団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

またまた起こった食品偽装の問題点

2008-06-29 09:51:59 | Weblog
 またまた食品偽装が起こった。飛騨牛、うなぎである。呆れてものがいえないが、問題点を整理しておきたい。
 まず、食品メーカーがなぜ偽装するかの答えは簡単で、楽に儲かるからだ。安く仕入れた肉やうなぎを、ブランド品とか国産品と偽って売れば、何倍もの利益がとれる。この甘い汁を吸うと、もうあとには戻れなくなるだろう。
 しかし、これだけ多発するということは、楽に儲かるからだけではなく、生産に関わる人間の全般的なレベルの低下を感じざるを得ない。名の知れた大企業ならば、モラルの維持も図られようが、中小の企業は経済戦争の荒波の中で、プライドがなくなり、儲かればなんでもやってやる、というやくざまがいの精神構造になってきているのか。企業人としてのプライドがなくなって、なんの事業かと思う。
 多発する理由として、やはり罰則規定がはっきりしていない。ほとんどが行政指導で済んでしまう。だからやり得という結果になっているわけで、やはり詐欺罪などの刑事罰を適用する事態になっていよう。ただ吉兆のように名の知れたところがやると、世間の制裁を受けるケースは多いから、これが本当の罰にもなり得る。
 そして、最後の問題は、消費者にある。ブランド品珍重という風潮の高まりで、ブランド品なら多少高くても買ってしまう妄信にある。だから食品偽装が横行する。
 評論家がいいそうな、なんでも自分の舌でチェック、といったところで、自分の舌でチェックできるものなんか限られている。チェックできるということは、その食の経験があるということで、こちらは飛騨牛だって、まだ食したことはない。
 豆腐ひとつとってもスーパーで何種類も売っている。産地やブランドをアピールするものもあるし、特売品もある。それぞれ値段も違う。どう選ぶのか。
 偽装か偽装でないかは素人が見抜けるわけではないが、やはり食してうまい、という自分なりの食品を見つけることではないか。グルメに詳しい人や世間では、これがおいしい、とレッテルを貼っているが、私はこちらがうまいし好き、というテリトリーを作ることだ。それなら騙されたって納得がいく。
 私の場合は、究極のブランド品はお袋の味で、中学時代にすきっ腹で押し込むように食べたご飯が、もっとも輝いている食品だ。出始めのインスタントラーメンも珍しさもあってうまかった。
 ブランド品なんかない時代に育ったことを、反対にありがたいと思っている。やはり食品は、ブランドや値段で選ぶのではなく、自分の基準で選ぶことが大切なことなのだ、という当たり前のことを、今回の食品偽装が教えている。 http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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プリンタの対応OS忘れた買ってしまって

2008-06-27 16:55:30 | Weblog
 プリンターを購入したことは前回に書いたが、フッと気がついたことがあって、慌ててカタログを見た。
 あっああ…、と思わず声を上げた。それは、マックのことで、こちらはまだOS9.2を使っている。それでいろいろな仕事上の書類を作っている。ところがキヤノンPIXUSiP3500の対応OSは10.×以上。9.×などはどこにもない。
 困った、と思うと同時に、自分のドジさに頭に来た。対応OSをチェックするのは、パソコンの周辺機器を購入するときには基本中の基本。それを怠った。
 マックは9.×はもう縁がなくなっているが、ウィンドウズの場合も98やMEの表記はなくなっている。一部の機種は両方とも使えるが、ほんの一部でしかない。
 OSメーカーと機器メーカーが結託していると思えてくる。対応機器がないのだから、OSを新しくしなさい、という声と、OSを新しくしないと、最新の機器が使えませんよ、という声が両方の耳から入ってくる。
 現在の仕事では、印刷所にデータ入稿をしているが、その印刷所がまだウィンドウズ98の環境にある。多くのデザイン事務所は現在でもマック9.×だ。新機能より、安定性を優先している結果だ。デザイン事務所や印刷所などは相互に連携しており、もしOS環境を変えるなら、全部変えなければならない。けっこうな費用がかかるものだ。
 そんな現場の実態があるが、OSはVistaへ、マック10.2×へ、どんどん進んでいく。ソフトメーカーも機器メーカーも、それに対応するのに精一杯だ。
 そうしたメーカーのできることは、ユーザーの切り捨てではなく、機能限定でもいいから、もっとも売れた98や現在でも主流のマック9.×は、最低でもフォローすべきではないか。
 機器メーカーほど、昔からのOSを使えるようにするのが良心であろうし、より多くのパソコンで機器を使ってもらえることにつながる。
 なんでも新しいものがいいわけではなく、ずっと使えるものこそ価値がある。60になった団塊の世代にとって、最新のOSより使いなれたOSで使いなれた機器を使うほうがありがたい。そうした高齢者対策をメーカーも真剣に考慮してほしいものだ。我々の世代から、もうデジタルデバイドはなくなると思っていたが、こんな調子では分からなくなってきた。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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一物多価のプリンタを衝動買いして

2008-06-25 16:05:23 | Weblog
 仕事をしていると、いろいろな買い物をしなければならない。仕事にかこつけて、本当は緊急性がないものまで買ってしまう。最近ではVistaパソコン、ちょっと前はペンタックスK100D。どちらも目下、クレジット支払い中だ。
 それなのに、つい買ってしまったのがインクジェットプリンター。もうクレジットは嫌だから、現金で支払うことにしたが、その価格がなんと1万400円。キヤノンPIXUS iP3500プリンター。4色で現在使っているiP3100にもっとも近い性能だ。
 3100には、マックでできる180度回転印刷機能がなくて、ウインドウズでは封筒を刷ることができなかった。ソフト上でやるとスピードが極端に落ちて使い物にならなかった。3500はそれが可能で、古いマックが壊れてもいいように安全保障の意味もあった。
 最初は近所のコジマで買おうと思い、価格を調べたら1万5800円、ちょっと高いなと思い、K100Dを買ったキタムラを見たら、こちらは1万2980円、まあまあかと思い、ヨドバシのネットを見たら、この価格が目に飛び込んできた。
 決まり、と思い、さらによく見たら、ポイント20%とある。ほくほくである。申し込んで、この価格差を考えたら、たぶんキヤノンは6月決算、数字を作るために、特定の店にかなりのボリュームの商品を押し込んだようだ。
 メーカーの基本は、同程度の規模の店で横並びの価格で売ってもらうことだ。このタガを外してまで、ヨドバシに押し込んだのは、きっとプリンターの実績があまり良くないからだろう。ここ数年、プリンターは前年をわずかずつで割り込んできている。エプソンには負けたくない。シェア50%以上が至上命令なのだ。
 もうひとつの視点は、プリンターをより多く売ることによって、インクや紙の消耗品が期待できるわけで、サービスセンターの女の子が、さっきのお客さんは修理に出すより安いから買うよ、といっていました、と打ち明けていた。
 当方も、プリンターがこの価格なら、まともに3100のインクを買っても4000円以上してしまう。3100はブラック専用プリンターとして使うことを考えて(キヤノンのプリンターはカラーのインクカートリッジを外してもブラックインクだけで刷れる)、それなら緊急性はないが、買ってしまおう、と決めた次第だ。
 こういうユーザーがいるから、値段を下げれば一定数は動くものだが、いまの買い物はなにをおいても、情報が大切だ。ネットという便利なものがあり、これを活用して、なるべく損をしないショッピングをしていきたいが、欲しくなるとあれこれ理由を付けて買ってしまう性向はなかなか直らないようだ。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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男女関係も世の変化を招くのか

2008-06-23 06:52:23 | Weblog
ブログ立ち上げで多くの読者が見に来てくれたので、他のブログに書いた内容も掲載してみた。よろしく。
 秋葉原殺傷事件の犯人の加藤が、女にもてていればこんなことにはならなかった、と犯行の動機の一部を明らかにしているが、なにごとも人や社会のせいにする風潮に染まり、復讐に駆り立てられたのだろうか。
 その加藤の話ではないが、最近話題にされている世の変化のことだ。車が売れなくなっているという。スキー人口もがた減りでスキー場の閉鎖が取り沙汰されている。あるいは居酒屋にも変化が現れ、小綺麗で洒落た雰囲気ではないと流行らない。
 これらの共通項はなにかといえば、女性である。男どもが車を欲しがったのは、女性にもてたいからだ。その女性が車にあまり関心を抱かなくなった。欲しがる年齢は主婦となってからで、ワンボックスカーが対象だ。
 スキーもしかりで、女性がスキーに行かなくなったから、男も行かない。居酒屋の変化もそうで、女性に好かれない居酒屋は廃れている。
 つまり若い女性が関心を向けることや場所に男も群れ集うのが、ひとつのパターンではあるが、その男女が乖離している。
 グループとして行動するときに、女性だけのグループが増え、男が入り込む余地がなくなった。女性は女性同士の会話を好むようになっている。なぜかは、それだけ女性に関わる情報が氾濫し取捨選択する必要があるからだ。
 その女性が男と関わる場合は、男女関係と縁のない仕事の延長かサークル活動、そして1対1の恋人としてだ。となると、どれほどの男がそこから落ちこぼれることか。
 もてない男は、ずっと女性と関わりのない人生を送る可能性は高い。独身男の行き場がなくなっている。スナックや居酒屋で毎晩呑んだくれて、気がついたら40も間近というケースは多い。おっとこれは私の場合ではあるが。
 広い意味での男女関係が変わってきているように思う。モノが売れなくなっている変化も、こうしたことが一因でもあるだろう。 
 しかしその女性も自己実現のためには、金を惜しまない。現在は化粧やファッションなどの見栄えばかりが目立っているが、内面に目が向くこともある。
 周りの男どもは、その女性の変化をキャッチできるアンテナを日頃から磨いておく必要があるだろう。つまり、男も知的な鍛錬を怠ってはならないということだ。
 女性には異論があるかしもしれないが、これ以上書くと、変な説教になってしまうのでやめよう。それにしても、むつかしい時代になったことは確かである。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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人のせいにする風潮が蔓延した結果か

2008-06-22 15:30:25 | Weblog
 秋葉原殺傷事件をきっかけに、若者の閉塞感が話題になっている。人を殺したことは絶対に許せないが、犯人の怒り、絶望感に共感できる、という話だ。とはいえ、その共感を普遍化できるのか、と考えてみたい。
 犯人・加藤は25歳。多少、顔は不細工かもしれないが、健康にも恵まれ、派遣の工場労働者とはいえ、定収もあり、決して恵まれない境遇ではない。
 現在がそうであっても、まだ25歳だ。これから生涯の伴侶に巡り合えるかもしれない、もっといい職につくこともあるだろうし、あるいは宝くじに当たるかもしれない。
 いろいろと考えれば、どうしてそこまで自らを追い詰めたのか、と不思議だ。すべての考えがネガティブに落ち込み、欝に近い精神状態になったのか。やがてそれが怒りに昇華し、自滅の道を突き進んだ。
 だから一般論で語ることは、やや無理があるし危険でもあるだろう。
 我々が25歳のときは、まだ自分が何者かも分からず、将来に期待と不安が渦巻いていた。決して、社会や家庭・他人と自らの不遇を照らし合わせて考えることはなかった。
  自分の現在の在り様は、自分が招いた結果と考えていた。人のせいにはしなかった。分を知るという世間知があった。だから今の若者は、という論法にはならないが、そうした思考法が当たり前だった。
 この何年間のあいだに、社会も人間も変わったが、人の考え方も変わったとしかいいようがない。その根本は、なにごとも人のせいにするという能天気な精神構造になってしまったことだ。その思考法では、なにも問題は解決できないし、問題の所在を分析しようとする姿勢すらない。
 戦後教育による権利意識の肥大化と悪平等が、そのベースにあり、ふつうの人でも弱者として規定する風潮に染まった。自分の権利がだれかに冒されたら、暴発する。怒りが人に向かう。犯人・加藤と同じ精神構造だ。
 なにもしなくても、権利があると教えられれば、義務も考えずに、人はその権利を主張するようになるだろう。それが戦後何10年も続いてきた。
 その結果が、現在の世の中なのではないか。憲法にいう権利を有する、とかなんとかは別に、人々の中にまだある、人としての常識、前述の分を知るなどを再発見することはでないか。
 そうした常識がもし犯人・加藤の周りにあれば、もうちょっと辛抱していてごらん、きっといいことがあるから、と誰かがささやいていることだろう。将来の希望を抱くのは、自分だけでなく周りの人々とその希望を共有することで明るく輝いていくものなのだ。そんなこともかつては当たり前だったと思うが、気がつかずに失われていくものがある。結局、その犠牲者は次の世代になってしまうのが残念である。。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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