団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

坂の上の雲第1部を見終わって

2009-12-29 19:15:24 | Weblog
 NHKの「坂の上の雲」の第1部の放送が終わった。次の放送は来年の12月で、最終シリーズは再来年である。
 これほど長い時間をかけて制作しているのは、番組を見ているとよく分かる。配役もさることながら、現地のロケとCGをミックスして、臨場感たっぷりに作られている。国民的な小説を国民的な放送局が作ると、こうなるのだろう。
 クレジットを見ていて圧巻なのは、脚本の審査委員会のようなものがあることだ。明治という時代、その中で葛藤した人間群像を、司馬遼太郎は長い長い小説で表現した。
 いろいろな見方があり、さまざまな解釈もあるが、放送時間は限られており、なにを加えなにを省くか、どう取捨選択するのか、というのが、一義的に番組制作にあったろう。それが審査委員会に現れている。
 関係者の苦労には頭が下がる出来栄えであることは確かだ。 真之、好古、山岡子規の3人の主人公は適役だ。小説のイメージ通りの役作りができている。
 ただ年配の役者に無理がある。例えば、東郷平八郎が渡哲也ではカッコ良すぎるだろうし、小村寿太郎は竹中直人より軍人役の片岡鶴太郎のほうが合っている。
 後半の主役にもなる乃木希典は柄本明であるが、あまりにガサツ過ぎよう。乃木は形のいい軍人だったとか。明治といえば、当時の写真は残っており、また当時を知る人もいる。あまりにかけ離れた人物では、興がそがれる思いもある。
 別に有名な役者を起用するのではなく、イメージに近いしっかりした演技がてきる人を起用したほうが良かったのではないか。
 見終わって、やはり明治という時代に思いがいく。確かに国家拡張主義で、日清戦争の場面で帝国主義の負の部分を支那人に語らせているし、インディアンのクリアランス政策を高橋是清に批判させている。
 一応、左かかったNHKの面目も立つ構成ではあるが、この小説を映像化すれば結局、明治の日本が列強に仲間入りをする国民的な熱狂を描かなければならない。それが正義であった。時代を裁くのは簡単だが、その時代に生きた息吹こそ本当に伝えてほしい。小説の意図も体現し、傑作である。 
 もうひとつは音楽がいい。久石譲の担当だが、心に沁みる格調の高い調べである。猛り狂う時代をなだめるような癒しの旋律が不思議な高揚感を招く。これも特筆しておきたい。

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私の煙草の止め方

2009-12-27 09:31:09 | Weblog
 煙草の増税が決まった。1箱100円程度値上げされるそうだ。私は目下、禁煙中で幸いにも煙草には用はないが、それでも愛煙家はこれから、節煙や禁煙などで涙ぐましい努力を強いられることになろう。
 ささやかながら、私がどう煙草を止められたかを報告することによって、禁煙にチャレンジする方の参考に供したい。
 まずひとりではむつかしいこと。私の場合は、女房と一緒にやめた。そばに監視者がいると、1本ぐらいいいか、という甘えがなくなる。別に家族ではなくても、それが友人でも医者でもいいわけだ。禁煙中の苦闘を誰かと分かち合った方が、気持ちが楽なる。もう止めて15年ぐらい経つが、苦闘というほど辛かったわけではなかった。
 次に心理的にどう自分を納得させるか。止めたあとも、傍らに煙草はあった。いつでも喫えるという安心感と、反対に絶対に喫わない、という気持ちを奮い立たせることができた。
 そして、煙草はまずいもの、どうしてこんなまずいものを長い間喫ってきたのか、という自問自答を繰り返した。しかも健康によくない。喫っているあいだに、本当に美味しいと思ったことはあるのか、という自己暗示をかけた。
 そうしたことを自分に言い聞かせることが、もっとも効果があったように思う。自己暗示でなくても、確かに美味いものではなかった。そして煙草のマイナス面を考えるようにした。
 例えば、部屋の中が汚れる。大掃除で照明器具などを掃除すると、黄色いヤニが雑巾につき、それを取るのに苦労した。私はしなかったが女房は、夜中に目覚めると寝煙草を喫う習慣があった。ある夜、煙草で畳を焦がした。こんな危険なことを止めろ、と怒鳴った。煙草の火の始末も不安だが、止めるとオフィスでもうちでも出る時に、なんのためらいもなく出かけられる。これはけっこうのメリットだった。
 というわけで、いろいろと考えると、煙草でいいことはないのである。高い煙草税を払って満足する人はいなかろう。
 禁煙中だが、依然としてまだ喫いたい気持ちはなくならない。喫いたい気持ちを抑えるのではなく、喫う理由を問う方が禁煙の近道だったように思う。
 以前にも書いたことがあるが、70歳にでもなったら、パイプを喫おうと思っている。ゆったりした時間を味わう小道具である。やはり喫煙は人生の愉しみのひとつであることは否定できないのである。

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はがき

2009-12-20 09:30:09 | Weblog
 マンションの自治会が主催するバスツアーに行って、その集合写真をいちどネットプリントで頼んで、参加者に配った。
 その後、個別の写真をどうしようか、と思い、写真データをCDに焼いて、各自のパソコンに入れたら次の参加者に順繰りに回してほしい、と頼んで、ポストに入れた。その後、1ヶ月以上経つが戻って来ない。
 パソコンのない年配者も多く、どこかに紛れてしまったのだろうか、と思い、改めて個別の写真をまたネットプリントで依頼した。
 前回同様に、はがきサイズ6円である。今回はメール便の送料も0円だった。67枚依頼して締めて402円である。コンビニ決済にした。
 この価格に対して、本当にそうなの、と疑問を抱く向きもあるだろうが、前回はメール便代をとって500円ちょっとしたような気がしたが、間違いなかった。
 かつての銀塩写真は、フィルム代、現像料、そしてプリント代がついた。24枚のフィルム代を加えれば、ほぼ2000円近くになったものだ。
 写真店のもっとも大きい利益源が現像代だった。粗利は8割程度あり、だからプリント0円が最終段階で出現した。プリント代は大勢20~40円ぐらいだった。
 それがネットになって一変した。まず写真店を回る集配業務がなく、この分がコストダウン。現像代もなくなった。ネットで受けて、そのデータを印画紙の写真プリントにする業務になった。配送はメール便が主流だ.
 たぶんはがきサイズ6円では儲からない。私が依頼したラボはコダックペーパーを使っている。円高メリットはあるが、それでも原価すれすれだろう。前回はメール便代を梱包料として、200円程度とっていたようで、ここで儲けていいるのかと思ったが、今回はプリント代ぽっきりである。
 ここまで銀塩のラボは消耗戦を演じているが、細る需要の取り合いで最後に残ったものが、残存者利益を得ることを狙っているか。とはいえ、印画紙の総量がもっと減少すれば、いずれ原価高に転じ、こうした価格のネットプリントはなくなるだろう。
 ただ実際、写真プリントがいくらネットとはいえ、L~はがきサイズ6円なら、より多めに頼もうとするし、一定の需要は喚起されそうな気がする.もしそうなら、印画紙の写真プリントも、デジタル時代の中で棲み分けが可能なのではないだろうか。
 通常はケータイやテレビのモニターで写真を愉しみ、ちょっと凝ったプリントはインクジェットの出番、そして旅行やイベントの写真などは、低廉な印画紙プリントを数多く注文する。近隣の写真店は、そうした消費者の写真行動をフォローするのがビジネスになるのだろうか。
 やや業界に踏み込んだ話をしたが、いまがネットプリントを楽しめる時代である。 

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グーグル日本語入力を使ってみて

2009-12-17 12:48:03 | Weblog
 グーグル日本語入力が評判だ。かつては、こうした日本語入力メソッドもパッケージで購入したものだが、いまやネットから無料ダウンロードできる便利な世の中になった。
 私は、大方の人と違ってかな入力である。もともとアルファベットに弱かったこともあるが、日本語で発想した言葉を、頭の中でアルファベットに分解してからキーボードに打つ作業に違和感があった。
 キーボードで文章を打ち出したのは、かなり古い。キヤノワードの初期の機種を使っていた。当初、我々の関心事はキーボートで文章が書けるのか、という点だった。原稿用紙にペンで升目を埋める作業を長年やって、文章をイメージして手で文字を書くわけだが、アルファベット入力なら頭の中でいちど日本語をアルファベットに直し、キーボードに打つことになる。かな入力に比べ、ワンクッション多い作業が、文章に影響を与えるのではないか、と思った。
 そんなわけで、かたくなにかな入力でやってきた。わが女房殿は、日本語タイプライターを打ったことがあり、アルファベットよりかなの方が、打つ文字が少ない、という理由でかな入力だった。
 当初、ワープロを買うと、無料セミナーがあり、そこに行くて、インストラクターさんは必ずアルファベット入力を勧めた。キーを覚えるのが早いという理由だが、実際は教えるのが簡単だったのだろう。
 その後、ワープロからマックになった。当時のOSは漢字トーク7.5ぐらいだったような気がする。使ってはいないが、現在保有しているパワーブックのOSは9.1である。
 これからが本題だが、グーグル日本語入力のキー設定に、なんとことえりがあったのだ、マックで使っていたことえりである。
 ウィンドウズになって、キー設定はA-TOKで使っていた。かなと英数の変換がスペースキーの横のキーでできるのはいいが、誤って触ることも多かった。
 それが、久しぶりのことえりにして、半角/全角キーでその切替をする。当初は間違ってばかりいたが、慣れるとあんばいが良くなってきた。
 たぶんマックユーザーも視野に入れての採用なのだろうが、これはありがたかった。変換能力については、文節を長めに打った方が正確に変換してくれる。たぶん前後の言葉で判断しているのだろう。
 まついひでき、と打つなら、まついとひできを区切らず、ひとつの文節で打つった方が秀樹が最初から出てくる。
 日本語入力メソッドとしても、それほど重くなさそうで、当分は使えそうである。

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事業仕分けで分かったたかり列島日本

2009-12-14 16:34:25 | Weblog
 事業仕分けが終わって、各省の復活折衝のようなことが続いているが、これで分かったことは、日本は隅々まで補助金や助成金が行き渡り、その増減で一喜一憂していることだ。
 タイトルの通り、我々の世代はそうしたひも付きのお金とは無縁のところで生きてきたように思う。むろん、その人がどういう組織に関わってきたかで違いがあろうが、民間で生きてきたならば、ほとんど縁はなかった。
 会社がまだ元気なころに、保証協会からの融資を銀行で借りたことはあったが、これは利息を支払うビジネスであった。ほぼ30年事業をしてきたが、国、東京都、港区から事業資金を援助してもらったことはなかった。
 まあ、事業資金をいただくほどまっとうな会社ではなかったが、そうした発想はまったくなかった。営々と細りゆく事業を守りつつ、とうとう最後の一兵卒になってしまった。
 ところが、事業仕分けを見ていると、あるわあるわで、かゆいところに手が届くほどに配られている。それでバッサリやられたところが、見直しを財務省に迫っている。
 もっとも注目を集めたのがスーパーコンピュータだが、あれだって一見、学者連中は被害者のようだが、実際は使い放題の補助金でやってきたのだ。
 もらうのも使うのも痛みがないから、ただくれくれとわめくのだろう。もともと税金だが、割り振る方はでかい顔ができる。最近では、団十郎の「舞台芸術体験事業」の復活折衝が報じられた。
 なにをしている団体か知らないが、子供に見せても歌舞伎なんか分からないだろうし、本気なら補助金を当てにせず、梨園総出で自立事業として取り組んだらどうか。
 そういうものが多すぎる。助成金、補助金がなくても、やらなければならないことは関係者が努力して自立の道を探るものだ。
 ひも付きがなくなったら、あえなく解消、なんていう事業はもともとやっていた意味がなかったろう。補助金を削られ、なおかつ規模を縮小しつつも、継続していく努力があれば、やがて見直される日もあるが、もうその時は自立してひも付きなんかいらないよ、という立場になっているかもしれない。
 かくのごとく、助成金や補助金はまず自立を前提に論議すべきだった。補助金をいただく団体や法人が、補助金がなくなったら民間のビジネスにもならない事業なら、止めてしまったほうがいい。公開の場でやったことは評価されたが、不公平感が残るのはしかたがないとしても、この果実を国民全員が共有しなければならない。

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友の死に際して

2009-12-10 11:23:05 | Weblog
 また高校時代の友が亡くなった。癌である。
 私はさほど親しい関係ではなかったが、小中高一緒という友人から、すっかり落ち込んでいる、とメールが来ていた。まさに親友であったのだろう。
 名古屋の高校を出て、東京に来ている同期の仲間がかつて100人ぐらいいた。名古屋で就職して東京に転勤になって働き、定年ですでに故郷に帰った者もいるが、最近の同期会には15~25人ぐらいは顔を揃える。
 私は欠席したが、ある時、名古屋で盛大な同期会が開かれた。プロジェクターで亡くなった同期の顔写真を写した。愕然とした。親しくしていた友人が4人もいた。その後ひとり加わり、また今回の死である。
 還暦を過ぎ、61歳になり、さらに齢を重ねてゆく。頼れるものは伴侶や家族であろうが、かけがえのない友人の存在もまた勇気づけてくれる。
 たぶん、これからも徐々にあちらへ向かう友人が増えていこう。それなら、少しでも会う機会を作り、お互いの元気な顔を見たいものである。
 しかし、一度は参加したものの、それ以降はまったく出て来ない者もいるし、ある時を境にプッツリと縁を切ったかのような者もいる。
 人はさまざまであるし、仲間の集いの参加に強制できるものではないが、思い出を共有している者同士が時を隔てた会話をするのは、人生のひとつの愉しみである。
 いずれ、そういう気になってくれることを待つしかないが、それでも最近思うことは、長く生きてきたなあ、という感慨である。
 光陰矢のごとし、という喩えはあるが、ひとつひとつの記憶をたどっていくと、やはり思い出は膨大な量になっている。
 最近、母親が認知症になり、遠方に移り住んだ。その際に住まいを片付けたが、古い写真なども出てきて、見入っていると、そこに自分の人生が凝縮されていることがしみじみと分かる。
 かくも長く生きてきた、しかし、これからもまだまだ生きなければならない、という当たり前のことを思う。我々より高齢の方々は、その思いをもっと強く抱き歩んでいることだろう。
 人は死に方を選べないが、生き方は選ぶことができる。選ぶだけの元気があるうちが花である。
 先に行った友に合掌である。さらばであるが、また逢おう。

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基地問題をどうするのか

2009-12-05 14:32:46 | Weblog
 普天間移転問題が暗礁に乗り上げている。米国大使は激怒するわ、岡田外相は辺野古移設を譲らないというし、県外だ、グアムだ、神戸だ、茨城だ、とまことにかまびしくなってきた。
 民主党の定見のなさには呆れる思いだが結局、自民党政権以来、基地問題を国民的な論議とすることを避けて先送りしてきたつけを払わされている。だからといって、民主党の迷走にも困ったものだ。
 結論までに時間はないだろうが、これを機会に基地問題を国民的な問題として向き合い、一定の判断を示すべきではないか。
 沖縄に押し付けるのはもう無理だろうし、現状で基地があることによるメリット・デメリットを明確にして、どう住民的な解決が図れるのか、ということを論議すべきだ。
 私の友人にも、基地のそばに住んでいる者がいるが、けっこういろいろと無料でやってくれているらしい。二重窓の設置、地デジ対応など他の地域よりも恵まれている面もある。
 こうしたことは意外と知られておらず、基地の存在で迷惑がある住民に、どんなサービスをしているのか。そうした透明化も必要なことだ。
 だったら、もっと踏み込んだ対応も可能なのではないか。日米安全保障条約が必要なら、軍事的に国内に基地を置くことはしかたがない。となれば、軍事的にどこに基地を置くか。
 現在の世界情勢と現代兵器の性能を考慮して、基地の設置を改めて決める必要がある。基地の場所が何年もそのままというのは、そうした変化を無視している。
 改めて白紙に戻し、基地を置くことによるメリット・デメリットを明確にして、それによって近隣住民に迷惑がかかるなら、その迷惑代として他の国民が負担する仕組みを作ることではないか。
 例えば、基地近隣の住民の医療費は無料にするとか、住民税をただにするとか、アイデアはいろいろとあろう。その原資は基地税として他の国民から徴収する方法だ。そうしたメニューを用意し、自治体の立候補を募り、一気に基地問題の解決を図る、というのはどうだろうか。
 これぐらいの改革を実行しなければ、基地問題は永遠に解決しないだろう。

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デフレでモノが安くなって何が悪い

2009-12-03 11:53:10 | Weblog
 デフレ下で円高が日本を襲っている。輸出企業は悲鳴を上げ、輸入企業はニンマリとして黙っている。
 円高は両面があり、生活は物価が下がって楽になるはずだが、なかなかすぐに効果が出てこないのが日本経済の特徴で、円高でメリットを受ける企業名を公表して、値下げ圧力をかけるべきだろう。反対に円安に振れれば、それも公表して企業の実態を明らかにしていくことで、企業の透明性が確保できる。
 しかし、デフレでは円高で物価を下げろ、とはいいづらいが、本当にそうか。デフレ・スパイラルといういかにも深刻な論法がある。
 企業が売れないから値を下げる、それでも効果がなければさらに下げる、次は利益が減る。企業の不振が従業員の給料の減額や解雇を招く。従業員=消費者だから、消費者はますますモノが買えなくなる。
 という図式だが、その理屈は分かるが、それがどの程度の期間のサイクルで起こるのか、という指摘は一切ない。やや長いスパンで起こるなら、その間に循環的に景気は上向くことになるだろう。景気は昔から、上がったり下がったりなのだ。
 デフレといっても、ここまでモノが溢れた日本で、デフレもないものである。だから企業は努力して、なんとか買わせようとする。値段を下げるのもその戦略なら、新製品もそうだし、ニッチ商品が増えていくのも、またそうだ。
 だから企業努力で物価は下がっても、なんの心配もいらない。競合メーカーも努力して、リーズナブルな価格になっていくことは歓迎だ。あんなに高かったケータイの電話料だって、競争で安くなった。
 高い安い、は消費者が決めることだが、問題にしなければならないことは、その値段の整合性と信頼性だろう。
 例えば旅行業界。どうしてセットなら航空運賃があんなに安くなるのか、こんな価格で買ったら損するか、といつも疑心暗鬼だ。業界が価格の信頼性を自ら破壊してしまった例だ。他の業界にも似たようなことがあり、その信頼性を回復して整合性を取り戻すことこそ大切なことだ。
 わが家もちょっと大きな買い物をすると、買ったあとで他の商品と比べたり、他の店の価格を見たりして、勝った負けたといっている。要は割を食いたくない、損をしたくない、という心理が強い。
 つまり価格に対する信頼こそが、消費者が安心してモノを買えるポイントであるのだ。デフレだろうとインフレだろうと、その心理は不変であろう。
 企業が値段を上げようが下げようが、その価格に信頼性があれば消費者は支持する。そういう視点で、経済もまた語られなければならない。

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