団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

鍋でお米を炊く

2013-09-30 10:20:04 | Weblog
 どうもうちのご飯があまりおいしくない、とかねがね思っていた。象印の炊飯器で、玄米も多少混ぜて、せいぜい2合程度しか炊かないから、まあ、無理はないだろうな、と納得していたものだが、先日NHKのまちかど情報局といった番組で、カセットコンロで炊ける鍋を紹介していた。
 それでちょっと調べてみたら、この鍋は2万9800円と高い。これなら高級な電気炊飯器を買える、とあきらめたが、他の鍋にも目がいった。
 分かったことは、ガスコンロに置いて米が炊けるということだった。なんだ、当たり前じゃないか、と思われるかもしれないが、ずっと電気炊飯器を使って何も考えずに来たから、それができる、ということは新鮮だった。
 しかもガスだから熱量が高く、ご飯はおいしくなる、ということだ。これは買いか、とぐっと心が傾いた。女房殿に相談したら、災害時に電気が来なくなったら、ガスで炊けたら便利じゃないの、との返事だった。
 まあ、緊急避難的に使うこともできるが、日常的に使えないか、と考えた。 あれこれ調べてみたら、北陸アルミニウムの4合炊きの「おいしいごはん鍋」というものがあった。
「でも、鍋で炊くのはけっこう面倒よ」と女房殿はいっていたが、これは自動炊飯だった。えっ、電気釜でもなく、ガス釜でもなく、ただの鍋でそんなことができるのか、と首を傾げた。
 値段は送料込みで4000円程度だったから、買ってみて試してみるか、どうせうまくいかなくても、災害時には使えよう、と肚が決まった。ネットショッピングを利用して、3日程度で届いた。
 取説を読んでみると、要するにガスコンロに自動炊飯機能が備えられている、という話だ。これがなければ、最初強火、沸騰したら弱火にして、最後に強火に替えて、蒸らすという行程が必要になる。
 面倒だがしようがないなあ、と思ってみたが、ガスコンロの取説も何年ぶりに取り出して読んでみた。なっ、なに、自動炊飯機能があるではないか、と身を乗り出した。早速、ガスコンロに近寄っていろいろと調べてみたら、あった、あった。まったくそんなところはこれまで見なかったし、ガスコンロの取説なんか、隅々まで読むものではない。
 しかし、何年も使っていない、という不安もあったが、とにかくやってみた。白米だけを二合入れて水を入れ、ガスコンロにセット。30分ほどして、火をつけてから、機能切替を炊飯にする。さて、どんなものか、と見守っていると、15分ほどで終了のシグナルが鳴って、火が消え、自動的に蒸らしに入った。また15分ほどしたら、完了のシグナル。
 恐る恐る蓋を開けてみると、確かに美味そうなご飯が炊けていた。自動炊飯機能はしっかり効いていたわけだ。さて、食してみてどうか。
 格段に旨い、というわけではなかったが、まずまず。きっと4合程度を炊けば、もっと味が出たろうと思う。しかも電気炊飯器分の電気代は安くなろう。
 いろいろとメリットはありそうだが、我が家は女房殿と二人の生活。2合炊いて、それを8等分して、お茶碗に半分しかご飯は食べない。あまりにも少量で大勢に影響ないなあ、というのが結論だった。
 
 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

半沢直樹はなぜ出向になったか

2013-09-24 09:16:01 | Weblog
 TBSドラマのお化け番組『半沢直樹』が最終回になり、番組を終えた。すでに一度感想を書いているが、どうしてああいう結末になったかを考えてみたい。
 ああいう、とは、半沢直樹は出向になってしまった。大和田常務は平取に降格、という人事で幕になった。半沢直樹は銀行を助け不正を暴いた功績で、きっと出世をするのだろう、と想像したが、見事に肩透かしだった。
 ちょっとカタルシスが足りない結末ではあったが、半沢が銀行に入行した理由は、大和田常務へのリベンジだった。だから、大和田常務を土下座したことで、個人的な恨みを晴らすことができた。つまり、ここで目的を達することができたわけだ。
 ドラマの結末としては、これでハッピーなのだが、そこに人事が絡み、ドラマとしての奥行きを与えたかったのだろう。
 北大路欣也演じる頭取が、もっとも要領よく立ち回ったことになるが、銀行の組織としてはさほど意外な出向人事ではないだろう。なぜなら、あのまま半沢を出世させれば、下克上を縦割り組織の中で認めることになってしまう。
 同じような案件が出て、みんなが半沢のような行動に出れば、組織が壊れかねない。その前例を作りたくなかった、というのはどの会社でも同じ考えだろう。不正な事実が発覚した場合は、社内で中立な監査室でも作り、そこで問題を処理するというのが普通の発想であろう。
 また、ドラマであるから、単なる次長が取締役会で、あそこまで常務を追い詰めることができたわけだ。オーバーな演技が、クライマックスを盛り上げたことは確かだった。
 半沢の個人的な恨みであったが、あの長台詞の中に銀行の在り方も弾劾しているシーンもあった。原作の池井戸潤の経験から来た良心の叫びであろうか。また裏切った近藤に対する態度も、作者のやさしさが滲んでいるようだ。
 とはいえ、出向人事はまずノーマルなのだが、大和田常務の平取降格は、一般的な感覚でもちょっと甘すぎたろう。たぶん、続編でまた大和田さんが暗躍するストーリーを想定しているのだろう。
 というわけで、続編の期待が高まる終わり方だった。たぶん頭取が病気で倒れ、大和田が返り咲きを狙って画策し、銀行の内部が混乱している時に、頭取からの特命で、半沢が銀行に戻り、また大和田と対決するストーリーなどが想像できよう。
 以上が、私が最終回で感じたことだが、見事に勧善懲悪で、しかも金融や銀行の現状をしっかりと描き、登場人物にリアリティがあることで、単純なドラマではなくなった。続編を期待したい。

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消費増税の生活防衛は…

2013-09-19 13:13:26 | Weblog
 どうやら消費増税は避けられないようだ。今朝の産経新聞は、首相が決断した、とヨタ記事を飛ばしていた。首相が会見して決定した、という事実はどこにもない。
 私の持論は、増税は1年ほど先送りして、景気が底堅く給料アップの手応えもしっかりとあるような状況の中で、軽減税率の論議をして、その導入を決めて10%に一気に上げる、というスケジュールでどうだろうか、と思っている。どうしてこの国は軽減税率をもっと真剣に論議しないのだろうか。たぶん財務省のリードでそうなってしまったのだろう。ようやく虫のいい新聞だけが声高にいっている。
 それでも、我々にとって必要なのは生活防衛だ。私の自転車はもう10年以上乗っており、プラスチックの部分なんか劣化して、ボロボロと崩れる。そういうモノは増税前に買うことになるだろうが、施行後の問題もあろう。
 女房は私より年上で、すでに65歳を過ぎている。最近、あるスーパーで毎日15日は5%引きのシニアデーを設定している。早速、今月の15日に買い物に行って、お酒や玄米などを購入した。こうした保存性の高い食物は、こうした日に買えばお得になるだろう。
 テレビを見ていたら、スーパーでポイントを貯めるコツは、1本に絞ることだ、という指導をしていた。なるほどであった。早速、我が家のスーパーのポイントカードを調べると、4枚もあった。1本に絞るとなると、やはりうちに近いスーパーで、なるべくここで買うようにしよう、と決めた。
 すでに書いたことだが、ポイントの金額で年末年始の食料を調達する、という賢い主婦がいるが、確かに1年間まとめれば1万円程度になり、正月はそれでちょっと贅沢ができるが、消費増税ならきっと、それも生活費になってしまおう。
 増税になれば、本気で生活防衛をしなければならなくなり、いろいろとうちの中のモノをチェックすることになろう。これから、そうしたクセをつける訓練をしておく必要があるだろう。
 増税前の駆け込み需要はあるものの、8%でも10%でも、ガクンと消費は落ち込むのは目に見えている。ならば景気は腰折れとなろう。上った給料もまたダウンという事態だってあるのだが、もしそうなった時に、誰が責任をとるのだろうか。
 現在、いろいろな学者や評論家が増税の影響をあれこれと言っているが、それをしっかりと覚えておこう。あいつはあの時こういった、見たことか外れた、もう信用できない、という見方が成立しよう。こうした方々は自らの研究から導き出したことを口の端に載せる。だから言説にすべての責任を持たなければならない。
 かつでバブル経済の崩壊があったが、あれを予測した経済学者はほんのひと握りだった。ほとんどはバブルに浮かれ乗りまくった。銀行が潰れる時代など、誰も予測しなかった。だから私は銀行や証券会社はもう信用していないし、ほとんどの経済絡みの評論家のいうことは眉に唾をつけて聞いている。ただバブル以前の若い世代の話には耳を傾けることにしている。
 言いっぱなし、やりっぱなし、が日本の通弊だ。増税の前提なんかスルーしており、今回の消費増税もそうなる可能性が高い。我々はただ生活防衛をするのみなのだが。

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汚染水問題どうなるのか

2013-09-13 14:44:38 | Weblog
 ますます福島の汚染水の問題が深刻化しているようだ。素人には、いったいどうなっているのかよく分からない。東京電力の発表の仕方も小出しで、あっちでもこっちでもという印象になって、全体像がさっぱりつかめない。
 素人の立場からいろいろと考えると、みんな素人なんではないだろうか。東京電力の人間は、電気のことは分かる、原発のこともエンジニアとして理解していよう。だが放射線漏れはたぶん素人で、ましてタンクや地下水のことなど知りもしない。
 原子力規制委員会の人間はどうか。原子力や原発の学問的なことは知っていよう。だが世界でスリーマイルとチェルノブイリでしか大きな原発事故はなかったのだから、原発事故の専門家ではあるまい。ましてタンク、地下水、海流なんか知るわけがない。
 じゃあ、せめて管理をしているタンク屋はどうなのか。これもタンクや水道の管などは知っているが、地下水は知らないだろうなあ。まして原発なんか近寄ったこともあるまい。
 そうした専門家の中に、地質学、海流学のスペシャリストはいるのだろうか。安倍首相は3kmの中でコントロールされている、といったが、誰かが常に見ているといえるのか。
 こっちから見ていると、専門家がよってたかって自分の専門のことだけを声高に主張して合っていて、全体を把握しよう、という姿勢がないから、傍で見ていてもさっぱり分からない。
 つまり全体像を理解して、どう問題を解決したらいいのか、というソリューションが必要なのだろう。それに相応しい人間なんかいるわけがないから、結局は強権を持った政治家が任に就き、強引にコトを進めていくしかないわけだ。
 汚染水に使われているタンクは、5年程度しか持たない。すでに2年が経過して、あと3年で解決がつくのだろうか。放射線除去装置もあるが現在故障中だとか。放射性トリチウムは除去できないというが、これは無害らしく、海に流してもOKとか。だったら、あまりあてにならないが、東芝製のアルプスをずらりと並べて、一気に汚染水の無害化をめざすべきではないか。
 もうひとつのアイデアは、不要になった大型タンカー数隻を福島原発沖に係留させて、汚染水を溜めるようにしたらどうか。それで時間を稼ぐわけだ。
 ただ地下水の問題は残るから、それをどこかで阻止する必要もあるだろうが、そうした解決へのビジョンを一刻も早く提示してもらいたいわけだ。それこそ安倍さんの責任であろう。
 とにかく福島の人たちのことが、やっぱりないがしろにされていよう。国土喪失によって.流民が生まれている。確かに震災であり、災難だったことは理解できるが、その後の処置にどこか同じ国民としての対応に足りないものがある。
 歴史的には、いつも東北の人間は虐げられてきた。かつて西村寿行が『蒼茫の大地滅ぶ』というバイオレンス小説を書いた。イナゴによって東北の大地が滅ぶというテーマだが、まさしく放射能で大地が滅んだのだ。心が痛む問題だ。
 
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「半沢直樹」から考える

2013-09-02 13:16:59 | Weblog
 あまりこのブログではテレビの話題は書かないが、TBSの『半沢直樹』については触れておきたい。直近で30%の視聴率を獲得しており、「倍返し」など一種の社会現象になりつつある。
 どうして書こうと思ったかは、やはりテレビドラマの在り方に一石を投じている状況だろう。『半沢直樹』のストーリーはきわめて単純で、勧善懲悪の世界である。主人公を取り巻く環境が、最前線の銀行業界であり現在の金融状況で、リアリティーが高く、本物っぽく進行していくので、ハラハラドキドキさせられる。池井戸潤の原作に負うところも大きいだろう。
 池井戸潤は最近ではNHKの『七つの会議』があり、ちょっと前ではWOWOWの『空飛ぶタイヤ』があった。いずれも企業もので、後者はほとんど『半沢直樹』に似た展開で作られていて、上質な人間ドラマになっていた。
 とはいえ、これほどの視聴率が『半沢直樹』で予想されたとは思えない。だから、反対にこうした勧善懲悪ドラマを視聴者は望んでいた、と言える。最近は、時代性を考慮して、無理な設定を作って、これでもかの破局の連続で引っ張っていくドラマが多いが、そうした作り方に一定の反省を促すことになるのではないか。例えば同時期に放映がはじまった『名もなき毒』などは、その例であろう。
 つまり端的にいえば『半沢直樹』は、時代劇の現代版であるのだろう。では、どうしてテレビで時代劇は衰退していったのか。やはりあまりにも『水戸黄門』のようにワンパータンになり過ぎたこと、時代劇役者が高齢化したこと、制作費のコストがかかり過ぎる、などの理由であろう。
 その余った人材が、京都で推理ドラマを作っているから、京都で死体がごろごろしている理由であるのだが、それとは別に、時代劇の面白さ、精神を受け継いだ現代劇が作られるようになったことは歓迎すべきことだろう。
 これだけ当たれば、また似たようなドラマが作られることになるのだろうが、そうした中からテレビドラマの本来の面白さを発見していってほしい。
 時代劇で注文をいえば、やっぱりチャンバラの面白さに尽きるのではないか。悪党がわっとかかってきて、バッタバッタと斬りまくるのではなく、勝負を見せ場にして、剣士がどう勝つか、どうやったら勝てるか、といった息を飲むようなリアリティで作ってほしいものである。
 かつてはそういう時代劇があった。勝負という意味で、『十三人の刺客』のリメイクなどがあったが、どうして最近では映画になると時代劇はああもつまらなくなってしまうのだろうか。武士道の不条理をいくら描いても、面白くなるわけがない。
 時代劇も現代劇も結局は同じなのだろう。どう人をワクワクドキドキさせるか。活動写真の原点に戻りたいものである。
 
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