団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

ITトラブルでさんざん

2013-11-26 10:37:41 | Weblog
 トラブルとは続くものです。まずネットがいきなりつながらなくなった。症状は1台のパソコンはつながるが、他の1台はまったくダメになった。
 いろいろと接続の設定を変えてみるが、どうにも解決しない。あれこれと考えて、ルーターをチェックしてみた。最近触った記憶はなく、試しにルーターの差し口を替えてみた。
 あれ、つながった、と意外な結果でホッとした。なにしろ締切で、ネット情報を使うことが多い仕事になっている。その日はそれでOKだった。
 翌日の朝、パソコンのスイッチを入れ、ネットにつながるのを待った。あれれっ、また同じ症状が出た。なんだよお、またか、ともう一度、しっかりとルーターをチェックした。問題はないが、時々赤いランプが点滅している。ただすぐに消灯する。
 たぶんルーターがヘタったのか、と判断した。なにしろ2005年から使いっ放しのルーターだ。それで近所の家電量販店に行って購入した。有線ルーターだから2560円と安い。早速、付け替えてみた。 
 接続は前のルーターと同じにした。しかし、こんどはどちらもつながらなくなった。なんだなんだ、と頭に来て、とうとうOCNのテクニカルサポートに電話した。あれこれ話していると、どうもモデムからのLANコードは、ルーターのWANにつなげなければならない。取説にも書いてある。
 うむうむと納得しつつ、以前と接続が違うなあ、以前のやり方で8年も使っていたのだ。しかし説明を聞くと、モデムからLAN1につなげるだけでは、1台のパソコンしか認識しないスルーの状態になるとか。それでWANに差し替え、それぞれのパソコンをLANの差し口に入れた。次の設定はルーターのウェブサイトにアクセスして、取説通りにやってみた。
 設定のウィザードで、パスワードを間違えて打ち直したら、そこで止まってしまった。なんどやっても、パスワードを替えますか、と聞いてくる。なんで進まないんだ、と頭に来ながら、ページ上にあるWANのタブをクリック。同じような設定があってOKとしたら、今度はサクセスと出た。
 これでクリア。すべてのパソコンが問題なくつながるようになった。まさかルーターが壊れていると思わず、8年も使っていた接続が間違っていた、というのは意外だった。昔の設定では取説通りにやったとばかり思っていた。つまり自分がバカだったのだが、それこそつながるまではイライラが募るばかりだった。
 次にプリンターの電源が入らなくなった。コードを抜き差ししてもダメ。書類ひとつ書けない。これにはまいって、すぐに最大手の家電量販店に注文。現行商品で2~3日で届くだろう、と高を括っていたら、在庫がなく手配しています、もう少しお時間を、とメールが届いた。キヤノンの現行製品が最大手のショップでもないのだと。
 確かに単機能プリンターだから人気はないのは分かるが、SOHOでは他の機器は揃っており、単機能のほうがありがたいのだ。複合機なんか買って、なにかの1機能がダメになっただけでオシャカであろう。
 しかたなくファクス専用で使っている複合機のなくなったインクカートリッジを秋葉原まで買いに行った。Yで見たら、確かに当方がほしいプリンターは陳列されてなかった。どこか間違っていないか。だって複合機を買って壊れたら、また複合機を買うわけで、使える機能も捨てることになろう。
 以上のようにITトラブルでさんざんの目にあった。ただ締切が終わったあとだったのが救いだったのだが、今度はなにが来るのだろうか戦々兢々である。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

日本酒よおまえもか

2013-11-12 15:13:40 | Weblog
 日本酒よ、おまえもか、という心境であろう、酒呑みは。誤表示ではなく偽装表示で、日本酒メーカーの富久娘酒造がやってしまった。純米酒や吟醸酒に偽装表示があった。
 まあ、詳しいことはマスコミ報道を読んでほしいが、たぶんこれからも酒造メーカーから、同じような偽装表示が発覚するであろう。なぜなら、デパートやホテルで相次いでいるからだ。
 どうも、こうした偽装表示というより、調理の手法をどこかでコンサルティングした組織がいるのではないか。特定の人物か組織がいないならば、ネットワークでありそうだ。
 つまり、これほど同じような偽装が一斉に起こるわけがないからだ。あるいは、全国のグルメのシェフのネットワークがあり、そこの誰かが、もし特定の食材がない時に、これで代用することができる、といってアドバイスをしたとすると、みんなが注目する。そんなところからはじまったのだろうか。蔓延するというのは、そうとしか考えられないからだ。
 ただ常にコストの安いもので代用されているから、やはりコスト削減という経営的な要請がバックにあったのだろう。それで偽装をやってしまう。お客の誰も気がつかない。最初は恐る恐るだが、常習になれば大胆になって、良心も麻痺してしまおう。
 今回の表面化によって分かったことは、表示のいい加減さだろう。何をもって信用できるのか、といえば、その料理を提供している店であろう。その店が信用できないとなれば、グルメなどは無意味になってしまう。気に入った食材を買ってきて、自分で料理することがもっとも楽しめることになるのではないか。
 そうした偽装の料理に舌鼓を打って、人にでも勧めていた食通というのも、嗤ってしまう存在であろう。きっと冷や汗もので過ごしていようが、もうひとつは日本が営々と築いてきた信用という問題を、地に貶しめたということは大問題だ。
 どうやって回復するのか。なにをもって信用できるのか。結局、食材や値段ではなく、自らの舌を信じて、実際に食べ飲んでみて、判断するしかあるまい。
 クチコミなどのネット情報を信じて、並んで食べる例が多いが、それだって人の判断に頼っている。失敗してもいいから、自分の判断で美味そうな店や食材を探し、それで見つけることができれば、その感動は大きいだろう。その試行錯誤が、自分の舌を育てることになろう。
 味覚は小学生ぐらいまでで決定するという。その齢ぐらいまでに、本物の料理を食した人間は、本物の食通になれよう。多くはリッチな家庭に育っていることが条件になろう。
 しかし、長じていくらグルメを食しても、たぶん追い付けない。なぜなら、基準がないからだ。子供の時に味わった本物の味という基準があって、初めて美味い不味いの判断ができるからだ。ただそれは本物の食通のことだ。
 我々のような一般人であっても、前述のように人に頼らず自分の判断で、なにごとも食していきたい。それは酒もそうだろう。私は酒の味は分からない、と常に言っている。比べれば、美味い不味いが分かるが、それだけならチンプンカンプンだ。
 それでも酒を愉しむことはできる。大切なことは、酒でも料理でも愉しむことで、人生を豊かにすることではないか。 

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

気がつけばみんなガラケー

2013-11-06 11:05:57 | Weblog
 我々は名古屋出身で、首都圏に来ている高校時代の同期が集まって、年に1度ほど同期会を開いている。先日は、東京ドームホテルのランチバイキングに舌鼓を打ち、その後43階のカフェでおしゃべりに興じた。
 5時半にお開きになり、11名がエレベーターで地上まで降りた。そのエレベーターの中で、誰かが、娘からスマホにしたら、と言われていてね、と言い出した。その言葉を受けて、一斉にみんなが「止めとけ」と声を揃えた。
 聞けば、そのエレベーターの箱に乗っていた全員が、ガラケーのケータイを使っている。さすがにびっくりした。「あんな高いもの使えるか」「小さい画面でネットなんか見ないしね」「メールだってガラケーで十分よ」と、いろいろと意見を言い合っていた。
 全員65歳前後である。お互いメールで連絡を取り合っているから、パソコンは使っている。だからスマホを使っても、さほどの抵抗なく入れることだろうが、スマホにはみんな拒否感が強い。
 どうしてだろう、と思うが、結局ガラケーで足りている、というのがもっとも大きな理由だろう。スマホが必要な状況というのは、外出先でネットを含めて、いろいろなアプリを使いたいわけだが、そもそもあまり不要な外出もしなくなっているし、外出するならみんな準備もしっかりしていく世代だ。
 だからスマホを使う状況が生じない。私もまだスマホを使っていないから、もっと便利な機能やアプリもあるのだろうが、現在のガラケーで不便を感じているわけではない。
 まだ仕事をしており、スマホを使うなら、パソコンを持ってそれで仕事もしたい、というニーズがあり、スマホで仕事ができるわけではないから、やっぱり不要ということになろう。
 先に帰った同期のひとりは、ガラケーとiPadを使っている。「スマホ? あんなの要らないよ。スマホを使えば1万円近くになってしまうが、ガラケーとタブレットなら、6000円程度で済んでいる。ネットはやっぱり大きな画面で見たほうがいいしね」というのが、彼の論理だった。
 ケータイの半分近くがスマホになっている。実際、スマホによって通信3社はがっぽり儲かるような仕組みができ上がっている。ユーザーが好んで使っているから、文句をいう筋合いではないが、どこかはめられているような気がする。
 一生懸命仕事で稼いでも、通信料やわけの分からないアプリや割賦などで課金されて、毎月の固定費でヒーヒー言っているのが実態だ。しかもすぐに新しいタイプが出てくる。当然、スマホにどっぷり浸かっていれば、欲しくなるだろう。また買って、支払いに追われるわけだ。
 その繰り返しの中で、結局スマホに振り回されているような状況が生じている。かつて私は仕事でアップルのマッキントッシュを使っていた。マックではなくマッキントッシュという感覚なのだが、漢字Talkなどで新しいOSが出れば、すぐに買いバージョンアップ、アプリも買い仕事もやりやすくなったことは確かだが、けっこう振り回されていた。パソコンが発展途上だったから仕方がない面があるが、それでもどこかで止めて、そのまま使い切ることもできた。
 スマホもそうした面があろう。かつてのPC からスマホが主役になって、スマホによって人々が使わされている逆転的な状況が感じられる。スマホではなく、道具として使っているのは人間なんだ、という自覚が必要なのではないだろうか。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp