団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

まだ恋はできますか

2011-10-27 10:02:59 | Weblog
 私が卒業した愛知県の高校で同期会をやる、という。名簿を作るついでに、一文を寄せてほしい、という依頼があり、以下の文章を送った。

 まだ元気ですか/身体に自信はありますか/好きなことはありますか/唄は歌っていますか/好きな本や作家はいますか/お酒を愉しんでいますか/気の合う仲間はいますか/時間を忘れることはありますか/まだ感動することはありますか/家族はずっと好きですか/伴侶を愛していますか/一生懸命生きてきましたか/たくさんの思い出はありますか/忘れたものはありませんか/捨ててきたものはありますか/やり残したことはありませんか/悔いや未練はありませんか/また好きなモノに出会えますか/逢いたい人はいますか/まだ恋はできますか/これからも人を愛せますか/誰かに伝えたいことはありますか/守っていくものはありますか/ずっと健康でいられますか/頭も心も健全でいられますか/いくつまで元気でいられますか/これからも生きていけますか/いつの日かきっと、また…。

 やくたいもない文章を綴ってみた。タイトルは「まだ恋はできますか」と、ちょっと刺激的にした。身辺から、家族のこと、そして過去に思いを馳せ、これからの行方を見つめる、という展開にした。
 東京在住で依頼されたのは三人で、あとの二人はまともに現在の個人的な心境を綴っていた。私もいろいろと考えてみた。
 過去のこと、現在の状態、これからの思いなど、個人的なことならいくらでも書けるだろう。しかし、まあ、そんなものは読むまい、と思った。
 それより、現在の自分のありのままの気持ちをストレートにシンプルに書き連ねたほうがいいのではないか、と思い、こうした文章になった。
 どうとでもとれることで、ちょっと元気で、ちょっと戸惑い、ちょっともの哀しく、と読みようによって、それぞれの受け止め方ができるのではないか。
 フォークを歌う君だからいいじゃないのか、と友人が感想をメールで送ってくれた。ややフォークっぽい感じは否めないが、それを意識したわけではなかった。
 ここまで生きてくると、我々の世代の仲間も本当に千差万別だ。一様に括ることなんかできない。まだ大会社の役員もいるし、本気で恋をしているやつもいるだろうし、死病と闘っている者もいる。
 ただ言えることは当たり前過ぎるが、ここまで生きてきた、そして生きていく、ということだけが共通している。そんな心境であるが、やっぱり拓郎に近いなあ。

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

気がつくと欲しい物がない

2011-10-23 15:58:04 | Weblog
 今朝の新聞で、テレビが売れないと家電業界の嘆き節の記事があったが、地デジの特需であれだけ売れてしまえば反動があって当たり前、当分は辛抱というものだろう。
 その記事を読みながら、そういえば欲しい物がないなあ、とつくづく思う。スマートフォンが人気で、ガラケーと半々になるのは時間の問題とか。
 とはいえ現在使っているガラケーの支払い価格が3000円~3500円、これをスマホにすれば7000円以上の倍になるのは確実。それでなにをするか、といえば、スマホでネットを見るだけ。通話とメールしか使ってないから、スマホになってもネットは見ない。
 ネットブックを持っており、WiFiでも繋げられるようにしているから、仕事ではこちらを多用するだろう。ただ最近は重く持つのが面倒になって、持ち歩かなくなってしまった。
 スマホとダブっては無駄になる。散歩にも持ち歩くMP3プレーヤーはほとんど毎日使っているが、使えば使うほど専用機のほうがいいに決まっている。
 パソコンは仕事用とリビングの37型テレビの横にも接続されており、大画面テレビでゲームも楽しめ、ウェブサイトも観賞可能だ。ただ無線LAN環境にはないが、有線で繋がっているのだから、いまさらだ。
 テレビの前にラジオが置いてあり、AMをよく聴くようになっている。強いて言えば、感度のいいラジオが欲しいなあ、と思うことはあるが、これもネットラジオでカバーできるようになった。
 テレビは37型を2年前に購入して、3Dは関心がないし、DVDレコーダーに接続してあって、ケーブルテレビでBSもCS放送もそれぞれ観られる。他の局で見たい番組もあるが、録画しても観ている時間がない事情もある。
 車は持っていないし、持つ気もない。さほどの趣味はなく、こうやって身の回りを眺めていると、本当に欲しい物がなくなっていることに気づく。
 ファッションは、まあ、流行に遅れない程度のモノを身につける必要があるとしても、それほどずれているわけでもないし、最近買ったものは靴2足だった。ここ3年以上買っておらず、靴の裏を見たら、かかとに穴が空いていて仕方なく買った次第だ。
 63歳にもなると、読みたい本も少なくなってくる。ちょっと以前は図書館で漁るようにして読んでいたが、返すのがプレッシャーになって、娯楽用としてはもっぱら古本に頼っている。
 カメラも仕事用を含めると、4台がテーブルに並んでいるし、買い換えるほどの魅力があると感じるカメラがあるにしても、まあ、いいいだろう、と思ってしまう。
 団塊の世代、中高年に含まれる私が、このように欲しい物がなくなっている。すでに足りているというほうが正確だろうが、やはりもうモノの時代ではなくなってきているのではないだろうか。かといって心の充足とは遠い気がする。不思議な時代を歩んでいる。 

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

反格差デモが招くもの

2011-10-20 11:19:19 | Weblog
 反格差デモが世界で起こっている。アメリカでもフランスでも英国でも、と先進国でも目立っている。日本は脱原発デモになって、やや特殊ではあるが、いずれは欧米に影響されて、そんなデモも出てくるだろう。
 ギリシアのそれは、あまりの杜撰な国家運営に、国民の怒りが爆発したということだろう。日本の政治家も本来なら、それに相当するのだが、国民がおとなしいから助かっている。
 それにしても、アメリカなどはアメリカン・ドリームといって努力して汗をかいて夢を実現する、という自由主義の考え方をベースにした国家だ。それがこのざまである。
 いろいろと考えると、民主主義と資本主義が行き着いた果ての姿であるのだろう。確かに戦前までの資本主義は、資本家と労働者という階級を産んで、その相克が共産主義を招いたのだが、戦後は資本主義も洗練され、社会主義的な思想が導入されて、社会的な弱者を救済して、平等社会を確立していった。
 先進国での様相は全般的にはそうなのだが、いろいろな矛盾が生じる結果になってしまった。制御が効かない金融資本の暴走、生産過剰によるデフレ、IT革命によってあふれる余剰人員、高齢化社会による社会保障費の増大などなど。
 突き詰めれば、世界的に労働人口に対して、それをカバーする仕事が確保できなくなってきたのだ。卑近な例だが、エプソンのコンシューマー向けのプリンターを売る日本での取引口座はわずか7社だ。むろん家電量販店のことだが、それで足りてしまっている。
 かつては全国に営業所があり、それぞれに営業マンが配置された。ところが全国で7社なら、1社1人で7人もいればOKだ。それをフォローするのはアウトソーシングでも可能で、企業の中ではバブル崩壊以降、余剰人員が多くなり、総務系の仕事ばかりが増えている。
 それでも利益を出しているのは、生産の合理化が進み、パソコンとインターネットの普及によるIT革命によって人員は半分でも仕事ができるようになったからだ。
 だから余剰人員を他の仕事に回さなければならないが、マーケットは大きくならない。製品はアナログからデジタルに置き換わるだけ。冒険的な新分野進出には、経営者がサラリーマンになって臆病になってしまった。
 結局、これからどうなっていくのだろうか、というのが大方の関心だが、要は世界は均質化へ向かうのではないか。みんなが同じデバイスを使う環境で、すでにインターネットで実現しつつあるし、富の偏在も長い時間をかけて解消されていくだろう。
 それはたぶん、発展途上国にも及ぶ全地球的な規模で動き出すだろう。いろいろな議論があるが、TPPもまさにその予兆のように感じられる。それによって人々が幸福になるのだろうか。
 我々の世代が日本の中流化という均質化を招いた。世代が変われば長くもたなかったが、レベルをさらに低くした均質化が世界的に進行し、そこに落ち着くまで多くの紛争は避けられないだろう。

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

唄に合った写真がない

2011-10-14 12:58:58 | Weblog
 いずれ、こういうこともするようになるだろうな、という予感はあった。過去に友人に自分が歌ったCDを配ったことはあった。あくまで特定の人に対してだった。
 こういうこととは、とうとうユーチューブに自分の唄う歌をアップロードしたからだ。内心忸怩たるものもあるが、すでに「60からのマイソング55」を書いて、その中に歌った時の印象なども書き連ねている。となれば、その結果を知らせるのも、筆者として誠実なのではないか、とも考えていた。
 実のところ、聴いてほしいという願いもゼロではないが、聴く方の辛さも分からないではない。カラオケで下手な歌を聴いている苦痛は身に染みている。しかし上手い歌に聴き惚れることも多い。 すでにこのブログの読者はご存知と思うが「60からのマイソング55」をアメーバーブログで毎日曜日に更新している。55篇あるから、終了するまでには1年を要する。しかも書き足している分もあって、たぶんもっと伸びそうである。
 そのブログに、ユーチューブにアップロードした歌のURLも書いておこうと思う。問題は、その歌に合った写真がないことだった。
 私は写真家ではないが、ずっと写真・カメラの業界と関係を持ってきた。だからたまに写真も撮っているのだが、それは写真の絵柄として気に入った風景やものを撮ってきたので、まったく歌に合せて撮った作品ではなかった。
 だからネオン街の夜景などはまったくないし、ちょっとかわいいマクロで撮った静物や動物、なんの意味も感じられない写真などはなく、困ったなあ、と腕を組んでしまった。
 すでにアップロードした「夢の中に君がいる」は、レンガの壁に映る人影でまずまず、次の「あなたのすべてを」はうちのマンションから撮った夕景、「サン・トワ・マミー」 は青空。これは歌詞の中に大空があるからだ。
 というわけで、歌をアップロードするために、それに合った写真を撮ってこなければならない。ネットの中の写真を使う手もあるが、やはり自分で撮った写真がいいであろう。
 なお、ユーチューブのコンテンツは、静止画で歌だけが流れるもの。それ以上のものを作るつもりはなく「団塊SONGS/◯◯◯…」というタイトルで、アップロードしていくつもりだが、あまりに下手な唄は遠慮してやめておこう。
 すでにアップロードした歌は、以下のサイトで聴けますので、ぜひいちど視聴をお願いいたします。
http://www.youtube.com/watch?v=wXEF5zUP1PA 夢の中に君がいる
http://www.youtube.com/watch?v=ujyHkL_1R2M あなたのすべてを
http://www.youtube.com/watch?v=u5o_BPBmr0Y サン・トワ・マミー

「60からのマイソング55」を配信中。。これまでヒットした歌を55曲セレクトしてエッセーにまとめまています。「はじめに・空に星があるように・知床旅情・書き終えて」などをサンプルとしてアップロードしてあります。ぜひご覧ください。「Web写真人」で検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

デモ頻発から考える

2011-10-09 09:13:00 | Weblog
 世界でデモが頻発している。「アラブの春」からはじまって、アメリカにまで飛び火した。こちらは事情が違って、貧困の抗議行動だった。日本は脱原発のデモが発生している。
 しかし日本でも、いつアメリカのような抗議デモが起こるとも限らない。大学を出ても就職できない若者、いったん落ちこぼれるとフリーターしかない実態、いつまで働いても時給1000円程度で、アパート暮らしが精一杯だ。
 もともと大学なんか行かなくてもいい若者が、世間体や学歴の箔をつけるために行くのだから、どうでもいいことではあるが、雨後の筍のようにできたバカ大学をなんとかしたほうがいいことは確かだ。
 メディアがそれを言わないのは、大学がマスコミ関係者の天下り先になっていることだ。現場で訓練を積んたといって学問ができるわけではない。有名人を広告塔にする大学の宣伝でしかない。
 このままいけば、たぶん日本の社会はもっと悪くなる。首都圏で生まれた若者は親がかりで働かなくなり、結婚も遅れ、あげくが親の財産を当てにするようになる。生きることに真剣さがそがれていく生活をおくるようになる。
 地方から夢をいだいて上京する若者は、こき使われて疲れ切るか、まともな就職もできずフリーターになってしまうか。そういう貧富の差がはっきりと出てきている。
 我々の世代も多くは地方から都会に出て、なんとか家は持てた。高度成長と企業社会が安定していたからだ。成長はとまり企業はリストラの嵐、年金給付率は50%を割る事態になっている。
 ではどうしたらいいのだろうか。なんども提案していることだが、20歳で就職できる教育制度(その中に職業訓練を含める)、働いて収入があれば税金と年金を払う仕組み、70歳まで働けるしっかりした社会制度を構築すること。行政コストを下げることと税収把握のために国民背番号制を早急に導入することではないか。
 つまり社会の不公平感をなくし、透明性を確保して、あるゆる分野で社会的なコストを下げていくことだろう。そのうえで自由でフェアな競争社会を創り上げていく。
 アメリカでは大学自体の授業料がやたら高い。ようやく卒業して就職しても、授業料の回収ができないままリストラで馘首ということも多い。自由な国ゆえの弊害がピークに達しているのだろう。
 日本もいつ、どうなっていくか分からない。制度の抜本的な改革が求められている由縁だ。

「60からのマイソング55」を配信中。。これまでヒットした歌を55曲セレクトしてエッセーにまとめまています。「はじめに・空に星があるように・知床旅情・書き終えて」などをサンプルとしてアップロードしてあります。ぜひご覧ください。「Web写真人」で検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

面白かったカラオケバトル

2011-10-03 09:15:34 | Weblog
 昨日、テレビ東京でやっていたカラオケバトルは面白かった。チャレンジャーとオリジナルを歌う歌手が、カラオケの点数マシーンで競う番組だ。
 結果がどうだ、ということではなく、歌手によっては譜面通り歌うのではなく、勝手にかどうかは分からないが変えて歌ってしまっている。だからカラオケマシンの点数は低くなってしまう。
 番組を見ながらいろいろと考えていたが、例えば堀内孝雄が歌った『遠くで汽笛を聞きながら』では、チャレンジャーが譜面通りにうまく歌って勝った。
 堀内孝雄はいつもの歌い方だったが、たぶんこの歌い方がすでに譜面からずれているわけだ。作曲したのは本人である。
 どうしてか。きっと作った時は、オリジナルそのままに歌っていたと思う。しかし。それから多くのステージをこなして、この歌を歌い込んでいった時に、歌い方が変わっていったと思う。
 歌詞に対して、その歌い方が堀内孝雄にとってはフィットしていたのではないか。確かにオリジナルは大事であるが、変わっていってしまう歌がある以上、現在の歌い方で譜面を作り変える必要があるではないだろうか。
 それをニューバージョンといっていい。それならきっと堀内孝雄が勝ったろう。こういう変わり方は、フォーク系の歌手によくあることで、松山千春などもステージでは勝手に変えて歌っているようだ。
 演歌系はリリースする前に、しっかりと練習するだろうから、歌い方を変えないし、アニメ系もいつもオリジナルが番組で流れているから、しっかりとそのまま頭に入ってしまう。
 私もカラオケでよく歌を歌っているから、カラオケの点数マシンがどういうものか分かる。メロディを外さず音符通りに歌えば、だいたい85点ぐらいはとれるが、無難でつまらない歌になってしまう。点数を競うならいいが、楽しく歌いたいなら、思い通りに歌ったほうがよっぽどいい。結局、歌は気持ちよく歌えればいいのである。

「60からのマイソング55」を配信中。。これまでヒットした歌を55曲セレクトしてエッセーにまとめまています。「はじめに・空に星があるように・知床旅情・書き終えて」などをサンプルとしてアップロードしてあります。ぜひご覧ください。「Web写真人」で検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp