団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

生きづらい世の中になったものだ

2019-10-30 11:25:23 | Weblog
 新任大臣の失言が相次いでいる。荻生田さんは「身の丈」発言、河野さんは「雨男」発言。いきなり野党が噛みついている。
 なんで悪いのか、というところが理解できない。「身の丈」のほうは、経済格差が教育格差につながる、と短絡的に批判している。すでに経済的に裕福でないと、東大などの難関な大学には入れない、というのが定説である。
 しかも「身の丈」というのは、分相応という意味でもあり、これも人を諭すために使われる常套句である。だから、あまり言葉尻を捉えて、わあわあというのは、野党として情けない。
 野党としては、多くの人もそうだが、私もよく分からない教育制度の欠陥を指摘して、国会で堂々と議論すべきであろう。
 「雨男」発言は、後援会のパーティでリップサービスでいった冗談でしかない。ただ事実をいっただけで、ここまで非難を受けるというのも、尋常ではない。こうした冗談を受けて、本気で怒る被災者はいるのだろうか。メディアはいちど取材に行ったらどうだろうか。
 ま、軽率であることは確かで、どちらも失言を取り消せば済むことではないか。
 野党だけでなく、ネット社会になって、それぞれの言動がすぐに伝播する。当然、いろいろな人がいるのだから、その言動の捉え方もさまざまである。
 あれこれと反応をする人もいるが、多くの人々は、いちいち付き合っていられない日常がある。ただ一部のネットおたくが、これもわあわあ騒ぎだして、ことは針小棒大になっていく。
 まことに生きづらい世の中になったものである。みんなが、周りをきょろきょろ見回し、言葉を選び、慎重に発信することが常態化している。これでは、大胆に世間に問題を投げかける発言は出にくくなっていよう。
 ちょっと前の週刊ポストの断韓の特集記事もそうだろう。こんな記事は右寄りのWILLや月刊HANADAは毎号やっている。すでに定着しているから、問題にもならない。
 最近話題のチュートリアル徳井さんの脱税問題も、脱税なら罪になるし、あるいは追徴金等を払えば済むことで、人格否定まで行っている。たぶん復帰は無理になり、裁判前に裁かれている感じだ。
 みんな善男善女で、悪いことはせず、まっとうに生きることに精一杯なのか。仕事をし、納税していれば、羽目を外すことも人生の愉悦である。どう外すかが、大人の態度であるだろう。

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いじめ先生

2019-10-24 14:19:32 | Weblog
 神戸の小学校で、いじめ先生の事件が発覚してから、けっこうな時間が経っているが、まだ関連した報道が続いている。
 最近では、実名報道とか、二度と教壇に立てないように公職追放とか、社会的な制裁に方向が向かっている。
 事実はどうあれ、やはり犯罪であれば、裁判で争うのが筋である。ただ本当に犯罪であるかどうかが微妙なところであろう。
 今回の場合は、加害教師、被害教師の色分けがはっきりしており、被害教師が犯罪を立証し、告訴すれば裁判に持ち込むことができるだろうが、犯罪性の立証がむつかしいのではないか。
 確かに被害教師はひどい目にあっているが、犯罪というよりパワハラ、セクハラのレベルといってしまえば、それまでだ。
 精神的に追い詰められたということもあるが、これもいじめが原因かどうか立証はむつかしい。
 そうしたことは別にして、加害教師がどうしてこんなことを仕出かしたかに関心が向く。まず学校の特殊性が考えられる。
学内に第三者の目がなく、学内で何をやっても、指弾されることはない。それに校長や教頭らは、ことなかれ主義に徹しており、現場の先生らはほとんど野放し。つまり管理者と現場が同じ校内にいても、交わることがなかったのではないか。
そんな状態だから、加害教師のやりたい放題になってしまった。たぶんちょっとした軋轢で、被害教師の精神的なもろさが分かり、こいつ、いじめたって言いなりだろう、とターゲットに決めた。
 どうしてターゲットが欲しかったのか。それは加害教師らが支配欲に満たされるからだ。毎日、教壇に立ち、同じ日々が繰り返されている。そこには現状に不満があっても、欲求不満を解消するすべはなく、鬱屈はたまる一方。そこに格好なターゲットが登場したわけだ。
 当然、最初は言葉の暴力程度であったろうが、もうちょっと何かやれそう、とエスカレートしていく。激辛カレーや性交強要など、面白がれるような行為に発展していったろう。
 相手をいじめるというより、自分の鬱積を我を忘れて、被害教師にぶつけていたのではないか。だから、会見でも謝罪の言葉が後回しになった。子供のいじめと大差はない。
 早く誰かが見つけ、問題解決へと導かれなかったか。上にいっても無視、密告するのが分かれば、ターゲットは自分に向く。いつものいじめのパターンである。
 どうすればいいのか。結局、学校を特殊環境にしないことだろう。オープンな学校にして、授業でも校内でも、許可を得た者は自由に出入りできるようにする。見たもの聞いたものはネットや投書で公にする。大胆な改革が求められるところである。それにしても、先生も幼稚になったことが驚きである。

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愛知トリエンナーレを考えてみた

2019-10-10 15:06:31 | Weblog
 愛知トリエンナーレについて考えてみた。どうもいろいろなことが絡み合って難しくなっているから、整理してみよう。
 まずトリエンナーレで問題になったのは、その中の展示の一部である「不自由展」。他の展示会で拒否されたアート作品を持ち寄って見せている。なぜ、拒否されたかは、その展示の多くが反日的だからだ。
 そうした政治的なプロパガンダが、こうした展示会場にふさわしいかどうか、という議論が必要だ。反日的、左翼的な意図を含んだアートだから拒否する、というのも、中庸ではない。反対にそうしたアートを拒絶することが、ひとつの政治的な意思になるだろう。
 だから、アートの業界があるとしたら、やはり政治的に物議を醸す可能性のある表現は、展示をしない、というコンセンサスが必要であろう。アートを大切にする基本的な姿勢が求められる。
 今回の場合は、すでにこのトリエンナーレの運営の中に、活動家が入っており、反日的な意図を明確にして展示した、という確信犯的な側面がある。では、中国のチベットやウイグルの弾圧に関するアートを作って、このメンバーが展示できるであろうか。
 表現の自由を盾に、なんでも展示してよい、というのは理屈としては分かる。政治的な圧力に抵抗することが、表現の自由を担保するからだが、これも自ずと常識的な限界があるだろう。
 わざわざ美術館に足を運んで、不快な思いは誰もしたくないが、それを見たい人もまたいるものだ。だから、展示の正当性はないわけではない。
 問題は、今回の場合、公的資金が使われていることだ。文科省はたぶん盲判で、問題になって、たまげて取り消した、というところ。大村知事は賛成で、河村市長は反対の座り込みに発展している。
 税金の投入というのは、やはり一般の国民の神経を逆撫でしていよう。関係者は交付金の取り消しに抗議しているが、それは考え違いで、お上からお金もらって、お上の悪口をいっているようなものだから、誰も納得しまい。
自由を確保するということは、資金面の独立性があればこそであろう。それがなければ、展示会自体が一人前ではない。それなら天皇陛下の写真を焼いたって文句のいいようがない。野次馬は勝手にやっていろ、という態度である。
 それにしても、現代美術のアートのレベルがこの程度とは情けない、と思った人も多いし、まっとうな芸術家は泣いていよう。やはり反日の政治的なプロパガンダを狙った展示で、まともに相手にできる不自由展ではなかった、というのが結論であろうか。
ちょっと見たいのは少女の慰安婦像。アートとしてではなく、鰯の頭もなんとやらで、どんなものでもシンボルになり得る好例として見てみたい。

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VRゴーグル買ってはみたものの

2019-10-05 11:19:14 | Weblog
 この齢になっても、まだまだ好奇心は旺盛で、最近はやりのVR動画というのは、どんなものだろうか、と確認したくなった。そのゴーグルで、ふつうの映画も観れるのではないか、とも期待した。
 それで、あれこれとネットでVRゴーグルやVR動画を研究してみた。結局、買ってみるしかないかな、と結論を得て、VRゴーグルをいろいろと見繕ってみた。
 なんと何百円の段ボール製のものから、2~4万円をするものもある。どうしてこんなに値段が違うといえば、安いものはスマホをセットして、その動画をゴーグルを通して観ることができる。高いものはスマホはいらず、オールインワンの単独のVRゴーグルだからである。
 いろいろと調べて、アマゾンのタイムセールというので1999円のVRゴーグルを購入した。失敗しても、さほどの痛手はない。
 届いて、早速試してみたが、結論からいえば、ふつうの動画を大画面で見ることはできない。つまりVR動画は、2つの動画が基本で、それをゴーグルを通して、大画面というより360度の画角で鑑賞できる仕組みだ。
 1つの動画だけなら、片目で見ているような画像になるだけで意味はない。使い勝手はまあまあ。ゴーグルの前の蓋を開けて、VR動画を再生しているスマホをセット。目幅調整やピント調節もできる仕組みで、これをヘッドバンドで頭に被り観賞するわけだ。
 動画はユーチューブから再生できる。画面右上のメニューから、VR再生を選べば、2つの画面に分離して見ることができるが、ちゃんと対応した画像でないと、2つになっても小さくて、角度によってはVRに見えないケースもある。
 VR動画を見るためには、ゴーグルのレンズ全体に画像が映っている状態が必要だ。いろいろなVR動画があって、360度VR動画から探せば、まあまあ面白い動画が見られることはできるが、結局ストーリーがあるわけでなく、すぐに飽きてしまいそうで、結局はゲームに行くのだろうな、と思うが、そこまではと思う。
 そこで、VRタイプでないヘッドマウントディスプレイで安いものはないか、と探し出した。これは高価なものが多く、AV機器とケーブルで結び100インチ程度の画面でふつうの映画が楽しめるものだ。
 これなら、女房殿が見たいテレビと違った時に役立つわけだ。かつてオリンパス製を持っていて重宝していたが、壊れてしまった。その後、大画面テレビが普及して、こうしたモニターはすたれてしまったが、エプソンあたりが新しい光学系を導入したスマートグラスを発売している。感覚的にウェアラブル端末なのだろう。
 それで、1万円ちょっとの正体不明のヘッドマウントディスプレイを買い、届くのを待っているところ。この報告は後日に。

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