浩介は対人潔癖症気味なところがある。人に触れるのも触れられるのも苦手だ。
でも、おれに対してだけは大丈夫らしく、常にベタベタと触ってきていて、しかも、
『慶のものは何でも欲しい。心も体も、精液も唾液も全部』
だ、そうだ。……変態だな。あいつ、ホントに変態だ。
……それはさておき。
問題はその前に言っていた浩介の言葉だ。
『おれ、他の人とそういうことするって思うだけで吐き気がこみあげてくる』
そんな浩介が、万が一あの写真を見てしまったら、それこそトラウマになるんじゃないだろうか。
あの写真……三好羅々が浩介を睡眠薬で眠らせ、浩介と性行為をしているように見えるように撮った写真……。
浩介の携帯で撮られた写真はすべて削除した。おれにメールで送られてきたものも削除した。三好羅々と同居している目黒樹理亜に聞いたところ、三好羅々の携帯で撮った写真も、陶子さんがすべて削除してくれたそうだ。
だから大丈夫だとは思うのだけれども……何となく不安が消えない。
***
「慶……今、機嫌いい?」
「………」
そのセリフ、先週も聞いたな……。
あの時は、田辺先輩から連絡があった、という話だった。田辺先輩というのは、浩介の初恋の人・美幸さんの旦那さんで……
「何だ」
「………やっぱりいいです」
すごすごと台所から出て行こうとする浩介の前を足で通せんぼする。これも先週まったく同じことをした。
「何だよ。また美幸さん関連か?」
「あーうん……」
話しにくそうに浩介がぽつぽつと言いだした。
不眠症に悩んでいる美幸さんに、浩介も通っている心療内科クリニックを紹介したのだが、偶然今度の土曜日、浩介の後の予約に急にキャンセルが出たため、そこで診察してもらえることになったそうなのだ。
でも、今度の土曜日は田辺先輩はどうしても仕事が休めず、優吾君を預かることができないそうで……
「実家のご両親は、優吾君が暴れると手に負えないから預かりたくないっておっしゃってるらしくて」
「で、お前が預かるってことか?」
「うん。預かるっていっても、病院のキッズスペースで遊ばせておくだけなんだけど」
「ふーん。いいんじゃねえの?」
普通に言ったつもりなんだけれども、浩介はおれの顔色をうかがうように、
「……怒ってるでしょ?」
「怒ってねえよ」
「だって……」
コーヒーを入れるおれを後ろからぎゅっと抱きしめてきた。
「……ごめんね」
「何が」
耳元にささやかれる優しい声。
「だって、本当はもう二度と会ってほしくない、とか思ってるでしょ?」
「………思ってねえよ。それより」
気持ちが崩れる前に、医者モード発動。
「クリニックの写真を、事前に優吾君に見せるようにって伝えてくれ。ホームページから引っ張ってこられるだろ? そのキッズスペースも、写真がないようならおれ明日休みだから撮りに行ってもいいし」
「え、なんで?」
「初めての場所で戸惑わないように予習だ予習。いいな? 必ず写真を印刷して、優吾君に見せながら、これからここに行く、という説明をするようにって」
「あ………はい」
ホームページに載ってるかな……と台所から出ていった浩介の後ろ姿を見送り、息をつく。
本当は、もう二度と会ってほしくない。
当たり前だ。浩介は美幸さんに対する気持ちは恋愛感情じゃなかったと言っているけれど、それでも、感情が動いたのは確かな話で。昔の話だと分かっていても、心が追いつかない。
昨日、20年以上ぶりに見た美幸さん……。綺麗に年齢を重ねていた。高校時代と印象はまったく変わっていなかった。そして、美幸さんや田辺先輩と話す浩介は、高校時代に戻ったかのように、少し頬を上気させていて……
「慶、キッズスペースも写真あった。こんなもんで大丈夫?」
「………まあ、いいだろ」
「うん。じゃあ、連絡しておくね」
スマホを手にした浩介の横をすり抜け、リビングに戻る。ソファに座ってコーヒーカップをローテーブルに置いたところで、
「一口ちょうだい」
手が伸びてきて、コーヒーを奪われた。いつの間に浩介が隣に座っている。
「お前、もう連絡したのか? 早いな」
「してないよ? 明日でもいいでしょ?」
浩介はニッコリとすると、おれの腰に手を回してきた。
「せっかく慶と一緒にいられるのに、時間もったいないもん」
「…………」
………。見抜かれている感じがしてムカつく。
「慶」
こめかみに、頬に、唇がおりてくる。
「慶、嫌だったら本当に言ってね? おれ、断るよ?」
「別に大丈夫」
「でも眉間にシワ寄ってるよ」
「寄ってねえよ」
「寄ってるって。ほら伸ばしてー」
眉間のあたりをグリグリ指でおされ、笑ってしまう。するとホッとしたように浩介が息を吐いた。
「やっと笑ってくれた」
「………なんだそりゃ」
「だって……」
ついばむようなキスがくり返され、そのままソファに押し倒される。首筋に顔を埋めながら、浩介がブツブツいっている。
「あーあ。おれも明日研修会じゃなければ休むのになー。サボっちゃおうかなー」
「何言ってんだ」
「このまま明日の夜までずっと慶とイチャイチャしてたい」
「イチャイチャって」
お前はいくつだ。
「だいたい、おれ明日出かけるから、明日の夜までイチャイチャ、なんてできねえぞ」
「あ、そうなんだ。どこいくの?」
「目黒さんと約束してて」
「……え?」
浩介の唇がピタッと止まった。そしてゆっくり身を起こすと、
「今、何て言った?」
「だから、目黒さんと約束してるんだって」
「なーにーそーれー!」
「わ、何だよっ」
いきなり肩を掴まれ思いきり揺すられ、頭がガクンガクンとなる。
「なにそれ? まさか二人きり?」
「さあ?」
「さあって! なんで分かんないの?!」
「知らねえよ。おれはただの付き添い……」
「もー信じられない!」
浩介は叫ぶと、おれの両頬をつかんで引っ張ってきた。
「はひすんらよっ」
「だって、目黒さんはまだ慶のこと好きなんだよ?! なんでそんな子と一緒に出掛けるの?!」
「だからー」
浩介の手を無理矢理はがす。
「ネイルの学校の見学の付き添いだって」
「…………」
浩介はブウッとふくれると、そんなの一人でいけばいいのに、と言いながらおれのYシャツのボタンを外しはじめた。
「お前って、わりと目黒さんに冷たいよな」
「だって」
「元々お前が目黒さんのことを気にかけてたから、おれも……」
言っている途中で、唇をふさがれた。噛みつくように唇を重ねてくる。浩介のイライラが伝わってくる。
「慶、ひどいよ」
「……何が」
浩介はふくれたまま、言い放った。
「美幸さんのことで機嫌悪くなっておれのこと困らせて楽しんでるくせに、自分は自分で目黒さんと二人で出かけるなんてさ」
「は? なんだと?」
聞き捨てならない。
「誰が困らせて楽しんでるって?」
「楽しんでるじゃんっ。おれがオロオロしてるの見るの、そんなに面白い? そんなに楽しい?」
「楽しい、だと?」
頭にきた。衝動的に浩介を突き飛ばし、胸のあたりを右足で踏みつける。
「お前、おれがどれだけ嫌な思いしてるか分かってねえだろっ」
「自分こそっ。おれだって、慶が目黒さんと連絡取るの本当はすっごい嫌なんだからねっ」
踏まれながらも、にらむような目でこちらを見上げてくる浩介。ムカつく……っ。
「あんな子供相手に何言ってんだよお前はっ」
「子供って、もうすぐハタチでしょっ。それを言うなら、慶のほうこそ、20年以上も前のこと今さらウダウダ言ってっ」
「ウダウダ?」
「ウダウダ言ってんじゃんっ」
「…………」
…………ウダウダか。
少し冷静になって足を下ろすと、浩介も、我に返ったような顔をしてソファーに座り直した。
たっぷり5分ほど、並んで座りながらもお互い黙っていたのだが、前触れもなく浩介がポツンとつぶやいた。
「慶……さっきのが本音でしょ」
「何が」
「おれがどれだけ嫌な思いしてるのか分かってないって。嫌な思い……してるんだ?」
「…………」
大人げないこと言ったな……
「別に大丈夫って言ってたけど、ホントは嫌なんだ?」
「…………」
大きく息を吐き、白状する。
「すっげえ嫌だよ。本当は美幸さんには二度と会ってほしくないって思ってる」
「……じゃあ」
「でも」
浩介の手を取り、絡ませて繋ぐ。
「優吾君の話は別だ。あの子には療育が必要なんだよ。そのためには母親の精神状態が安定しないことには話が進まない」
「慶………」
浩介が驚いたようにこちらを見た。
「それじゃ、あの子は……」
「専門家の診察受けられるのが半年後って言ったな。でもそこまで待てねえだろ。優吾君もつらいだろうし、なにより母親がつぶれちまう」
「…………」
「障がいっていうのは、環境さえ整えば障がいではなくなるんだよ。彼に一番あった環境を見つけて整えてやるのが親と医者の役目だ。今、医者にかかれない状態だっていうのなら、おれが診にいけばいいだけの話だろ」
「慶………」
ポカンとしたような顔をした浩介。
「慶……かっこいいね」
「別にかっこよかねえよ。当たり前のことだ」
「そこがまたかっこいい~」
笑う浩介。さっきまで喧嘩していたとは思えない穏やかさだ。この隙に言葉を畳みかける。
「それで、目黒さんに関しても、おれは同じこと思ってる」
「………はい」
浩介が神妙に肯いた。
「あの子はようやく毒親から自立して、自分のやりたいことを見つけられたんだ。でもまだまだ子供だ。まわりにいる大人が手助けしてやる必要があるだろ」
「………ごめんなさい」
しゅんとして謝ってくる浩介。……ちょっときつく言いすぎたかな……。
「でも……お前が気になるなら、逐一報告のメール入れるぞ? 今どこにいるとか何してるとか」
「…………」
提案すると、「いい」と断ってくるのかと思いきや、浩介はペコリと頭を下げた。
「お願いします」
「……浩介」
驚いた。いつもだったら「そんな手間のかかること慶に迷惑がかかるからいいよ」とか言いそうなのに。
浩介は真面目な顔をして問いかけてきた。
「ごめん、慶。おれ、我慢しなくていい?」
「え」
両手を握られる。
「慶に迷惑がかかるのはわかってるけど、でもおれ、気になって絶対仕事手につかなくなる。だから、お言葉に甘えさせてください」
「浩介……」
すごいな……これもカウンセリングの影響か?
ずっとおれに遠慮しがちだった浩介がこんなことを言ってくるなんて……。
ちょっと……かなり、嬉しい。
「じゃあ、メールするからな」
「うん、ありがと」
「…………」
見つめあって、どちらからともなく笑い出してしまった。
「喧嘩しちゃったね」
「久しぶりだよな。前にしたのいつだったっけな」
「んーー覚えてないなあ」
言いながら、浩介がふんわりと抱きしめてきた。耳元で優しい声がする。
「でも、仲直りのあとたくさんエッチしてたのは覚えてるよ」
「…………」
「今日もしよ?」
こちらの返答も聞かずに、唇がおりてくる。
「お前明日仕事……」
「大丈夫。いつもより行くの少し遅くていいし」
「そうなのか?」
「だから、ゆっくり……」
「だったら、ちょっと待て」
グイッと体を押し返すと、浩介がもー!!と怒り出した。
「何?!」
「ゆっくりできるんだろ? だったら明日の準備まで全部終わらせてからにしようぜ」
「…………」
むっとした顔をした浩介を置いて、飲みかけの冷めたコーヒーを飲み切り、台所に運ぶ。
「慶ってさ……」
洗面台から浩介の文句を言っている声が聞こえてくる。
「いつも冷静だよね。おればっかりがっついてて悲しくなってくる」
「何言ってんだよ」
歯磨きをしている浩介の背中に蹴りをいれる。
「お前がゆっくりできるって言ったからだろ。それなら後のこと気にしないで思う存分やりてえからな」
「思う存分……」
「そう。思う存分」
横から手を出し歯ブラシをとり、おれも歯磨きをはじめる。浩介が鏡越しに言ってくる。
「じゃあ、お風呂も一緒に入りたい」
「分かった分かった」
「お風呂でもしたい」
「分かった分かった」
「リビングでもしたい」
「なんだそりゃ」
「ベッドでも当然するよ?」
「何言ってんだお前」
変な奴。吹き出してしまう。
浩介は口をすすぐとこちらを振り返った。
「歯磨きしてあげるー」
「何言って……」
「はい。あーん」
歯ブラシを奪われ、口を開けさせられる。
なんだかなあ……
「慶、色っぽーい。たまんなーい」
「………」
アホだなこいつ。
でもそこも愛おしい。
少しずつ少しずつ、浩介の心に変化が起きてきている。
おれはそれを受け止め、包み込んでやりたい。
***
翌日、目黒樹里亜と一緒に3つの学校を見学した。
樹理亜はもらってきたパンフレットをみながらウンウンうなっている。
「こういう時は、良い点悪い点を紙に書き出していくといいんだよ」
言うと、樹理亜は素直に手帳に書き出しはじめた。「駅から近い」「校舎がきれい」「授業料が安い」………
「授業料か……」
夕食から合流した浩介がウーンとうなる。
「高いところは高いねえ」
「あ、でも、ママちゃんがいくらか負担してくれるって言ってるから何とかなりそうなんだー」
「…………………………え?」
おれと浩介、一緒に絶句してしまった。
「目黒さん、ママちゃんって………」
「連絡取ってるの……?」
「取ってるよー」
ケロリとして言う樹理亜。
「だってママだよー? 当たり前じゃん」
「で、でも」
彼女の母親は、幼い頃から彼女を自分の支配下におき、売春まで強要していたのだ。
おれ達は3ヶ月前、そんな母親の元から樹理亜を助けだしてきた………つもりだったのだが。
「ママちゃん、樹理亜の応援するって言ってくれてるんだ~」
「でも目黒さん、いいの? 今までのこと許せるの?」
浩介が真剣な顔で問いかけると、樹理亜はきょとんとした。
「許すも何も、だってママだよ?」
「…………」
「何があっても大好きに決まってるじゃん」
この愛情の純粋さはどこからくるんだろう……
「あ、噂をすればママちゃんだ! ちょっと失礼しまーす。もしも~し」
嬉しそうに携帯で話しながら席を外す樹理亜………。
「子供って………無条件に母親のこと好きだったりするよね……」
浩介がポツンと言う。
「おれが……変なのかな」
「浩介」
テーブルの下で浩介の手をギュッと掴む。
浩介は樹理亜の母に自分の母親を重ねていたところがある。その母を、あっけらかんと「大好き」と言われてしまっては……
「人それぞれだろ、そんなの」
「………」
「それに、目黒さんは今、母親と良い距離感を持ててるってことだろうな」
「………」
握り返してきた浩介の手に力が入っている。
「おれ……来週、母親に会うんだよね」
「……そうだな」
今週末のカウンセリングで最終調整をして、問題なければ、来週母親と一緒にカウンセリングを受けることになっている。
「……大丈夫かな」
「大丈夫だ。今度はおれも一緒だからな」
「……うん。ありがと」
ギュギュっと手を握りあう。
大丈夫。大丈夫。気持ちをこめて握りしめる。
「あー、またラブラブしてるー」
「……あ」
戻ってきた樹理亜に言われるまで、ここが都内の普通のパスタ屋だということをすっかり忘れて、おれ達はずっと手を握りあっていた。
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以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!
また、長々と書いてしまいました。
いきなり喧嘩はじめるので、びっくりしましたが、
でも、浩介がようやく、慶に対して遠慮がなくなってきたかな、と。
以前、「R18・負傷中の・・・」というので、
慶がフェラで飲もうとしたのを浩介がやめさせたって話があるのですが(←はい。下ネタすみません)、
そこでも慶は、浩介が自分に気を遣いすぎてるって気にしてました。
でも、きっと、この夜は……ねえ? 歯磨きのくだりはその布石なんすけどね。
……はい。私の頭の中そんなことばっかりです。
ということで。次回もよろしければ、お願いいたします!
---
クリックしてくださった方々、本当にありがとうございます!
本当に……こんな真面目な話、ご理解くださる方はご理解してくださるんだなあ、と感動しております。
いつも本当にありがとうございます!
よろしくければ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ご新規の方も、よろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。
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