 日揮はビジネスとしてアルジェリアに進出してプラント建設をしたわけだ。政府の命令ではないだろう。となれば、そこで災禍に遭ったとしても、私企業としての立場があるだろう。
 アメリカなどは、米国人が海外でテロにでも遭ったら、すぐに海兵隊の出番なのだろうが、日本は自衛隊ひとつ派遣できない。自衛隊法の改正がいわれているが、しかし私企業をどこまで救うか、という線引は必要だ。
 今回の場合は、国際社会が瞠目した。その中で日本政府の対応も問われだろうが、こういう場合の原則はどうなっているのか。公務員、民間人で違うのか、ビジネスかレジャーかで違うのか。
 これがもし1~2人ぐらいの被害者だったら、政府専用機になるのだろうか。あるいは大企業の日揮だからか、去年シリアで殺された報道写真家の場合はどうだったのだろうか。
 旅行者がテロに遭い、人質になり、被害にあったら、政府はどこまで関与できるのだろうか。そういう取り決めもまた必要になってきているのだろう。
 理不尽に殺された方々には申し訳ないが、今回の事件でそんなことまで考えてしまった。
 
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カツカレーのトンカツがない

2013-01-20 13:25:40 | Weblog
 すっかり更新が遠のいてしまった。なんとなく書きたくない時期、書いてもしようがないなあ、という気持ちが湧く時があって、正月からなんとなくそんな気分であった。
 もっとも待っている読者がどれほどいらっしゃるのか、と考えると、やや気鬱にもなってくるものである。
 ともあれ、卑近なテーマを持ち出すと、女房がたまたま休日、留守になって、晩飯を自分で用立てなければならなくなった。糖尿病の私ではあるが、たまに食いたくなるものがある。
 そのひとつにカツカレーがある。外ではまず食べないが、レトルトのカレーをかけて市販のトンカツを乗せて、うちで食べてみようと思った。
 お昼ごろ、女房を送って、手近なスーパーに寄ってみた。私が想像するカツカレーには、ちょっと厚くて大きなトンカツを売っていた。ロースとんかつとして、単体のおかずで食べるなら、問題のない大きさではあるが、カツカレーにはやや大ぶりと思った。
 次のスーパーに行った。こんどは大きいことも大きいが、衣がつきすぎていて、カツカレーには座りが悪そうだった。三軒目のスーパーでは売っていなかった。最後の四軒目でしかたなく妥協して購入した。ここのトンカツが一番高くて360円だった。
 そもそもカツカレーのトンカツには、さほど見栄えのいいローストンカツである必要はない。薄っぺらで肉質も脂が多めで、大きさも買ったトンカツの2/3程度のものであればいい。
 要はカツが主役ではなく、カレーとカツ、ご飯の渾然たる味が堪能できればいいのである。しかも糖尿病であるから、トータルカロリーは低めに抑えたい。もっとも効果があるのは、トンカツの量を少なめにすることだ。
 四軒回って買ったトンカツが、それでは情けなかった。かといってヒレカツでは、まったくカツカレーの道からは外れている。やはりロースであり、単体ではみっともないぐらいのロースカツであるのが理想だ。
 結局、自分で肉を買ってきて、衣をつけて揚げればいいことではあるのだが、わが家は何年も天ぷらや揚げ物の料理をしていない。そういうものは買ってくることにしているから、準備自体が面倒だし、汚せば女房にどやされるだろう。
 スーパーの方々、どうだろうか。現在のロースカツの半分程度のボリュームのカツカレー専用カツを発売できないだろうか。病気持ちや高齢者には、そういう調理こそ望まれていよう。
 むろん二人や三人で分ければいいのであるが、ひとりになってはじめて食べたい料理もあるものである。もっともひとりで気を許して、酒を飲みすぎて、食べるのが面倒になってしまう最悪のケースも考慮にいれなければならない。
 さて、今日の夕飯は無事に終わるのだろうか。

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年末年始に思うこと

2013-01-04 11:01:04 | Weblog
 結局、まともに紅白歌合戦は見なかった。白組が勝つ前の2~3の歌は聴いたが、あまりに歌われている歌が縁遠かった。出場者の半分以上の歌手は知らないし、歌も聴いたことがない歌だった。紅白も遠くになりにけり、という感慨だ。
 年末年始のテレビを観ていても、テレビコマーシャルがよく分からくなってきている。なんのコマーシャルと思って観ていると、パチンコやパチンコメーカーだ。仰々しいコマーシャルの多くは、ゲーム屋だ。
 パチンコはしないし、ゲームもモバイルではやらないから、縁がない。スマートフォンも使っていないから、それに関わるコマーシャルもよく分からない。
 テレビの番組自体も、バラエティやお笑いはまず観ない。バラエティに出てくるお笑いのタレントを知らないから、観る気も起きない。それにしても、テレビの番組はひどいものだった。観たい番組はほとんどなかった。
 だから駅伝などのスポーツ番組を観ることになってしまう。どこから観てもいつ観ても楽しめるから便利なものである。
 元旦の新聞は分厚かった。ドアの郵便受けから出すのに苦労した。それでも、紙面の半分はくだらない企画記事で、ほとんど読まずに捨てた。
 あんなに沢山記事を書いて、どれほど読んでくれるだろう、と思っているのだろうか。元旦だって、いつもの新聞で十分だ。中の広告も、企業の都合のいいメッセージ広告で、つまらないことに金を遣っているものである。経営が傾いている家電メーカーの広告なんかまったくなかったが、新聞社にとっては元旦の広告は貴重な収入源なのだろう。
 折り込み広告はたっぷりだが、近所のスーパーの初売りなどは、ゆっくりと点検するから、これは大切なのである。
 メディアは年末年始だから、という理由で、いろいろな利権が絡んでいるだろうが、できるなら特別なことは大晦日・元旦ぐらいにして、あとは正常モードで十分なのではないだろうか。
 ともあれ、団塊の世代がこの齢になってくると、世の中との接点の数が徐々に少なくなってくる。仕事の関係先はまだ関心があるし、趣味としているものはまだまだ興味が失われているわけではないが、新しいことに対しては、やはり以前よりは熱意が醒めているような気がする。
 だから年寄りになっていくのだろうが、まあ、ここまで生きてきた時間の重みは背負っている。そこから出てくる経験から、世の中をじっくりと見るようにしたい、と思っている。そういう余裕をいつも持っていたい、というのが現在の心境だろうか。 

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