浩介が熱を出した。
おれが目を覚ましたとき、浩介はおれの手を握ったまま、潤んだ瞳でおれのことをじっと見つめていた。たぶん一晩中眠れなかったのだろう。
「……浩介?」
その手の熱さに嫌な予感がして額をコツンとくっつける。……やっぱり熱がある。
「お前、熱あるな。どっか痛いとこあるか?」
「…………お腹が少し……」
「ちょっと触るぞ」
触診している間も浩介はぼんやりとしている。これは………。
「………今日は無理だな」
「え」
「戸田先生にはおれから連絡しておくから」
「……自分でするよ。子供じゃあるまいし」
ちょっと笑う浩介。胸が痛む……。
今日は、心療内科クリニックで、浩介は初めて母親と一緒に診察を受けることになっていた。
日にちが決定してからというものの、浩介は気を抜くと深刻な顔になっていて、最近は食事の量も減っていた。
今日は土曜日。おれはもう仕事にいかなくてはならない。こんなときにそばにいてやれないなんて…………
「一日ゆっくり寝てろ。食欲なかったら食べなくてもいいけど、水分だけは取れよ?」
「うん………」
素直に頷く浩介。目が潤んでいるのは熱のせいだけではないだろう。
「なるべく早く帰るから」
「ん………ありがと」
弱々しく微笑んだ浩介の唇に、そっと口づける。びっくりしたように浩介がおれを押し戻した。
「慶、うつっちゃうよ」
「…………そうだな」
いや、うつらないよ。お前のその熱と腹痛はストレス性のものだ。………って言葉は飲み込む。
「じゃあ、腕出せ」
「腕?」
きょとんと差し出された腕を手に取る。やっぱり熱い………。
「慶?」
「………しるし」
「え、なに?………っ」
言いかけたのを無視して、浩介の腕の内側の柔らかい部分に歯をたてて吸い付く。
「…………んっ慶……っ」
「…………」
浩介が感じているような声をあげたので、つられてモノが固くなってきてしまった。……いやいや、そんなことをしている時間はない。舌で舐めながら吸い込み続ける。………これで付いたか?
「………慶」
おれが腕を離すと、浩介は赤くなったその場所をみて吐息まじりに呟いた。
「………慶のしるしだ」
「浩介」
額とこめかみのあたりに軽く口づけてから、頭をぎゅっとかき抱く。
「一緒にいてやれなくてごめんな」
一緒にいられない分の、おれのしるし。せめて心はここに置いていきたい。
「ん。ありがと……」
「………」
離れがたくて、頭をなで続けていたら、浩介がそっとおれを押してきた。
「慶? 遅れちゃうよ? いってらっしゃい」
手をふる浩介……。
「……いってきます」
今すぐ重なりたい衝動をどうにか抑え、部屋を出る。
やはりまだ、母親に会うのは無理だったんだ。
……でも、いつならいいというんだ? 大丈夫になる日なんてくるのか……?
***
浩介の主治医である心療内科医の戸田先生と相談した結果、母親とのカウンセリングは来月まで延ばしてもらうことになった。今度はやはりおれも同席することになりそうだ。
おれが今気にかかっている問題は3つある。
一番大きい問題は、浩介とご両親との確執。
次に、目黒樹理亜のこと。
彼女は娘に売春を強要させるような母親の元から、ようやく逃げ出すことができた。
母親の趣味で染められていたピンクの髪も、本来の彼女の髪の色である茶色っぽい黒に戻し、奇抜なピンク一色のひらひらした洋服からシンプルな洋服に変わり、今では普通の可愛らしい少女になっている。
もうすぐ二十歳の誕生日なので、これを機に、正式に陶子さんの店の従業員として雇用してもらうらしい。
「だから保険証も変わるんだって。住民票も今の住所にうつして、それで、住民税?とか、年金?とかも払うのよって陶子さんが言ってた。なんか大人になるって色々面倒くさいねー」
樹理亜がニコニコと言っていた。そのために陶子さんが樹理亜の母親と話をつけに行ってくれたことは知らないらしい。
母親がこのまま樹理亜から手を引くかどうか、それを見極めなければならないと思っている。
それから、三好羅々のこと。
彼女は陶子さんの姪。浩介に好意を持っていて、浩介に睡眠薬を飲ませて眠らせ、自分と性行為をしているかのような写真を撮った、とんでもない女だ。
その後一度浩介に会いに来たらしいが、浩介に拒絶され、また引きこもりの日々を過ごしているらしい。でも知ったことではない。もう二度と出てくるな、と言いたいくらいだ。
おれのカミングアウト問題は、特に変わりはない。
一番はじめに病院に密告のメールをし、掲示板に書きこみをしたのは、樹理亜に思いをよせているユウキという、体は女性だが心は男性である子だということがわかり、それは院長である峰先生に報告したが、
「まあ、結果的にカミングアウトできてよかったんじゃねえの?」
と、言われた。確かに、色々言われたり、偏見の目で見られたりする面倒臭さはあるけれども、変なウソをつかなくてよくなった、という気持ちの楽さはある。
高校時代の同級生にもとうとうカミングアウトした。
みんな驚いていたけれど、浩介の話の持っていき方が良かったおかげで、なんとか受け入れてもらえたようだった。
その流れで、当時仲良かった奴ら5人が7月の連休にうちに遊びにきてくれたのだが……
「慶………今、機嫌良い?」
「は?」
同級生が遊びにきた翌日、海の日で二人とも休みだったため、朝からずっとベッドの上で何をするわけでもなく(あ、いや、することはしてたけど)、ただベタベタしながら過ごし、ようやく、昼過ぎにそうめんでも食べるか、と起きてきたあとのことだった。
浩介はものすごく話しにくそうに、ボソボソと、
「機嫌良いときに話したいんだけど……」
「なんだそりゃ」
そうめんを茹でるために鍋に水をいれながら、浩介を振り返る。
「別に悪くねえよ。話せ」
「……あの……」
浩介、携帯を手に持っている。どこかから連絡があったということか。話しにくいということは、三好羅々の件か?
「なんだ。三好さんか?」
「ちがくて……」
あの……あの……あの……と、このまま、こいつ「あの」しか言わないつもりか?というくらい逡巡し続け……
やがて、ようやく、言葉にした。
「田辺先輩から連絡があって……」
「田辺先輩? って、あの田辺先輩?」
ものすごく懐かしい名前。一つ上のバスケ部のキャプテンだった人だ。
そして、浩介が片思いしていた美幸さんの彼氏……。
浩介は高校二年生の一学期の間、美幸さんという一つ年上の女性に想いを寄せていた。フワフワしていて可愛らしいのに、バスケットボールを持たせると途端にキリッとなる、ちょっと不思議な人だった。
おれは彼女が大っ嫌いだった。彼女自身は悪い人ではなく、おれの単なる嫉妬でしかないんだけれども、いまだに彼女のことを思い出すと、あの時の浩介の、彼女に見とれてぽや~っとしていた顔とかを思い出して、ムカついてどうしようもなくなる。いい加減、もう何年前の話だよ、と思うのだけれど、こればっかりはしょうがない。今も思い出してムカムカが込みあがってきてしまった。
「………で?」
「あの………、やっぱりいいです」
不機嫌全開になったおれにビビって、浩介が台所から出て行こうとする。それを足で止める。
「なんだ。気になるだろ。言え」
「だからもういいよーこわすぎて言えない」
「言えないなら見せろ」
携帯に向かって手を出すと、浩介が渋々携帯を差し出してきた。
そこには田辺先輩からのラインの投稿が……
『渋谷にかみさんと息子に会いにきてくれるよう頼んでくれないか』
かみさんと息子? なんの話だ??
って、なんで、おれが??
ハテナハテナハテナ?となったおれに、浩介が「あのね……」と話しだした。
昨日、うちに遊びにきたメンバーの中に、元バスケ部の斉藤がいた。
そいつが、うちでみんなで撮った写真をラインのタイムラインに載せたそうなのだ。見せてもらったら、おれが小児科医であることとか、ここが浩介とおれの愛の巣だとか、好き勝手なことが書いてあった。
それを見た田辺先輩が、浩介に連絡をしてきたそうなのだ。二人ともバスケ部OBのラインのグループに登録しているので、そこから辿ってきたらしい。
そこまできいて、再度先ほどのラインを思い出す。
「かみさんと息子……かみさんっていうのは、まさか……」
「うん………」
言いにくそうに、浩介がうつむく。………そうか。そうなのか……。
「美幸さんのことだな?」
「…………」
あの二人、結婚したのか……。
「なんでおれに会いたいなんて言ってるんだ?」
「あのね……詳しくは分からないんだけど……」
浩介が画面をスクロールさせながら言葉を続ける。
「3歳の息子さんがやんちゃすぎて、美幸さんがすごく悩んでて……」
「…………」
「専門の病院を予約したけど、見てもらえるのは半年後って言われて、普通の小児科に連れて行っても、暴れて話もできないんだって。それで……」
「…………」
美幸さんは、華奢で優し気な人だった。3歳の男の子を抑え込むのは大変だろう…。
「それで医者であるおれに来てほしいってことか」
「うん………、あ、でも、慶が嫌なら断るよ」
浩介が慌てたように首を振る。おれの美幸さんアレルギーを浩介はよく知ってるからな。でも……
「いいぞ。いくって返事してくれ」
「慶」
ビックリしたような浩介に指を立てる。
「ただし、おれも専門ではないから、どこまで役に立つのか分かんねえって言っといてくれ」
「あ……うん」
頷きながら、浩介はジッとおれの目を覗き込んでくる。
「ホントに……いいの?」
「いい。そのかわり条件がある」
「え……怖いな」
顔をこわばらせた浩介の腰のあたりをぎゅっと掴み、正面から見据える。
「お前……」
「うん」
「美幸さんのこと、1秒以上続けて見るなよ」
「…………え」
目をまん丸くして固まった浩介にイラッとして、軽く足で小突く。
「返事は?」
「え、それって、話もしない方がいいってこと?」
「当たり前だろ」
仲良く話なんかされた日には、おれの理性がどうなるか分からない。
「それができないならお前はくるな。おれだけ行く」
「慶………」
浩介はつぶやくと、おれをジッと見つめて黙ってしまった。
「…………」
その沈黙に、不安が押し寄せてくる。
浩介、呆れた?
おれのあまりもの嫉妬深さに嫌気がさした?
二十年以上も前のことにこだわってるおれはおかしいのだろうか。
でも、でも、おれは……
「……慶」
「……なんだよ」
心の中は泣きそうになりながらも、顔は平静を装って浩介を見上げる。でも、浩介の真っ直ぐな瞳に耐えきれず、視線を逸らした、のと同時に、
「慶」
「!」
心臓が止まりそうになる。ぎゅううっと強くかき抱かれたのだ。
「……浩介」
震えてしまう。浩介の匂い。浩介の腕、浩介の胸……。さっきまで散々ベッドで堪能していたというのに、どうしてこんなに愛おしくて手放したくないと思ってしまうのだろう。
浩介はおれの頭をなでてくれながら、耳元にささやいてきた。
「慶………かわいいね」
「………かわいくねえよ」
ムッとする。浩介は昔っから何かというと「かわいい」で誤魔化そうとするところがある。
浩介はちょっと笑いながら、頬にキスしてきた。
「約束するよ。一秒以上見ない。必要以上には話さない。それでいい?」
「………よくない」
なんだかムカついてしょうがない。合わされたおでこをぐりぐりと押し返す。
「そんなんじゃ、なんか気が済まない」
「んーーー、じゃ、指輪していこう」
「え」
今年の初めにお揃いで作った結婚指輪。
「おれ達、事実婚状態ですって」
「…………」
「おれは慶のものです。慶はおれのものですって、ね?」
言いながらも、額に瞼に頬に鼻にキスの嵐が下りてくる。
「………わかった」
「慶……大好きだよ」
キスの嵐が耳に首筋に、鎖骨のあたりまでおりてきた。
それ以上下りてくる前に、ぐいっと浩介を押し戻す。
「そうめん、茹でるぞ?」
「………。なんでこの展開でそうめん茹でるって話になるの? って痛っ」
下半身に伸びてきた手をピシッと弾く。痛いなーと文句を言う浩介の胸をぐりぐり押す。
「もう昼食。朝飯も小さいアンパン一個食っただけだし、腹減った」
「えー」
「だいたい、朝からずっとこんなことばっかして……」
「こんなことって?」
「こんな……」
「こんな?」
浩介の目がすっと細くなり、唇が近づいてきた。
ドキッとする。
浩介は普段は甘ったれな感じなんだけれども、時々、ふっとスイッチが入って強引な人格が出てくるのだ。今、その瞳をしてる……
「こう………」
「おれはまだまだ足りないよ? もっともっと、慶が欲しい」
言いながら強引に台所の床に組み敷いてくる。ごつんとフローリングの床に頭がつく。
「こんなとこで……」
「気分変わっていいでしょ?」
「狭い」
「それもまた一興」
「………」
唇が首筋からうなじの方にまわってきて、そのままツーッと背中をなでられる。のけぞったおれを膝立ちの状態に起こし、後ろからぎゅっと抱きしめてくる浩介……
「おれね……慶が愛おしくて、愛おしくて、もう、どうしたらいいのかわかんない」
「……っ」
後ろから体の中心を掴まれ、ゆっくりと扱かれる。
「この気持ちどうしたら伝わるかな……ねえ、慶、伝わってる?」
「ん……っ」
ぞくぞくぞくっと体中に震えがくる。耐え切れなくて、冷蔵庫の端に掴まり体をそらせる。
「慶……大好き」
「んん……」
「大好きだよ」
耳元でささやかれる甘い言葉………理性が、飛ぶ……
「こう……っ、欲しい……っ」
恥ずかしげもなく求めてしまう。
「我慢できね………早く……」
「慶……」
かわいいね、とまた言う浩介。そして……
「……っ」
一つになる。どうしてこんな獣のような行為を愛と呼ぶのだろう。
でも、もう、止まらない。なんて充実感……。
愛してるよ……耳元で繰り返される言葉。
愛してるよ、愛してるよ……
一つになり、強く抱きしめられ、実感する。
ああ、おれは愛されている……。
「浩介………」
おれも愛で包んでやれているのだろうか……。
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以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!
短くまとめようと毎回思うのですが毎回長くなります。
つか、最後、君たちなにはじめちゃってるのよ。
R18シリーズじゃないんだから書けませんよ?やめてくださいよ?
と、登場人物と私の間でせめぎあいがあり、その結果のラストシーンでございました。
なんて内部事情はさておき。
次回ようやく美幸さん登場です。出ることは決まっていたので私の中ではようやくって感じです。
ということで。次回もよろしければ、お願いいたします!
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クリックしてくださった方々、本当にありがとうございます!
こんな真面目な話、どうなのかな…と毎回思うのですが…
ご理解くださる方がいらっしゃるということに励まされ、書き続けております。
いつもありがとうございます!
よろしくければ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ご新規の方も、よろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。
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