団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

友人の弔い会

2017-04-25 13:51:08 | Weblog
仕事仲間の友人が死んで丸3年になる。心臓麻痺で急な死だった。たまたま仕事のつながりがあって、彼から連絡を待っていたが音沙汰がない。どうしたのだろう、と待っていたら、妹さんから訃報が届いた。
 えっ、本当、と絶句したのを覚えている。酒を飲みカラオケも好きだった。私は一応、晩酌は25度の焼酎を200mlプラスアルファ程度なのだが、彼は4リットルのボトルが10日程度しかもたなかった。歌は上手かった。声が良く、レパートリーは少ないながら聴かせどころを知っていた。
 死ぬ2日前に、深夜までカラオケスナックで飲んでいた。煙草も煙突並みに喫っていた。それで深夜の仕事もしていたから、心臓に負担がかかっていたのだろう。
 私も心臓病で当時は苦しんでおり、彼も治療を受けていた。ただ酒、煙草、不規則な生活で、とうとうクラッシュしただろう。
 彼が死んだのが4月30日。私はその年の9月に弁膜症とバイパスの手術を行った。どこか彼が私の背中を押したような気がした。このまま手術をしないと、俺のようになるぞ、と。
 彼とはずっと同じ仕事仲間だった。年間の定例的なイベントにあまり変化がなく、同じイベントがあると、あいつもここにいたなあ、と思い起こすことが多い。
 ちょっと癖があって、友達は少なかった。そんな少ない友達2人と弔い会をやることになった。最後に深夜まで飲んでいたスナックでやる。あいつの写真を持っていって、カウンターに飾り、3人で献杯しよう、と思っている。
 その友人の1人が、葬式に出ていないから本当に死んだのか、実感ないなあ、と言っていたことがあった。私もそんな気分で、どこかでひょこひょこと歩いているように思う。
 人の死はなんだろう。親しくいつも一緒にいる人は喪失感が大きいものの、納得せざるを得ない。日常はいやでも避けられない。
たまにしか会わず、あまり縁がない友人が死んでも、ピンと来ない。会えなくなったなあ、という程度の感慨になるだろうが、彼はその中間だったような気がする。
だから断ち難い。いつまでも我々のそばにいる。酒のグラスを片手に煙草をくゆらせて、我々を見ているような気がする。たぶん他の2人もそんな気分であるのだろう。命日近くに、弔い会をやるのはそんな気持ちのカタルシスである。

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