朝起きて、とりあえず行っておきたいと思って走り始める。午前6時過ぎだったか。時は12月の23日。1号が亡くなってから1週間経っていない。
川を越える。本当に行くのかというか行けるのか。まあ、恐らく60キロぐらいで時間制限があるわけではないから大丈夫だろうとぼんやりとそんなことを考える。
ただ淡々と前を見て脚を交互に動かす。
雨というか雹みたいなのが降ってくる。あまり気にはならない。ずっと続くという予報ではなかったのと、そんなに気にするような気分ではなかったから。ただ、走りきらないと気分が悪い。何のためか。自分のためか1号のためか。それすら曖昧。でも走りきらないと気分が悪いのは確か。
お墓参りを済ませる。まだこの時は骨は入っていなかったか。その直後空が晴れてくる。虹が出る。1号ありがとうという気分。
国道を更に東に向かう。
30キロ手前のセブンで補給。12月だが極寒ではない。それが救い。
さらに10キロ余り進んで加茂川を通過する。写真、少ないな。多分撮ることとか考えずにひたすら走っていたのだろう。君のことを想いながら。
1号は、もうずっとウチにいたから、特別な存在というより普通に家族みたいなもんで。
15年と11ヶ月。自分の中で一つの時代が終わった気さえする。
君を見たのは大洲から宇和に向かうトンネルの手前のペットショップ。3回ぐらい通ったんかな。雪が降って、凄い道路状態になった日にも行った。で、3月の末か、ヨメさんが見た瞬間に決定、という感じ。儂が車止めてペットショップに入ったら、もうヨメさんがだっこしてお金払っていたから。
犬小屋を実家のオヤジが作っていてくれたが、結局使わないことになった。
「まだ小さいから家の中で」が「ずっと家の中で」に。我が家の犬たちが、家の中で暮らせるようになったのは、君の器量の良さと愛らしさのおかげ。すべてにおいて完璧。
ムスコもムスメも幼稚園児で、それはそれは毎日が楽しかった筈。君と2号が一番いろいろなところに行っているが、君の場合、しまなみとかも1回多く行っているし、そういやあ泊まりがけで鞄の中に入って宇和島とかにも行っているし。2号と2匹一緒でなら、四万十のキャンプ場とか鳥取砂丘とか、そういうところまでお供したな。兎に角いろんなところに行った。
そして、1回「結婚」しました。赤ちゃんには恵まれませんでしたが。3日ほど四国中央のブリーダーさんの家に預けなければならなかったが、その時、儂は寂しくて寂しくて、もう。
で、今日は君に縁があるところまでということで、その街まで走ってみようかと。
西条から新居浜へ。もう半分は過ぎた。
国道をひたすら行く。見慣れた道で退屈なはずだが、それでもそんなに苦ではない。何かを見ながら走るという気分でもなかったから。
それでもまあ、と新居浜に入ってから少し旧道に行く。気分転換。
コンビニで入手しておいたチョコを補給。
川を渡る。
新居浜を過ぎる。ややバテてきたか。
池田池公園は、過去にはマラソン大会が行われていたこともあるそうで。
儂が3年前、朝ラン中に原付に追突されて眼窩骨折したときに、執刀してくれた先生は、ここから呼び戻されたと言っていた。
そういえば、1号とは一緒に走ったな。若かりし頃。最高で15キロ。今5号も同じぐらい走れそうだが、危なっかしくてまだ3キロぐらい。そのうち走ってみようかとは思っているが、興奮しすぎになるのが一寸酷すぎて無理かもしれん。兎に角興奮しやすくて危なくて。それを考えれば一緒に走れるというのは凄いこと凄いこと。
新居浜から土居までの長い長い(長く長く感じる)国道を抜けて漸く四国中央市。
やっと来た。来れた。
明石山系、に遠くまで来た、来れたなという実感が沸く。君の「結婚先」ははっきりとは分からないが、この街の手前の方で間違いないので、近くの駅を目指す。
天気は快晴ではなく、もの想うによい案配だった。
10月に2号が逝ってから、寂しくなったんかな、とそれは思った。ただ、それもあるのだろうが、紆余曲折のあった(本当に!)ムスコやムスメが、無事に大学生になって家を出て、やれやれって思って力が抜けてしまったんかなと。
どちらかといえば、君はそうやっていつも家族のことを考えていたような、そんな立ち振る舞いをいつもしていたと思う。
その日も。
最近少ししんどそうだなと思ってはいたけど、それほど気にする感じではなくて、その日も、30分前まで普通に庭に降りて、とことこ歩いて。で、一瞬に倒れたけど、何事もなかったかのようにリビングに帰って、でその後力を使い果たしたかのように倒れて。本当にあっという間だった。慌てて近所の病院に駆け込んだが、もう心臓は動いてなかった。
因みに、その日は僕しか家にいなかった。ヨメさんも翌日の夜まで帰る予定ではなかったし。まさかそういうのも計算に入れていたのではないかというぐらい。
その夜は、君の身体が傷まないように暖房とか付けずにリビングで寝て。4号が寄ってきたのが何ともまあ、わかっとんかなみたいな感じで。
ムスコもムスメも次の日に帰ってきて、ヨメさんも予定早めて帰ってきて。
お葬式をしてみんなで送った。儂はその日の夜はそのまま泊まり勤務。辛かった。
その翌朝、泊まり勤務のところからお葬式をした方を見る。綺麗な青。そして夕刻の空。
あんなギリギリのタイミング選んでよく決心したね。
君は、最後までみんなに迷惑をかけないで旅立とうとしていた。凄いです。ここしかない、というタイミングだった。
でも。
最期を看取る、という程何もしていないが、最期までずっと儂は君を見ていたし、君は儂を見ていたし。そんな風にして送ることができた、ということも凄いことなのかもしれないし。
でも。
儂はそれよりももう少し一緒に居たかった。
3日後、一人で君を想いながら呑んだ。
君は縁あってウチに来て、16年近く過ごして、さあどうだろう、いい人生だったのかなどうなんかなと今でも思う。儂は君なしでは考えられない16年だった。感謝の気持ちしかない。
昔家人に「1号は生まれ変わったらおとーさんと結婚すると思う」と言われたことがある。来世とかあまり信じんけど、せめてまた夢ででも逢いたいね、とそう思う。
駅を漸く見つける。
汽車の時間には何とか間に合う。
電車に乗り、靴を脱ぐ、そこそこ靴は濡れていた。
新居浜からバスで家に戻る。何でセブンのにしたんか覚えてないんだが。
国道ひたすら走るなんて、多分1号のことを考えなかったらやろうとは思わない。
ただ想いつつ。走れて良かった。
有り難う。
川を越える。本当に行くのかというか行けるのか。まあ、恐らく60キロぐらいで時間制限があるわけではないから大丈夫だろうとぼんやりとそんなことを考える。
ただ淡々と前を見て脚を交互に動かす。
雨というか雹みたいなのが降ってくる。あまり気にはならない。ずっと続くという予報ではなかったのと、そんなに気にするような気分ではなかったから。ただ、走りきらないと気分が悪い。何のためか。自分のためか1号のためか。それすら曖昧。でも走りきらないと気分が悪いのは確か。
お墓参りを済ませる。まだこの時は骨は入っていなかったか。その直後空が晴れてくる。虹が出る。1号ありがとうという気分。
国道を更に東に向かう。
30キロ手前のセブンで補給。12月だが極寒ではない。それが救い。
さらに10キロ余り進んで加茂川を通過する。写真、少ないな。多分撮ることとか考えずにひたすら走っていたのだろう。君のことを想いながら。
1号は、もうずっとウチにいたから、特別な存在というより普通に家族みたいなもんで。
15年と11ヶ月。自分の中で一つの時代が終わった気さえする。
君を見たのは大洲から宇和に向かうトンネルの手前のペットショップ。3回ぐらい通ったんかな。雪が降って、凄い道路状態になった日にも行った。で、3月の末か、ヨメさんが見た瞬間に決定、という感じ。儂が車止めてペットショップに入ったら、もうヨメさんがだっこしてお金払っていたから。
犬小屋を実家のオヤジが作っていてくれたが、結局使わないことになった。
「まだ小さいから家の中で」が「ずっと家の中で」に。我が家の犬たちが、家の中で暮らせるようになったのは、君の器量の良さと愛らしさのおかげ。すべてにおいて完璧。
ムスコもムスメも幼稚園児で、それはそれは毎日が楽しかった筈。君と2号が一番いろいろなところに行っているが、君の場合、しまなみとかも1回多く行っているし、そういやあ泊まりがけで鞄の中に入って宇和島とかにも行っているし。2号と2匹一緒でなら、四万十のキャンプ場とか鳥取砂丘とか、そういうところまでお供したな。兎に角いろんなところに行った。
そして、1回「結婚」しました。赤ちゃんには恵まれませんでしたが。3日ほど四国中央のブリーダーさんの家に預けなければならなかったが、その時、儂は寂しくて寂しくて、もう。
で、今日は君に縁があるところまでということで、その街まで走ってみようかと。
西条から新居浜へ。もう半分は過ぎた。
国道をひたすら行く。見慣れた道で退屈なはずだが、それでもそんなに苦ではない。何かを見ながら走るという気分でもなかったから。
それでもまあ、と新居浜に入ってから少し旧道に行く。気分転換。
コンビニで入手しておいたチョコを補給。
川を渡る。
新居浜を過ぎる。ややバテてきたか。
池田池公園は、過去にはマラソン大会が行われていたこともあるそうで。
儂が3年前、朝ラン中に原付に追突されて眼窩骨折したときに、執刀してくれた先生は、ここから呼び戻されたと言っていた。
そういえば、1号とは一緒に走ったな。若かりし頃。最高で15キロ。今5号も同じぐらい走れそうだが、危なっかしくてまだ3キロぐらい。そのうち走ってみようかとは思っているが、興奮しすぎになるのが一寸酷すぎて無理かもしれん。兎に角興奮しやすくて危なくて。それを考えれば一緒に走れるというのは凄いこと凄いこと。
新居浜から土居までの長い長い(長く長く感じる)国道を抜けて漸く四国中央市。
やっと来た。来れた。
明石山系、に遠くまで来た、来れたなという実感が沸く。君の「結婚先」ははっきりとは分からないが、この街の手前の方で間違いないので、近くの駅を目指す。
天気は快晴ではなく、もの想うによい案配だった。
10月に2号が逝ってから、寂しくなったんかな、とそれは思った。ただ、それもあるのだろうが、紆余曲折のあった(本当に!)ムスコやムスメが、無事に大学生になって家を出て、やれやれって思って力が抜けてしまったんかなと。
どちらかといえば、君はそうやっていつも家族のことを考えていたような、そんな立ち振る舞いをいつもしていたと思う。
その日も。
最近少ししんどそうだなと思ってはいたけど、それほど気にする感じではなくて、その日も、30分前まで普通に庭に降りて、とことこ歩いて。で、一瞬に倒れたけど、何事もなかったかのようにリビングに帰って、でその後力を使い果たしたかのように倒れて。本当にあっという間だった。慌てて近所の病院に駆け込んだが、もう心臓は動いてなかった。
因みに、その日は僕しか家にいなかった。ヨメさんも翌日の夜まで帰る予定ではなかったし。まさかそういうのも計算に入れていたのではないかというぐらい。
その夜は、君の身体が傷まないように暖房とか付けずにリビングで寝て。4号が寄ってきたのが何ともまあ、わかっとんかなみたいな感じで。
ムスコもムスメも次の日に帰ってきて、ヨメさんも予定早めて帰ってきて。
お葬式をしてみんなで送った。儂はその日の夜はそのまま泊まり勤務。辛かった。
その翌朝、泊まり勤務のところからお葬式をした方を見る。綺麗な青。そして夕刻の空。
あんなギリギリのタイミング選んでよく決心したね。
君は、最後までみんなに迷惑をかけないで旅立とうとしていた。凄いです。ここしかない、というタイミングだった。
でも。
最期を看取る、という程何もしていないが、最期までずっと儂は君を見ていたし、君は儂を見ていたし。そんな風にして送ることができた、ということも凄いことなのかもしれないし。
でも。
儂はそれよりももう少し一緒に居たかった。
3日後、一人で君を想いながら呑んだ。
君は縁あってウチに来て、16年近く過ごして、さあどうだろう、いい人生だったのかなどうなんかなと今でも思う。儂は君なしでは考えられない16年だった。感謝の気持ちしかない。
昔家人に「1号は生まれ変わったらおとーさんと結婚すると思う」と言われたことがある。来世とかあまり信じんけど、せめてまた夢ででも逢いたいね、とそう思う。
駅を漸く見つける。
汽車の時間には何とか間に合う。
電車に乗り、靴を脱ぐ、そこそこ靴は濡れていた。
新居浜からバスで家に戻る。何でセブンのにしたんか覚えてないんだが。
国道ひたすら走るなんて、多分1号のことを考えなかったらやろうとは思わない。
ただ想いつつ。走れて良かった。
有り難う。
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