団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

団塊SONGSアクセス数1万回超え

2014-01-29 12:46:49 | Weblog
 わが「団塊SONGS」のユーチューブのアクセス数が、このほど1万回を超えた。自分の歌う歌を、静止画の映像で構成した動画で、特別工夫した画面ではない。
 動画を作るのが面倒だったのと、本来の目的は私の歌を聴いてもらうことだった。同時に「団塊SONGS}のエッセーと連動しており、こちらのブログも読んでもらいたかった。
 現在100曲ちょっとアップロードしており、3年前の「夢の中に君がいる」から直近の「地上の星」までで、最近の30日間のアクセス・トップ10を紹介すると、次のとおり。
 人生の扉、欲望の街、さらばシベリア鉄道、アメリカ橋、スローなブギにしてくれ、黄昏のビギン、港町ブルース、遠い世界に、片想い、ヘッドライト・テールライト
 となっている。どこか共通性があるのだろうか、と考えてみたが、あまりなさそうだ。ただあまり聴いたことがない歌で、ちょっといい歌、というのがありそうだ。
 1万回を超えた、とはいえ、実際は私自身がアクセスしたケースもある。アップロードした後、確認のために1度はアクセスするし、家庭内の他のパソコンで再生してみることもあり、平均3回程度はアクセスしているから、約300回。それでも9500回以上は、誰かがアクセスして歌を聴いていただいている、と思うと、恐縮するしかない。
 現在、練習している歌は、堀内孝雄の「愛しき日々」。なあんだ、そんな古い歌を、と思われる方も多いに違いないが、先日BSの歌番組を聴いていて、歌ってみよう、と決めた。もともと知っている歌だったが、歌う気はなかった。
 このように、気に入った歌をすでに100曲以上は、自分なりに歌えるようになっており、そろそろ歌いたい歌そのものが少なくなってきており、ラジオやテレビで探している始末だ。
 どうして、そうまでして歌うの、という疑問もあるだろうが、別に気負った気持ちはなく、ただ新しい歌を覚えることに快感があるし、エッセーを書くためにも歌う必要があるからだ。
 それにしても、歌はつくづく難しいと思う。ある程度覚えて、そろそろアップロードしてみるか、というレベルに達する。そしてアップロードしてからも、けっこうまた歌う機会が多いが、そうなると、歌ううちにまた違ったテイストが出てきて、アップロードは早かったか、と後悔することも多い。そういう場合は、タイトルのあとに「・改」を入れておく。それでも、以前の歌のほうがアクセス数が多いケースもあり、よく分からないものだ。
 100曲のタイトルをご覧いただくと、私はだいたいフォーク系が多く、ニューミュージックや歌謡曲もあるが、演歌は少ない。団塊の世代だから、子供の時からアメリカン・ポップスの影響を受けているからだろう。
 さて、これからも同じように、歌とエッセーを書き続けていくつもりだ。歌を歌っていると分かることは、自分の体調だ。多少悪い時でも、高音はまずまず出るが、低い声が出ないことが多い。今日も元気で声が出る、というわけで、健康のバロメーターにもなっている。
 問題はこれから歌い込んでいくと、もっと巧くなるのだろうか、という点だ。この3年の間に、自分ながらずいぶん上達したと思っているが、あきらかにすでに限界に来ている。ただもう力む気はなく、自然体で行こう、と思っている。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

都知事選は実質的な国民投票

2014-01-25 15:50:46 | Weblog
 都知事選がスタートした。私生活の評判が芳しくない舛添さんがリードしているそうだが、終盤になってどう変わるか。見ものである。
 実際、都知事選の争点なんか、あまりないのである。高齢化、少子化、雇用、景気などなど、ほとんど自治体のレベルではなく、国家的な課題である。だから、争点が原発になってしまったのである。
 これも、自治体が原発云々などというのは、原発が域内にあれば説得力を持ち得るが、東京は原発が生み出す電気の享受者でしかない。だから、脱原発といっても、都民レベルでは、あまりピンとは来ない人が多いだろう。
 しかし見方を変えると、都民に脱原発のことを問うということは、一種の国民投票に近い結果となるのではないか。たぶん細川・小泉陣営は、それを狙っているのではないだろうか。
 その投票結果によって、脱原発への勢いを加速させたい考えだろう。実際、現在のところ原発は稼働していない。貿易赤字が膨らんでいるとはいえ、それでもエネルギーは足りており、すでに脱原発になってしまっている。
 ただ政府、産業界、学界、官僚が脱原発へ踏み出していない。なぜならまだ金になるからで、これまでかけてきた金を無駄にしたくない指向が強い。しかも原発の地元では雇用に役立っている。しかし、それも再生エネルギーの基地として転換することができれば、新たな雇用も生まれ、ビジネスチャンスも大いに発揮できるはずだ。
 原発はビッグビジネスゆえに、利権が特定の組織に集中しやすいが、再生エネルギーは地産地消の面が強く、サテライト化によって利益もまたフラット化される。
 だから、もし細川さんが勝てば、都民が脱原発の意思を明確に示したことになり、その結果を持って政府にエネルギー政策の転換を迫ることができるはずだ。
 だから、公約にも成り得ない脱原発を旗印に掲げたのだろう。都知事として、実質的な脱原発の仕事ができるわけではあるまい。そんなことは分かっているはずで、ただ掛け声に終わっていた脱原発を、具体的な形としてテーブルに載せることはできるようになろう。
 福島であれほどの事故が起こり、もし4号機の燃料棒のプールが破損し、放射能が拡散していたら、国土の半分ぐらいを喪失していたろう。
 それが分かっていて、まだ原発をこの日本で推し進めよう、というのは、ほとんど犯罪に近いのではないか。しかも連日、南海トラフとか地震の想定被害とか関係機関が発表しているが、それでも本気で原発を止めよう、という議論になってきてはいない。その矛盾は、どこか能天気ですらある。
 本気でリアリティを追求するなら、即原発を廃棄するべきだろう。それが正論というものであるが、都知事選であるとはいえ、1000万都民の選択が脱原発になったら、政府はどう動くのだろうか。これもまた見ものである。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

胡座の勧め

2014-01-05 09:45:30 | Weblog
 最近気がつくことは、和風のレストランなどに行った折、多くのお客は座敷の席に上がらないことだ。ほとんどのお客は椅子席に座る。
 つまり、膝を折って長時間じっとしていることが辛くなっているわけだ。まあ、当たり前のことで、人間楽をしたいからだ。
 ただ、どうしてそうなってしまったのかを考えると、やはの生活が洋風になっているからだろう。つまり日常の生活の中で、座敷で座ったり立ったりという動きが少なくなり、結果として正座したり胡座をかくのが億劫になってしまっている。
 自分のことを考えると、若い頃はなにも考えずに、当たり前のこととして座敷に座り込んでいた。冬ならコタツに潜り込んでいた。
 いつからか、コタツはなくなりソファや椅子の生活になった。それによって、なにが起こったかは、太腿の筋肉の劣化なのだろう。専門家ではないから詳しいことは分からないが、若い頃はしっかりと筋肉があったろうが、加齢によって全身の筋肉は衰えていく。同時に生活が洋風になったことによって、さらに加速する。
 というわけで、50過ぎくらいから、胡座をかくことが辛くなった。わずか15分程度でも脚が痛くなってしまう。
 齢をとったと実感する瞬間ではあるが、胡座は座っていれば分かるが、太腿の筋肉が伸び緊張している。しかも一定の時間そうなっているのだから、たぶん筋肉は自然に鍛えられているのだろう。
 洋風の生活では、脚の筋肉などに負荷がかかることはまずない。屈伸運動をしても、一定時間の負荷をかけるのではなく、単なる短時間の繰り返しに過ぎない。
 そんなことを考えて、あえて胡座をかくことにした。すでに半年ぐらい過ぎたが、毎日30分程度テレビを見ながら胡座をかいている。当初はやはり脚が痛くなり、30分過ぎて立つのもやっとだった。現在でもスクッと立つのは辛いが、胡座をかくこと自体は平気になった。やはり筋肉が鍛えられたということだろう。
 昔の戦争時に、日本人は和式の便器だから足腰が鍛えられている、洋式便器の欧米人に負けるわけがない、という冗談ともつかない論法があったが、ややそれに近い感覚だろう。
 実際、この齢になると、和式便器はお呼びではない。これも脚の筋肉が衰えている証左であろう。和式便器で鍛えようとは思っていないが、せめて胡座をかいて、自然に筋肉を鍛えて、畳の上で座ったり立ったりが自然にできるようにしたい。
 高齢者でもし脚が不自由でないなら、畳の生活を続けることが、きっと足腰のためにはいいのだろうと思う。人間、楽のほうに流されがちだが、そのツケはいつもついて回ることを忘れたくないものだ。

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