団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

辞任と引退、それぞれの政治劇

2008-09-29 07:57:23 | Weblog
 中山国交省大臣が辞任した。同時期に、小泉元首相が政界を引退することを明らかにした。
 中山大臣は、成田空港のゴネ得、次に単一民族、そして日教組の弊害などの失言を繰り返して、辞任に追い込まれたが、失言は成田空港の発言だけで、あとはそうした持論の持ち主なのだろう。
 中山大臣は、組閣のときに町村派から無理に押し込まれたそうで、大臣になるなら文科省をやりたかったのではないか。小泉内閣のときにやっているからだが、派閥の力学で国交省の大臣になってしまった。それが開口一番、ゴネ得でケチがついてしまった。それで嫌になって、故意に失言を繰り返した節がある。
 なぜなら、自分の発言がどういう結果を招くかは、これまでの政治経験から百も承知だろう。それをわざわざ日教組での発言はダメ押しさえしている。つまり持論を展開したわけだ。結果、辞任になったが、してやったり、憎っくき日教組に一矢を報いた、といった心境ではないだろうか。
 そう考えた方が分かりやすい。国交省の大臣なんかやりたくない、とへそを曲げ、それなら辞める前に言いたいことをいってやれ、というのが正直なところだろう。
 確か、麻生さんは適材適所といっていたが、中山さんの件でぼろが出てしまった。
 小泉さんはとっくに辞めたい、という意向で、しかも選挙区を次ぐ二代目も決まっており、早くバトンタッチをしたかったのだろう。総選挙を前にタイムリーな辞め方ではないか。
 同じ地盤から2人が立候補できるわけではなく、小選挙区制が生んだ引退劇といってもいいだろう。
 そもそも日本の政治家は、国家を論ずる前に、地元を論じなければ有権者の支持を得られない。地元の利益を誘導して、おらが先生、という立場にならなければならない。
 そのおらが先生が国会の場で、国家を論じてくれるから鼻が高い。そのおらが先生と思われているあいだに、地盤を引き継いでくれる人材を育てなければならない。
 幸い、小泉元首相は次男坊が継ぐことになり、自分の影響力のあるうちに、まず代議士にしたい、という意向が強く働いたのだろう。そうやって、地盤が引き継がれていく。安倍さん、福田さん、そして小沢さんなど二代目・三代目はみんなそうだ。
 それが悪いわけではない。地元の一致団結を得るには、どこの馬の骨では困る。残念ながら、それが日本の政治の原風景であるのだ。
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東金の幼女殺人を推理すると

2008-09-27 08:36:32 | Weblog
 悲惨な事件が多いが、最近の千葉・東金市の幼女殺人事件は痛ましい。わずか30分の隙に、拉致し殺し捨てる、という残虐な行為が行なわれた。しかも割りと周りに人がいる状況の中でだ。
 裸で捨てられていたから、幼児性愛者という線もあるが、この30分の時間が気になる。計画性というものが感じられないからだ。幼児性愛者なら、拉致し、たとえ殺しても、ひと時も長く一緒にいようとするだろう。
 以下は勝手な推理だが、もともと祖父の病院か母親になんらかの恨みがあったか、衝動的にたまたま目についた幼女を誘拐した。たぶん身代金も目当てであったが、幼女に騒がれた。周りに人がいる。耳に入ったら、ばれてしまう、思わず口と鼻を覆った。しばらくしたら、ぐったりとしてしまい、死んだことが分かった。
 そこで犯人は、変質者を犯人に仕立てて捜査が混乱するように仕組んだ。それが、裸にして捨て去る行為だったのではないか。車が犯行に使われたそうだが、狭い道路で目につかないはずはない。
 30分という短時間で、一連の犯行があったことを考えると、そうしたケースがもっとも近いような気がするが、正確なところは捜査を待つしかない。
 よく犯罪の専門家が、事件が起こってもっともらしく推理しているが、その多くは当たっていない。最近の刑事ドラマには、プロファイルがつきものだが、これも当たるものではない。犯行の不可解さも犯人が捕まって分かってしまえば、なあんだ、ということが多い。
 犯罪がこれほど一般化して、ドラマや映画などにも取り上げられれば、多くのアマチュアもプロに近い思考ができるようになる。警察の裏をかくこともできるし、捜査の撹乱だってできよう。そうした犯人を追うのだから、警察ももっとプロにならなければならないだろう。
 ポーランドで本人の同意なしで、性犯罪者を去勢する法案を可決するという。他のヨーロッパ諸国は人権侵害で反対しているが、世界各国で性犯罪について取り締まりや対応に苦慮している。ポーランドの事件の場合、娘と性交し子どもを2人も作っている。たぶんこれは性犯罪ではなく、近親相姦であろうが、許されることではない。
 貧困ゆえの子どもに対する犯罪とは別に、性犯罪は大人の劣情を満たすための行為で、豊かな国でも頻発している。どう抑止するのか。人間の異常性に根ざした犯罪だけに、根絶はむつかしいが、被害者を出さないための知恵を社会全体が考えなければならない。
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米国金融恐慌に見る栄枯盛衰

2008-09-24 09:04:30 | Weblog
 うちが発行している雑誌を印刷している会社の社長が「取引が500万円なくなってしまいました」と苦笑いをしていた。
「景気はもっと悪くなりますよ」と付け加えたが、つまりサブプライムローンの余波で、金融機関が不動産会社から資金を引き上げ、不動産不況となり、そして不動産のPRをするチラシの依頼がなくなった、という次第だ。
 銀行が自らを守るため、早期に資金を回収することはすでに常套的に行なわれているが、不動産、建設と不良債権の多い業界からはじめている。次はどこか、なんて取り沙汰されているが、景気はピンポン玉のように、こちらに当たれば弾かれた玉が、またどこかに飛んでいって弾かれる、という連鎖を起こす。
 印刷所では当然、経費の引き締めやリストラを行なうから、その影響を受ければ、その当該者が同じようなことをして、さらに広がっていく。
 社会は大きいから、その余波が広がっていくには時間がかかるにしても、じわじわとアメリカ発の金融恐慌が、日本の生活にも暗い影を落とすわけだ。
 とはいえ、あれほど栄華を極めたアメリカの金融業界が、サブプライムローンの破綻をきっかけに崩壊した。こうした金融パニックが見抜けなかったか、といえば、日本のバブル崩壊も誰も予想できなかった。
 アメリカの人々は家を買い替えることを日常にしているそうだ。だから高金利でもローンを組んで家を購入。ある時期が来たら、それを売ってまた新居を買う。だから高金利でも家が高く売れればローンが払えるし、たぶん利ざやで儲かる。安くしか売れなくなったら、買い替えできず、高金利を払い続けることもできず破産し、不良債権化する。その債権を証券化して世界中に売ってしまったのが証券会社だった。 
 つまり、ひたひたとアメリカは景気が悪くなっていたのだろう。その不況がまずサブプライムローンの人々を襲った。だからその破綻は読めないわけではなかったろうが、複雑で不可解な金融商品にしてしまいひとり歩きして、制御不能にまで拡大したのだろう。
 日本のバブルでも、不動産や株に浮かれて人々は舞い上がった。決して実態のあるものではなかった。実態のないことでは、今回のことと共通しており、金をおもちゃにする資本主義のいかがわしさを見る思いで、栄枯盛衰は必ずあることを想起する。
 またぞろ日本の金融業界がこれを機に、アメリカの金融機関に援助し、海外市場の拡大を目論んでいる。相変わらず懲りない面々である。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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官僚の不祥事どう止める

2008-09-22 13:35:22 | Weblog
 日曜日の午前中に放映する政治家の日曜討論を見ていたが、やはり建前に終始していた。それというのは、今回の農水省の不祥事。
 太田大臣や事務次官が辞めて、責任についての処理は終わったようだが、これまでいつも官僚の不祥事に、大臣が責任をとって辞任してきた。
 省庁のトップが大臣であるからしかたがないが、実際のところ在任何日、何ヶ月の大臣が、その省庁のことを隅々まで分かっていたのか。実態はお飾りで、自分の在任中は問題を起こすな、というのが、おそらく就任第一声ではないだろうか。
 だから、大臣が責任をとって辞めても、問題の所在があいまいになるだけで、なにも解決されているわけではない。
 もし大臣に有効性があるとしたら、それはその省庁に属していない第三者である、ということだ。つまりいい意味で、その省庁とそこに働く官僚を客観的に見ることができる。だから、外務大臣の田中真紀子も防衛大臣の小池百合子も大喧嘩した。
 その第三者がいることによって、緊張関係が生ずる。大臣の方針によっては、官僚もいい加減な仕事では通用しなくなる。
 ならば、第三者を省庁の中に入れる工夫をしたらどうだろうか。地方の議会はオンブズマン制度が有効に働いていてチェック機能があるし、役所は首長が変わることによって問題が解消される。警察官は監察官制度がある。国家官僚にそうしたチェック機能はあるのだろうか。
 もし、ないとしたら、第三者機関の霞ヶ関監視委員会などを作って、各省庁ごとにメンバーを決め、そのメンバーは担当の省庁に自由に出入りさせるようにして、検査や入札の立会い、勤務態度や能率の採点、公聴会の開催ができるようにしたらどうか。
 かつてのコラムでも書いたことだが、PTAの人が学校の授業を自由に参観でき給食も一緒にとれるような開放校にしたら、人の目を意識するようになり、いじめや変な授業はなくなるだろうと指摘したが、きっとなにごとも閉鎖性が、秘密主義になりやすく批判を封じることにつながるのだろう。
 ならば、霞ヶ関や各省庁をもっと開放的にして、第三者が自由にチェックできる仕組みを作るべきではないか。そうすれば、官僚の怠慢や犯罪も減っていくだろう。大臣が頭を下げて辞めて終わり、という姿はもう誰も見たくはないのだ。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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いっそ汚染米の酒を格安で売ったらどうか

2008-09-18 11:39:21 | Weblog
 事故米、汚染米が、日本の食の安全に痛打を放っている。いろいろな疑問が浮かび上がってくるが、それを考えてみると。
 農薬やカビのはえた米を、なぜ輸入したのか。水際で検査して、返品できる仕組みになっていなかったのか。輸入して一部を検査して、その中の米が事故米だったら、その総量全部に事故米のレッテルを貼ってしまうのか。
 ここのところが分からない。次に事故米や汚染米は、その名の通り、期せずして起こることで偶発的なものだ。それでもずいぶんな量が買い取り業者に流れている。しかも安定的にだ。ということは、本当に事故米・汚染米だったのか、という疑惑も浮かぶ。
 ほんのささいなカビの発生でも、汚染米にして業者に便宜を図っていた疑いもあるだろう。
 その米が、醸造メーカーや食品メーカーに流れ、加工され食品になっていったわけだが、中には正規ルートより安く入れていたところもあろう。となれば、問題のある米ではないか、と疑ってもいいし、知っていた可能性は否定できないが、騙されていた業者も多いようだ。
 焼酎や日本酒のメーカーは、よく水や米が酒にとって命という。その命であるはずの米が、こうした米であっても、品質に問題が生じなかったのか。ということは、酒にとって、原料である米の質などは、どうでもよかったのか。
 飲んでいる客も、まったく気がつかないというのも面白い。それだけ酒の味などは、よく分かっていない、という通が多いものだ。あるいは酒の味に影響を与えなかったのかもしれない。じゃあ、山田錦はなんなんだ、といいたい。
 米は当然、玄米の状態で購入するだろう。玄米の表面に付着している農薬やカビは、精米工程の段階でとれてしまうだろう。だから、事故米であっても、精米段階では通常の米になってしまうのではないか。だからこれだけ汚染が広がっているのに、犠牲者が出ない理由でもある。
 そうした米の工程は知れ渡っているのだから、農水省などは当初、開き直っていた。しかし、ここまで不正転売が広がっては、責任は免れない。
 事故米も汚染米でも、それによって作られた食品は、毒入りギョーザのような致死量にはほど遠いものだろう。ならば、作られた食品を検査して無害ならば、超破格値で売ってしまってはどうか。
 いったんメーカーに戻し、検査したうえでメーカーの責任と購入者の自己責任で売買すればいい。定価の3割ぐらいなら飛ぶように売れるだろう。もちろん呑兵衛の私も買いたいところだ。捨てるよりはよほどいいのではないか。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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最近自治体はでしゃばりすぎていないか

2008-09-16 09:13:21 | Weblog
 最近の地方自治体はどこかおかしい。やらなくてもいいことや優先順位の低いことにこだわりすぎている。
 それは、埼玉県が言い出したコンビニ深夜営業の禁止、最近では神奈川県の禁煙条例。これは公共の場所では禁煙しろ、というもので、パチンコ業界や飲食店の反発で後退したが、やる気である。
 おそらく知事の周りには、有識者や良識のある方ばかりが集まっているのだろう。パチンコなんかやったこともないし、キャバクラにも縁がないし、タバコは大敵、という模範的な市民ばかりだ。
 そうした人の声を聞いていれば、世の中を善と悪とに分けて考えるようになる。模範的な市民にとって悪いことは絶滅、いいことは絶対実行、という思考になりがちだ。
 だが、世の中は善も悪もあって、さらにはグレーの部分も大きい。二元論で断じ切れるものではないし、さらに利で動いていく。
 例えば、飲食店で客の8割程度が、タバコは嫌だ、と思えば、店には来なくなる。それで営業が成り立たなくなれば、自然に分煙にも移行しよう。パチンコ店でもそうだ。分煙や禁煙にした方が儲かるならば、そちらに動いていく。
 それを、一定の価値観を押し付ける形で、条例で縛るのは間違っている。受動喫煙も、言われているほど被害はないというのが通説になりつつあり、健康被害はない、ということが決まったらどうするのか。
 自治体はもっとやる仕事がありそうなものだ。コンビニの深夜営業も受動喫煙も、禁止したら困る人はいっぱいだが、あってもほんとうのところ誰も困らない。コンビニ深夜営業で暴走族が集まって迷惑している、というコメントが寄せられたが、それはまた別の問題だ。実際、深夜営業禁止でもエコ効果は低いと指摘されている。
 自治体はいったいなんのためにあるのだろう。いうまでもなく地域住民のためにある。地域住民の大半の人が困っていることがあれば、たとえ国がやらなくてもやらなければならない時があるし、暮らしをもっと快適にする仕掛けも必要だろう。とはいえ、役所をスリム化しいかに効率よく住民サービスを行なっていかなければならない。
 ただ条例を多発して、人々の生活を良きにつけ悪しきにつけ変えよう、というのは、僭越のそしりをまぬがれない。本来なら、ほとんど役所を意識しないで生活できることが理想なのではないだろうか。気がつくと、ああ、やってくれてたんだ、という役所になってほしい。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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底が抜けてしまった日本人

2008-09-11 08:48:43 | Weblog
 また食品で不祥事が起こっている。こんどは事故米という食用にならない米の処分の不正だ。焼酎、日本酒、米菓にまで影響が広がっているが、救いは食しても被害はほとんどない、というところだ。
 不正をした関係者が、すいませんのひと言で片付けている。どこか人ごとである。当事者意識が薄く、三笠フーズなどは、従業員を早々と解雇してしまった。いずれは会社解散、補償も知らぬ顔になるのだろう。
 一連のこうした不祥事を見るにつけ、どこか日本人の底が抜けてしまったような感がある。やり得、ばれて元々、という卑怯な発想が当たり前になっている。
 悪いことは分かっているのだろうが、ばれなければなにをやってもいい、という論法だ。しかもそれで何10年もまかり通ってきた。それでは、それが当たり前になり、後ろめたさも麻痺してしまうだろう。
 どうしてそうなってしまったのか。戦後、日本をよくしようと国民はがんばった。結果、バブル経済に行き着き、不動産や株で隣人が億万長者になった。極端な格差が生まれ、人々の心が拝金主義に傾き、金がすべてという風潮が広がった。
 バブル崩壊。一気に銀行が貸しはがしを行い、多くの中小企業が倒産した。そして不況が来たが、バブル経済の負の部分は引き継がれた。金がすべて、という人々のすさんだ気持ちはますます深まった。
 この頃から、日本人が変わったように見える。本来持っていた美質がなくなり、自分さえよければいいというジコチューが蔓延するようになった。
 企業にしてみると、銀行の融資を止められることが一番に怖い。そこで少しでも利益を出さなければならない。そのために不正に手を染める。やがて常態化する。
 数字は安泰だが、健全性は地に堕ちる。そして発覚。世間の批判の中で廃業という憂き目になるのだが、最近の不動産不況も銀行が自らを守るために、融資を止めて起こっている。
 銀行も企業も、そして個人も、みんな自分さえよければ、他はどうなってもいい、という姿勢こそが、日本人の底が抜けてしまった原因ではないか。
 支え合い、世間を大切にして、肩を寄せ合って生きた時代は、もう帰ってこないのだろうか。
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総裁選を井戸端会議風に

2008-09-08 08:11:08 | Weblog
 福田首相が政権を投げ出して、自民党の新しい総裁候補が出揃ってきた。麻生さんが講演会でいっていたが、次の内閣は選挙内閣で民主党に勝つ使命がある、と指摘していた。
 その通りで、福田さんも本当は、自分の内閣で選挙に負けて下野するのを避けた、とも辞任理由を分析できる。
 どちらにしても、自民党の総裁を選ぶ選挙で、直接的には国民に関係はないが、役者がそろったので、その個人的な人物評を井戸端会議風に記すと。
 麻生さんは安倍さん、福田さんと同じで、やはりお坊ちゃん。プリンスである。ならばまた政権を放り出すか可能性は高いが、その血筋の割りに線の細さはない。だみ声で口の曲がった人相に凄みがあって、怖いイメージが強いから、最近は表情を柔和に保っている。総裁選に4回出て落選。こんどは5度目の正直となりそうで、民主党に勝てるのは国民的な人気の高い麻生さんであろう。
 次に与謝野さん。堅実な政治家というイメージだが、ガンを患って病み上がりの感じで無理をしているような表情がよくない。それと中曽根さんの影がちらつくのが印象を暗くしている。消費税上げを公約にする、と伝わったが、これでは選挙でもっと自民党は惨めな負け方をする。
 小池百合子さんは、政界渡り鳥で風を見るのに敏で、まだ腰が据わっていない印象を受ける。いつものたれ目をさらに下げて媚を売っている表情が政治家としてはマイナスだ。
 石原さんもお坊ちゃんで、親父の石原都知事のような豪胆さが必要であろう。道路のときの手腕が疑問視されている声がある。
 石破さんは相変わらず無表情で理路整然と話すだけに、政治家としての信頼度は高いのだが、それが逆に面白みがなく人気を低下させている。守屋スキャンダルがまだ尾を引いていよう。
 山本、棚橋両氏は、とにかく名乗りを上げた、という程度で、政策で自分をアピールしよう、というのが魂胆だろう。
 いろいろと政策論争があって、これから綱引きがはじまるが、忘れてならないことは前述の通り、次の総裁が作る内閣は、選挙対策内閣であることで、民主党にどうやって勝つことができるのか、が党員から課せられた使命だ。となれば、にぎやかに総裁選を盛り上げ、そのときの空気を読みながら解散の時機をうかがうことになろう。
 せっかく自民党の受け皿になれそうだった民主党も、離党問題が発生し、さらに小沢さんひとりの代表選では、小沢独裁といわれてもしかたがない。ここに来てイメージが悪くなっている。それを少しでも挽回したいなら、もう少し時間がほしいところか。衆院選になって、ようやく我々の出番ということになる。さて…。
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不正採用と正規採用教員を比較したみたら

2008-09-05 08:16:25 | Weblog
 大分県の教職員の不正採用で、希望があれば再採用をする、というところで決着がついたようだが、この問題をもっと掘り下げると面白いことが分かる。
 2008年度の採用試験のかさ上げしか記録が残っていないとはいえ、その不正採用の21名の半年間の教員として勤務態度と、正規採用された教員とのそれを、あらゆる角度から比較してみてはいかがだろうか。
 たった半年でなにほどのことが分かるかどうかの議論はあるのだが、拡大して不正採用教員が含まれている全県の教員の勤務実績と教育者としてのレベルを比較してみることもいい。
 それによってなにが分かるのか。採用試験の在り方がほんとうに正しかったか、教育者の資質をチェックできる試験内容であったのか、があからさまになるだろう。試験内容そのものが問われる結果になる。
 問題回答式や面接などで、それぞれ教員の採用が決定しよう。そして教員として教育現場に配置されるわけだが、正規と不正採用の教員で、それぞれの現場でなにほどの差がついたのか。その差は、かさ上げゆえに能力不足だったのか、あるいは正規採用教職員の中にも適性を欠くものがいるのか。そうした問題が露呈すれば、結局採用試験の在り様に行き着く。
 知識を試すペーパー試験の内容については、あれこれと取り沙汰されるが、教職員としての問題意識、熱意、適性などを判定する試験になっているのか、というチェック面ではおろそかになっているのではないか。
 結局、試験とは大雑把な振るいにかけるもので、そのハードルを越えれば、適性を云々をされることはなくなる。問題があれば、採用した方にも責任が生じるから、あまり表面化しないし情報公開もない。
 それにしては、あまりに不適格な先生が多すぎる。猥褻教諭、暴力教師、日教組活動に熱心な教職員、とちゃんと試験に通ったのか、と疑いたくなる方が多い。
 ということは、やはり人を教える教師という職業の適性を真に見抜く全人格的な試験にすることが必要だろう。それがなければ手抜き工事のように、建設してから補強工事をすることになってしまう。迷惑は住人が被る。つまり子どもが犠牲者になるわけだ。
 たとえ知識面は劣るにしても、教育的な情熱に長けた人、ヒューマンな対応ができる人、人格的に優れている人、という方々は、教師になれないのだろうか。
 公務員になりたいのではなく、人を育て教える職業に就きたい人をこそ採用してもらいたいものだ。そのためにも不正はいただけないが、採用試験そのものの在り方も問われなければならない。
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福田辞任は議院内閣制の限界か

2008-09-02 09:57:10 | Weblog
 福田総理が突然の辞任を表明した。政界もメディアも、そして国民もまさに晴天の霹靂だった。
すでにいろいろと辞任の理由は報道されているが、思い通りにならない政治に嫌気がさした、というのが本当のところか。
 安倍さんに続いての辞任で、どちらも二代目政治家として共通している。かつてある評論家が安倍さんが辞めたときに書いていたが、二代目や三代目はお坊ちゃん政治家で、いやになったら放り出す、と。それだけ粘りがないのだろう。
 政治家の粘りとはなんだろう。つまり、それは政治家を志した以上、理想の国家像、理想の政治ビジョンがあり、その実現に向けて努力することであろう。ただし二代目はいわば血筋ゆえに政治家になったわけで、自らの理想を実現するために政治家になったわけではない。その点、政治家本来の粘りがなくても当然といえる。
 この粘りこそが、政治家が持たなければならない資質ではないだろうか。政治はいわば調整だ。調整はその粘りが発揮されなければならないし、理想を実現するための粘りである。
 理想と粘りを持った政治家が、待望されているといっていいが結局、日本の政治は政党政治で与党が首相を選ぶ。国民とは違った場所で、政治家の代表が選ばれる議院内閣制である。
 つまり、安倍さんだろうが福田さんだろうが、また次の首相になるだろう麻生さんにしても、我々にとって関わりはない。自民党内の力学によって選ばれるわけだ。
 そうした首相がある日、辞めたところで多くの国民は醒めた目で見ている。これが結局、大多数の国民が政治に対して関心が薄い理由だろう。
 議院内閣制は利点もある。国民意識から一歩離れて冷静な判断が下させる点だ。その点、大統領制は国民の意向を常に意識していないと支持率が落ち相手にされなくなる。しかし、国民が選んだのもその大統領なのだ。そこに政治と国民の一体感がある。
 議院内閣制を維持するなら、やはり我々と密着している地域の選良が、フェアで利権とは無縁な清潔な人間でなければならない。その前提が崩れて久しい。もう国民の多くは政治家に多くを期待していない。だが政治は国民の生活に直結している。
 ならば、日本にも大統領制の導入を考える必要が出てきたのではないか。二大政党制に移行し大統領制にして、国家官僚の権限を抑制して地方分権を推進する。そんなイメージができるのではないか。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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