「慶は子供欲しいと思ったこと……ある?」
「んん?」
聞くと、ピザを頬張りながら、慶は小さく首をかしげた。
「なんだよ急に?」
「いや……ちょっと……」
言い淀んだおれとは対照的に、慶は水をゴクンと飲み込み、一言。
「ない」
あっさりだ。
ない。……ないんだ。
「本当に……ないの?」
「ない」
そして、また新しいピザを手に取って、口に入れようとしたが、ふと気がついたように「ん?」とおれの方を向き直った。
「お前が子供欲しいって話か?」
「あ……いや……」
また言い淀むと、慶は「うーん……」と唸り、
「お前が欲しいんだったら、もちろん考えないでもないけど………でも、正直、おれやっていける自信ないなあ。今、自分のことで手いっぱいだし」
「………」
「子供育てるのって本当に大変だからな。椿姉と南が大変なのも見てきたし、病院にくるお母さん達みててもそう思うし」
「………」
「その上、日本じゃまだまだ、同性カップルの子育ては一般的じゃないからな。それを乗り越える覚悟を……」
「ああ、ごめん。慶、ありがとう」
さらに言い募ろうとしてくれた慶の言葉を途中で止める。もう充分だ。
「あの……おれは欲しくないから、慶が欲しいって思ってたらどうしようって思っただけ」
「ああ、そういうことか」
慶は再びピザをパクッと口に入れた。
「考えたこともなかったなあ。まあ、しいていえば、病院にくる子供たちがみんな子供みたいなもんだしな」
「そっか……」
「お前も教え子が子供みたいなもんじゃねーの?」
「………そうだね」
教え子達の顔が思い浮かぶ。
子供とは違うけれど、これからも成長を見守っていきたい子供達……。
「お前、こっちの方が好きだと思う。食ってみろ」
「え」
二種類のピザのうちの一つを差し出され、食べてみる。あ、確かに。あっさりしてて美味しい。
今日は、陶子さんの店に来ている。陶子さんの店は普段は女性しか入店できないのだが、偶数月の最終土曜日のみ、男性カップルの入店も許されているのだ。
おれ達は前回と同じく、店の隅のカウンター席に並んで座り、お勧めのピザを食べている。あいかわらず居心地の良い店だ。
うちに帰ってから言うより、ここで報告したほうがいいかな………。
「慶……怒らないで聞いてくれる?」
「ああ?」
おそるおそるいうと、慶は眉を寄せた。
「それは聞いてみないとわかんねえなあ」
「そんなこといわれたら恐くて言えない……」
「何だよ?」
「だから、怒らないで……」
「分かった分かった」
引き続きピザを頬張りながら慶がおざなりにうなずいた。
「怒らないから言ってみろ」
「うん……」
一度水を飲んで心を落ち着かせてから、言ってみる……
「今日、病院の帰りにね………」
「ああ」
「三好さんに会ったの」
「!」
慶、ピタッと動きが止まった。そして、数秒の間の後、ギギギギギ……とこちらに顔を向けた。
「………………ああ?」
あ、に濁点ついてる……。こ、こわい……。
「あの………」
「会ったっていうのは、待ち合わせして会うことにして会ったってことか?」
「違う違う違う違うっ」
そんなことするわけがない。おれに睡眠薬を飲ませて、変な写真を撮って、それを慶にメールで送った張本人だ。会う約束なんてするわけがない。
「病院出たところで待ち伏せされてたの」
「…………ふーん」
美形の真顔、迫力ありすぎ……。
「で?」
よどみのない慶の追及。
「もしかして、子供の話はそこからきてんのか?」
「…………」
鋭い。
まっすぐな視線に、正直に頷く。
「うん。……私なら子供を生めるって言われた」
「………ふーん」
慶はゆっくりと瞬きをした。
「で、お前、なんて言ったんだ?」
「ありえない」
即答する。
三好羅々に答えた時の感情がよみがえってきて、手の先が冷たくなってくる。
「そういう行為自体、おれは慶以外とは不可能だし」
「………」
「そもそも、それ以前におれは」
一度目をつむり、開ける。
「おれは、子供欲しくない」
喉の奥から声を絞り出す。
「絶対に、欲しくないんだ」
「…………浩介?」
顔がこわばったのが自分でも分かった。心配そうにのぞきこんでくれた慶の手をつかみ、カウンターの下に下ろし、ぎゅっと握りしめる。
「それで、あかね経由で陶子さんに連絡して、迎えにきてもらった。待ってる間も、ほとんど話さなかった」
「…………」
「それだけ。一応、報告、と思って」
「……そうか」
慶の手をつかんだまま、グラスに手を伸ばす。炭酸ジュースみたいなオレンジ色のカクテル。
しばらく無言でいたが、慶に心配そうな視線を送られ続け、
「………慶」
耐え切れなくなり、名前を呼ぶ。
いつか話さなくてはならないと思っていた、おれ達の今後の生活に関わること。今が話すタイミングなのかもしれない。
「……聞いてくれる?」
「……なんだ」
慶が手を握り返してくれる。繊細な細い指。大好きな慶の手……。心を決めて告げる。
「あの……おれ達も将来、養子を取ったりして子供を一緒に育てるってこともできるとは思うんだけど……」
「…………」
「でも、もしおれが………」
声が震える……
「もし、おれが親になったら、おれはおれの父みたいになって、子供を苦しめることになるかもしれない」
脳裏に浮かぶ父の高圧的な瞳。怒鳴り声。人格を否定する言葉の刃。
「もしかしたら、母みたいになるかもしれない」
思い出す。四六時中監視される日々。ヒステリックな叫び声。叩かれ続ける背中。
ぞっとする。吐き気がする。
「連鎖をここで止めたい。おれはおれみたいな思いをする子供を生み出したくない」
だから。
「だから、子供は絶対に欲しくない」
「………」
慶がおれの手を両手で包み込んでくれる。温かい手………。ふっと体の力が抜ける。
「……慶」
泣きそうになるのをどうにかこらえて、思いを告げる。
「さっき、子供欲しいと思ったことないって言ってくれたけど……」
「…………」
「これからも子供は持たないってことで………いいかな」
「わかった」
慶……少しの迷いもなく、頷いてくれた。
そして、おれの頭を肩口に引き寄せて、ゆっくりゆっくりなでてくれる。
おれの苦しい思いもすべて包みこんでくれる慶……涙が出てくる。
「……浩介」
耳元にささやかれる優しい声。
「お前にはおれがいるからな」
「………慶」
慶。慶……大好きな慶。愛しさが伝わってくる……
「ずっと一緒にいるからな?」
「………うん」
おれは慶がいてくれれば他には何もいらない。何もいらないよ。
「慶……」
コツンと額を合わせる。そしてそっと…………と思いきや、
「わーラブラブー」
「!」
カウンターの中からの甲高い声にびっくりして、あわてて慶から離れた。声の主は目黒樹理亜だ。
「いーなーいーなーラブラブいいなー」
「ラブラブって死語なのかと思ってた。今の若い子も言うんだ?」
慶が変なことに突っ込んでる。慶って時々着眼点が変な時がある。
「えー言うよー」
「へぇ、じゃあもう世の中に根付いたってことなのかな」
「根付いてる根付いてるーみんないってるー」
言いながら、ピザがのっていたお皿を下げてくれる樹理亜。
「あーいいなーあたしもラブラブしたーい」
「だからボクとしようって言ってるのに」
隣の席に中学生の男の子みたいな子が座ってきた。確かユウキとかいう子。
樹理亜は、ひらひらひら~と手をふると、笑顔のまま言いきった。
「ユウキはお友達だからダメだよー。あたしは本当に好きな人とラブラブしたいんだもーん」
「だから樹理、ボクがちゃんと男になるから………」
「そういう問題じゃないんだなー」
樹理亜はチッチッチッと指を揺らすと、
「あたしのタイプは慶先生みたいにイケメンで慶先生みたいに優しくて慶先生みたいに男らしくて慶先生みたいに……」
「もういいよっ」
ユウキが怒ったように樹理亜の言葉を遮った。
「樹理は口を開けば慶先生慶先生ばっかり」
「だって好きなんだもん」
「え、ちょっと待って」
今度はおれが遮る。
「目黒さん、慶のこと諦めたんじゃなかったの?」
「諦めたよー?」
ケロリと樹理亜はいいながらも、「はい、先生」と語尾にハートマークをつけて、慶に野菜スティックのグラスを渡している。
慶も慶で苦笑しつつも「ありがとう」なんて言って受け取っていて…………
「…………」
こらこらこらこら、ちょっと待て!
「諦めたっていいながら、その態度は何!? 慶も慶だよっ何普通にしてんのっ」
「そう言われても………」
慶が肩をすくめる。
この二人、こんなに仲良かったっけ!?
いや、少なくとも、5月の連休に猫を見に行った時はここまで仲良くなかった気がする。
その後だ。その後何が…………
って、おれが睡眠薬飲まされて、起きるのを二人で待ってたじゃないか。あの時からか………
おれが愕然としているところで、
「あーあ、やだねっ」
ユウキが突然立ち上がった。
「イケメン先生は告白され慣れすぎてて、何とも思わないってことですか? いい気なもんだな」
「いや………」
「だいたい、あんた、ズルイんだよっ」
「ちょっと、ユウキ……」
樹理亜の制止もきかず、ユウキは捲し立てた。
「その顔で、その体で、良い大学出てて、お医者さんで、高校時代からの恋人がいて! 何でも持っててさぞかし気分良いんだろうなあっ」
「ちょっと……っ」
「ユウキ……っ」
おれと樹理亜が咎めようとしたのを、慶が手を上げ制し、まっすぐにユウキに向き直った。そして鋭く言い放つ。
「顔に関しては知らないけど、体に関しては、おれは子供の頃から今もずっと鍛え続けてる。そこら辺の何もしてない四十歳と一緒にしないでくれ」
「………」
何もしてない四十歳って、おれのことですか。
「それから、大学と医者に関しては、おれは学生時代も浪人中もずっと真面目に勉強してきた。その努力の積み重ねの結果でしかない。それをズルイと言われる筋合いはない」
「…………それはっ」
何か言いかけたユウキの言葉にかぶせて、慶が「それから」と強く遮った。
「こいつに関しても」
と、おれを指さして、ムッとした顔で話を続ける。
「おれは一年以上、片思いをしながらこいつのそばにい続けて、それでようやく振り向かせたんだ。これも努力の結果だ」
「え、そうなの?!」
樹理亜がビックリしたように叫んだ。
「浩介先生がグイグイいったのかと思ってたー」
「いや、違うよ」
慶は引き続きムッとしている。
「こいつ、一つ上の女の先輩を好きになって、その相談をおれにしてきたりしてさ。おれがあの片思いの最中どれだけ悩み苦しんだか……」
「うわっひどっ」
「だ、だって、知らなかったんだしっ。もう、慶、その話は……っ」
慶は最近、心療内科の先生と昔の出来事を振り返ったりしたせいか、やけに美幸さんの話をしてくるようになった。迷惑極まりない。
樹理亜がひどいひどい言っている中で、ユウキがバンバンっとカウンターをたたいた。
「でも、それでも両想いになったんだからいいじゃんっ」
「………あ、確かに」
樹理亜がポンと手を打つ。そうか、考えてみたら、ユウキは当時の慶とほぼ同じ状況ってことか……
「それで、それからずっと恋人なわけでしょ。ズルイじゃん。同性なのに。普通じゃないのに。ずっと続くなんて、ズルイじゃんっ」
「……………」
ユウキ、泣きそうな顔をしている。彼女……いや、彼、か。彼も色々な経験をしてきてるんだろうな……
ユウキは口を引き結んだまま、慶に掴みかからんばかりに詰め寄り、叫んだ。
「それに、あんた、職場にバレたのに、なんで今までと変わらないでいられるんだよっ」
「え、慶先生、ついにカミングアウトしたの?!」
樹理亜が目をまん丸くした。樹理亜知らなかったんだ………
「…………あれ」
何か違和感……
「目黒さん、知らなかったの?」
「カミングアウト? 知らなかった知らなかったー。慶先生も戸田ちゃんも教えてくれればいいのにー。いつしたのー?」
「えーと……いつだっけ」
「5月の連休明けすぐだよっ」
ユウキが興奮したように叫んだ。
「それなのに、何事もなかったみたいに医者やっててさ……っ」
「…………」
カミングアウトしたのは連休を明けて少したってからだ。
連休明けすぐには、病院に「渋谷慶医師には男の恋人がいる」とメールがあっただけで……
慶を見ると、慶は天井を見上げ、こめかみのあたりを人差し指でグリグリしながら、ため息をついていた。
「そっかあ………」
「な………なんだよ」
ひるんだユウキに、慶はまっすぐに視線を送った。美形の真顔はこわい。
「なに……」
「病院にメールしたのは、君か」
「………」
しまった、という顔をしたユウキ。存外素直な子だ。
「そのあとに、医療系掲示板に書き込みしたのも君だな」
「……………」
慶の追及に、ユウキは下を向きながら、ボソッと言った。
「でも、その後、〇〇にスレッドたてたのはボクじゃないからね」
「そうか。まああれは、掲示板を見た誰かが立てたのか、病院内部の誰かが立てたりしたんだろうな」
「メール? 掲示板? 何の話?」
きょとんとしている樹理亜に「後で説明する」と慶は答え、再びユウキに向き直った。
「気がすんだか?」
「……………全然」
ユウキは激しく首を振ると、
「余計かなわないって思って、余計ムカついてる」
「君、完全に方向性間違ってるよな?」
「………だって」
下を向いたままのユウキ。ようは単なる僻み。嫉妬。か。
慶は腕組みをしたままユウキに言い放った。
「とにかく、おれがムカつくなら、回りくどいことしないで直接文句言ってこい」
「だったら……っ」
ユウキはキッと慶を睨みつけると、
「樹理の前から消えてよ。あんたがいたら樹理はずっとあんたを好きでい続ける」
「それは……」
「それは違うんじゃないの?」
思わず口出ししてしまう。
「いなくなったところで目黒さんは慶のこと好きなままだと思うよ? そこを振り向かせられる人がいるかどうかって話じゃないの?」
「でも……っ」
「それ以前に」
慶が首を振りながらつぶやくように言った。
「いなくなろうがなるまいが、おれが目黒さんとどうこうなることは200%有り得ないしな」
「ひどっ慶先生ひどっ」
樹理亜が笑いながら慶の腕をグーでパンチする。慶もつられたように笑い、
「いや、目黒さんだけじゃなくてね。おれはさ……」
そして、すいっとおれを指さした。
「おれはこいつ以外無理だから」
「………」
それから、おれを見上げ、優しい、優しい声で言った。
「おれはこいつ以外、愛せないから」
「………慶」
………慶。慶、慶……。
慶の、真っ直ぐな瞳。何も恐れない強い光……。
心臓が……痛い。
「きゃーーーもーーーかっこいーー」
樹理亜が、顔を真っ赤にしながらキャアキャア言っていたら、まわりにいた子達も「何?何?」と集まってきた。ことの顛末を樹理亜が支離滅裂になりながら説明している間に、
「そういうところもムカつくっ」
と、言い捨て、ユウキはプイッと店から出ていってしまった。やれやれ、と席に座り直し、慶は野菜スティックに手を伸ばした。
「慶……」
「あ?」
セロリをポリポリ食べながら慶が振り返る。
「なんだ?」
「おれも、慶以外の人は愛せないからね」
「…………ふーん」
真面目にいったのに、慶は鼻で笑うと、
「お前のいうことは信用なんねえなあ。何しろお前は美幸……」
「もー! その話はなし!」
頬を膨らますと、慶はケタケタ笑って、今度はニンジンをポリポリ食べ始めた。
「あ、おれもニンジン食べたかった」
「おお、これ最後の一本か。わりーわりー」
「わりーわりーじゃないよ。ちょうだい」
無理矢理慶の口からニンジンを引っこ抜き、食べかけのところにキスをする。
「間接キスー」
「あほかっ。お前は中学生かっ」
慶が笑いながらカウンターの下で蹴ってくる。その足に足を絡める。愛しい体温が伝わってくる。
「慶……おれ、今、すっごい幸せ」
「当たり前だ」
ニッと笑い、カウンターの下で手をつないでくれる慶。
今も、これまでも、これからも。ずっとずっと手を繋いで、二人一緒に生きていく。
----------------------
以上です。
こんな真面目な話、最後までお読みくださりありがとうございました。
「あいじょうのかたち」を書く上で、ポイントになる話がいくつかありまして、
今回の、浩介が子供を欲しくないと言うシーンはその中の一つでありました。
子供を持つか持たないか。
それは同性カップルでなくても、話し合わなくてはならない事柄ではないでしょうか。
慶と浩介は、二人きりで生きていく、という選択をしました。
老後のためにお金ためましょうね。
まあ、今、家賃格安で住んでるし、二馬力だし、普段贅沢もしないし、金貯まりそうな二人だなあ…。
ということで。次回もよろしければ、お願いいたします!
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クリックしてくださった数人の方々、本当にありがとうございます!
本当に有り難いです。ご理解くださる方がいらっしゃるということがどれだけ心強いことか…。
よろしくければ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ご新規の方も、よろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。


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