団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

5000円札を拾った!

2012-04-30 07:55:27 | Weblog
 晩酌の酒が切れて買い物に出た。連休中の午後、町中は閑散としている。ふと目の前の道路に目をやると、なにかが舞っている。
 別に気にも止めずに歩いていると、それがこっちに寄ってきた。よく見ると、なんと5000円札だった。
 あれっ、と思い拾い上げた。確かにそうだ、と確認して、周りを見回した。誰もいない。周辺の住まいも見てみた。誰かが窓から首を出して、なにかを探しているような気配もない。 
 まいったなあ、というのが正直な感想だった。交番に届けようか、と思った。しかし、裸の5000円札だ。持ち主は特定できない。車で通りがかった人が落としたかもしれないし、どこから風で舞ってきたかもしれない。
 交番に届けてもなあ、と思いつつ、いっそ飲んじまうか、と横着な考えも頭をよぎった。しかし市民の義務からいえば交番だが、紛失届が出ていなければ、いずれはこちらのものになるし、出ていれば謝礼ということになる。
 以前にルームキーを拾ったことがあったが、それは躊躇なく交番に行った。裸の札だから迷ってしまう。
 とにかく持って帰って女房に相談することにした。
「どうしたの、このお金」とテーブルに置いてあった5000円札を質した。これこれしかじか、と説明した。
「そうね、交番なんか行かなくていいわよ」と、簡単に結論を出した。女はこういう場合ははっきりしている。
「で、どうするんだ」
「遣っちゃうのもいいけど、寄付しましょうよ」
「どこに」
「新聞に出てたじゃない、尖閣列島よ」
 あっ、なるほどと合点がいった。去年なら東日本大震災になるのだろうが、今年は国を守るために都に協力することになる。
 これで気持ちが安らかになったが、ほんとうにそれでいいのか、という座りの悪さはある。ほんとうはやっぱり交番なんだろうなあ、といまでも思っている。

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

再稼働反対なら節電だろう

2012-04-21 14:27:30 | Weblog
 原発が再稼働で揺れている。福島であれほどの事故があっただけに、自治体も住民も神経質になるのは無理はない。
 絶対安全、と政府や専門家がいっても、すでに信頼性が失われており、なにをいっても信用されなくなってしまった。地震や津波が来て、事故が起こったら、誰が責任をとるのか、と問おても、答えはない。
 しかし電気の確保は優先されなければならない。この矛盾を解決する手立てはなく、結局国民感情からみて、もう日本で原発を維持していくことは困難だろう。
 じゃあ、どうやって必要電力を確保できるのか。答えは節電しかないのではないか。必要電力を確保するために、電源転換と同時に、消費者側が使用電力をセーブするのが現実的だ。
 原発がないものとして、現状の発電設備でどれだけの電力を供給できるのかを精査し、各家庭、企業、自治体などで、徹底した節電を行うことによって電力が足りるなら、原発そのものはいらなくなってしまう。
 すでに昨年の夏に実施されたことだが、さらにこれを徹底することだろう。その程度の不便は国民も承知できるし、経済活動に必要な電力は優先的に供給する制度を作る必要もあろう。
 そして原発は廃炉をめざす。事故のない原発でも廃炉には30~40年もかかるといわれている。また停止しているだけでも、地震が来ればやっぱり放射能は漏れるだろうし、維持費はかかる。
 その上で原発のある場所に、風力発電やメガソーラーなどの自然エネルギーの施設を造ればいい。それで少しでも無駄が省けるし、地元の経済にも寄与しよう。
 電力会社も政府も原発を維持していきたい意向があるようだ。利権もあるだろうし、ここまで営々と積み上げてきた技術やノウハウを捨て去ることはむつかしいにしても、地震・津波大国の日本列島ではもともと無理だったのだろう。
 原発がなくても電力が足りるなら、その論拠を失う。だから、国民を挙げて節電キャンペーンを行う必要があるのだ。
 単に再稼働反対ばかりを唱えているのではなく、反対なら何をしなければならないかを考えることではないか。

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まだまだ小説が楽しめる

2012-04-17 11:18:15 | Weblog
 最近読んだミステリーで、まだまだ小説が楽しめる自分を発見して喜んでいる。ここのところ、つきがないのか、買った本があまり面白くなく、途中で投げ出すことが多かった。
 もっとも、評判が高いからとか、ベストセラーだから、という小説ではない。多くは古書店で買ってきた文庫本である。
 たまたま手にして面白そうだから、という勝手な理由で購入したものだ。その当たり外れが多いと、なんとなく読まなくなってしまうものだ。
 ところが、古書店のワゴンセールで100円で買ったミステリーが抜群に面白く、読み耽るようにして読んでしまった。そのミステリーはスウェーデンの作家ヘニング・マンケルの『殺人者の顔』。クルト・ヴァランダー警部シリーズの1作目である。
 それで気をよくした。まだ小説を読む気力が残っているという思いを強くした。つまり面白い本に出会わなかったのではなく、自分の興味が小説から離れてしまったのではないか、という恐れがあった。
 別に面白い本がなくても、困ることはないが、我々の世代はテレビに育てられはしたが、やはり本で育ったように思う。
 これまでいろいろな作家の本を読んできた。ある時期から、日本の作家ではなく翻訳ものを多く読むようになった。多くはミステリーだが、それなりに面白く読んできた。しかし最近は前述のような有り様になっていた。
 どうして楽しめなかったのか。それを『殺人者の顔』から考えると、主人公の視点で描かれていること、主人公に共鳴する部分が多いことがあげられる。
 ストーリーが面白いことはいうまでもないが、この2つが大事なポイントだった。最近、女性作家が進出し、女性の主人公が多くなっているが、やはり思い入れが弱いような気がする。私なら50~60代の男の主人公がくたびれながらもがんばっていく、という設定がいい。
 どうやらこれを忘れていた。次に買ったのが『フロスト日和』。分厚い文庫本だが300円程度だった。こちらは多視点で描かれめまぐるしいが、主人公の魅力は大きい。
 やはり齢をとってくると、わがままになるようで、読む小説も自分の好きな設定を選ばないと楽しめず読破もできなくなったが、好きな設定ならまだまだ十分に小説が楽しめる資質が残っている自分を思い直した次第だ。

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石原新党と維新の会

2012-04-06 11:33:17 | Weblog
 たまには政治の話をすると、国民新党のあまりの泥仕合ぶりは立派な田舎芝居のようだ。政権に残るほうは、どこか物欲しげでみっともなく、出る両亀井には潔さがあって、政治家としては点数を上げたろう。
 石原さんと橋下さんが会談した。内容は伝わつていないが、話すことは新党のことしかない。
 つまり、石原新党が立ち上がる時期が見えてきたということだ。ここに平沼さんの立ち上がれ日本、亀井一派、小沢さんはどうか分らないが、一部の小沢派が加わり新党が結成される。
 これが橋下さんの維新の会の受け皿になって、次の選挙で新人議員を擁立するようになる。石原さんが当面の党首、いずれは大阪市長の任を終えた橋下さんが後任になろう。
 維新の会は現在、国会議員がおらず、新党旗揚げの要件を満たしていない。だから、どこかが受け皿になるのは現実的だ。
 メンバーをみれば、年齢差・温度差はあるものの、みんな保守となり、民主党みたいに右から左までのオールスターでないところが、筋が通っている。
 このままこの石原新党が結成され、次の衆院選に臨んだら、たぶん民主党も自民党も真っ青になるだろう。第一党は確実であろうし、過半数をとったら世の中が変わる。
 日本を変えるブームが起き、ようやく日本的な新しい保守党が成立することになり、憲法改正も視野に入ってこよう。
 ただ日本新党、小泉改革、民主党のブームのように一過性ではなく、本気で日本を根本から変える政党になってほしいものだが、それは次の課題となるだろう。
 以上は、私の勝手な政治的な想像ではあるが、現在の政党政治ではたぶん何も変わらないだろう。官僚が支配し、国民の負担が増え不況は続く。暮らしにくい世の中が続く。
 これを打破するのは政治しかなく、そのために日本を変える本気の政治家、新党が待たれているのである。

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東京スカイツリー狂騒曲

2012-04-01 09:06:01 | Weblog
 私の住まいは東京都葛飾区で、最寄り駅は主に青砥である。都心に出る場合、多くは押上で乗り換えて、東京メトロの半蔵門線に入る。
 その押上駅のそばに、あの東京スカイツリーが5月下旬に開業する。きっと多くの人で溢れかえることが予想される。あまり人混みが好きでなく、地域に慣れない人々が雲霞のごとく押し寄せることを考えると、いまから憂鬱な気分になってくる。
 むろん地元にお金が落ちることを忌避するものではない。それでも、駅名を変えてまで、分かりやすく人を呼び込もうという魂胆には違和感を覚える。
 歴史のある地名の業平橋が、東京スカイツリー駅に変えられてしまったし、押上はカッコ付きで東京スカイツリー前となるし、地元の地名も、おしなりやおしなり橋というふうに呼ばれるようになる。
 日本各地から、あるいは世界からの観光客は当分は押し寄せるだろう。東京の名所のひとつになることは確実としても、あまりにも浮かれ過ぎで、儲け主義に走り過ぎていないか。
 あの東京タワーだって、バス停以外はどこにもそれにちなんだ地名なんかないだろう。最寄り駅は浜松町か大門、神谷町だ。
 確かに当時は、こうしたひとつのビッグモニュメントができることの意味を正確に理解していなかったのかもしれないが、それでもどこか地に足がついていたように思う。いまほど人々が軽佻浮薄ではなかったろう。
 現在は、官民あげて、メディアも地元も、ただこの狂騒曲に踊っている始末だ。この違いを、どこかの識者に冷静に分析してもらいたいものだ。
 たぶん私にすれば、スカイツリーができても当分は近寄らないだろうし、行かない公算が大きい。東京タワーにのぼったことはないし、ディズニーランドは仕事で2回程度、家族と1度行ったきりで興味はまるでない。
 そんな人間もまたいるし、そういう声なき人々は多い。もしひとつだけ望むことがあるなら、出来る限り地元の活性化に生かしてほしい。
 経営母体の東武は、スカイツリーに人を入れたら、すべてその中で完結するようなセコイ仕組みを作るのではなく、浅草から墨田一体をエリアにした回遊区を作って、地域経済の活性化に役立ててほしいと願っている。それが日本の元気につながっていくことになろう。

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