団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

また行く病院が増えてしまった

2015-11-27 14:21:17 | Weblog
 また行く病院が増えてしまった。インスリン治療を行っていると書いたことがあるが、その専門医から眼科で眼底検査をしてください、と半ば強制的に言い渡された。
 こちらはまだ目に問題なく、検査だけなら行ってみるか、とお気楽に考えて眼科のドアを押した。午前10時過ぎでけっこう混んでいる。男性よりも女性が多い。
 初診で自分の番が回ってきて、中年の眼科医と相対した。簡単に訊かれた後、まず視度検査。あれこれとレンズを替えて、いつもの丸印を見ながら答える。結局、レンズを掛けていれば、右が0.9、左が1.2だった。
 次に網膜拡散のための眼滴 。ちょっと経つと、周りの景色がぼんやりとしてくる。これは8時間程度続くというから、外を歩くときは要注意だ。そして診療。
 自分の目を覗かれ、あっち見てこっち見てと調べて、結果としては両目とも出血しているらしい。もちろん原因は糖尿病による毛細血管の劣化。もうひとつ、血液を凝固させないワーファリン錠を飲んでいるから、出血しやすい。
 糖尿病の眼疾患としては、末期症状ですよ、と脅し文句が出た。発症してたぶん20年。血管がずっと砂糖漬けになっているようなもので、時間が問題です、とご託宣だった。
 ところがワーファリンを飲んでいるから、出血を止める薬を服用できない。心臓か、目か、と問われれば、命に関わる心臓が優先される。
 もうひとつは網膜にかなり細かい傷があり、そのためにドライアイの目薬を処方された。次は2週間後の診察。つまり出血の様子を見たい、というのがその理由で、もし見づらくなってきたり見えなくなったらすぐに来てください、と言われた。
 そうなると、レーザー治療か手術ということになるが、なんとかそうはならないように養生しなければならないが、結局は糖尿病の治療をもっと真剣にやらなければならない、というのが結論だった。 直近のHgA1cは6.1/6.5で、血糖値は79だった。低血糖すれすれだったが、それから3時間経って歩いても、低血糖にはならなかった。
 この数字を継続していればいいのだが、血管をもっと丈夫にする必要があるのだろう。現在、薬以外では、以前に書いた玉ねぎの千切り、協和発酵のクレアチン、そして黒にんにく・黒酢の錠剤を飲んでいる。黒にんにくは血管を若返らせる効果があるとかないとか。この手のサプリメントは信じて飲むしかあるまい。
 かくて、総合病院で心臓内科、真性多血症治療の血液内科、糖尿病内科にかかり、近所では眼科が増えた。ただ総合病院は2ヶ月に1回程度の診療だから、さほどの負担はないのだが、薬も含めて医療費は膨れ上がるばかり。国家財政を我が家も踏襲しているわけだ。いつまで続きくか、医者通いという心境である。

エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に隔週の日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp

LGBTから考える

2015-11-06 10:39:01 | Weblog
 レズビアンの女性二人が、渋谷区役所からパートナーの証明書をもらったことをマスコミは大きく報じている。性的マイノリティを社会が認める第一歩になったわけだが、ここまでクローズアップしていいものか、という面で違和感が残った。
 個人の立場としては、理解ある好々爺になるのか、眉をひそめるおじさんになるのか、判断が別れるところである。私としては、勝手にやって、というのがスタンスか。
 憲法は同性婚を認めていないから、現状では夫婦にはなれなくて、結婚も離婚もあり得ない。男女でもそうだが、今は仲良く愛しています、といっても、喧嘩して別れれば、あっさりその関係はなくなってしまう。夫婦なら、戸籍に証拠が残るし、バツイチというレッテルも貼られる。
 よく考えてみれば、どってことない関係で、子供云々をいわなければ、好き同士で引っついたり離れたりしていればいいのである。ただ社会的な差別は、徐々になくしていくのは、成熟した社会の役割であるのだろう。人種差別も性差も、長い時間をかけて解決してきた。まだ不十分ではあるが、それぞれの国が使命としていることだ。
 そんなわけで、これが解決の第一歩になるのかどうか。ただLGBTというひと括りは、ちょっと乱暴のような気がする。レズとゲイは分かるが、バイ・セクシャル(昔でいえば衆道か)というのは都合が良すぎるのではないか。Tのトランスジェンダーは性同一障害者で、これは精神的な病気いう面がありそうだ。
 いずれにしても、我々のような世代にとっては、なかなか理解しがたい世界である。アダルトビデオの世界なら、興味本位にさまざまな性が描かれるが、現実の世界でそういう時代が来るというのは、やはり隔世の感があろう。
 まったく関係ないことだが、昔の女子プロレスは前座として、小人同士か女子プロとも戦った。見世物だからしかたがないし、小人にとってはいい収入源であったろう。それがなくなって、彼らはどう生きているのだろうか。
 つまりマイノリティであろうが、それ相応の生き方があったほうが、それぞれが幸せになれるわけだ。それをマジョリティの価値観、つまりかわいそうという情緒さや、教育的な適合性などで判断するのは間違っている。彼らの自立を助けることが、我々の社会の務めであろう。彼らもマジョリティの中でしか生きていけないことは確かだ。
 これは勝新太郎の座頭市の映画にも通じる。もう「ドめくら」なんていう言葉は、メディアの中にはないけれど、あんまさんで生きていく座頭市の自立こそが、隠されたテーマであったろう。
 LGBTの方々は表面からは区別はつかないが、私個人の感覚では、どう接していいものか分からない。いずれ時間がかかって、それが当たり前になっていくのだろうか。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に隔週の日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp