【享吾視点】
2000年夏。
2000年夏。
哲成が妹の世話で忙しくて、一度も会えなかったため、結婚の件を知らせそびれていた。直接言いたかったから、メールや電話をした際も話せずにいたのだ。
夏休みが終わり、ようやく哲成が店にきてくれた。まずは、ピアノを聴いてもらいたいと思った。好きだとは二度と言わない、という約束なので、気持ちを伝えるには音しかないのだ。けれども……
(…………哲成、変な顔してる)
演奏終了後、哲成が憮然とした表情をしていることに気がついて、慌てて駆け寄った。
おそらく、先ほどまで哲成の隣にいた常連のトオルさんが、結婚のことを哲成に言ったのだろう。トオルさんよりも先に報告がなくて、不愉快に思っているのかもしれない。
「もしかして……聞いた、のか?」
「…………」
見返すだけの哲成の様子に焦って言葉を継ぎ足した。
「ごめん、会った時に話そうと思ってたんだけど、今日まで会えなかったから……ごめんな」
「…………」
おそらく、先ほどまで哲成の隣にいた常連のトオルさんが、結婚のことを哲成に言ったのだろう。トオルさんよりも先に報告がなくて、不愉快に思っているのかもしれない。
「もしかして……聞いた、のか?」
「…………」
見返すだけの哲成の様子に焦って言葉を継ぎ足した。
「ごめん、会った時に話そうと思ってたんだけど、今日まで会えなかったから……ごめんな」
「…………」
哲成は数秒の間のあと、ふっと笑って、明るく言った。
「いや~~~ビックリした」
その調子にホッとした。けれども、その後は、なんだかギクシャクしてしまって……
閉店後に急遽行われた飲み会でも、哲成はいつもよりも明らかに酒を飲むピッチが早くて、途中からテーブルに突っ伏して眠り込んでしまった。耳元で呼んでも、体を揺すっても、どうやっても起きる気配がない。
閉店後に急遽行われた飲み会でも、哲成はいつもよりも明らかに酒を飲むピッチが早くて、途中からテーブルに突っ伏して眠り込んでしまった。耳元で呼んでも、体を揺すっても、どうやっても起きる気配がない。
「控室に泊めてあげたら?」
トオルさんがそう言って、哲成を控室に運ぶのを手伝ってくれた。二人がかりでYシャツとズボンを脱がせて、仮眠用の簡易ベッドに寝かせると、哲成は穏やかな寝息を立てはじめた。
そして、やはり、哲成一人だけをここに置いていくわけにはいかないので、オレだけが残ることになり……
「無理矢理はダメよ?するなら合意の上でね?」
「………」
「………」
コソコソッと、冗談とも本気ともつかない忠告をしてきた歌子を冷たく見返したけど……確かに、自制する自信が百パーセントあるかと聞かれると……困る。
***
皆が帰った後のシンッとなった控室の中、ベッドの端に腰かけて、哲成の寝顔をジッと見つめていたら、視線に気が付いたのか、哲成がうっすらと目を開けた。
「…………キョウ」
「……っ」
こんなに至近距離で、こんなに柔らかい笑顔を見るのは何年ぶりだろう。心臓がギュッと握り潰されるかと思うくらい、痛い。
「…………。大丈夫か? 水飲むか?」
「…………」
軽く首を振った哲成。そしてまた目を閉じてしまった。また寝たのか……?
(………哲成)
愛しい……愛しい、その白い頬。薄い唇……
我慢できず、そっと頭を撫でていると、また少しだけ瞳が開いた。
「…………キョウ」
「うん」
「……本当に結婚するんだな」
「…………え」
結婚すればいいのに、と言ったのは哲成だ。しかも自分もそのうち森元と結婚すると言っていた。だから、結婚に反対、ということはないはずだけれども、この口調を聞いたら不安になってきた。
「哲成……もしかして、嫌、なのか?」
「…………」
何も言わず、見返すだけの哲成。何を考えてる? 嫌、なのか?
「もし、お前が嫌なら、やめるぞ?」
何の躊躇もなく断言してやる。哲成が嫌がることはしたくない。店のことは……どうとでもする。でも、哲成はふっと笑うとこちらに手を伸ばしてきた。
「何言ってんだよ……」
皆が帰った後のシンッとなった控室の中、ベッドの端に腰かけて、哲成の寝顔をジッと見つめていたら、視線に気が付いたのか、哲成がうっすらと目を開けた。
「…………キョウ」
「……っ」
こんなに至近距離で、こんなに柔らかい笑顔を見るのは何年ぶりだろう。心臓がギュッと握り潰されるかと思うくらい、痛い。
「…………。大丈夫か? 水飲むか?」
「…………」
軽く首を振った哲成。そしてまた目を閉じてしまった。また寝たのか……?
(………哲成)
愛しい……愛しい、その白い頬。薄い唇……
我慢できず、そっと頭を撫でていると、また少しだけ瞳が開いた。
「…………キョウ」
「うん」
「……本当に結婚するんだな」
「…………え」
結婚すればいいのに、と言ったのは哲成だ。しかも自分もそのうち森元と結婚すると言っていた。だから、結婚に反対、ということはないはずだけれども、この口調を聞いたら不安になってきた。
「哲成……もしかして、嫌、なのか?」
「…………」
何も言わず、見返すだけの哲成。何を考えてる? 嫌、なのか?
「もし、お前が嫌なら、やめるぞ?」
何の躊躇もなく断言してやる。哲成が嫌がることはしたくない。店のことは……どうとでもする。でも、哲成はふっと笑うとこちらに手を伸ばしてきた。
「何言ってんだよ……」
「……っ」
頭を撫でていた手をぎゅっと掴まれた。哲成の温かい手……
「歌子さんなら……いいと思う」
「……そうか」
「やっぱり歌子さん……享吾のこと好きだったんだな」
「………」
それは……肯定することは難しい。
確かに、歌子はオレのことを好きだとは思う。でもそれは、性愛の感情ではない。歌子にはその感情が存在しない。彼女のような人を、無性愛者、というそうだ。
大学3年生の時に、その話を聞いて、なるほど、と思った。彼女の奏でる音は慈愛に満ちあふれている。彼女の愛は特定の人にだけ注ぐには大きく広すぎるってことなんだろう。
頭を撫でていた手をぎゅっと掴まれた。哲成の温かい手……
「歌子さんなら……いいと思う」
「……そうか」
「やっぱり歌子さん……享吾のこと好きだったんだな」
「………」
それは……肯定することは難しい。
確かに、歌子はオレのことを好きだとは思う。でもそれは、性愛の感情ではない。歌子にはその感情が存在しない。彼女のような人を、無性愛者、というそうだ。
大学3年生の時に、その話を聞いて、なるほど、と思った。彼女の奏でる音は慈愛に満ちあふれている。彼女の愛は特定の人にだけ注ぐには大きく広すぎるってことなんだろう。
歌子曰く、無性愛を他人に理解させることは難しいそうで、周りには隠しているらしい。だから、いくら哲成であっても、勝手に話すわけにはいかない。
でも……哲成には、歌子とオレが愛し合って結婚する、とは思われたくない。
「彼女は……大きな愛の持ち主なんだよ」
「……なんだそれ」
「なんていうか……オレにだけじゃなくて、たくさん愛を注げる人で……」
「それは、二股三股オッケーとかそういう話……?」
「いや、そうじゃなくて……」
なんて説明していいものか……
黙ってしまうと、哲成が、あらたまったように言ってきた。
「お前は?」
「え」
「お前は、歌子さんのこと……」
「………っ」
掴まれてる手に力を入れられた。哲成の瞳が揺れている。
「…………」
「…………」
そっとその手を両手で握り返す。そして、真っ直ぐに瞳を合わせた。
「オレの気持ちは、ずっと変わらない」
「…………」
「それは、彼女も知ってる」
「え」
きょとん、とした哲成の顔が妙に幼くて、ふっと緊張が解けた。哲成は引き続き目をパチパチさせている。
「知ってるって……」
「知ってるっていうか……お前がいるいないで、オレのピアノの音が全然違うから、ここでバイトし始めて早々にバレたんだよ」
「オレの気持ちは、ずっと変わらない」
「…………」
「それは、彼女も知ってる」
「え」
きょとん、とした哲成の顔が妙に幼くて、ふっと緊張が解けた。哲成は引き続き目をパチパチさせている。
「知ってるって……」
「知ってるっていうか……お前がいるいないで、オレのピアノの音が全然違うから、ここでバイトし始めて早々にバレたんだよ」
「え…………」
「あ、いや、でも」
哲成が困ったような表情を浮かべているので、慌てて言葉をつぐ。
「オレの完全片想いって同情されてて、他言はしないでくれてる」
「………………。ふーん」
何だか複雑な表情になりながら、哲成が首を傾げた。
「歌子さん……それでもいいって?」
「ああ………人生のパートナーになれるんじゃないかって……」
歌子は、一言えば十理解してくれる。波長が合うのだろう。一緒にいるのが楽だ。愛情とか欲情とかはまったく沸かず、親愛の情という言葉が一番合う気がする。
「…………そうか」
哲成は手を離すと、なぜか掛け布団をぱさりとめくった。
「良かったな」
「………」
言いながら、哲成は体を少しずつ横にずらしている。
「だからオレは前から歌子さんとお前はお似合いだって言ってただろ」
「……そうだったか?」
「そうだよ……って、あー、もー眠い。寝るぞ?ほら」
「え」
トントン、と隣を叩かれ、戸惑ってしまう。でも哲成は、独り言のようにブツブツ言いながら、こちらに背を向けた。
「オレ、久しぶりに羽目外して飲み過ぎたから頭ぐるぐるしてんだよ。もう限界。おやすみ」
「え」
「…………」
「…………」
そのまま、すぐに寝息をたてはじめた哲成……
小さなシングルベッドに一緒に寝るなんて、何年ぶりだろう……
静かに隣に寝そべる。
(哲成……)
こちらに向いている後頭部にそっと触れてみる。愛しい、愛しい哲成………
ゆっくりと頭を撫で続けていると、寝ていると思った哲成が、小さく呟いた。
「…………結婚したらさ」
「…………」
「お前……戸籍上は歌子さんと一緒になるんだよな」
「…………」
「…………」
「…………」
戸籍……結婚するのだから、当然だ。でも……
(戸籍上はそうだけど……)
気持ちは、違う。
「哲成……」
オレはお前のものだ。
気持ちを押さえきれず、哲成を後ろから抱きしめる。
愛しい、愛しいぬくもり……
首筋に唇を落とすと、ビクッと震えた。でも、もう止められない。
「哲成」
今、お前を感じたい。今、お前を包み込みたい。
「哲成……」
「………っ」
驚かせないように、そっと、下着越しに哲成のものに触れる。それがすでに固くなっていることに、喜びが沸き上がる。
愛しい愛しい哲成……
オレはお前のもの。ずっとずっと変わらない。
「…………んっ」
唇を首筋から肩、脇腹、と進ませ、横を向いていた体を仰向けに倒す。そのまま下着をずらして、飛び出てきたものを口に含むと、戸惑ったように、頭を手で押された。でも、やめない。やめられない……
「哲成…」
「………っ」
舌で熱くなったものをなめ上げ、左手で下の膨らみを揉みはじめると、バタついていた足が、観念したようにおとなしくなった。
「あ……んっ」
そして、オレの頭に置かれた手が、押し返す、から、撫でるように押さえる、に変わり……、その手の動きに興奮が止まらない。
「哲成……哲成」
舌で熱くなったものをなめ上げ、左手で下の膨らみを揉みはじめると、バタついていた足が、観念したようにおとなしくなった。
「あ……んっ」
そして、オレの頭に置かれた手が、押し返す、から、撫でるように押さえる、に変わり……、その手の動きに興奮が止まらない。
「哲成……哲成」
「…………」
何度も名前を呼びながら、左手と口を使って哲成を高めていく。我慢できなくて、自身のものも右手で扱きはじめる。
(好きだよ……)
それは言わない約束だから言わない。言わないけれど、伝わっているだろうか……
(……愛してるよ)
何があっても、変わらない……変わらない。
何度も名前を呼びながら、左手と口を使って哲成を高めていく。我慢できなくて、自身のものも右手で扱きはじめる。
(好きだよ……)
それは言わない約束だから言わない。言わないけれど、伝わっているだろうか……
(……愛してるよ)
何があっても、変わらない……変わらない。
伝われ……と願いながら、愛撫を繰り返す……
***
***
翌朝……
「キョウ」
「…………」
目の前に、哲成の瞳がある幸せに、胸がぎゅっとなった。
哲成をイかせたのと同時に、自分も自分でイッて……簡単に後始末をしてから、横に並んで眠ったのだ。その間、哲成は一度も目を開けなかった。一連のことすべて「夢の中での出来事」にするつもりなんだろう。でも、それでいい。
「哲成……」
「…………」
そっと、頬に手を触れると、哲成はフワリと笑った。
そして……
「キョウ……結婚、おめでとう」
真っ直ぐな、透明な瞳……
先ほどとは違う感じに、胸がぎゅっとなる。
「………ありがとう」
でも、オレ達は、これで本当に良かったんだろうか……
【歌子視点】
2000年9月23日。
亨吾君と私の結婚パーティーは、滞りなく終わった。
「歌子、良かったね」
フミちゃんを含め、仲の良い友人たちが目をウルウルさせながら口々に言ってくれた。
「ね? ちゃんと運命の相手に出会えたでしょ?」
「……そうね」
精一杯の笑顔で肯いてみせる。
私はこれから一生、この仮面をかぶり続ける。その仮面を作ってくれた享吾君には感謝している。
***
アセクシュアル。無性愛。
この言葉を知ったのは、大人になってからのことだ。名前というのは大切で、自分のこの性質に名前があることを知った時には、心底ほっとした。ようやく認められた気がした。
子供の頃からみんなが「好きな人」の話をするのを不思議に思っていた。「好きな人」ってなんだろう?何が特別なんだろう?
中学生になっても高校生になっても、その「特別」は現れなかった。もしかしたら、自分の性の対象は同性なんだろうか?と思って、視野を広げてみたけれど、それでも見つからなかった。
「いつか見つかるよ」
友人たちは口をそろえてそう言った。
でも、そうじゃないってことには、薄々気が付いていた。
(私……おかしいの?)
人として、何か欠けているんだろうか……?
その思いが爆発したのは、大学4年生の時だった。
「歌子、良かったね」
フミちゃんを含め、仲の良い友人たちが目をウルウルさせながら口々に言ってくれた。
「ね? ちゃんと運命の相手に出会えたでしょ?」
「……そうね」
精一杯の笑顔で肯いてみせる。
私はこれから一生、この仮面をかぶり続ける。その仮面を作ってくれた享吾君には感謝している。
***
アセクシュアル。無性愛。
この言葉を知ったのは、大人になってからのことだ。名前というのは大切で、自分のこの性質に名前があることを知った時には、心底ほっとした。ようやく認められた気がした。
子供の頃からみんなが「好きな人」の話をするのを不思議に思っていた。「好きな人」ってなんだろう?何が特別なんだろう?
中学生になっても高校生になっても、その「特別」は現れなかった。もしかしたら、自分の性の対象は同性なんだろうか?と思って、視野を広げてみたけれど、それでも見つからなかった。
「いつか見つかるよ」
友人たちは口をそろえてそう言った。
でも、そうじゃないってことには、薄々気が付いていた。
(私……おかしいの?)
人として、何か欠けているんだろうか……?
その思いが爆発したのは、大学4年生の時だった。
憧れの教授に、優しく、諭すように言われたのだ。
『君のピアノの技巧は完璧。言うことない。でも君の演奏には人に訴えかけるものがない。情熱が足りないんだよ。上を目指したいなら、恋をしなさい恋を』
ハンマーで頭を殴られた気がした。
私は、教授の指導を受けたくて、この音大に入った。教授の著書にあった『その人にはその人にしか出せない音がある』という言葉に励まされて、ここまでピアノを続けてきた。自分の音を大切にしてきた。それなのに……
(恋をしなさい……?)
できるなら、とっくにしてる。
そんなの……そんなの……
出口のない思考に囚われながら、開店時間前の父の経営するレストランに寄ったところ、中からピアノの音が聴こえてきた。練習しているのは享吾君だ。一つ年下の男の子。
『君のピアノの技巧は完璧。言うことない。でも君の演奏には人に訴えかけるものがない。情熱が足りないんだよ。上を目指したいなら、恋をしなさい恋を』
ハンマーで頭を殴られた気がした。
私は、教授の指導を受けたくて、この音大に入った。教授の著書にあった『その人にはその人にしか出せない音がある』という言葉に励まされて、ここまでピアノを続けてきた。自分の音を大切にしてきた。それなのに……
(恋をしなさい……?)
できるなら、とっくにしてる。
そんなの……そんなの……
出口のない思考に囚われながら、開店時間前の父の経営するレストランに寄ったところ、中からピアノの音が聴こえてきた。練習しているのは享吾君だ。一つ年下の男の子。
あいかわらず、情熱的なピアノ……。ドビュッシーの月の光。片思いしている彼の好きな曲だそうで、享吾君は、彼が店にくると、必ず一番にこの曲を弾く。
(綺麗な音……)
教授が言っていたのはこういう音のことだろう。彼のピアノは情熱に溢れている。愛が溢れだしている。
(私には一生出せない音……)
イライラが募っていく。どうせ私は……私は……
「……弾きますか?」
享吾君、私が来たことに気が付いていたらしい。曲が終わったのと同時に、振り向きながら聞かれたけれど、軽く首を振った。すると、パラパラと楽譜をめくりはじめた。均整の取れた横顔……。こんなにカッコよくてピアノも上手で日本で一番偏差値の高い大学に通っていて……何もしなくても女の子が寄ってきそうなのに、彼は一途に同性の親友を想い続けている……
「享吾君は恋をしているから、そんな音が出せるんだよね」
「は?」
眉を寄せてこちらをむいた享吾君。そんな顔もカッコイイ。ずるいな……
「私には無理。私は恋、できないから」
自分でも制御できないイライラに支配されて、思わず本当のことを言ってしまう。
「私、誰のことも愛せないの」
「え?」
「そういう性質なのよ。恋愛ができないの」
こんなこと言ってもしょうがない、と思うのだけれども、止まらない。
「人を好きになれないの。冷たい人間なのよ」
「…………」
「…………」
こんなこと突然言われても困るだろう……と、思ったけれど、言い切った言葉の響きがなくなる間もなく、
「それは違うと思いますけど?」
あっさりと、享吾君が言った。
「違う?」
ああ、この人も言うのかな?と思った。
「それは違うと思いますけど?」
あっさりと、享吾君が言った。
「違う?」
ああ、この人も言うのかな?と思った。
それは運命の人に出会ってないからですよ、とか、そういうこと、君も言うの?
今まで、友達とか保健室の先生とか、本気で悩みを打ち明けてきたけれど、みんながみんな、そう言った。いつか、好きな人はできる、と。
そういうことじゃない。そういうことじゃないのに。
私が言いたいのは、私が理解してほしいのは、そういうことじゃなくて……
と、喉まで言葉が出かかったところで……
「一人の人を愛さないのは、愛が大きくて広いからじゃないですか?」
「………え?」
享吾君が、何でもないことのように、続けた。
「あなたの音は優しくて愛に溢れている。あの音を出せる人間が、冷たいわけがない」
「……………」
「愛が大きいから、包み込むみたいな音がするんだと思いますけど?」
「え…………」
愛が、大きい……?
呆然として享吾君の横顔を見つめていたら、享吾君は、ふっと息を吐いた。
「それに比べて、オレの愛は狭い」
「え………」
「だから、こうなる」
「………っ」
弾きはじめたのは、ベートーヴェンの『月光』第三楽章。なんて音……これは、洪水だ。愛の洪水……
苦しくて……苦しくて、息が詰まる。苦しい、苦しいって、叫んでる……
弾きはじめたのは、ベートーヴェンの『月光』第三楽章。なんて音……これは、洪水だ。愛の洪水……
苦しくて……苦しくて、息が詰まる。苦しい、苦しいって、叫んでる……
彼の苦しみ。同性の親友に対する叶わない想い……
「…………すごい」
弾き終わった彼に思わず拍手をすると、彼は苦笑して、肩をすくめた。
「これ、開店中に弾いたら、確実に即、説教ですよね」
「あはは。そうだね」
こんなのが流れたら、誰も食事どころではなくなる。
亨吾君は、今度は楽譜を挟んだファイルをめくり、今流行っているポップス曲を弾きはじめた。
これは……愛の歌。愛の……
(私の音が優しくて愛に溢れてるって……)
私の愛は大きいって……
そんなこと言ってくれた人、今までいなかった。
固まっていた心が解れていく……
「亨吾君……」
「はい」
一瞬だけこちらに目をくれた亨吾君に、深々と頭を下げる。
「…………ありがとう」
ありがとう。
私、いいよね? このままで、いいよね……?
「なにがですか?」
「………………なんでもない」
ふっと肩の力が抜ける。
「あの……あとで連弾してくれる?」
「ああ、はい。今、どうぞ」
さっさと楽譜を並べてくれる。そして弾きはじめる、連弾『星に願いを』。
深い愛の君と、広い愛の私の、ハーモニー。
***
あれから、5年……
結婚パーティーの最後に、連弾をした。曲はもちろん『星に願いを』。以前、フミちゃんが連弾用に編曲したジャズバージョンのものだ。
私と弾いていても、あいかわらず享吾君の愛は、ひたすらに哲成君に向かっている。その視線は哲成君にだけ向いている。
(その想い……届くといいね)
心から思う。
君は私を救ってくれた。だから、今度は私が君の役に立ちたい。
私たちは、人生のパートナーになれる。
------------
お読みくださりありがとうございました!
お読みくださりありがとうございました!
歌子視点はあくまでオマケなので、独立させたくなかったため、ついついこんなに長く……
長文お読みくださり、本当にありがとうございました。
本格的な過去回想は今回で終わり。次回から、現在に戻ります。あ、まだ2月だけど。まだ平成だけど‼
次回、火曜日更新の予定です。
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