【享吾視点】
バーのピアノで弾くのと、ホールのピアノで弾くのとでは、まったく勝手が違ったので、本番前に歌子に指導してもらった。
「いつもよりペダル浅めで。響き過ぎてる」
「左のメロディ、モヤモヤしてる。もっとハッキリ」
「広い会場なんだから、遠くに飛ばすつもりで弾いて」
等等。直して弾いたものが良い出来になっていくのが、なかなか楽しかった。中学一年生の時にピアノ教室を辞めて以来、独学で弾いてきたので、こういう指導を受けるのは本当に久しぶりだ。
「村上歌子音楽教室、オレも入会しようかな……」
本番が始まる数分前、舞台裏でかなり本気で言ったのに、歌子には「お断りします」と一蹴されてしまった。
「広い会場なんだから、遠くに飛ばすつもりで弾いて」
等等。直して弾いたものが良い出来になっていくのが、なかなか楽しかった。中学一年生の時にピアノ教室を辞めて以来、独学で弾いてきたので、こういう指導を受けるのは本当に久しぶりだ。
「村上歌子音楽教室、オレも入会しようかな……」
本番が始まる数分前、舞台裏でかなり本気で言ったのに、歌子には「お断りします」と一蹴されてしまった。
「今日はホールで弾くの久しぶりだろうからアレコレ言ったけど、普段の亨吾君に私から言うことは何もないわよ」
軽く肩をすくめる歌子。首のラインがとても綺麗だ。
「あ、ほら、これ、哲成君じゃない?」
「え」
モニターに映し出された客席。後ろから二列目に、哲成の姿が写っている。
「いいところに座ってくれてるわね。ここに届けるつもりで、弾いて?」
「……………」
広い会場なんだから、遠くに飛ばすつもりで……の話か。
「…………分かった」
「手加減なしね? 私も全力で弾く」
ニッと笑った歌子は、やっぱりとても美人だ。
舞台での演奏は、想像以上に楽しかった。重なった音の一体感、歌子にリードされながらついていき、時にはこちらがリードして、はね返ってくる音に包まれて、響きを味わって……
充実した時間の後の、会場の溢れるばかりの拍手に、さらに気持ちがあがる。
(哲成……届いたかな)
客席に向かって頭を下げ、あげたところで、哲成の方をみたら、目があった。の、だけれども……
(…………哲成?)
遠くて薄暗いのでよくは見えないけれど、変な顔をしてる感じがする……
付き合いが長いので、哲成の表情は、機嫌が良いのも悪いのも、雰囲気で分かってしまう。
(なんだろう……)
何かあったのだろうか……心配だ。
すぐにそばに行きたかったのに、舞台下手に下がると同時に、待機中の数人の出演者とその保護者に囲まれてしまい、出遅れた。その上、ホワイエに出たところでも、別の女性の軍団に声をかけられ足止めをくらってしまい……
それもなんとか適当にかわして、ようやく客席後方に近い扉の前まで辿りつき、扉を開けるために曲と曲の合間のタイミングをはかろうとした……のだけれども、
「…………あれ?」
オレが通ってきた方とは反対側のホワイエの端のソファに、哲成の後ろ姿を見つけた。少し奥まったところに座っているので、気がつけなかったのだ。
そちら側は全面ガラス張りになっていて、解放感がある。背もたれのない大きめなソファがいくつも置いてあるけれど、今はちょうど、哲成しか座っていない。
(なんだか……寂しそう……?)
哲成を覆う暗い影に、ますます不安が募っていく。
「哲成?」
「ああ……」
窓の方を向いている哲成の隣に座り、そっと名前を呼ぶと、哲成は驚いた様子もなく、こちらを向いた。
「お疲れ。連弾、スゲー良かったぞ」
「………………」
スゲー良かった、という言葉とは真逆に、なんだか不満げだ。
これはもしかして、連弾をしたことが気に喰わなかったのだろうか……
これはもしかして、連弾をしたことが気に喰わなかったのだろうか……
と、思ったら、今度は哲成がふっと笑った。でもその笑いも、楽しい笑いではなく、苦笑とか苛立ちとかが含まれているので、ますます縮こまってしまう。……と、
「んな、怯えた目、すんなよ」
「え」
コツンとこめかみのあたりにゲンコツを当てられた。
「オレがイジメてるみたいじゃねーかよ」
「そんなこと……」
「あるだろ。なんなんだよお前、こないだから」
「…………」
こないだ、というのはいつをさすのだろうか?
先週、三年ぶりに再会した時のことか? それとも、三年前に「距離を置こう」と言われたときのことか……?
「だから、その目。やめろって」
「!」
ふいっと顔を近づけられ、ドキッとする。こんな至近距離、久しぶりすぎて……
「……なあ、キョウ」
「………」
「………」
「………」
キラキラした目。学生のころはよくこうして目と目を合わせてた。我慢できなくて、「つい、なんとなく」と言って、キスをしてた。今も、気を抜いたら、その誘惑に負けてしまいそうだ。最後にキスをしたのは、大学2年の「一生一緒にいるために、好きって言わない」と約束したあの日で……
「哲成……」
その白皙を手で囲んで、その赤い唇を指で辿って……と妄想が走り、本当にそうしそうになった、その時。
「お前、2年半前に病気になったって、ホント?」
「!」
甘い気持ちが一気に冷めた。なんでそれを知ってる?! と、頭の中がパニックになっているオレを置いて、哲成は淡々と聞いてくる。
「会社で何かあった?」
「………」
「それとも……オレのせい?」
「………」
「………」
「………」
それは……
何も言えず、目を逸らすと、哲成が大きく息を吐いた。
「やっぱり、オレのせいなんだな?」
「…………」
「まだ病院通ってるってのも本当か?」
「………」
「それとも、オレが帰ってきたから、治った?」
それは……
「それとも……」
「…………っ」
ソファに置いた手を上からぎゅっと握られて、ドキッと心臓が跳ね上がる。
コツンとこめかみのあたりにゲンコツを当てられた。
「オレがイジメてるみたいじゃねーかよ」
「そんなこと……」
「あるだろ。なんなんだよお前、こないだから」
「…………」
こないだ、というのはいつをさすのだろうか?
先週、三年ぶりに再会した時のことか? それとも、三年前に「距離を置こう」と言われたときのことか……?
「だから、その目。やめろって」
「!」
ふいっと顔を近づけられ、ドキッとする。こんな至近距離、久しぶりすぎて……
「……なあ、キョウ」
「………」
「………」
「………」
キラキラした目。学生のころはよくこうして目と目を合わせてた。我慢できなくて、「つい、なんとなく」と言って、キスをしてた。今も、気を抜いたら、その誘惑に負けてしまいそうだ。最後にキスをしたのは、大学2年の「一生一緒にいるために、好きって言わない」と約束したあの日で……
「哲成……」
その白皙を手で囲んで、その赤い唇を指で辿って……と妄想が走り、本当にそうしそうになった、その時。
「お前、2年半前に病気になったって、ホント?」
「!」
甘い気持ちが一気に冷めた。なんでそれを知ってる?! と、頭の中がパニックになっているオレを置いて、哲成は淡々と聞いてくる。
「会社で何かあった?」
「………」
「それとも……オレのせい?」
「………」
「………」
「………」
それは……
何も言えず、目を逸らすと、哲成が大きく息を吐いた。
「やっぱり、オレのせいなんだな?」
「…………」
「まだ病院通ってるってのも本当か?」
「………」
「それとも、オレが帰ってきたから、治った?」
それは……
「それとも……」
「…………っ」
ソファに置いた手を上からぎゅっと握られて、ドキッと心臓が跳ね上がる。
普段からオレ達は、普通の友達同士よりはスキンシップは多い、と思う。でもそれはハイタッチだったり、頭を軽く撫でたりする程度の、極軽いものだ。
(こんな風に触れてくるなんて、何年ぶり……)
戸惑ったまま固まっていると、哲成がポツン、と言った。
「それとも、歌子さんが治してくれるから大丈夫、とか?」
「え?」
歌子が治す? 何の話だ?
よく分からないけれど……
「……哲成」
掴まれた手を上向きにして、握り返す。いわゆる『恋人繋ぎ』でぎゅっぎゅっぎゅっとする。こんな繋ぎ方、何年ぶりだろう。愛しくてたまらない。
「病院、通ってたけど……もう、行かない」
「なんで?」
きょとん、とした哲成の頭に、コツンと頭をくっつける。
「お前が帰ってきたからもう治った……と思う」
「…………」
「お前がそばにいたらもう大丈夫……だと思う」
「お前がそばにいたらもう大丈夫……だと思う」
正直に答えると、哲成はしばらくの沈黙の後、
「……ばーか」
と言って、小さく笑った。
【哲成視点】
オレは酷い男だ、と思う。
享吾の前からいなくなって、苦しめて、病気にして……それなのに、それを治せるのはオレだけだと聞いて、喜んでいる。奥さんである歌子さんではなく、オレが、オレこそが、享吾に必要なんだと確認できて、たまらなく嬉しい。
歪んでいる、と思う。
享吾の幸せを願う一方で、享吾にオレだけを必要とされたいと思っている。
オレはただ……愛が欲しいだけなのかもしれない。
今思えば……中学の時、幼なじみの松浦暁生にあれだけ尽くしていたのは、自分を必要としてほしかったからだ。いつでも明るく、元気でいたのも、みんなに認めてほしかったからだ。いつでも一生懸命、が母の口癖で、いつでも一生懸命することで、母に喜んでもらえていたから。
でも……享吾はそんなことしなくても、オレの存在を認めてくれた。ボーッと座っているだけのオレに、ピアノを聴かせてくれた。オレと一緒にいることを求めてくれた。愛してくれた。その思いにどれだけ救われたことか……
でも、オレは享吾との人生は送れない。だから3年間離れた。享吾にはオレができない分、オレの代わりに、母親孝行もしてほしい。
自分の中にいくつも人格があるようで、困ってしまう。享吾の幸せを願う心。享吾のすべてが欲しい心。享吾の愛を試したい心。そして……
「テックーン!」
「お!花梨!カチューシャいいじゃん!」
「でっしょー?」
発表会が後半に近づいてきたころ、待ち合わせたホワイエに花梨が連れられてきた。ピンクの花をあしらったカチューシャが、ピンクのヒラヒラのドレスによく似合っている。
「バアバと一緒に作ったんだよ!」
「100均でお花買ったんだよ。ねー?」
「ねー?」
花梨の後ろ、梨華の隣で悠然とした笑みを浮かべている女性……父の再婚相手。梨華の母親だ。
梨華が小学生の時に男を作って家を出て行った彼女は、オレがタイにいたこの3年の間に、父と再々婚した。花梨が生まれたことで、行き来が頻繁になったのだけれども、まさかもう一度籍を入れるとは思いもしなかった。
あいかわらず、派手な女性だ。今年65になるとは見えない。75の父とは相当の歳の差カップルにみえる。
「清美さん、あいかわらずオシャレだね」
「テツ君はあいかわらず地味ねえ。せっかく舞台に立つんだから、もっと派手な服着ればいいのに」
「普通の服でいいって言われたから……」
水色のシャツとカーキ色のチノパン。これで充分だろう。リハーサルの時点では、みんなオレと似たり寄ったりの格好をしていた。
「あ、カチューシャのお花の残りがあるよ」
「それいい! テックン、かりんとお揃いしよ!」
「え?!カチューシャ?!」
「そんなわけないでしょ。胸ポケにいれるのよ。はい」
梨華にすっとピンクの花を入れられた。これはまるで……
「いいじゃなーい? 新郎っぽくて」
「新郎っていうより、卒業式の学生って感じ?」
「あ、いえてる。テツ君見た目若いからね」
梨華と清美さんが口々に言う。この二人、まるで本物の親子みたいだ。
(……本物の親子だけど)
でも、梨華を育てたのはオレだ。梨華の卒業式も入学式も運動会も授業参観も、懇談会だって個人面談だってPTAの役員だって交通安全の旗振り当番だって、全部やってきたのはオレなのに……
胸に差された花の重さの分だけ、気持ちもどんどん沈んでいく……
そんな中、集合時間となった。
舞台下手に花梨を連れて行くと、もうほとんどのメンバーが集まっていた。母と子だったり、父と子だったり、祖母と子だったり……。伯父と姪、の取り合わせはオレ達だけだろうな……
「……哲成。花梨ちゃん」
「あ」
ゴチャゴチャした人波の中、享吾が真っ先に気が付いて、こちらに来てくれた。そして目ざとくオレの胸ポケットに気が付くと、
「お揃いの花……いいじゃないか」
「…………そうか?」
「ああ」
「…………」
「…………」
「…………」
なんだかわからないけど……無性に、享吾に触りたい。触りたい……と思っていたら、
「じゃあ、頑張ってな」
すいっと、一瞬だけ頬に触れられた。
なんだか……泣きたくなってしまった。
「お!花梨!カチューシャいいじゃん!」
「でっしょー?」
発表会が後半に近づいてきたころ、待ち合わせたホワイエに花梨が連れられてきた。ピンクの花をあしらったカチューシャが、ピンクのヒラヒラのドレスによく似合っている。
「バアバと一緒に作ったんだよ!」
「100均でお花買ったんだよ。ねー?」
「ねー?」
花梨の後ろ、梨華の隣で悠然とした笑みを浮かべている女性……父の再婚相手。梨華の母親だ。
梨華が小学生の時に男を作って家を出て行った彼女は、オレがタイにいたこの3年の間に、父と再々婚した。花梨が生まれたことで、行き来が頻繁になったのだけれども、まさかもう一度籍を入れるとは思いもしなかった。
あいかわらず、派手な女性だ。今年65になるとは見えない。75の父とは相当の歳の差カップルにみえる。
「清美さん、あいかわらずオシャレだね」
「テツ君はあいかわらず地味ねえ。せっかく舞台に立つんだから、もっと派手な服着ればいいのに」
「普通の服でいいって言われたから……」
水色のシャツとカーキ色のチノパン。これで充分だろう。リハーサルの時点では、みんなオレと似たり寄ったりの格好をしていた。
「あ、カチューシャのお花の残りがあるよ」
「それいい! テックン、かりんとお揃いしよ!」
「え?!カチューシャ?!」
「そんなわけないでしょ。胸ポケにいれるのよ。はい」
梨華にすっとピンクの花を入れられた。これはまるで……
「いいじゃなーい? 新郎っぽくて」
「新郎っていうより、卒業式の学生って感じ?」
「あ、いえてる。テツ君見た目若いからね」
梨華と清美さんが口々に言う。この二人、まるで本物の親子みたいだ。
(……本物の親子だけど)
でも、梨華を育てたのはオレだ。梨華の卒業式も入学式も運動会も授業参観も、懇談会だって個人面談だってPTAの役員だって交通安全の旗振り当番だって、全部やってきたのはオレなのに……
胸に差された花の重さの分だけ、気持ちもどんどん沈んでいく……
そんな中、集合時間となった。
舞台下手に花梨を連れて行くと、もうほとんどのメンバーが集まっていた。母と子だったり、父と子だったり、祖母と子だったり……。伯父と姪、の取り合わせはオレ達だけだろうな……
「……哲成。花梨ちゃん」
「あ」
ゴチャゴチャした人波の中、享吾が真っ先に気が付いて、こちらに来てくれた。そして目ざとくオレの胸ポケットに気が付くと、
「お揃いの花……いいじゃないか」
「…………そうか?」
「ああ」
「…………」
「…………」
「…………」
なんだかわからないけど……無性に、享吾に触りたい。触りたい……と思っていたら、
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すいっと、一瞬だけ頬に触れられた。
なんだか……泣きたくなってしまった。
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次回、火曜日更新の予定です。
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こんな真面目な話にご理解いただき、有り難い有り難い…と拝んでおります。
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