高齢者向け売春組織が摘発された。経営者の女が64歳、メンバーは46歳~73歳の16名で、2001年から3億2000万円を荒稼ぎしていたという。
ちょっと前に、韓国人の女性の経営でやはり、そんな売春クラブが摘発されている。よく客がいるものだなあ、と同じような世代ながら思うが、ここに最近の週刊誌がよく取扱う老人のセックス問題がある。
高齢化社会になって、人生60年時代とは違った社会的な様相が目立ち始めている。この老人セックスの問題もまたしかりだ。誰もが真正面から取り組んで来なかったし、気がついてはいるが、水面下のこととして見て見ぬふりをしてきたわけだ。
前述の売春組織は2001年から始めているから、先見の明があったというべきか。以前に年金デーになると、ソープランドが老人で混んでいる、となにかで読んだことがあるが、それもひとつの予兆だったのだろう。
この現象をどう分析し、どう向き合っていくか、というのが大きな問題だ。セックスなんて所詮、個人的な問題だ、ほっておけばいい、という議論もあるだろう。
しかし、違法組織が存続できるほど、ニーズが高いのを放置できるのか、と意見はあろう。夫が売春婦を買っていたら、妻はともに生きていけるだろうか。家庭崩壊がそこに待っている。
ならば辛抱し、合法的な方法で処理できるのだろうか、という深刻な問題にもなる。はっきりいえば、解決可能な方法はないだろう。
ただ社会が、これから高齢化社会の中で、老人のセックスと向き合っていく時代になったことを認識しなければならない。
若者が女性に狂う、というのは可愛げがあるものだが、老人でも同じなんだ、と捉える必要があろう。合法的なセックス産業に、老人が蝟集することになっても、それに眉をひそめるのではなく、それもありか、と受け入れことがまた必要になってきたのではないか。
女性のことは知らないが、男はたとえ身体のほうがいうことを効かなくなっても、脳の中には煩悩の炎が燃え残っているものだ。だから、いつまでも女性を好きになるし、売春婦も買うことになるのだろう。
いまはED治療薬もある。つまり可能な身体にすることができる時代だ。そうした環境が整っているのに、臭いものに蓋をするような態度が、いつまでも通用するとは思えない。
超高齢化社会は結局、負の側面だけでなく、人生を謳歌できるプラスの面も見なければならない。そうした視点で捉えることによって、人生はもっと愉しいものなのだ、という認識を新たにすることではないか。たぶん、売春婦を買った男どもは、きっと幸せだったのではないだろうか。その齢で女性との行為を愉しめるのは、やはり人生ハッピーであるのだ。
川端康成は『眠れる美女』を残し、谷崎潤一郎は『瘋癲老人日記』を書いた。作家であると同時に、男ゆえだったのだ。煩悩から逃げることはできないことし、向き合い克服するしかない。作家は書くことによって昇華することができたのであろうか。
で、私の場合はどうか。心臓病があり、ED薬を使うのは命懸けの行為になってしまう、とだけに止めておこう。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
ちょっと前に、韓国人の女性の経営でやはり、そんな売春クラブが摘発されている。よく客がいるものだなあ、と同じような世代ながら思うが、ここに最近の週刊誌がよく取扱う老人のセックス問題がある。
高齢化社会になって、人生60年時代とは違った社会的な様相が目立ち始めている。この老人セックスの問題もまたしかりだ。誰もが真正面から取り組んで来なかったし、気がついてはいるが、水面下のこととして見て見ぬふりをしてきたわけだ。
前述の売春組織は2001年から始めているから、先見の明があったというべきか。以前に年金デーになると、ソープランドが老人で混んでいる、となにかで読んだことがあるが、それもひとつの予兆だったのだろう。
この現象をどう分析し、どう向き合っていくか、というのが大きな問題だ。セックスなんて所詮、個人的な問題だ、ほっておけばいい、という議論もあるだろう。
しかし、違法組織が存続できるほど、ニーズが高いのを放置できるのか、と意見はあろう。夫が売春婦を買っていたら、妻はともに生きていけるだろうか。家庭崩壊がそこに待っている。
ならば辛抱し、合法的な方法で処理できるのだろうか、という深刻な問題にもなる。はっきりいえば、解決可能な方法はないだろう。
ただ社会が、これから高齢化社会の中で、老人のセックスと向き合っていく時代になったことを認識しなければならない。
若者が女性に狂う、というのは可愛げがあるものだが、老人でも同じなんだ、と捉える必要があろう。合法的なセックス産業に、老人が蝟集することになっても、それに眉をひそめるのではなく、それもありか、と受け入れことがまた必要になってきたのではないか。
女性のことは知らないが、男はたとえ身体のほうがいうことを効かなくなっても、脳の中には煩悩の炎が燃え残っているものだ。だから、いつまでも女性を好きになるし、売春婦も買うことになるのだろう。
いまはED治療薬もある。つまり可能な身体にすることができる時代だ。そうした環境が整っているのに、臭いものに蓋をするような態度が、いつまでも通用するとは思えない。
超高齢化社会は結局、負の側面だけでなく、人生を謳歌できるプラスの面も見なければならない。そうした視点で捉えることによって、人生はもっと愉しいものなのだ、という認識を新たにすることではないか。たぶん、売春婦を買った男どもは、きっと幸せだったのではないだろうか。その齢で女性との行為を愉しめるのは、やはり人生ハッピーであるのだ。
川端康成は『眠れる美女』を残し、谷崎潤一郎は『瘋癲老人日記』を書いた。作家であると同時に、男ゆえだったのだ。煩悩から逃げることはできないことし、向き合い克服するしかない。作家は書くことによって昇華することができたのであろうか。
で、私の場合はどうか。心臓病があり、ED薬を使うのは命懸けの行為になってしまう、とだけに止めておこう。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp