前回の投稿からかなり経ってしまったが、仕事が重なったことと30年来の友人が急死して、なかなかブログを書く気がなくなってしまった。
友人といっても、同業者で仕事仲間だった。4月30日に突然倒れ、そのまま帰らぬ人になった。つい最近になって、その妹さんから電話があって、彼の使っていたパソコンの中に、私の名前が頻繁に出てくるので、お知らせしておいたほうがいいと思い、連絡をしてくれた。
亡くなった彼は、同業者といっても仕事がうまくいかず、アルバイトで糊口をしのいでいた。それでも、なかなかかつての仕事が忘れられず、記者会見やイベントなど無理して参加していた。アルバイトは夜勤で、それで大して睡眠もせずに出てくるのだから、心臓には負担になったろうと思う。
突然倒れた、という表現を妹さんはいっていたが、それなら心筋梗塞か脳出血が原因だろうか。酒好きで、心臓が悪いのに煙草も盛大に喫っていた。あまり自分の身体を労るタイプではなかったとしても、56歳の早過ぎる死だった。
彼の一生を思うと、感慨深いものがある。大学は理系のいい大学を出ていた。私とは35歳の頃から、ちらほらと記者会見などで顔を見るようになっていた。
なんとなく彼のほうから近づいてきて、一緒に仕事の帰りなどに酒を飲むようになった。暗転したのは、婚約解消でホテルの結婚式をキャンセルして、過大な借金を抱えてしまった。
たぶん彼が35歳ぐらいの頃だろう。その前後から、彼の勤務していた会社が左前になっていった。給料遅配がはじまり、200万ぐらい溜まった時に、経営者がそれとバーターで、会社を継いでくれないか、という提案があった。
ここで辞めて新しい仕事に進めば人生は変わっていたかもしれない。しかし、彼は飛びついた。もともとすでに命脈が尽きていた会社で、彼が悪あがきしても好転しなかった。最後に紙のメディアを諦め、ネットで再起を図った。だが、広告が取れるわけでなく、張り合いがなくなり、それも自然消滅という形になった。
その間にも借金は膨らみ、50歳近くなるまで、その返済に苦しんでいた。最近、ようやく金の苦労からは解放されたようではあるが、結局アルバイトで収入を得、酒で人生を紛らわすような日々を送っていた。
私がよく行く新橋で、アルバイトをしていた女の子がママになり、そこで愉しい酒を飲んだのが最期になってしまった。声は良く、歌は上手かった。
ざっと見れば、そういう人生だった。幸せの時代もあったのだろうが、苦労も多かったろうと思う。さらば友よ、である。供養に、森進一の「さらば友よ」でも、その店で歌ってみようと思っている。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
友人といっても、同業者で仕事仲間だった。4月30日に突然倒れ、そのまま帰らぬ人になった。つい最近になって、その妹さんから電話があって、彼の使っていたパソコンの中に、私の名前が頻繁に出てくるので、お知らせしておいたほうがいいと思い、連絡をしてくれた。
亡くなった彼は、同業者といっても仕事がうまくいかず、アルバイトで糊口をしのいでいた。それでも、なかなかかつての仕事が忘れられず、記者会見やイベントなど無理して参加していた。アルバイトは夜勤で、それで大して睡眠もせずに出てくるのだから、心臓には負担になったろうと思う。
突然倒れた、という表現を妹さんはいっていたが、それなら心筋梗塞か脳出血が原因だろうか。酒好きで、心臓が悪いのに煙草も盛大に喫っていた。あまり自分の身体を労るタイプではなかったとしても、56歳の早過ぎる死だった。
彼の一生を思うと、感慨深いものがある。大学は理系のいい大学を出ていた。私とは35歳の頃から、ちらほらと記者会見などで顔を見るようになっていた。
なんとなく彼のほうから近づいてきて、一緒に仕事の帰りなどに酒を飲むようになった。暗転したのは、婚約解消でホテルの結婚式をキャンセルして、過大な借金を抱えてしまった。
たぶん彼が35歳ぐらいの頃だろう。その前後から、彼の勤務していた会社が左前になっていった。給料遅配がはじまり、200万ぐらい溜まった時に、経営者がそれとバーターで、会社を継いでくれないか、という提案があった。
ここで辞めて新しい仕事に進めば人生は変わっていたかもしれない。しかし、彼は飛びついた。もともとすでに命脈が尽きていた会社で、彼が悪あがきしても好転しなかった。最後に紙のメディアを諦め、ネットで再起を図った。だが、広告が取れるわけでなく、張り合いがなくなり、それも自然消滅という形になった。
その間にも借金は膨らみ、50歳近くなるまで、その返済に苦しんでいた。最近、ようやく金の苦労からは解放されたようではあるが、結局アルバイトで収入を得、酒で人生を紛らわすような日々を送っていた。
私がよく行く新橋で、アルバイトをしていた女の子がママになり、そこで愉しい酒を飲んだのが最期になってしまった。声は良く、歌は上手かった。
ざっと見れば、そういう人生だった。幸せの時代もあったのだろうが、苦労も多かったろうと思う。さらば友よ、である。供養に、森進一の「さらば友よ」でも、その店で歌ってみようと思っている。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp