【慶視点】
「おれは……慶と一緒にいられれば、それでいい」
海にプカプカ浮いたまま、ポツンと言った浩介………
「お前……」
本当に、それでいいのか?
そう言いたかったけれど、浩介の声があまりにも優しすぎて儚げで……、おれは結局、繋いだ手に力を込めることしか出来なかった。
***
高校2年生の時につるんでいた、溝部、山崎、斉藤、と、浩介とおれの5人で海に行ったのは、高3の夏休みも残すところあと9日のよく晴れた日曜日のことだった。
「海に行くっていったら、親に反対されるから、鎌倉の天神様に合格祈願のお参りに行くって言う」
という溝部の案に乗ってみたけれど、
「神社にいくのに、なんで水着持ってくのよ?」
と、母に笑われた。そりゃそうだ。でも、特にダメともいわれなかったから、行かせてもらうことにする。たまには息抜きも必要だ。
親が厳しい浩介が行けるのか心配だったけれども、待ち合わせ場所に一番に立っていた浩介は、ニッコリとVサインをしてきた。
「溝部が電話くれた時、ちょうどお父さんの職場の人が遊びにきてて、その人が、気分転換に行ってくれば?って言ってくれて」
「おおっ。じゃあ、オレの電話のタイミングがよかったおかげってことだな~?」
「うん!ありがと~溝部♪」
浩介、ご機嫌だ。でも……空元気なような感じがして………心配。
海水浴場に行く前に、本当に荏柄天神社まで足を伸ばして、5人でお参りをした。天神様にお参りなんて冗談なのかと思っていたら、本気だったらしい。
でも、境内を出た途端、
「オレ、まだ志望校決めてないから、どこでもいいから受からせてください!ってお願いしといた!」
「オレもオレも~」
溝部と斉藤が明るく言っているので、ちょっと笑ってしまう。
「二人とも、適当だな」
「だってまだ8月だろー? これからぐんぐん伸びてもっと上狙えるかもしんねえしさ~」
呑気な溝部のセリフに、浩介が「でも」と首を振った。
「でも、他の人達も伸びるから、みんなと同じようにやってたら、今と変わんないってことになるよね」
「………」
「………」
「…………さーくーらーいーっ」
痛いセリフにシーンとなった後、溝部がグーで浩介の背中を押してきた。
「やる気を削ぐようなことを言うなーっ」
「あ、ごめん……」
「こら、溝部」
シュンとした浩介に代わって、おれが溝部の背中をグーで押しかえしてやる。
「事実を指摘されたからって八つ当たりすんな」
「なんだよ事実ってー」
「………事実だよ」
え?
後ろから冷静な声がしてきて、皆で一斉に振り返る。いつもおとなしい山崎が、珍しく少し強めの口調で言ってきた。
「桜井の言う通りだよ。みんなと同じじゃダメだよな。もっと……もっと頑張らないと」
「………山崎」
ふっと、思い出す。
高2の最後の日、山崎と二人で3年生からのコース別クラスの話をしていた時のこと………
オレと溝部は理系クラス。浩介と斉藤は文系クラス。山崎は国公立クラスに行く、というので、何の気なしに聞いてみた。
「山崎、国語のテスト二度と見たくない、とか言ってたのに、国公立なんだ?」
すると、山崎は笑って言ったのだ。
「うち、母子家庭だし、弟まだ小さいし、本当は大学なんか行ってる場合じゃないんだけど、母親がどうしても行けってウルサイからさ。せめて公立に行きたいんだよね」
あっさりと言った山崎からは、悲壮感は伝わってこなかった。ただ事実を淡々と述べているだけで………
今まで家庭の事情なんて話したことがないので、山崎に小学生の弟がいることは聞いていたけれど、父親がいないことは知らなかった。山崎が妙に大人っぽい……というか、達観しているようなところがあるのは、長男としての責任感からきているのかもしれない……と思う……
「………。じゃあ、国語につまずいた時には、うちの浩介先生を貸し出してやるよ」
「あはは。それは助かる。桜井って本当に教えるの上手だよね」
「だろ?」
自慢気にうなずくと、山崎が「それ、渋谷が自慢する話なんだ?」と笑って……それから何の話をしたっけ……
「まー、そうだな!」
「!」
深刻な雰囲気を解消するためのような溝部の大きな声に、思い出の淵から我に返る。
「大学は良ければ良いほど、良いところに就職できるっていうしなー、他の奴より頑張んないとなー」
「溝部……」
溝部はこういうところ、上手だな、と思う。高2の時もわざとふざけてクラスの空気を変えてくれたりしていた。ただのウルサイだけの奴ではないのだ。……たぶん。
と、明るい話に移行するかと思いきや、
「就職って、さ」
浩介が引き続き真面目な顔で、溝部、斉藤、山崎に問いかけた。
「みんなは将来何になるとか、決めてるの?」
「えー、オレは何も」
あっけらかんと、斉藤が言う。
「オレ、給料が良くて休みがちゃんとある会社だったらどこでもいい」
斉藤、大学もどこでもよければ就職もどこでも良いらしい。楽天家な斉藤らしいといえばらしいか……
「山崎は?」
「オレは……」
「山崎君は、公務員希望です」
浩介の質問に山崎が答えるよりも早く、なぜか溝部が答えている。
「堅実な山崎君は、国立大を出て、横浜市の職員採用試験を受けるそーです」
「わ。そこまで決まってるんだ?」
「そうです。とにかく安定を求めて……」
「あ、いや……」
溝部が肯いたのを、山崎が手を振って止めた。
「それだけじゃなくて……オレ、小学生の頃から公務員になろうかなって漠然と思ってて……」
「え?!」
将来の夢が公務員ってどんな小学生だよ?! と思ったけれど………
「あの……うちさ、両親が離婚したあと、民生委員さんとか区の福祉課の人とかに世話になった時期があって……」
山崎は、言いにくそうに、ボソボソと言葉を継いだ。
「なんとなく、オレもこういう仕事ができたらいいな、とか思ってて………で、いざ、将来のこと考えたらやっぱり公務員かなって……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………やーまーざーきーっ」
シーンとなった後……、溝部が今度は山崎の背中をグーで押しはじめた。
「お前、こないだ話した時そんなこと言わなかっただろ! 安定してるからって言ったくせに!」
「あ、ごめん。引かれるかと思って……」
「引かねえよっ」
溝部は気が済まないようにグリグリと山崎の背中を押し続けながら、ブツブツと言いはじめた。
「あー、なんだこの置いていかれた感! なんか悔しい! オレ何も決まってねえ!」
「いやいや」
斉藤が苦笑しながら手を振った。
「まだ高校生なんだから、決まってない奴の方が多いって」
「でもよー」
「あれ? でも溝部のお父さんって、大工さんじゃなかったっけ?」
溝部の拳骨をようやく避けて、山崎が振り返って言った。
「跡、継がないんだ?」
「継がねえよ」
山崎の問いかけに、溝部が肩をすくめた。
「あいにくオレはかーちゃんに似て大工のセンスまるでないからな。とーちゃんもオレに継がせる気まったくなし!」
「じゃあ……」
「一番弟子のツヨシさんに継がせるって前から言ってる。だからオレはオレでやりたいことを……………って、なんも思いつかねえっ」
「でも理学部希望は希望なんだろ?」
「それはただ単に実験が好きだからで……」
溝部・斉藤・山崎がわあわあと話しながら歩いている中……
「……浩介?」
「………あ」
立ち止まってしまった浩介。
「どうかしたのか?」
「あ、ううん」
促すと歩きだしたので、3人と少し距離を取って2人だけで歩く。
「どうした?」
「あ……うん。みんな色々考えてるんだなあと思って。慶も将来決まってるしね……」
「お前だって、決まってるだろ?」
浩介はずっと、父親の跡を継ぐために弁護士にならないと、と言っている。浩介は苦笑気味に、
「おれのは決まってるというより、決められているというか……」
「…………」
浩介の視線、溝部の頭の上で止まっている……
「…………。写真部の橘先輩は、親の印刷会社を継ぐって言ってたでしょ? どこのうちもそういうもんだと思ってたけど……、溝部みたいな家もあるんだね……」
「まあ、そうだなあ。得意不得意もあるだろうしな……」
「うん………」
浩介はふうっと息をつくと、
「橘先輩は、与えられた場所で力を発揮するのもいいかなって思ったんだって」
「へえ……」
「あと……、それを蹴ってまでやりたいことがない、とも言ってた」
「…………」
それを蹴ってまでやりたいこと……か。
「お前は?」
「え?」
きょとん、とした浩介の腕を軽く叩く。
「それを蹴ってまでやりたいこと、だよ。ないのか?」
「……………」
浩介は、目を大きく開いて……
「そんなこと……」
何か、言いかけたけれども、
「おーい!お前らもっと早く歩け!遊ぶ時間なくなるぞー」
溝部の声に遮られてしまった。
(『そんなこと……』って………)
何を言いかけたんだろう……
***
海は予想通り、ものすごい人だった。
「女の子現地調達しよーぜー」
と、溝部が言い出したけれども、「彼女に怒られるから無理」と斉藤が断って、「自慢かそれっ」と溝部が怒りだして……。結局、男5人で遊泳区域ギリギリの沖まで出ることになった。
「おれ、足つかないとこ怖いから戻るよ」
「手繋いでてやるから大丈夫だって」
なんてやり取りをわざと大きな声でして、3人から少し離れたところで、浩介と2人で一つの小さな浮き輪につかまりながら、手をつないで海に浮かぶ。
「オレ、来年は絶対彼女とくるんだー。そしたらさー……」
溝部が大きな声で妄想話をはじめて、斉藤がちゃちゃを入れ、溝部が言い返して、山崎が仲裁に入って……。そんな平和な声が聞こえてくる。高校2年生の教室に戻ったかのような、穏やかな時間。
「お前さ……」
さっきから気になっていたことを、浩介に小さく問いかける。
「それを蹴ってまでやりたいこと、の話の時、何か言いかけただろ? なんだったんだ?」
「…………」
「本当は……ある、んじゃないか?」
言っていいのか迷いながら、海の解放感に背中を押されて聞いてみる。
以前から気になっていた。浩介は「弁護士になりたい」とは言わない。「弁護士にならないといけない」と言う。そこにお前の意志はあるのか? 親の跡を継がない、といった溝部を、複雑な顔をしながら見ていたのは、それは……
「お前、本当に弁護士……」
「おれの将来は、おれのものじゃないんだよ」
「………え」
見返すと、浩介はふっと笑って目線を落とした。
「でも……慶と一緒にいるっていう未来だけは守りたいな……」
「……?」
何を言ってる……?
「おれは……慶と一緒にいられれば、それでいい」
ポツンと言った浩介………
「お前……」
本当に、それでいいのか?
そう言いたかったけれど、浩介の声があまりにも優しすぎて儚げで……、おれは結局、繋いだ手に力を込めることしか出来なかった。
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お読みくださりありがとうございました!
今年一年間もお世話になり、本当にありがとうございました!
今年最後の話がこんな地味で真面目な話になるとは……このブログらしいといえばらしいですが……
皆様の優しさに感謝感謝の日々でございました。本当にありがとうございました。
よろしければまた来年もどうぞよろしくお願いいたします。
次回更新は通常通り火曜日の予定です。クリスマスも正月も関係ない通常運転でございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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