団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

落とし所は軽減税率か

2012-06-30 08:51:00 | Weblog
 小沢一郎が造反して、民主党が分裂の危機を迎えている。ここで輿石幹事長の説得で、矛を収めたら、小沢さん自体の信用が吹っ飛んでしまう。
 つまり双方とも、妥協の余地のないところに追い込まれているわけで、こうなってしまうところに民主党そのものの体質があったのだろう。
 割れるのもいいし、新党もいい。要はこのままで終わるわけではないが、ひとつの落とし所を見い出すとすれば、軽減税率の導入だろう。
 2年後の8%消費増税時に、軽減税率を導入して、生活必需品全般を5%の現状維持のままにする、という修正案を盛り込んだらどうだろうか。
 これで低所得者への逆進性は緩和されるし、小沢さんの顔も立つ。民主党は消費増税の実現という面目もできるわけだ。
 たぶん消費増税をしても、実際の税収は増えるどころか減収になってしまう。つまり税収を増やすためには、増税よりも景気を良くすることのほうが早い。
 では、どうしてこうまで野田首相は増税にこだわるのか。おそらく財務省から恐怖のシナリオを突き付けられているのだろう。要は日本のギリシア化で、国債の暴落によって日本国の信用が失墜することだ。
 国際社会の信用度を維持するために、増税を実施することが最低の条件になっているのだろう。だから増収よりも、増税なのだ。
 軽減税率については、一部の議員がそういう提案をしているのに、財務省や政権は聞く耳を持たなかった。なぜなら、線引が難しすぎるから、というのが理由だ。
 しかしヨーロッパではこれが主流で、イギリスは生活必需品や医療などは0%という。ただ一定の税率にならすと、9.5%程度になるらしいから、まだ日本のほうが安いわけだ。
 ただ贅沢品は買わない選択肢ができる。すべての消費財に消費税が付けば、その選択肢がなくなるから、重税感は強い。
 その軽減税率を本気で導入するために、この2年間を研究期間に当てて、国民論議の場で徹底的にやればいい。
 そうやって晴れて、消費増税に踏み切れば、これほどの反対論はなくなるだろうし、同時に社会保障の改革も本格化させ、さらにデフレ脱却まで突き進めればハッピーだろうが、むろんそんなことは民主党にできるわけがなく、やはり新しい政権が担うことになるのだろう。
  
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。

「従軍慰安婦」写真展について

2012-06-27 08:59:23 | Weblog
 新宿ニコンサロンでいったんは中止に決まった「慰安婦」の写真展が実施されることになった。
 すでに朝日新聞などが報じていることだが、この経緯は、この時期に従軍慰安婦などの反日的な写真展をどうして開くのか、という右からの抗議があったために、運営のニコン側がトラブルを恐れて中止を決定した。
 これに作者の韓国人写真家の安世鴻さんが表現の自由を侵す、として抗議。東京地裁に写真展開催の仮処分を申請。これを受けて、地裁がこれまでのニコンサロンの運営などから判断して、開催すべし、と命令を下した、というわけだ。
 この問題について、いろいろと考えさせられる。ひとつはどうしてニコンサロンが、米国でも韓国でも盛り上がっている従軍慰安婦の写真展の開催をこの微妙な時期に決定したのか、というチェック機能の問題だ。
 まず右翼が動くことは予想されるし、それによって写真展の運営が阻害される可能性は高い。そんなことがどうしてチェックできなかったのか。写真展開催にニコン側が関与していたのか。あるいは外部の運営委員の強硬な開催要請があったのかどうか、というのが、これから調べられるだろう。
 もうひとつは、メーカー系ギャラリーに表現の自由が担保されるのかどうか、という問題だ。これが公的機関が運営しているギャラリーなら理解できる。しかしメーカー系は、写真文化の向上のため、という大義名分はあるが、あくまでメーカーの都合でやっていることで、そこにメーカーの利害を超えてまで表現の自由を守る必要性が生じるのかどうか。
 地裁は、メーカー系ギャラリーであっても、公的な使命を負っている、と判断したのだろうが、裁判官によっていくらでも変わる判例になるだろう。
 もともとトラブルを恐れるなら、作者もメーカー系ギャラリーでなく、フリーなプライベート系ギャラリーで開けば良かったのではないか。ニコンサロンにこだわる理由はないが、やはりステータスの高いギャラリーで注目を浴びたかったという気持ちはあったろうか。
 ネット上ではニコンが韓国ユーザーの歓心を買うために開催した、という意見があったが、ニコンは韓国で高いシェアを保持しており、ここで開催しなくても売れ続けていくだろう。買い控えといった過激な意見もあったが、そこまで熱くなることはないのではないか。
 とにかく政治色が強すぎる慰安婦問題だ。これに利権が絡んで、まだ戦前の日本を貶める勢力がいる。そうした勢力に利用されないことがメーカー系ギャラリーの基本的な姿勢であろう。
  
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。

タンス預金をどう遣わせるか

2012-06-14 09:22:53 | Weblog
 相変わらず振込み詐欺による被害が絶えない。詐欺するほうもやり方が進歩するし、守るほうはほとんどノーガードでやられ放題。
 まあ、電話1本の低コストでこれだけ儲かるのだから、やめられない。それにしても、被害者の方々の家に、よくまああれだけの現金が眠っていることには驚かされる。
 かえって民間にあれだけのお金があるのだから、と安心してしまう関係者も多いのではないだろうか。ただ、それだけのお金がどこかに眠っているだけでは意味がない。いろいろな手段で、例えば国債などでお金を出させることも考えているわけだが、あまり有効ではない。
 つまり財産を安心して任せられ、一定の利益を出してくれる組織や個人が、そうした方々の周りにはいないのではないだろうか。
 海外では、財産管理のプロというフィナンシャルプランナーがよく小説などに登場しているが、日本ではせいぜい信託銀行ぐらいだろうか。
 ただ組織となると、組織の利益を優先して、結局は個人が泣くようなことが過去に多々あったから、一流企業でもあまり信用されていない。
 日本では、これまでそんな制度は必要なかったのだろうが、ここまで超低金利が続き有効な財産管理ができない状態では、やはりなにかの制度を作り、タンス預金を出させることが経済を活性化させることにつながるのではないか。
 どんな制度がいいのか別だが、例えばフィナンシャルプランナーに1000万円を預け、年間5%程度の利益を確保してもらえれば、銀行利息よりはよほど有利だ。年間50万円なら、ちょっとしたお小遣いになる。
 個人の国家資格として、そうした制度を作り、損失のバックアップを保険会社などがやればいい。ただかなりの信用度が必要となろう。
 こうやって例えば3000万円程度のタンス預金のある家が、その1/3の1000万円ぐらい預ければ一定の利益が得られ、その1000万円はいろいろ有効に経済に役立たせることができよう。
 とにかく眠っているタンス預金を、どうやって有効に遣わせることができるか。これを真剣に考える時期に来ているのではないか。 

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。

消費増税は本気か

2012-06-06 13:35:31 | Weblog
 相変わらず野田総理は、消費増税の実現に向けていろいろな策を講じているが、本気でやる気なのだろうか。
 法案が通り、消費増税が実施され、家計消費が縮小、企業はモノが売れなくなって減収か赤字、さらに失業者が増え、社会不安が増大するようなことになったら、責任をとることができるのか。
 もちろん、消費増税が実施される時期には、野田内閣はなく、民主党すらなくなって、自民党は低迷して、新党の時代を迎えているのかもしれない。
 そうなれば、実施は見送り、法案は棚ざらし、ということも考えられないではないが、そうなったら財務省は黙っていまい。
 いずれにしろ、株価低迷、円高、日本の産業界をリードしてきた家電メーカーが失速し、製造業の海外シフトに拍車がかかれば、もっと日本の経済は悪くなるだろう。そうなっても行財政改革は進まず、議員の数は減らず、社会保障費は膨れ上がるばかり。
 ギリシアを笑ってはいられない事態にどんどん近づいていく状況だ。打開策はあるのか。あるとすれば、とにかくあらゆる手法を使って景気浮揚策を図つて増収を図る。同時に出るを制すことだろう。
 現在より、国家予算のなにもかもをマイナスの方向に舵を取ることではないか。それでじっと我慢の3年ぐらいを送れば、なにかが変わっていくように思う。
 つまり国民が辛抱をすることを覚え、無駄をなくして、健全な社会に目覚めるのではないか。いまはなにかがなくても、誰かが助けてくれる、どこからか手を差し伸べてくれる、という風潮が身についてしまった。
 そうするためには、まず政治が範を示すことだろう。そのために、やはり新党が必要で、新党が出ることで世の中が変わった、という認識を徹底させることができる。
 いったい消費増税だけで、世の中を変えることができる、と野田さんは思っているのだろうか。帳尻がいったんは楽になる程度だろうが、所詮は元の木阿弥になる。政治生命を賭ける、というほどなら、社会を変えることこそ生命を賭けたらどうだろうか。

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。

続・尖閣買収が意味するもの

2012-06-02 08:51:14 | Weblog
 前回の「尖閣買収が意味するもの」の内容は舌足らずになってしまった。やや性急に結論を急ぎ過ぎたが、要は戦後の呪縛から解放され、自由な考え方ができる人々がようやく社会の中枢を占めるようになってきた、ということが言いたかった。
 結局はそうなるには時間が必要だったのだろう。戦後、戦前を否定して社会主義を肯定する左翼勢力が、学界や教育界、報道界のイニシアティブを握った。どこの業界もトップがいれば弟子がいて縦の関係で権威を維持するものだ。
 教育界なら日教組、報道なら朝日新聞、労働界は当然左翼になったろう。学界もそうなって、左翼的な定説を否定するような論文が出たって、多くは潰されたろう。だから出世したいなら、上の人間に迎合していくしかなかった。
 我々の世代はその洗礼を受けた。やがて全学連闘争、労働運動などによってますます過熱していく。しかし社会はしっかりと経済が成長し、左翼的な思想はなし崩し的に力を失っていった。
 やがてソ連が瓦解し、中国も似非資本主義に転換し、共産主義は崩壊した。それでも共産党は健在で、社会党も社民党となって命脈を保ち、一部の政治勢力は民主党と名を変えて政権を握った。
 握った途端に、社会の大転換期が来た。それが前回書いたブログの基本的な考え方だった。左翼イデオロギーがすでに通用しなくなっており、人々の考えはイデオロギーの実現ではなく、暮らしやすい世の中を望むスタンスになっていた。
 戦後の呪縛からも解放され、いつまでも戦争で得た利権を得ようとする周辺国家への嫌悪感があり、北方領土も含めて領土はしっかりと守るという考え、過剰な自由への警戒感もあり、日本国と日本国民を大切にしたいと思うやや保守的な傾向を強めた一定の層が確実に増えてきている。無党派で保守的市民層とでも括れるのだろうか。
 団塊の世代はやはり戦後のイデオロギーから脱することはできなかった。どこか国家や権力に対して反発する気分があったが、このままでいいのか、という違和感を常に持っていた。ひとつの色に染まるのではなく、もっと違う色があるのではないか。結局、新しい価値観を共有するまでには至らず、ほぼリタイアの時期になった。
 社会に人々に、本当に必要なものは何か。それを体現しているのは、現在では大阪・橋下市長だろう。むろん成否は分からないが、その方向性は理解できる。我々が気がつかなかったビジョンを提示してくれた。
 私は橋下シンパではないが、そこまでやらなければ社会は変わっていかない。基本は何か。既得利権を含む旧体制の打破といえる。旧体制を壊すことは革命だ。政権交代でいったんは光明が見えた思いがしたが、元の木阿弥に戻ったというより、自民党時代よりも悪くなった。
 それでも戦後65年を経て、日本社会を根本から変えるチャンスが到来している、と今の時代を捉えることができるわけだ。

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。